第6話 当日
あれから数週間が経ち、もう宿泊学習の日だ。
愛花はジャージ姿で、集合場所に向かう。母にいつものように急かされながら、のろのろと。
集合場所といっても、学校の北門だが。
「ふわぁぁっ……」
愛花は眠かった。集合時間が早かったため、今日はいつもより早起きをした。
さらに、夢との話し合いや起きるだろうアクシデントなどを考えては不安に苛まれたため、いつも以上に眠れなかったのだ。
結局あのHR後、愛花は夢と話し合い、スタンプラリー、キャンプのグループで一緒になることになった。ディスカッション力で負けた。大敗した。
工作も一緒にしたいと言われたが、愛花は箸作り、夢は勾玉作りを選んだため、一緒に作成は無理ということで納得。スタンプラリーについては、意地でも一緒に回りたいとのことで、愛花が諦める形で決着がついた。
しかし、そもそも青少年の家など行かなければ良かったのではないかと、バスに乗り、到着した時に後悔した。
(……なにこれ)
信じられないほど、異形が溢れていた。見たこともないような、頭や体を持つ怪物たち。林の中に隠れて、コソコソと言葉を交わし合うもの。猫たちのような甘いものではなく、人を害するような、危険なものたち。
いつもなら彼が払ってくれるのだが、今日はなぜか姿が見えない。
近頃、彼の様子が変(実体化したり、ふらふらしている)だったのだが、愛花の近くにいないなんて、これまでの経験ではあり得ないこと。
朝も、玄関で行かせないように待ち伏せでもしてくるかと身構えていたのに、彼自体が消えてしまっていた。
一体どうしてしまったのか、普段なら彼を無視するように振る舞っている愛花だったが、彼を探してしまう。
そこで、一匹と目が合った。
男の二面相に、ガラクタを集めて作ったニタァと笑うその顔は醜悪で。歪の中でも歪。憎悪と欲望とその他、負の感情から出来上がったような、その表情。
いつも無表情か、自分の動きでしかそれを表現しようとしないーー彼とは全く違う存在。同じ世界の異物だけれど、彼は私を守ってくれる……。
「……っ」
ーー決して目を合わせないように、息を潜めなくては。
今は、青少年の家での行動について、教師たちから言明がなされている。
体育座りをしているのを利用して、顔を伏せ、より小さく丸くなった。
「起立!」
突然の号令に、周囲より一瞬出遅れて、愛花も立ち上がる。
お世話になる青少年の家の職員たちが、生徒たちの前に現れた。先生たちが職員たちの紹介を始め、生徒代表が前に出て、あいさつをする。
ーーしかし、それよりも愛花が気になったのは。
「……?」
(あれ? 青少年の家の職員さん、何かおかしくない?)
帽子を深く被り、上背を伸ばした姿勢の良い男性職員。職員の中で、1人頭抜けて背が高い。その雰囲気が、愛花のよく知っているものと同じ。
「……え?」
よく見ると、鼻筋が通り、顔が整っているのがわかる。
それは彼だった。それも、また人型で。
彼は一体どうしてしまったのか。潜入捜査でもしているのだろうか。
♢
宿泊学習初日は、まず午前中に工作、午後にテントの組み立て準備、夕食作り、キャンプファイヤーだった。1泊2日なので、予定はミチミチだ。
オリエンテーションが終わり、工作の時間が始まる。工作は箸作りと勾玉作りの2種類があった。
愛花は勾玉を作ることにどんな意味があるのか分からなかったため、工作の時間では箸作りを選んだ。
アクセサリーとしての体はなすかもしれないが、勾玉作りが楽しそうには思えなかったのだ。オリジナリティのある形に整えることができれば良いが、そんな才能も愛花にはない。箸ならば家で使用でき、デザインにも凝る必要はないので良いかと考えた。
「うーん、難しい」
箸作りは、細長い木の板を削るというシンプルな作業だった。しかし、シンプルであるからこそ中々に難しい。
まずは角を取り、少しずつ丸くする。それと同時に先に向かって、細く削っていく必要があるのだが、途中で彫刻刀がずれて滑らかに削れない。
「……ッ」
上手くいかず、力を込めると勢いよく片側だけが削れてしまう。この力加減、バランスが大事だった。
四苦八苦していると、横から、この愛花の手に重ねるように手が伸ばされた。
ーー彼である。
青少年の家の職員に紛れ込んでいると思ったら、真面目に生徒たちに箸作りのやり方を教えているようで、愛花は驚かされた。
「……どうして影にならないの?」
ふと、呟く。
感情的にならないように、声音を抑えて話した。
いつも影として愛花のそばにいるのに、最近は影になることも少なくなった。いるのが当たり前だった存在が、隣にいないと少し違和感がある。
そんな言い訳を考えながら、彼女はそう聞いた。
「今は、難しい」
(……難しい?)
