第20話 傍観者の終わり
ゆらゆら揺られている。おくるみに包まれて、傷つかないように、必死に守られている。
優しく抱きしめられて、温かい。
あなたを傷つけるものから、あなたを守りましょう。
あなたを蔑むものから、あなたを遠ざけましょう。
赤ん坊のように、無私の愛に包まれて安心する。
ーーゆらゆら、ゆるゆる。
いつかあなたが大きくなって、幸せになれる時まで、この手の中で眠っていて。
あなたが苦しまないように、あなたを私が守るから。どうか、安らかに眠って。
それは切なる願いだった。何より大きな愛だった。
ーーふるべ、ゆらゆらと、ふるべ。
玉のようなあなたを。
♢
試験地獄、課題地獄をクリアして、ついにやってきました夏祭り!!
ローテンションを維持している愛花も、テンションがいつもより高めである。ーーちなみに、小学生以来の夏祭りということも理由。
「変じゃないかな」
「大丈夫! スっごく似合ってるから!! ほら、愛花ちゃん笑って!」
スマホを構えて、パシャパシャ写真を優芽が撮る。
愛花は優芽が作ってくれたあの服(和風ロリ)を着て、歩きやすいブーツを履いていた。人前で着るとなるとものすごく恥ずかしいのだが、ある種振り切った気持ちで、優芽と2人夏祭りにやってきた。
対する優芽は、ゴスロリである。愛花と和装洋装で、色もある程度対にしていると言う。
一体どうやって作ってるのだろうかと思ったが、自分で作成したらしい。小物は買っているとのこと。夢の趣味だったと言うことで、それが優芽にも引き継がれている。
モノトーンをモチーフに、アクセは十字架。イミテーションパールは薄ピンク、白、黒。服にも縫い付けられたそれは、出店や吊り下がる提灯の光を受けてかすかに光る。
白のソックスは、ガーターベルトで固定してあった。そして、厚底ブーツに星のかけら。手持ちの黒皮のバッグには、十字架のチャームが付けられている。
髪は愛花とお揃いで、珍しく耳よりも下の位置に軽い編み込みを入れて、二つ結びしていた。
優芽が特別美人なのも相まって、気後れしてしまいそう。しかし、スマホをひたすら構えている様は、いつもの彼女だったので、それがおかしくて平気になった。
天気も良く、空を見上げれば一番星が見えた。
そしていつも通りに、彼らも宙を泳いでいる。先日までは姿も減っていたように感じたけれど、少しずつ戻ってきていた。
そこから目線を下げると、露店が軒を連ねる大通り。人がたくさん集まって賑わっている。
ここでは愛花も大勢のうちの一人。
群像は一人一人を気にしない。みんな通りすがりの、一瞬のつながり。
誰もが平凡に祭りを楽しむ。それは普通の日常で、愛花が憧れたもの。
「じゃあ、遊べるだけ遊ぼ!」
手を引かれて、進んでいく。それは幼い頃と重なる。
露店は、マイナーなものから祭り特有のものまでたくさんあった。
流行りの廃れたトルコアイスやら、タピオカティー、たい焼きクロワッサン。馴染みの金魚掬い、提灯売り、お面、お好み焼きなどに、くじ引き、射的、型抜きなんかも。
懐かしくってワクワクしてしまう。幼児のころに戻ったような気持ちで、祭りの中を歩き回る。
「愛花ちゃん。夏祭りに来るのも久しぶりだし、型抜き勝負しよ」
「うん!」
型抜きは結構難しくて、慎重に慎重に、細かく線を刻んでいく。ぱきりと割れたら、おしまいだから、集中集中。
そーっとそっと、手を動かして、よし!
