第20話 傍観者の終わり

 ゆらゆら揺られている。おくるみに包まれて、傷つかないように、必死に守られている。


 優しく抱きしめられて、温かい。


 あなたを傷つけるものから、あなたを守りましょう。

 あなたを蔑むものから、あなたを遠ざけましょう。


 赤ん坊のように、無私の愛に包まれて安心する。


 ーーゆらゆら、ゆるゆる。

 

 いつかあなたが大きくなって、幸せになれる時まで、この手の中で眠っていて。


 あなたが苦しまないように、あなたを私が守るから。どうか、安らかに眠って。


 それは切なる願いだった。何より大きな愛だった。


 ーーふるべ、ゆらゆらと、ふるべ。


 玉のようなあなたを。




 試験地獄、課題地獄をクリアして、ついにやってきました夏祭り!! 

 

 ローテンションを維持している愛花も、テンションがいつもより高めである。ーーちなみに、小学生以来の夏祭りということも理由。


「変じゃないかな」

「大丈夫! スっごく似合ってるから!! ほら、愛花ちゃん笑って!」


 スマホを構えて、パシャパシャ写真を優芽が撮る。


 愛花は優芽が作ってくれたあの服(和風ロリ)を着て、歩きやすいブーツを履いていた。人前で着るとなるとものすごく恥ずかしいのだが、ある種振り切った気持ちで、優芽と2人夏祭りにやってきた。


 対する優芽は、ゴスロリである。愛花と和装洋装で、色もある程度対にしていると言う。

 一体どうやって作ってるのだろうかと思ったが、自分で作成したらしい。小物は買っているとのこと。夢の趣味だったと言うことで、それが優芽にも引き継がれている。


 モノトーンをモチーフに、アクセは十字架。イミテーションパールは薄ピンク、白、黒。服にも縫い付けられたそれは、出店や吊り下がる提灯の光を受けてかすかに光る。

 白のソックスは、ガーターベルトで固定してあった。そして、厚底ブーツに星のかけら。手持ちの黒皮のバッグには、十字架のチャームが付けられている。

 髪は愛花とお揃いで、珍しく耳よりも下の位置に軽い編み込みを入れて、二つ結びしていた。

 

 優芽が特別美人なのも相まって、気後れしてしまいそう。しかし、スマホをひたすら構えている様は、いつもの彼女だったので、それがおかしくて平気になった。


 天気も良く、空を見上げれば一番星が見えた。


 そしていつも通りに、彼らも宙を泳いでいる。先日までは姿も減っていたように感じたけれど、少しずつ戻ってきていた。


 そこから目線を下げると、露店が軒を連ねる大通り。人がたくさん集まって賑わっている。


 ここでは愛花も大勢のうちの一人。


 群像は一人一人を気にしない。みんな通りすがりの、一瞬のつながり。

 誰もが平凡に祭りを楽しむ。それは普通の日常で、愛花が憧れたもの。


「じゃあ、遊べるだけ遊ぼ!」


 手を引かれて、進んでいく。それは幼い頃と重なる。


 露店は、マイナーなものから祭り特有のものまでたくさんあった。

 流行りの廃れたトルコアイスやら、タピオカティー、たい焼きクロワッサン。馴染みの金魚掬い、提灯売り、お面、お好み焼きなどに、くじ引き、射的、型抜きなんかも。

 懐かしくってワクワクしてしまう。幼児のころに戻ったような気持ちで、祭りの中を歩き回る。


「愛花ちゃん。夏祭りに来るのも久しぶりだし、型抜き勝負しよ」

「うん!」


 型抜きは結構難しくて、慎重に慎重に、細かく線を刻んでいく。ぱきりと割れたら、おしまいだから、集中集中。

 

 そーっとそっと、手を動かして、よし!