彼はそう答えると、愛花の彫刻刀を持つ手を動かして、正しい持ち方に変えた。すると、今までよりも断然削りやすくなった。
所々で愛花がつまるので、一旦彼がある程度削り直して、また愛花に渡すのを繰り返す。
しなやかな手が繊細に動くのを、見惚れるように愛花は見つめる。
(彫刻刀を使ったことがあるのかな、慣れた動き……)
しばらくの間、何も語らず手を動かし続ける時間だけが続いた。
「……これくらいで、大丈夫」
仕上げに軽くやすりで磨き、ニスを塗り乾燥させて完成。あっという間の1時間だった。光沢を纏った箸は、売り物と比べても大差無いように見えた。
彼と協力して仕上げた作品は自分でもいい出来だと感じるほどで、それは彼に対する愛花の想いが変化してしまったからのようにも感じて、少し複雑だった。
♢
午後。テントの組み立て準備を終えた、その時間は愛花にとって楽しい時間だった。
それというのも、キャンプといえば夕食作り。飯盒や釜戸を使っての、調理など。
今回は定番のカレーである。
愛花は家庭の事情から、料理をするのは日常的に慣れ親しんだものだった。朝が弱いため、朝食に関してはほぼ母が担当してくれているが、夕食は愛花の担当になることが多かった。そして、それは愛花のストレス発散の一部にもなっていたのだ。
(料理楽しい、楽しい、楽しい)
ーー無心で野菜を切っていく。
集団行動という苦手な活動、突然消えて現れる彼、今まで見たことのない怪物。ストレスや恐怖。依存にも似た彼への感情への揺らぎ。
自分の小さなキャパを超えるような、その気持ちに振り回されていた愛花は、ただただ一心不乱に包丁を動かす。
食材に重ねるのは、自分の情けなさやファンタジーの生き物。彼らを切って切って切りまくる。そんな想像すればするほど、気持ちがスカッとした。
「愛花ちゃん、ここに残りの食材……って、すごっ!」
キャンプで同じ班になり、同じく野菜担当となった夢が、サラダ用の食材を取って戻ってきた。
次々と剥かれるじゃがいも、人参の皮の薄さに感嘆する。
玉ねぎは先を落とし、皮を剥きやすくする。食べやすい大きさにそろえ、じゃがいもはアク抜きに水につけた。
サラダ用のきゅうりやトマトも、スルスルと切り終え、サヤエンドウも茹で上げる。
ダダダダダダーッと、下拵えを終えた。見事なほどに大きさの揃った野菜たちは、新鮮さを損なうことなく、みずみずしさを保ち。愛花の下拵えはまるでパフォーマンスのようで。
それは周囲を驚かせるのに十分だった。
(……フッ)
やりきった、と片方の口角を上げて笑う。
「愛花ちゃん、すごーい!!」
横では、パチパチパチッと夢が拍手。それで愛花は我に返った。
ーーやり過ぎた。
周りは呆然とした顔で、愛花を見つめていた。手に持っていたじゃがいもが地面にコロコロと転がっている。
野菜の切る速さ、達人技のような手際の良さもそうだが、普段静かに佇んでいる愛花が人が変わったように動いていることに、驚嘆していた。
青少年の家の人間に化けている彼もどこからか現れ、パチパチと手を叩いていて、八つ当たりしたくなった。見ていたのなら止めろと。
「愛花ちゃん、達人みたい。私もババババって野菜を切りたい!!」
キラキラ尊敬の目で見てくるゆめ。包丁の構え方が危なっかしい。
「……あはははは。……残りの野菜はゆっくり切ろうか」
