第23話 招かれる
『最近の噂知ってるかぁ⁈ 外界からの客人がこの町に住み着いたって話をヨ?』
『あーん? 古い古い。そりゃ、何十年昔の話だよ。今は愛し姫の祝言が噂の的だぜ』
猫は知ったかをする狸に向かって、にゃーにゃーと威嚇をする。
『何十年も昔の話だったかぁ? へんだなぁ、最近聞いたような気がするんだが。
おれも愛し姫については知ってらぁ。愛し姫は力が強すぎて、主様が身を裂いて封印してたって話だろぉ。おかげでめったに主様にお目にかかれなくなってよ。目の保養だったのによ。ようやっと祝言なんか』
『俺たちにゃ数年も数十年も一緒だろ。
しーかし封印の話は古すぎて、俺たちも忘れてたわ。主様も、最近は本性に戻られることも増えたんだぜ。おめ、どこの田舎出身だよお。話が遅すぎんだよ。
もう愛し姫は一人前の女さ。封なんかで閉じ込められる域を脱した立派な姫巫女よ。よだれが出るくらい色っぽくなっちまって、もうよりどりみどりで選べる立場さ』
たぬきと猫が公園で井戸端会議をしていた。田舎は探さなくても、このような光景が広がっている。
誰に遠慮することなく、長話をするのは猫又だけの特徴だとばかり思っていたが。そういうわけではなさそうだ。
誰かさんと足して二で割れば、ちょうどいい加減になるのではないだろうか。
「好き勝手言ってくれてんじゃん」
優芽は、たぬきと猫の首をガシッとつかんで、逃げられることがないようにする。
逃げられると面倒なので、こうした方が都合が良い。
『ええぇい、だれでぃ!!』
『……げぇえ! きょ、境界の向こう側のお方が何のようで?』
素っ頓狂な顔をして、体をびくびくと縮めている。
優芽が誰だか気付いたようだ。そんなに怯えるくらいなら、噂話などしなければ良いのに。
『情報を得るのが得意なお前たちを見込んで、頼み事があったのだけど……。
その前に。噂好きは分をわきまえないと、舌を引っこ抜かれるよ? どこに耳があるか分からないんだし』
『へ、へぇ』
怯えている猫又と化け狸。
その顔は可愛らしいのだが、やることは全く可愛くないのを知っているので、ほだされることはなかった。
こいつらを信用して、ひどい目に遭った者たちは多いのだ。
そもそも猫たちの世界は弱肉強食。そんな中で、長生きしすぎて猫又になった猫たちの性格が普通なわけがなかった。化け狸も同様だ。
残酷さも優しさも、そのときの気分次第。理性よりも欲望が彼らを支配しているのだ。
長い間、夢魔のなかで知識を蓄えていたので、そこら辺の事情も優芽は詳しく知っている。
『おまえ、なまえは?』
事情通らしい猫に尋ねる。わざわざ出向いた本題はこれだった。
優芽が夢魔から解放され、魂のかけらとして散らばり、消えそうになっていたのを残った夢魔の体と無理矢理継ぎ接ぎして、回復させたのはあの男だった。
愛花のために、優芽はなんとしてもよみがえらなくてはいけなかった。だから、差し出された手を取った。
その際、優芽は従属させられている。命令に逆らうことは出来ないが、接触を避ければある程度の自由は効いた。それは元となった夢魔の力の強さ故だろう。
あの男は、この閉鎖された世界の主。
ここはいわば、異界と今世の境界であり、門の役割をしている。夢魔のような異界の生物を排除し、今世に流さないことが彼――愛花は稀龍と呼んでいたが、大江の主が俗称だ――の役割だ。人を焼いて煮て食うような怪異たちの主である彼が、まともな相手であるわけがなく。
愛花にだけは本性を見せていないようだが、優芽をよみがえらせたときのあの容赦のなさ。まだ夢魔に食われたときの方がマシだ。人の生身をボンドでくっつけるような荒さだった。
そんな相手と結ばれるだなんて、あり得ないと思っていたが。
――彼女はもう選んでしまっていた。
ならば、優芽は見守るだけ。けれど、どこもかしこも騒がしかった。
万が一のことがあってはいけない。『彷徨う翅』では怪異にばれてしまうので、情報を得る手段が別に必要だと思った。
彷徨う幽霊でも、がしゃどくろでも、事情通なら誰でも良かった。ちょうど、よく愛花をからかって遊んでいた猫又がいたので、彼らを利用することにした。
それに良いことを思いついたのだ。
『名前ですかぃ? そんな名乗るほどの名は持っておりやせんで』
『じゃあ、名をつけても良い?』
名前は彼らにとって、一番大事なものだ。概念の中に存在し、他者に認識されることで形を保っている怪異たちは、自分の名を抱くことで、個として存在できている。
もし誰かに名を握られることがあれば、それは自分の命を握られていることと一緒だった。
名をなくせば、個は消失する。名をつければ、そこに個が生まれる。
―――そして名を変えれば、怪異の個は変化する。良くも悪くも、それほどに大事なもの。
だから、名をつける行為は重要な儀式なのだ。
優芽は体を震えさせている猫と狸を抱えて、ベンチに腰掛けた。