「かんせい!」

「おーわり!」


 ほぼ同時に声を上げ顔を見合わせて、頬を緩ませた。

 景品のお菓子を貰って、次はどうしようか。


 射的をしよう、りんご飴を買おう。それぞれ思いつくままに動いていく。


 そうして2人は遊びまわり、少しお腹が空いたので、たこ焼きを買って休憩することにした。


「ふは、熱い」

「でも、美味しいね」


 楽しい。思いっきり遊べる幸せを久しぶりに感じた。


 目を閉じて、涼しい風が吹いてくる。


「ねえ、愛花ちゃん。聞いてみたかったんだけど、この町から外に出てみたいと思ったことはないの? こんな場所から抜け出して、自由になりたいって」

「突然だね。……うーん、逃げ出したいとは思ったことあるけど、ここから外に出たいとは思わなかった」


 優芽に尋ねられた内容は、あまり考えたことのないことだった。他に買っていたポテトを一本取ってゆっくり食べながら、愛花はこれまでの日々を思い返す。


 優芽がいなくなったあの日の後、愛花にだって友達が出来なかったわけではなかった。話の合う子もいた。話しかけてくれる子いた。優しい子もいた。でも、みんな彼方の世界に巻き込まれて死んでしまった。

 彼がその記憶を消しても、愛花は本能的に人と関わるのをやめた。トラウマは山となり、涙は池となった。希望はなかった。あった端から消えていったから。

 

 対抗する術を持たない私は、小さく閉じこもって震えていることが最善策だとわかっていた。誰かに助けを求めても、誰も分からない。それどころか、助けを求めた相手が死んでいく。親しい相手であればあるほど、そうなるのだ。


 自分が傷つく以上に、人が傷つくのを見たくなかった。外に出るだなんて、本当にありえないことだった。


「……今はどう思ってる?」


 優芽が尋ねる。


「外の世界があるって知って、それもこんな田舎じゃないよ。いろんな価値観があって、その中で愛花ちゃんは『とくべつ』ではなくなるの。行ってみたいと思わない?」


 それは憧れだろうか? 可能性が開ける未来を暗示してくれてるのかな。


 優芽は、最近出会ったクロたちのように、外で自由になれることを教えてくれようとしているのだ。


「……手を出して」


 優芽が不思議そうに手を出してくる。


 握り返す。ギュッとつよく。気持ちが伝わるように。

 

 外には、愛花のような『見る』ことが出来る存在が沢山いる。


 知らなかった事、知ろうとしなかった事。目を向けて見れば、愛花は1人じゃないのだと分かった。


 しかし。


 愛花にとって、外部の存在とは異質な怪物のようでもあった。彼の手の中から離れてまで、見なければいけないものなのだろうか。


 今までの人生で愛花を助けてくれて、分かってくれようとしたのは彼だけだった。


 自分が関わることで周りは不幸になる。そんな事実が彼女の心をじわじわと苦しめていた。外に出れば、きっといい人もいるだろう。優しい人もいるだろう。それ以上に恐ろしい人もいることだろう。