「かんせい!」
「おーわり!」
ほぼ同時に声を上げ顔を見合わせて、頬を緩ませた。
景品のお菓子を貰って、次はどうしようか。
射的をしよう、りんご飴を買おう。それぞれ思いつくままに動いていく。
そうして2人は遊びまわり、少しお腹が空いたので、たこ焼きを買って休憩することにした。
「ふは、熱い」
「でも、美味しいね」
楽しい。思いっきり遊べる幸せを久しぶりに感じた。
目を閉じて、涼しい風が吹いてくる。
「ねえ、愛花ちゃん。聞いてみたかったんだけど、この町から外に出てみたいと思ったことはないの? こんな場所から抜け出して、自由になりたいって」
「突然だね。……うーん、逃げ出したいとは思ったことあるけど、ここから外に出たいとは思わなかった」
優芽に尋ねられた内容は、あまり考えたことのないことだった。他に買っていたポテトを一本取ってゆっくり食べながら、愛花はこれまでの日々を思い返す。
優芽がいなくなったあの日の後、愛花にだって友達が出来なかったわけではなかった。話の合う子もいた。話しかけてくれる子いた。優しい子もいた。でも、みんな彼方の世界に巻き込まれて死んでしまった。
彼がその記憶を消しても、愛花は本能的に人と関わるのをやめた。トラウマは山となり、涙は池となった。希望はなかった。あった端から消えていったから。
対抗する術を持たない私は、小さく閉じこもって震えていることが最善策だとわかっていた。誰かに助けを求めても、誰も分からない。それどころか、助けを求めた相手が死んでいく。親しい相手であればあるほど、そうなるのだ。
自分が傷つく以上に、人が傷つくのを見たくなかった。外に出るだなんて、本当にありえないことだった。
「……今はどう思ってる?」
優芽が尋ねる。
「外の世界があるって知って、それもこんな田舎じゃないよ。いろんな価値観があって、その中で愛花ちゃんは『とくべつ』ではなくなるの。行ってみたいと思わない?」
それは憧れだろうか? 可能性が開ける未来を暗示してくれてるのかな。
優芽は、最近出会ったクロたちのように、外で自由になれることを教えてくれようとしているのだ。
「……手を出して」
優芽が不思議そうに手を出してくる。
握り返す。ギュッとつよく。気持ちが伝わるように。
外には、愛花のような『見る』ことが出来る存在が沢山いる。
知らなかった事、知ろうとしなかった事。目を向けて見れば、愛花は1人じゃないのだと分かった。
しかし。
愛花にとって、外部の存在とは異質な怪物のようでもあった。彼の手の中から離れてまで、見なければいけないものなのだろうか。
今までの人生で愛花を助けてくれて、分かってくれようとしたのは彼だけだった。
自分が関わることで周りは不幸になる。そんな事実が彼女の心をじわじわと苦しめていた。外に出れば、きっといい人もいるだろう。優しい人もいるだろう。それ以上に恐ろしい人もいることだろう。
でも、大多数は愛花をいびつな存在だと気づくはずだ。彼女の中にある闇は、許されたからといって簡単には消えていない。
今そばに居てくれる彼や優芽と離れてまで、外に出たくはなかった。彼女を認めてくれる人たちのために生きる事を選択したかった。
愛花はここでも成長できる。愛花が愛花である限り、場所なんて関係ない。大切にしてくれる人がいて、それを実感している。
「優芽ちゃん。私はここから出るつもりはないよ」
「なんで!」
「私はここが好きだから」
別に絶対に外に出ないとはいってない。旅行にでも行ってみようとは思ってる。
何処にいたって自分の努力次第。人に会うことも、逃げることも、生きることだってそうだった。
「変わるなら、ここで変わりたいの」
私の居場所はここだ。稀龍がいて、母がいて、優芽がいる。親しい人たちがいる。
愛花は揺らぎ続ける自分の思考の中で、それだけはしっかりと持っていようと決めた。
未来にどんなことが待っていようと、今を捨てることはしない。愛花の可能性はここにあって、他の場所でそれを見ようとは思わないのだ。
「ここで生きることから逃げるなら、きっと私はどんな場所でも逃げてしまう気がする。ずっと逃げ続けてきた。傍観者だった。でも、もうそれはやめたい」
「ここにいたら、ずっと縛られるのに」
「大好きな人たちに縛られるなら幸せ」
悔しそうに、唇を噛み締める。
