第24話 疑念

  

 リビングにあがると、そこには愛花が用意したたくさんの料理がテーブルいっぱいに並んでいた。

 

 唐揚げや海老フライ、ハンバーグ、マグロのカルパッチョ、手巻き寿司。

 野菜スティックを囲むように、手作りの梅酢ソース、アボカドソース、タルタルソース、玉ねぎドレッシングが紙コップに入れられて、並べられている。さらにはコールスロー、ポテトサラダ。サンドイッチ。

 圧巻の量だった。色とりどりの手料理は時間をかけて作られたのが優芽にも分かった。

 

「あはは、作りすぎちゃった……」

「すっごい! すっごいすごい」


 恥ずかしそうに笑う愛花に、料理が作れない優芽は尊敬の目を向ける。優芽は本当に料理が出来ない。それはもう一種の才能と言えるほどに。


「この量、愛花ちゃん一人で作ったの⁈」

「誕生日に作る料理を調べて作ってたら、いつの間にかこんな量になっちゃって」

「作る前はこれで足りるかなって右往左往してて、作り終えたら作り過ぎちゃったーって嘆いてたのよ。私はもう十分だって言ったのに」

「ママ、余計なこと言わないって約束したよね」


 口をとがらせて文句を返す愛花、それに手をひらひらと振ってごまかすお母さん。


「余計なことじゃないわ。母の娘を思っての一言よ」

「何言ってるの、絶対そう思ってないじゃん。顔が笑ってるよ」

「あら」

「やっぱりだー」

 

 遠慮がちな表情ではなく、自然に怒って、笑っている。これが本来の愛花ちゃんの姿なのだった。

 もっと自然な表情が見たい。引き出したい。そう思う。

 


 順調に誕生日パーティーが進んでいった。見た目だけではなく、味も文句なしの一品たちに舌鼓を打ちながら、愛花の昔話を聞いたり、優芽が持ってきた誕生日プレゼント――中身は香水だ――の話題が出たりした。


「優芽ちゃん、ありがとう。大事に使うね」

「うん。本体を持ち歩くと大きいから、小さい香水瓶もつけてあるよ」

「わ、何から何までありがとうございます」

「いいえー」

 

 愛花の幼い頃のビデオがあったので、嫌がる愛花を説得して見せてもらったりもした。三輪車に乗っている姿や、近所の人たちに囲まれて、人見知りを発揮してしまっている姿など、可愛くて仕方なかった。お母さんが突然泣き出してしまった時間もあった。母として、愛花の孤独にたいして不安を抱いていた面も大きかったのだろう。優芽は何度も「ありがとう」と言われた。

 最後にケーキのロウソクを消して、バースデイソングを歌って、記念写真を撮った。平和な時間だった。

 

 食事や談笑が落ち着いたところで、愛花の母は用事があると言うことで外に出かけていった。元々あった用事を誕生日パーティーのために、午後に移動させたもらっていたのだという。

 残った二人は、テレビを見ながらのんびりしていた。……何か忘れている。


「……そういえば、あいつは?」

「稀龍なら、そこだよ」

「そこ?」


 愛花が後ろを指さすので振り返ると、真っ黒な塊が網戸から入ってくる風にゆらゆらと揺れている。いつの間にか、真吉と萩もその横に並んでいた。


「あれはゴミじゃないの。それか、外から入ってきた虫」

「……稀龍かな」 


 あんなのが自分の上なんて認めたくない……。


 どうしても口が悪くなってしまう。素直になるというより、頂点という格に相応しい振る舞いをしない稀龍を本能が拒否してしまうのだ。

 

「ずっとあんな感じなの? 日向でぼーっと揺れてるの? なにか言われたりとかもない?」

「ないよ。夏休み中はずっとあんな感じだよ。私と一緒にゴロゴロしてる」

「……そう。わたし、ちょっと、あいつと話がある」

 

 その返答に呆然とし、一言言ってやらないと気が済まなくなった。何回注意したと思ってる。

 愛花に断りを入れて、席を立った。

 すると、影は優芽を誘導するように、外に向かった。誘導されるままについていくと、人気のなくなった場所で止まる。

 あいてもなにやら話があるらしい。


「あんたねぇ、愛花ちゃんの誕生日なのに、人型にもならないってふざけてるの? 

 あんたの本性が人型だっていうのはバレてるんだからね。祝う気持ちがあるなら、男らしく本性晒して、嫁に下さいって伝える覚悟決めなさいよ」

「……」

「何も言わないつもり?」


 そこで、黒い玉はぽんぽんと跳ねた。蹴鞠のようだ。


 何度か跳ねたと思ったら、家の中の影と溶けていく。

 黒い水がぽたりと溢れて、次第に体積を増し、集約していった。


 ――そして、そこにはいつもの美麗な男。絵に描いたような美男子だ。


 さすが、多くの女をその美貌で手玉に取ったと言われる美丈夫でありますこと。数々の伝説を残しているだけはあった。


 いやみったらしく、そう言いたくなった。愛花ちゃんはこの顔に惑わされているのではないだろうか。私が男だったら良かったのに。絶対この男に負けない自信があるから。

 

 だが、この男は人型に戻るなり、とんでもないことを口に出した。

 

「愛花を花嫁にするつもりはない」

「はぁ……?」


 ーー何を言ってるの?


