第22話 長い1日の始まり


「ママ、おはよう」

「おはよう、愛花。誕生日おめでとう」


 その日の朝は、何事もなく訪れた。

 学校もないので、大分遅く目が覚めた。

 夜中に目覚めることもない深い眠りを味わえるようになったのは、稀龍様々だと思っている。思考が鈍くなることもなく、世界が鮮明に感じられた。安心して、息が出来る。

 睡眠が人にとってどれだけ重要かを証明している気がした。


 ――そんなことを考えながらダイニングに入ると、母が待ってましたと言わんばかりにお祝いの言葉をくれた。


 (誕生日か。なんか、不思議な感じ)


「うん、ありがとう」


 そして、豪華にラッピングされた大きな箱を手渡された。ニコニコの母に、開けてみてと促されるまま、リボンをほどいた。


「何これ」


 それは、メイクボックスだった。それも愛花でも知っているブランド物の化粧品――可愛らしい口紅やファンデーション、アイシャドウ、ハイライト、チーク。それだけでなく、何種類ものブラシや化粧道具も――が入ったものだった。

 桃色のバラをモチーフにした装飾のメイクボックスは、愛花も見惚れてしまうかわいらしさだった。水滴に見立てた偽物のダイヤ(ジルコニア?)がキラキラ光っている。


「誕生日プレゼントよ。16歳だし、久しぶりに祝えるから奮発して買っちゃった」

「買っちゃったって、いくらしたのこれ」

「そんなこと気にしないの! そもそも何年も祝ってないんだから、これぐらいは当然よ」

「……とうぜん」

「愛花は倹約しすぎなのよ。少しは親に甘えてみなさい」


 目の前にある誕生日プレゼントを見て、思う。


 (あぁ、もういいのか。自分を許しても)


 多くの人を自分のせいで、犠牲にしてきた。そんな自分が祝われる価値があると思えなかった。

 だから、誕生日を祝うこともなかった。祝われることに違和感があった。

 でも、それは愛花のせいではなかった。愛花が負うべき責任ではなかった。

 だから、受け入れることが出来た。


「ありがとう」


 正直言って、うれしかった。愛花も年頃の女子なので、可愛い物は好きだ。

 周りにとんでもない美形がいるせいで、容姿の基準が高くなってしまっている自覚はあったが、きれいになりたい意識はちゃんとある。

 好きなことを表現するのもためらわれた『これまで』と、自分次第で変われる『これから』。

 

 勇気を持って、そのプレゼントを受け取る。


「年頃だし、これを使ってもっと美人になりなさい。私の自慢の愛花」


 ――私のお母さん。ママ。


 どんなことがあっても動じずに、愛花を育ててくれた母親。素直になれず、喧嘩をしてしまうこともあったが、嫌うことなんてできなかった。


 一人で泣いていたあの夕焼けの輝きと、孤独な夜が明けた暁の輝き。


 愛花が人と違う存在になっても、この人は私の母親だ。


「これでも私は親なんですからね。あなたが倹約家なおかげで、大学に行けるぐらいの貯金も貯まってるし、何も心配することないの。お父さんがいないから、愛花に迷惑をかけることもたくさんあったけど、大丈夫。大丈夫よ」


 なぜか、涙が出てきそうになった。

 母はすべてを知っていたのかもしれないと思った。愛花が何かに負い目を感じていたことも、人生を半分諦めてしまっていたことも。

 そして、愛花が変わったことも知っているのではないかと。


「ママ。これ使ってみたい。メイク教えてくれる?」

「あら、私でいいの? 今の流行とか分からないわよ? 優芽ちゃんに教えてもらったほうが……」

「いいの、ママ」


 手を握って、頼んだ。愛花は母に教えてほしいのだ。

 と思った。もう、子どもでいられる時間も少ないから。


 愛花の影から、コロコロと稀龍が転がっていく。気を遣っているのだろうか、そのまま部屋から出て行った。



 

 鏡の前には、愛花の姿が映っている。

 なぜか緊張して、そわそわしてしまう。鏡に映る自分の顔と、母の顔を行ったり来たりする。


「愛花はやっぱりブルーベースよね。まだ、若いから肌がツヤツヤしてる」


 母がメイクボックスからいくつかの化粧品を取り出して、使い方や順番を説明をしてくれる。

 それに従って、おそるおそる自分の顔に化粧をしていった。ところどころ直してもらう。

 

