第3話 2人の休日(+1)
ーーわたしはわたしに反抗する。
♢
「なんで、そんな格好してるの?」
愛花は問いかけた。
目の前に立つ絶世の美男子。
黒髪金眼で、長身。切長の瞳に、目元の黒子がなんとも言えない艶っぽさを作っていた。
ーーその正体はなんと、『彼』だ。いつも私の影の中にいる正体不明のナニカである。
友達のいなかった愛花の遊び相手を、彼はよくこの姿でしてくれていた。
小さな頃はたいして気にしていなかったが、なぜこんなにも無駄な美形なのか。彼の美意識なのか?
しかし、それならば私のそばにいる理由がわからないと愛花は思った。美形が好みなら、私は対象外だから。私を守る意味がない。
愛花にとって、この姿は馴染みのあるものではあるが、胸の中をムズムズさせるような違和感を伴うものでもあるから、なるべくならいつもの影の姿を取っていてほしいものなのだが……。
そんなことを考える愛花を、何も語らない目がジーッと見つめている。この間から変だ。結局何も伝えてはこなかったくせに、妙な意思表示だけはやめない。
「…………っ。これから外出するのに、どうしてそこにいるの?」
愛花は、彼が立って邪魔している玄関を横から覗き込んだ。
すると、その玄関には母の靴……だけしかなかった。愛花の持っている全ての靴が消えてしまっている。
「……靴がない」
(ーー隠したの⁈)
にらめ付けると、何故かギュッと手を握られた。愛花を包むように、柔く強く。
「……」
行くなと言われているのは分かっていた。彼は嫉妬深い(一話参照)。物にさえ嫉妬してしまうのだから、愛花が友人を作ることに嫉妬をするのは当たり前だった。
(しょうがない)
愛花は消えてしまった靴を探すのは諦めて、奥にしまい込んでいた季節外れのサンダルを出した。
今の季節は5月だ。早めの衣替えということで、履けないこともないだろうと玄関にそれを置き、同時に腰を下ろした。
すると、後ろから彼がしなだれかかるように邪魔をしてくる。
いつもは陰でまとわりついてくるので、そこまで意識はしていないが、世間一般から見て誰もが美青年というであろう姿で寄り掛かられるのは、異性に耐性のない愛花には少しこたえた。
「……っ!」
勢いよく、彼を突き放す。すると、髪を縛っていたリボンがスルッと解けて、彼の手の中に残った。愛花の好きな青色。
「……………」
彼と呆然と見つめ合う。ーー沈黙。
そして、彼はゆっくりと手を動かし、リボンを撫でた。優しく、愛花に触れるみたいに。
それが宝物を愛でているように見えて、それが自分に重なって、すごく恥ずかしくなる。
「………っ!」
弾かれたように愛花はショルダーバッグを手に持って、一気に玄関から外に出た。
きっと彼はこんな風ににげてもすぐ追いついてくる。
そんなことはわかっている。でも、どうしても、この一瞬だけでも離れたかった。
……赤くなってしまった顔を見られたくなかった。
♢
「お待たせ。待たせてごめんね」
愛花が出先で声をかけたのは、転校生の霧立夢だった。
今日は、彼女にこの街を案内することになっていたのだ。引っ越して来たばかりで、まだ場所がおぼつかないという彼女。買い出しもしたいので、どこかいい場所がないか、ということでこの街にある一番大きなショッピングモールを提案したのである。
そしたらば、愛花も一緒に行かないかと誘われた。
『一人だと不安だし。……私と一緒だと嫌かな?』としょげた顔で顔でいう夢に対して、断りきれなかった愛花は駅前に駆け込んでくる羽目になった。
しかし、駆け込んだ先にいたのは……。
「……待って、なんでいるの」
「……愛花ちゃん、この人知り合いの人? さっきからここにいるんだけど」
「……うん。そう、知り合いなの。ちょっと待っててね」
駅前にいたのは、家に置いて来たはずの彼だった。
長い足をジーンズに包んで、暗めのシャツをイヤミなほど着こなしている。つまり、人間の姿のままである。
「……なんで、その姿のままここに来たの?」
「…………」