その様子は、可愛らしい少女が動物と遊んでいるように見える。けれど、内実はそれとはかけ離れていた。
身のうちにある邪悪な気がぶわりと広がって、周囲をもやで覆い隠す。
『それはご勘弁願います。……わしは
『まきち、真吉ね。お前は?』
『ひぃいぃ……』
『そんなにおびえないでよ、悪いようにはしないから』
『
『はぎかぁ、良い名前。人間に名付けてもらったんだね』
びくりと狸が震えた。優芽は嗤った。
『うん、素直』
人の近くで長く暮らしてきて、人に飼われたこともあるはずだ。
なら、問題は無いだろう。合格。
「それじゃ、行こう」
行くってどこに? という顔をしたたぬきとねこ。
優芽はるんるんと上機嫌な足取りで、目的の場所に向かった。
♢
「こんにちはー」
「はーい」
もう何度も訪れて、実家のように感じている木皿儀家。その玄関を開けた。
玄関は大きく、しかし、底に並べられている靴は少なかった。玄関の真正面には、森と小川の絵が飾られていて、木彫りの熊や造花がいけられた花瓶が靴箱の上に飾られている。
優芽の声を聞いて、愛花がぱたぱた走ってきた。料理を作っていたのだろうか、エプロンをしたままだ。
「優芽ちゃん、こんにちは。今日は来てくれてありがとう」
「こちらこそ、今日は招待ありがとね。これ、誕生日プレゼント」
「ありがとう」
照れたように笑う愛花が、愛らしい。可愛くて可愛くてしかたなかった。
この笑顔を近くで見られるだけで戻ってきて良かったなと思うのだ。
「あれ、その子たち、どうしたの?」
愛花の視線が優芽の手元に向かう。そこには怯えた顔の猫と狸――真吉と萩がいた。
あまりにも汚れていたので、自宅に帰り、いちど洗ったのだ。きれいにしてみると、真っ白なかわいらしい猫とお茶目な瞳をした狸だった。
「拾ったの。おなか空いてたのか、道ばたに倒れてて」
「そうなの、大丈夫そう? 缶詰かなにか持ってこようか?」
「けがはしてないみたい。よければ頼める?」
優芽がテキトーにいま考えた話を疑うこともなく、野生動物を連れてきてしまっても嫌そうな顔一つも見せない。……うれしい気持ちもあり、少しは疑ってほしいとも思った。
そうして、真吉と萩はごちそうにありついた。競うようにして、黙々と缶詰を食べている。
「最近は暑さで人が倒れてたりするから、猫ちゃんたちも暑さにやられたのかも。水分もちゃんと摂ってね」
小皿に水を注ぎ入れて、持ってきてくれる。萩がうれしそうに水を飲み始めた。
「かわいいね、おなか空いてたんだね。……あれこの子、狸?」
「狸っぽい猫だと思う。狸と猫って似てるから」
萩がショックを受けた顔をしているが、気にしない。
愛花の手が「へー」といいながら、触りたそうに手がふらふらと動いていた。
予想通り、興味を示している。愛花はかわいいものが好きなのだ。
ふとその横顔を見て、気づく。
「愛花ちゃん、お化粧してる?」
「うん、ママにお願いしたの。変かな?」
「……似合ってるよ」
――腹が立つほど。口には出さずにそう思った。
愛花には不思議な色気があった。
伏せる瞳や睫毛が揺れる動きだけで、人をぞくりとさせるのだ。ゆっくりとした動きには気品があって、けれども不安定に見える挙動が人の欲望をくすぐった。
平時でさえそうだ。いまは……。
白い素肌を際立たせる化粧が、はかなげな印象の瞳を縁取る黒が、薄い桃の口紅の艶めきが、彼女の美貌をより悪い方向に誘導した。
ーー手折れる美しい花がそこにあった。
そんな風に周囲を誘惑してどうするの。
守りを連れてきて良かった。心からそう思う。愛花の周囲を守るには、壁はいくつあっても足りない。
そこに愛花の母がやってきた。肩までの茶髪に、活動的な服装が似合うひと。性格は愛花と真反対で、見た目もあまり似ていないので、愛花は父親に似ているのかも知れなかった。
「優芽ちゃん! こんにちは~、元気してた?」
「あ、お母さん。いつも元気ですよ~。今日はごちそうになりますね」
「楽しんでってねー。私の料理じゃないから、味は保証するわ」
「あははー、そんなぁ。お母さんの料理も好きですよ私」
「ほんとー?」
「ママ、優芽ちゃんにダル絡みしないで!」
「はいはい、私は大人しくしてますよ」
母は、ずこずこと部屋の隅に戻って行った。
「もう。おとなしくしててねっていったのに」
「今日は、突然予定変更することになってごめんね」
「いいよ、いいよー」
そう。あの電話の後急遽予定を変えて、愛花の家で誕生日パーティーをやることになったのだ。メールでの相談を交えて、そういうことになった。
あの男の頼みも優芽との約束も大事にしたい愛花が、自分で考えた解決策だった。
「愛花ちゃんの手料理楽しみにしてた! 今日は美味しい料理が食べれるの期待しても良い?」
「もちろん」
そのまま、リビングにあがった。
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