「ほんとに大きくなったわね」

「いつ頃と比べてるの?」

「そうねー。あなたが赤ちゃんの頃だったり、小学校の頃だったり、昨日のことかしら」

「その頃と比べたら大きくなるのは、当たり前だよ」

「当たり前だと思っていても、思ったよりも時間の流れというのは早いものよ」


 母が昔のことを口に出すのを聞いたのは、はじめてだった。昔を懐かしがるような人ではなかった。過去のことよりも未来を見る強い母だと知っていたから、その口調がいつもと違って意外だった。


 そして、ずっと聞きたくて聞けなかったことを、今なら聞けると思った。こんなチャンスはめったにない。


「ねえ、ママ。お父さんのこと、聞いても良い?」

「……楽しい話でもないのに、それでも知りたいの?」

「知りたい」

「分かったわ」


 母は、最初話しづらそうに。時が進むにつれて、当時を鮮明に思い出しているのか、流暢に話を始めた。


「お父さんとは高校で知り合ったの。

 私って霊感少女として有名だったから、友人もいなくてね。みんな私が少し変なことに気づいていたから遠巻きにしてたのよ。

 いまはそこまではないけど、あの頃は本当にいろいろな面で多感だったから、私から友人を作ろうという気にもなれなかったの。一人でも平気だったし。

 でも、そんなときあの人がやってきた」


 母が霊感少女だったなんて、初耳だった。愛花は驚きながら、話を聞いた。


 父は転校生だったのだという。

 季節はずれにやってきて、周りは夏服を着ているというのに、長袖のシャツで現れるような人だったらしい。


「あの人も不思議な人で、あの学校に来てもなじめてなかったわ。空中をボーッと眺めてばかりで、何を考えてるのか分からなくって。でも、私みたいに一人でも大丈夫だという感じでもなくって。それが気になって、私から話しかけたの」


 ――なんだか、放っておけなくって。


 そう言った顔が、ドキッとしてしまうくらい優しい表情だった。


「惚れた方の負けとはよく言ったもの。押して押して、やっと付き合ってもらったの。鈍くって鈍くって、苦労した。……愛花、あなたはそんなことないわよね?」


 好きな人が鈍いと、相手がすごく苦労するのよと嘆く母に、あははと苦笑を返す。

 たぶん、鈍くはないが。意識しないように努めていたかもしれない。


 しゃべりながらも、母の手は動き続けていた。

 上を向くように言われ、目を瞑って言うとおりにするとパフをはたかれる。


「あの人に似て雰囲気があるから、心配ね。そういえば、この間すっごくかっこいい男の子連れてきてたじゃない。あの子とはどんな感じなの」

「……男の子?」

「きりゅうくんだっけ」

「あぁ、稀龍ね」


 男の子に見えてたの? いや、年齢不詳の見た目はしてるけど。

 転がっていった稀龍はどこに行ったのかと顔を動かそうとして、母に動かないでと止められる。


「好きだと思ったら動かないと、周りがさらっていくわよ。あの人と離れていた時期はね――」


 愚痴が止まらない。高校から大学に行ったお父さんの周りには、色んな女の人がいたらしい。遠距離恋愛のつらさを語り続ける。


「……大変だったんだね」

「そうよー。それだけじゃなくって、お父さん側の家族にも反対されちゃって……いろいろあったの。まあ、ねじ伏せたけどね」

「さすが、ママ」

「そりゃあ、がんばったのよー。好きだったからね。誰かの反対があっても、諦められるような恋じゃなかったし」


 母が赤裸々だ。

 聞いた手前、止める気も無いけれども、なぜか顔が赤くなってきている気がする。

 身内の恋愛を知るのって、こんな気分なんだ。写真立てでしか知らない父だけど、母がここまで言うってことはいい人だったのだろうと思う。


「本当に突然、亡くなったって連絡が来て。あの人、ほんとに……」


 母が突然、言葉を切った。そこから先は話す気はないのだろう。

 愛花は目を瞑っているから、顔は見えない。どんな顔をしているのか気になったが、母が悲しむ顔を見たくなくて、目は瞑ったままにした。


 そして、母の手が止まる。


「はい、美人になったわ」


 愛花はありがとうと礼を言った。母はもう何も語らなかった。

 これから優芽が来る。愛花は支度をするために動き出した。

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