「何か言って」
「……………」
(……こうなると面倒なんだよね)
そもそもついてくる気マンマンだったのではないか? 朝から人型になっていたのも、それが理由に違いない。
彼はダンマリを決め込み、愛花の顔をただじっと見つめ返してきた。愛花も負けじと睨むが、反応はなく、彼はずっと愛花の顔を見つめ続ける。
愛花が逸さなければ、ずっとこのまま。睨めっこで愛花は彼に勝てた覚えがなかった。こうなると、何も聞き出せなそうもない。
「……ゆめ、ごめんね。着いて来たいらしくて」
黙り込み続ける彼を背後に連れた愛花は、そう言った。こういう時は諦めが肝心なのだ。
しかし、何故か夢は照れたように赤くなり顔を隠す。隠した手のひらの間から、彼女の赤い頬が見える。……なんか、すごく可愛い。
「どうしたの?」
「いや、あのね。……やっと、ゆめって呼んでもらえたから。最初からグイグイ行きすぎたから、呼んでもらえないかなって……」
ーーでも、呼んでもらえた。
そう言って、ゆめは顔を隠しながらふふっと笑った。愛花も、何故かそう言われて顔が熱くなってくる。
(……これがコミュ力高め女子の実力)
すると、背後にいつのまにかやって来ていた彼が愛花の袖をくいくい引っ張りだした。
「……どうしたの?」
「……」
彼は何も言わずに、愛花の気を引き続けるように袖を引っ張り続ける。わけがわからない。
顔を真っ赤にした美しい少女と、何を考えているか一切わからない美しい男(の顔をした何か)に挟まれ、愛花はしばらくの間途方に暮れていた。
♢
「行きたいところある? まず、何を揃えたい?」
ゆるりと周囲を見回して、夢に訪ねた。
ここは、愛花の住む街で一番大きなショッピングモールだ。五階建てで、食品店や衣料品店、雑貨屋などの店が所狭しと並んでいる。ゲームセンターなどの娯楽施設もあるため、ここが無くなった時、街の学生のほとんどは(退屈で)息絶えるといわれるほど。大袈裟ではあるが、それほどまでにここは学生の生命線なのだ。田舎を舐めてはいけない。
「うん、まずは簡単な日用品かな。急な引っ越しだったから、まだしっかり家に物が揃ってないの。親も忙しくてしばらく買い出しに行けないから、これで買ってこいって」
そう言って、夢はクレジットカードを見せた。それも、プラチナの。あのブランドなら、上限額が200〜300万あるはず。
年頃の女子高生にカードを渡すとは、夢が信頼されているのか、よっぽどの大家なのか。愛花はそう思いながら、一方で、夢ちゃんなら信頼されて当然だと心のどこかで確信があった。
「そうかー、じゃあニ◯リとか行ってみる? 気になるところがあったら、順々に回る感じで」
二人(彼は無視)は、広いショッピングモール内を興味に任せて歩いて行く。
年頃の少女たちの購買欲は強く、あれが良い、これも可愛い!! と言いながら、店を物色して欲しいものを買って行った。互いの好みが似通っており、意見が反発したり、譲り合いなどを気にする必要もなかった。
昔からの友達のような、そんな感情で愛花は夢の隣を進む。いつもの無表情でも不自然な笑顔でもなく、幸せそうな表情で。
順調に買い物は進み、それと同時に時間もあっという間に過ぎて行った。
「付き合ってくれたお礼にご飯奢るよ」
結構な量の買い出しを済ませ、荷物を送る手続きを終えると、夢はそう言った。
「いやいや、大丈夫。気にしないで」
「そんなこと言わないで。付き合ってくれたんだもん。奢らせてよ! 」
こういう時はどう言って断ればいいのか……、愛花は頭を悩ませた。
経験値が低すぎて、食事の間に何を話せば分からないのだ。買い物の間は買う物について話題にすれば良かった。話題は尽きず、愛花も夢も退屈することもなく終わることができたのだ。しかし、食事で会話……⁈
噛み合わない言葉、続く沈黙、遠慮し続ける自分の姿が目に浮かぶ。……食べ物を分け合ったりするのだろうか。そもそも、どこで食事をすれば良いのか。奢ってもらうなら、値段はどの位が許容範囲なんだ?
