第13話 愛花、日常に戻る
波乱は一旦去った。
あまりにも唐突な喪失と虚無が、全ての終わりで愛花の中をぐるぐるしていたが、どうすることもできない。時間が解決してくれることを期待しよう。
落ち込みがちな愛花の気持ちは、ローテンションのまま停滞し続けていた。
「しかし、私の日常は続くので……」
首元のリボンを整える。ついついズレてしまうブラウスとの境目に違和感。嫌だ、嫌だと思っても歩く足は止まらない。止める気もない。
愛花は無遅刻無欠席を地味に誇っているのだ。地道で真面目で、人との軋轢を避け、柔和な思考を持ち続ける模範的普通の生徒を目標に、なんとかかんとか毎日を送っている。
「それにしても、暑いなぁ……」
歩道の端に、雑草が生い茂っていた。おじいさんが、朝から草抜きをしている。露草から水の粒がころんと落ちて、カタバミや白詰草に跳ねた。
エノコログサがある。わさわさした葉っぱ。猫がいたら、猫じゃらしで遊んでやるのに。そう思いながら、額に滲む汗を拭き、愛花は先を急ぐ。
梅雨が終わり、本格的に暑くなる季節だった。温暖化の影響らしいが、このまま気温が上がってしまえば、ミイラのように乾涸びてしまうだろう。文明の利器に頼らずに生きる、時代と逆行した人間である彼女は、無知なところも多いので、生きながらあちら側の生き物になるなんて嫌だと思った。
黒い道ーーアスファルトで舗装された道路に差し掛かると、道が湯気のように揺らいで見える。重い荷物と一緒に、そのまま歩く気持ちが萎えた。木陰が無いので、歩くと暑さがさらに増す。朝なのに、こんなに暑いのはありえない。
(木を植えて欲しい。いや、建物でもいいからとにかく陰が欲しい)
テキトーなことを考えながら、誤魔化し誤魔化し歩いて学校に着いた。汗のにおいが気になった。
ハンカチで汗を拭っても、汗の独特な嫌な感触は拭えない。
合服から夏服に切り替える時期を見誤ってしまったかと、正門から入ってくる学生達の服装を見て気付いた。最近は頭痛も酷くて、周りを見ている暇など無かったから、仕方なかったと言えば仕方ないが。
以前とは違い、学校の視界はクリアになり、嫌な気配も消えている。頭痛もしなかった。
彼はいつもの如く愛花の影の中に入っていて、静かにしている。それは当たり前の、いつも通りのこと。
しかし、以前とは違うものもあった。
教室のドアを横にスライドして、自分の席に向かう。目線は、どうしてもあの席を追った。
ーー夢はもうここにはいない。そもそも、彼女は存在しなかったひと。
愛花の大好きな優芽は、あの遠い過去に置き去りになったまま。
「……?」
でも、何だろう。今までと違う。席が残ったままになっていて、というか、減ってたのに戻っている。
(おかしい。自分の頭がもっと悪くなってしまったの? 記憶力はあるつもりだったのに、それすらなくなった?)
首を傾げて、愛花は椅子と机を睨む。……何もない、ただの椅子と机だ。数は同じ。
どこに誰が座ってるかなんて、気にしていなかったのだが、夢の席だけは覚えている。
……夢の席? 彼女は消えたのに、どうして残っているのだろうか。
「あーいかちゃん! おはよう」
声がした。肩がびくりと跳ね上がる。耳に馴染む高い声。
ーーえ?
(聞き間違い? 空耳? ついに幻聴まで聞くようになってしまったの。……いや、まやかし!?)
恐る恐る振り返る。もし、人とは違う生き物なら、彼が絶対に気付くはず。力を縛られていたが、最近解放されたばかりなので、逃してしまったのだろうか。影は、何の反応もない。
「……」
そこには薄い茶髪に、特徴的なツインテールを持つブレザー服の美少女がいた。リュックを背負って、カバンを机の上に置いた。
「夢? 何で」
「夢じゃないよ、優芽。全然違うでしょ、愛花ちゃん! こんなに違うのに、分かってくれないの?」
くるくる回って、自分の姿を見せてくる。ぴょんぴょん跳ねるツインテールが、本当に懐かしい。優芽の記憶を思い出した愛花にとって、その姿はありし日の姿を思い返させる。
「ゆ、めちゃん?」
「驚いた? 大丈夫だよ、生きてるから。その男が無理やりね」
「え? え?」
優芽はそのまま、言葉を続ける。
いやー、大変だった。高校生って、全然勝手が違うのね。なんとなくの記憶を引き継いだから、ちょっと迷子になっちゃったよー。
「どうやって、?」
「私がどうやって、生き返ったかって? うーん、それには長い説明が必要かも。簡単に言うと、そいつのおかげ。
そもそも私。人の魂っていうのかな? 核を食われて、愛花ちゃんを惑わすために少し残されていたの。愛花ちゃんなら、偽物なら違和感に気付いてしまうからって、用心深く。
で、そこの愛花ちゃんの影の中身が、ほんのちょっとのカケラを拾い集めて、影から形を作り直した。長い間かけて。そうして私がここにいるの。それを戻すのに、どれだけ力がいると思ってるんだか。
愛花ちゃんの力を借りたにしても、無駄。張り切りすぎてて、ちょっとやだ。愛花ちゃん、本当にこの男でいいの?」
ーーでも、まあいっか。愛花ちゃんに会えたなら、何でもいいや。
「……あ」
優芽の口からするすると、言葉が出てくる。全然理解出来なかったけれど。彼が、優芽ちゃんを返してくれたのだ。
はっきりと話してくれるひとが、優芽ちゃんだった。
動揺し過ぎて、声が出ない。何も知らされていなかった。
「名前は?」
「白鷺優芽だよ」
「ほ、んとにゆめちゃん?」
「そうだよ、ゆめちゃんだよ」
彼は出て来ない。いつものように、ぽよぽよ跳ねたり、無意味なアピールもして来ない。愛花が見つめると少しだけ振動して、また静まり返った。それで、返事をしたつもりなのだろうか。
影と優芽と、視線を何度も変える。
「ほんとに、ほんと?」
「そうだよ」
何度も何度も聞く愛花に、優芽はにこっと笑って、ガバリと抱きついた。
「私はここにいるよ。ごめんね、愛花ちゃん。そして、ありがとう。愛花ちゃん、だーいすき」
「優芽ちゃん!!!」
抱き締め返す。
心からありがとうと思った。
何年も忘れてしまっていた親友と、愛花は再会を果たした。それは、不器用な彼の、不器用な優しさで叶った、本来ならありえないはずの現実だった。
♢
ーーそして。
「いやぁ、閉じられた町がなんと開かれたっていうから何事かと思ったんだが、荒らされた様子もない。……いや、修復後って感じかねぇ? ここまで来ると全然違う国じゃないか、面白いな」
「人が住んでるのが、奇妙な町。違和感しかない」
「自然なままって言うのも珍しいが、この町の影響で他も活性化してるからなぁ。どうしたら良いか」
「……なんとかするしかないだろ」
「西洋の怪物って、何が効くんだ? 混ざって、気味悪ぃ。そもそも、ほんとにこれは西の怪物か? なんか違くね」
「魑魅魍魎の巣だ。誰も一緒だろう。大物が狩れて嬉しくないのか?」
「全く嬉しかねーな」
面倒な客が、町に入って来ていた。
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