 でも、大多数は愛花をいびつな存在だと気づくはずだ。彼女の中にある闇は、許されたからといって簡単には消えていない。


 今そばに居てくれる彼や優芽と離れてまで、外に出たくはなかった。彼女を認めてくれる人たちのために生きる事を選択したかった。


 愛花はここでも成長できる。愛花が愛花である限り、場所なんて関係ない。大切にしてくれる人がいて、それを実感している。


「優芽ちゃん。私はここから出るつもりはないよ」

「なんで!」


「私はここが好きだから」


 別に絶対に外に出ないとはいってない。旅行にでも行ってみようとは思ってる。

 何処にいたって自分の努力次第。人に会うことも、逃げることも、生きることだってそうだった。


「変わるなら、ここで変わりたいの」


 私の居場所はここだ。稀龍がいて、母がいて、優芽がいる。親しい人たちがいる。


 愛花は揺らぎ続ける自分の思考の中で、それだけはしっかりと持っていようと決めた。


 未来にどんなことが待っていようと、今を捨てることはしない。愛花の可能性はここにあって、他の場所でそれを見ようとは思わないのだ。


「ここで生きることから逃げるなら、きっと私はどんな場所でも逃げてしまう気がする。ずっと逃げ続けてきた。傍観者だった。でも、もうそれはやめたい」

「ここにいたら、ずっと縛られるのに」

「大好きな人たちに縛られるなら幸せ」


 悔しそうに、唇を噛み締める。


「……最後の、自由になる機会だったのに」

「それでも、いいの。後悔しない」


 両手を重ねて、額に当てる。


 ーー優芽は愛花のために、伝えてくれる。


「あいかちゃんは、ほんとばかだ」

「ゆめちゃんは、すなおじゃないね」

「でも、だいすき」

「うん」

「しあわせ?」

「しあわせ」

「なら、いいや」


 花火が上がる。幼い彼女たちの影が、消えては生まれる。


 ひょーんと高い音が鳴って、高く高く上り花が咲いた。ばん、ばんばんばん。一面の花火。

 小さな光が頂点に上がって、その光を中心にたくさんの光が生まれる。鮮やかに、花に見えるように、職人が作ったもの。


 次から次に空を飾る花火は、やがて闇の中に消えて、愛花の心に思い出を宿した。




 夏祭りを終えて優芽と別れ、母の迎えは待たず、歩いて帰る。


 フラフラと脚が神社に向かった。境内に入り、歪む門戸を見つめる。

 すべてのはじまりはこの場所だった。


 影の中からにゅっと、不定形のスライムのようなものが出てきた。


稀龍きりゅう


 影の中に隠れていた彼。黙っていても、話は聞いていただろう。


「どう、思った?」

「…………」


 愛花の気持ちを聞いた、彼の本音を知りたいと思った。


「私は稀龍に頼ってばかりだけど。それでも、それでも……」


 幸せにしたい。一緒に幸せになりたいと伝える。


 ーー出来ないことも多くて、なんでも出来る彼にしてあげられることも少ないけど。


 自信が無くて、でも出来る限り彼に伝わるように頑張って伝えた。


「……愛花」


 彼がするりと影から姿を現した。


「もう、してもらっている」

「……?」


 頬を撫でられた。そのまま引き寄せられる。



「おまえはどんなに苦しもうと、ひとを信じてきた。逃げながら、戸惑いながら、それでも前に進んできたんだ」


 散々、自分を愛花は追い詰めてきた。


 逃げて逃げて、目も耳も塞いで、それでも期待して。失敗ばかりで、次に何をすればいいのか、ずっと考えてた。


 人を傷つけずに、傷つけられずにいるために、一人でいることを選んで。

 それでも時々寂しくなって、猫の話を聞いて、人の気配のあるところに行った。


 愛花の中の自分は、傍観者で、弱くて情けなかった。

 でも、稀龍はそれを否定する。愛花は強くて優しい人だと教えてくれる。


 今の自分を認めなければ、人はその先に進むことを選べない。情けないと思ってきた事も、彼は強さだと言った。


「優しさで、傷ついて酷い目に遭っても、諦めない強さがあった。その優しさの中にいれたこと、幸せだった」


 認められることで強くなれるなんて、あの頃は信じてなかった。


 でも、好きな人が自分を見つめてくれて、認めてくれることの喜びは、自分の意思を変えるのだ。傍観者ではなく、自分の人生を生きることのできるようになる。


「もっと頼ってくれても良いんだ。それが俺の幸せだ」


(これ以上何を頼れと?)


 どうすれば良いのか分からないことを稀龍が言うので、少し頬をつねった。


「稀龍が私を頼って。大したことは出来ないけど、出来るようになる。

 食べたいご飯があったら言ってほしいし、遊びに行きたいなら一緒に外に出よう。料理は美味しく作れる自信があるし、和食とか得意なの。

 裁縫とかはあんまりしたことないけど、優芽ちゃんに習うし。お金を稼いで欲しいなら、今から死ぬ気で勉強する。この土地のことでこの間みたいに協力出来るときは、協力したい!

 あとは、あとは……。

 して欲しいことも全部出来るかは分からないけど、言ってくれたら、努力する」


 ーーしばらくの沈黙の後。


「優芽と遊ぶのを、少し控えないか」

「え⁈ それ……ふは、あははは!」


 夏祭り前もぽよんぽよん玄関で跳ねていたのは、やっぱり優芽と出かけるのに拗ねていたんだ。

 あの日の真実を知って、稀龍は拗ねていたわけではないのかと思っていたけど、そう言うわけではなさそうだった。……物の盗み癖は消えたけど。


「稀龍は、やっぱり稀龍だ」

「…………」


 この人がいる限り、愛花はここで頑張り続けられる。


「頑張る。もっと、強くなれるように。稀龍をもっと幸せにする」


 愛花はもっと強くなり、優しく正しい人になる意思を持って、大きく微笑んだ。


 稀龍はその耽美な顔を優しく緩ませて、愛花を抱きしめた。


 ある夏の日の夜のことだった。

 


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