頭の中で、答えの出ない疑問が続々と出てくる。
うまく対応できず、キリキリする胃を抱え、もう夢とは関わることのできない未来が見える……。彼も居るし……。
この誘いに乗るのは、「死」を意味する。
「……………」
愛花はものすごく躊躇した。
「一緒に食べたい……」
しかし、目の前には瞳をうるうるさせて自分を見つめてくる夢がいた。
断れるか? 断りたい。だが、涙目で見つめられる。
うるうるした瞳が愛花の良心を苛む。
断りたい、断る……いや、無理だ。
(しょうがない。それに多分、ゆめなら大丈夫)
「……………わかり、ました」
降参するように愛花はそう言って、夢はニッコリと笑った。本当に嬉しそうに。
♢
思ったよりも、というか予想と異なって、食事の会話は弾み、夢のコミュニケーション能力の高さを思い知った。
会話の先導は夢で、愛花の苦手な話は空気を読んでサッと話題を変えてくれて助かった。おかげでスムーズに話が進む。
話題は地元の話から、愛花の好きなものの話。夢がどういった経緯で、こんな田舎に来ることになったのかなどなど。
個人的すぎる内容も含まれていたので、そこまで詳しく話を聞いたりはしなかったが、夢の父親の都合で、3年ほどこちらに来ることになったのだとか。大変そうだった。
優しい彼女がこんな田舎でも安心して過ごしてくれればいいと思う。
決して苦しい思いはさせたくない。
短い時間で、愛花はそれほど夢に親しみを覚えていた。
「愛花ちゃん、まだ時間は大丈夫? 門限とかあったりしない?」
愛花は店の壁にかかる時計を見つめる。
ーー今の時刻は、7時になる前。
「大丈夫だよ、ゆめ。遅くなるって言ってあるし」
それに小学生だというわけでもないので、10時までに帰りつければ大丈夫だろう、という目算があった。
そういえば、小学生の頃は5時が門限だった。あの頃は母がやけに過保護で、帰りが遅くなると家の近くまで迎えにくるほど。母を心配させたくなくて、5時に帰り着けるように頑張っていた。
しかし、愛花は一度だけその約束を破ったことがある。……あの日のことだ。あれは夏休みだったろうか。
(……でも、どうして私はあそこに向かったのだっけ)
ーーチリッ。
頭を突き刺すような痛みが突如走った。愛花は顔を顰める。
それまで空気のようだった彼は愛花の表情に気づいて、横(離れようとしないので、仕方なく隣に座らせた)から触ってこようとする。それを手で静止し、席を立った。
「ごめん、ちょっとお手洗いに行ってくるね」
トイレにまで着いてこようとする彼を、なんとか押しとどめ、愛花はお手洗いに向かう。
ーー頭が痛い。
(偏頭痛ってやつかな。こんなに頭が痛くなるなんて……)
手洗い場でハンカチを水に浸して、額に当てる。熱があるような、ないような。でも、とにかく頭が痛くて、少しだけでも誤魔化すようにゆっくりと拭った。
「……ふぅ。」
鏡を見ると、一瞬黒い影がよぎる。気のせいだと思い直して一度豪快に顔を洗い、頭を覚醒させた。
愛花がお手洗いから戻ると、周囲に人がいない。
夢も彼も見当たらない。
「……ゆめ? どこに行ったの?」
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