「えー」
「ほら、猫の手にして持って」
「はーい♪」
周囲から注目される中、ゆめを背にして野菜を切ることに熱中することで、現実逃避をした愛花だった。
♢
カレー作りが終わり、みんなで夕食だ。
やはり何故か、彼が違和感なく夕食の席についていた。いい加減に影に戻ればいいのに。そう感じながら横に座ると、身長に随分な差があるのに座高が同じくらいで、愛花は驚いた。
信じられないほど、足が長いのだ。それでいてアンバランスだと感じさせない体なので、それを意識することはなかったが、青少年の家の背丈の低い丸木の椅子に座ると、それが強調されるようだった。
反対側には、当たり前のように夢が座っている。夢も身長が高くスタイルが良いので、自分の方が座高が高いのが気になった。いや、気にしてはいないのだが、この二人に囲まれるのが嫌なだけだ。
そんなことを思っていると、夢が話しかけてきた。
「愛花ちゃん、すごく料理上手だったね! 私も時々自分で料理に挑戦しようと思うんだけど、中々うまくいかなくて」
なんか作っても、味がうまくいかないの。と言いながら、カレーを美味しそうに食べる夢。
「……えと。まずは簡単なものがいいかも。切るとか無しで、混ぜるだけとか和えるだけとか。レンジだけで出来る料理もあるよ。あと絶対作る時はアレンジなしで、レシピそのままで」
包丁の使い方から学び直した方がいいのでは? とさっきまでの惨状を思いながら返答する。それほど包丁の扱いが酷かったのだ。 猫の手をしてと伝えたはいいものの、猫の手が何か知らなかったようで、逆手で包丁を持っていた。一体誰を刺すつもり⁈ とツッコミを入れたかった。
さらには、包丁を動かす手に躊躇いが一切なく、それでいて抑えている方の手を動かさない。見ているこっちがヒヤヒヤしてたまらなかった。最後はレタスを千切ることだけして貰った。
「……レシピ? レシピかぁ」
不思議そうにレシピの存在を知らない、あるいはないかの如く夢は返した。作るには、自分の試行錯誤次第であると言いたげに。
愛花はそれで良く料理を作れたなとヒヤヒヤした。美味しくなるはずがない。
「ネットに色々あるよ、レシピサイト」
「そうなんだ……」
「今まで作った料理はどんな感じだったの?」
腕を組みながら、ゆめは悩ませるように眉間に皺を寄せ、人差し指をそこに当てた。その癖がなぜか懐かしい。
「色々組み合わせてみるけど、全然美味しくならないんだよね。作り方工夫したり、調味料も変えたりしても、うーんって感じ。やっぱり、素材次第なのかなって」
そう言って、彼女は愛花を見る。優しげに微笑みを浮かべて。
その微笑みに愛花はなぜか鳥肌が立ち、身体が彼の方に寄ってしまう。
モソモソとカレーを食していた彼は、それが気に入ったようで彼女の体をもっと自分側に寄せた。夢もより近寄ってきて、狭い……。
「もっと美味しいものが欲しいのに、ね」
「そ、そうだよね。美味しいのが食べたいよね」
(なんかゆめ、様子が……?)
威圧的にも思えるその声音に反応するように。
「……対価には対価を支払わねばならない」
ふと、小さく彼が呟いて。
睨むような視線が一瞬その場を交差した。
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