「……最後の、自由になる機会だったのに」
「それでも、いいの。後悔しない」
両手を重ねて、額に当てる。
ーー優芽は愛花のために、伝えてくれる。
「あいかちゃんは、ほんとばかだ」
「ゆめちゃんは、すなおじゃないね」
「でも、だいすき」
「うん」
「しあわせ?」
「しあわせ」
「なら、いいや」
花火が上がる。幼い彼女たちの影が、消えては生まれる。
ひょーんと高い音が鳴って、高く高く上り花が咲いた。ばん、ばんばんばん。一面の花火。
小さな光が頂点に上がって、その光を中心にたくさんの光が生まれる。鮮やかに、花に見えるように、職人が作ったもの。
次から次に空を飾る花火は、やがて闇の中に消えて、愛花の心に思い出を宿した。
♢
夏祭りを終えて優芽と別れ、母の迎えは待たず、歩いて帰る。
フラフラと脚が神社に向かった。境内に入り、歪む門戸を見つめる。
すべてのはじまりはこの場所だった。
影の中からにゅっと、不定形のスライムのようなものが出てきた。
「
影の中に隠れていた彼。黙っていても、話は聞いていただろう。
「どう、思った?」
「…………」
愛花の気持ちを聞いた、彼の本音を知りたいと思った。
「私は稀龍に頼ってばかりだけど。それでも、それでも……」
幸せにしたい。一緒に幸せになりたいと伝える。
ーー出来ないことも多くて、なんでも出来る彼にしてあげられることも少ないけど。
自信が無くて、でも出来る限り彼に伝わるように頑張って伝えた。
「……愛花」
彼がするりと影から姿を現した。
「もう、してもらっている」
「……?」
頬を撫でられた。そのまま引き寄せられる。
「おまえはどんなに苦しもうと、ひとを信じてきた。逃げながら、戸惑いながら、それでも前に進んできたんだ」
散々、自分を愛花は追い詰めてきた。
逃げて逃げて、目も耳も塞いで、それでも期待して。失敗ばかりで、次に何をすればいいのか、ずっと考えてた。
人を傷つけずに、傷つけられずにいるために、一人でいることを選んで。
それでも時々寂しくなって、猫の話を聞いて、人の気配のあるところに行った。
愛花の中の自分は、傍観者で、弱くて情けなかった。
でも、稀龍はそれを否定する。愛花は強くて優しい人だと教えてくれる。
今の自分を認めなければ、人はその先に進むことを選べない。情けないと思ってきた事も、彼は強さだと言った。
「優しさで、傷ついて酷い目に遭っても、諦めない強さがあった。その優しさの中にいれたこと、幸せだった」
認められることで強くなれるなんて、あの頃は信じてなかった。
でも、好きな人が自分を見つめてくれて、認めてくれることの喜びは、自分の意思を変えるのだ。傍観者ではなく、自分の人生を生きることのできるようになる。
「もっと頼ってくれても良いんだ。それが俺の幸せだ」
(これ以上何を頼れと?)
どうすれば良いのか分からないことを稀龍が言うので、少し頬をつねった。
「稀龍が私を頼って。大したことは出来ないけど、出来るようになる。
食べたいご飯があったら言ってほしいし、遊びに行きたいなら一緒に外に出よう。料理は美味しく作れる自信があるし、和食とか得意なの。
裁縫とかはあんまりしたことないけど、優芽ちゃんに習うし。お金を稼いで欲しいなら、今から死ぬ気で勉強する。この土地のことでこの間みたいに協力出来るときは、協力したい!
あとは、あとは……。
して欲しいことも全部出来るかは分からないけど、言ってくれたら、努力する」
ーーしばらくの沈黙の後。
「優芽と遊ぶのを、少し控えないか」
「え⁈ それ……ふは、あははは!」
夏祭り前もぽよんぽよん玄関で跳ねていたのは、やっぱり優芽と出かけるのに拗ねていたんだ。
あの日の真実を知って、稀龍は拗ねていたわけではないのかと思っていたけど、そう言うわけではなさそうだった。……物の盗み癖は消えたけど。
「稀龍は、やっぱり稀龍だ」
「…………」
この人がいる限り、愛花はここで頑張り続けられる。
「頑張る。もっと、強くなれるように。稀龍をもっと幸せにする」
愛花はもっと強くなり、優しく正しい人になる意思を持って、大きく微笑んだ。
稀龍はその耽美な顔を優しく緩ませて、愛花を抱きしめた。
ある夏の日の夜のことだった。
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