第18話 時間が過ぎる


 学校の環境が苦痛。暑い。家に帰りたい。そのまま、川に涼みに行ってやる。


 愛花はあまりの暑さに苦しんでいた。


 教室に熱気がこもって、お弁当を食べる気もでない。エアコンが効いてなくて、望んでもいないサウナの中で、暑さに耐える修行をしているみたいだ。


 下敷きをブンブン振り回して、なんとかしようとするけれど、元々暑い部屋では熱気がすぐに充満するから、あまり意味がなかった。湿気もあって、背中から徐々に暑さが広がり、汗が止まらなくなる。


(……あぁ、もう嫌い。季節は春と秋だけで良いのに)


 最後には髪をバサバサして、夏の暑さと戦った愛花。

 稀龍があまりにも暑そうなので、足元から冷やそうとしている。


「愛花ちゃーん」


 いつもの調子で、抱きつかれた。汗ばむ体に夏服が張り付く。怠さで動きが鈍くなっていた。


「暑ーい」

「優芽ちゃん、暑いから離れて」


 暑いと言っている割に、優芽は平気そうだ。涼しい顔で微笑んでいるので、秘訣を教えてほしい。

 耳元で囁かれる。


「……ね、サボろ」

「……さぼ?」


 鈴のような高い声で何を言ったのか、愛花は理解できなかった。


「授業抜け出そう」

「ああ、サボる……」


 いやいや、サボれるわけがない。午後の授業は捨てられない。

 中間テストの結果は、地獄だった。暑さのせいで、期末もこのままだとやらかしてしまう。

 サボったら、内申点さえ下がっておしまいでは。


 愛花は、優芽に無理だと言い返す(小声)。


「……大事なことだから、ね。誤魔化してあげるし、こんなところにいたら暑さで体が弱っちゃうよ。そいつも来て」


 そいつとは、稀龍のことである。優芽は彼のことが好きではないようなのだが、わざわざ言うということはそ・れ・関係のことだ。


「勉強も教えて下さい」

「もちろん!」


 そして、午後の授業は消えました。



「どこ行くの?」

「うーん、ここら辺のはずだけど」


 照りつける日差しが葉っぱの間から漏れて、糸のように細かな模様を作っている深い山の中に、愛花と優芽の2人はいた。間違えたら遭難してしまう場所。

 湧き水の流れである程度場所は把握出来るとはいえ、ここは彼に頼るほかないと愛花は彼の名を呼ぶ。


「稀龍きりゅう」


 優芽の動きが急に止まった。なんと表現すべきか、驚愕の表情というのだろう。今まで見たこともない顔でこちらを見てくる。


「名付けたんだ、へぇ……。いや、うん。しょうがないけど」


 名前もなく、彼のことをなるべく無視してきた今までがおかしかった。

 単純な思い付きの名。彼が気に入ってくれたようだったので、気にしていなかったけど、何か変なところがあったのだろうか。


 優芽の話は続いた。

 彼女の目的は、この間会ったクロという人に会うことらしい。怪異の世界に通じている人間ではないかと彼女は推察していた。陰陽師とか、拝み屋とか、祈祷師。色々居るが、そこら辺の人だろうと。


 愛花は自分以外に彼らを見ることの出来る人を知らなかったが、先日の出来事で彼らは確かに見ることが出来るとわかった。

 視界が一気に開けた感じだった。自分が歪な存在だと思っていた現実が、自分と同じように、彼らを見ることが出来る人がいると知っただけで、楽になった。


「クロって子、なんか愛花ちゃんと似てるんだよね。反抗的な感じにして、男らしく振り切ったみたい」

「似てた? そうかな」


 似てるところが少しも思いつかない。愛花は目立たず、普通の生活も目指している。

 仲間外れにされて、笑われて、何かと問題にされる。晒し者にされて孤独に耐える日々の辛さは、言葉に出来ないものがあった。普通と外れて良いことなんて、何にもなかった。

 人と違うものが見えて、周りの人が死ぬのを目にしても耐えていかなきゃいけないのだ。……彼が居なければ、愛花は耐えられなかっただろう。


 自信なんてないから、目立ちたくなんてなかった。あの人は多分、愛花とは真逆だと思う。自分を主張する服装に、言葉遣い。ハッキリと言葉に出来る人だ。全く違う。


「不器用そうなところとか。繊細さがね、あったの。辛い時は辛いって言ってほしいのに、言ってくれない意地っ張りなところとか……似てるよ」

「うん」


 ーー軽く優しく伝えてくれた。


 優芽は、本当に自分を大切にしてくれている。


(……幸せだ)


 嬉しさで笑う愛花。なんか、涙が出てきそう。

 優芽が「笑わないのー、真剣なんだよ?」とほっぺを突っついてくる。


 