 優芽には理解できなかった。どうしてそんな発言が出てくるんだ。

 この男は秘密が多すぎて、ずっと信用しきれなかった。……愛花を守り続けている理由も、絶対に悪い目的があるからだと疑っていた。夢魔が愛花に目をつけた理由が、自分の力を強くするためだったように、この男もまた同じにちがいないと感じていた。


 でも、それならまだ理解できた。


「……なんなの」


 恐ろしいと思う。

 夢魔の力を手に入れても、その思考の一部を共有し、人と違う世界を目にしても、理解出来ない思考。


 ーー愛花に尽くす理由が、分からない。


  優芽が愛花を大切にする理由は、彼女が無欲の愛情を与えてくれたからだ。


 両親の不仲から、利益か不利益かでしか他人を見ることが出来なかった幼い頃。

 父も母も彼女を気にかけることをせず、金銭面の工面だけで、小学校で親に求められる細々としたものの用意すらしようとしなかった。

 そういうとき、優芽は学校から配布された用紙を親に渡して要求することで、必要な物を手にしてきたが、すべてを管理することは出来なかった。

 算数セットや探検ボード、ぞうきんに、歯ブラシセット、おぼん、ネームプレート、黄色い帽子、制服。小学校で用意しなければならないものは多い。

 新品のものに名前を書くという作業も、すべて自分でしていた。それが当たり前。自分のことは自分でしなければ誰もしてくれない。そういうものだった。助けの求め方を誰も教えてくれなかったし、助けてくれないと思っていた。


 愛花を認識したのは、彼女が消しゴムを貸してくれたことがきっかけだった。


 テスト前、筆箱のなかに消しゴムが入っていなかったことにギリギリで気づいた優芽は、だれに助けを求めることも出来ず、パニックになっていた。


『これ、使う?』

『え?』


 そんなとき、柔らかい笑顔で渡された消しゴムを受け取ってしまった。弾みで受け取って返そうとして、そのままチャイムが鳴り、返し損ねてしまった。

 ……そのあと、担任に叱られている愛花を見て、彼女が一つだけしかなかった消しゴムを貸してくれたのだと知った。


 そういうことが何度もあった。

 普通の子どもが与えられている常識が欠けていて、そのたびに優芽は困っていた。そんなとき、愛花だけは苦しんでいるのに気づいてくれた。

 誰よりも痛みに聡いからこそ、気づいてくれた。優しすぎて、でも自分に対しては不器用な彼女と一緒に居ることが優芽の幸せで、喜びだった。


 そういう過程を経てきたなら分かる。


 だが、この男は突然現れ、そのまま愛花のそばにいた。それも、愛花に嫌われ遠ざけられながら、自らを犠牲にして守り続けてきた。


 理解できなかった。今回の発言でその疑問が深まった。

 なぜ、この男はそこまで身を粉にして彼女を守るのか。それは愛花を手に入れるための努力ではなかったのか。


「意味わかんない」


 言葉が口からまろびでた。口に出すつもりは無かったのに、そのあまりの不気味さに言葉に出さずにはいられなかった。


 稀龍は、無言で宙に手をやった。

 空間がねじ曲がるのがわかる。どこかに繋がる。

 ……ここもまたこの男ぬしの領域だったのか。

 

 境界が淡くボヤけ、透明な空間が見えてきた。そこは透明な空間で、地面は水浸しだった。と言っても、空間の端は凍り付いていて、地面に白い線が入っているように見える。

 そして、その空間の中央。眠ったように横たわる人の体があった。


「……誰」


 稀龍の意図が理解出来ずに質問する。


「愛花の父親」


 彼はやってきた家の方角をチラリと見て、答えた。唐突な答え、唐突な登場に、優芽の頭は混乱していた。


「はぁ⁈」


 信じられない。この人がの父親だというのか。

 愛花が生まれる前に亡くなったという話を聞いたことがある。それ以外の話は知らなかった。

 

 その人の体を触り、脈を確認してみる。しかし、脈はなかった。

 愛花の父親だというのに、その姿はまだ年若く見えて、違和感しか無かった。ただの死体だ。

 魂のかけら一つも感じられない、そこにあるだけの抜け殻。


「生きて、ない」


 稀龍の目を見た。何も感じていないようだ。感情が動いているのかすら、分からない。

 

「戻せる」

「生き返らせるって言うの?」


 優芽とは違う。優芽はあれに食われても生かされていた。魂が残っていた。

 だけど、この人は、愛花ちゃんのお父さんには、もう魂がなかった。


 ーー戻せる? そんなわけがない。

 彼はただの死体だ。神にだって、出来ることと出来ないことはある。死んだ人間を生き返らせることは出来ない。


 神話の伊邪那岐いざなぎでも伊弉冉いざなみを生き返らせることは出来なかった。この世の多くの神を生み出したとされる偉大な神であっても、愛する者を復活させることは不可能だった。身体があろうが、その本質である魂が異質な物へと変化してしまえば、もうそれはその人では無くなるのだ。……優芽でさえ、本来の優芽とは違うものになってしまっている。


「何をしようとしているの」

 

 一体、この男は何が目的でこんなことをしているの。

 どうして、愛花ちゃんの父親の肉体をこんなところに隠していたのか。


 ……この土地が外部からの侵入者の気を奪っていること。そして、この男が愛花ちゃんを長年守ってきた理由がそこにあるのだ。


 そう気づいた。


 長い沈黙の後、稀龍は一言こう答えた。

 

「『泰山府君の儀』」



 

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暁の幻惑 ー傍観者たる少女は、当たり前を夢見るー Hours @Hours

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