 風が吹いているおかげで、少し涼しい。

 髪が舞い上がり、首筋をふわりと風が包み込む。


 そして、ちょうどあの2人を見つけた。


 開けた土地に、何やら印を書いている。


 ボヤけて見えにくいけど、見ようとすればスッと見えた。紙垂しでで仕切られた空間。

 紙垂は神社のしめ縄などに、四角が縦にずれて、いくつもくっ付いている紙だ。魔除けや空間の分離ーーここは聖域だと示している。

 


 まず目についたのは、クロの服装。

 

 ーー柄……。服のセンス、どうなってるの。


 サイズが合ってないブカブカの赤紫緑の波?柄のアウターを着て、中のTシャツにはI Will Bite You なんて書かれている。


 噛みつくぞ! と周りを見ているクロ。


 青褪めた表情でこちらを振り向く。真っ白な隣の人も遅れて振り向いた。

 特に彼を見る顔が、恐れに満ちていた。

 

「はっ。やべぇ……、死ぬ死ぬ。とんでもないところに来ちまった」

「……閉じた、場所である、理由だな」


 なんとなく、動きが鈍い。近づくと息が上手く吸えていない2人の様子に気付いた。

 彼を見た人は同じような反応をしていたが、久しぶりにそれを間近で見ることができた。

 

 あの紙垂を見る限り、彼らが何かをしようとしていたのは間違いない。

 優芽が単刀直入に口を開く。


「……あのー、どうしてここに来られたか話して頂いていいですかね」


 ーー五体満足で、この土地から出たいでしょ?




 シロとクローー花臣と時頼の2人は、魑魅魍魎がわらわらいるこんなところからなるべく早くおさらばしようと、儀式の準備をしていた。出来る限りの速さで動いていたのだが、そこに招かれざる者がやってきた。……絶対に来るなと思っている時に来るのは、どうしてなんだろうな?


(やばい)


 瞬間に空間が重くなったのが分かった。これは、この間相手にした奴らの比ではなかった。

 そもそも人間が相手にすべきものじゃない。強すぎる……いや、恐ろしすぎる。自然に平伏したくなるという感覚を、反発してばかりの人生で初めて知った。

 

 時頼では視認出来ず、何かが段々と近づいてくる。逃げたいのに逃げられる気がしなかった。


 威圧感と恐怖。圧倒的に自分たちが小物だと分からされる。小さな小さな生き物になって、見下ろされている気分だ。


「式神出せ」

「……」


 時頼は花臣にコッソリ伝えた。死ぬよりは逃げることを優先しなければいけない。


 神を使役する御幣を、懐から取り出した。式神の依代だ。


 荒御魂あらみたままでとはいけないが、小規模の神霊なら召喚できるはず。

 雑魚霊も多い場所。時間稼ぎが出来れば、何とかなるだろう。


「うん、バカだね」


 女が手を一振りした。


 一瞬のうちに、依代が全部バラバラにされた。


 何をされたか理解出来なかった。一筋汗が頬を伝う。これは分が悪すぎる。


「取って食おうってわけじゃないのに」

「……優芽ちゃん、流石にその言い分は通らないよ」


 全く気にしてなかったが、まだ1人いた。


 ……普通の一般人? いや、見た覚えがあった。黒髪ロングの似合う、純和風の少女。時頼が倒れた時に、助けてくれた女だった。


 気が弱いようで、最終的には曲げない意思を持っていたのを珍しく思っていた。周りのために自分は曲げられて、人のためにしっかりと一線を引く今時珍しい大和撫子だと感じた。

 料理も美味くて、ここに来て初めて良い気分になったのに、その感情が捻じ曲げられた気がした。……結局、花臣の言う通りかよ。

 

「さっさと教えてくれたら解放します」

「いや、教えたら殺すだろ」

「人聞き悪い。そんなことしないのに」


 五体満足云々言ってた女が、そんなことを言っても信じられるかと時頼は思った。


 用が無くなったら、切り捨てられるのは当たり前だ。自己防衛のために、切り札は簡単に捨てられない。

 修練とは違う。『目隠し鬼』のような手応えのある相手と戦い、生き残れた嬉しさや自分が強くなった実感なんかじゃ割に合わなかった。

 少しの判断ミスが死に繋がる。疑り深い性格でなければ、長生きは難しかった。


「……俺が変わろう」


 そんな時、後ろで沈黙していた花臣が前に出た。


「君と話がしたい」


 いつも通りのスカしたツラで、ツインテールの偉そうな女ではなく、横に居た愛花という女を指名した。


 その次の瞬間。女だけでなく、恐ろしい化け物の迫力がさらに増したと思ったら、ーーパンッと気の抜ける、手を叩いた音がした。



「だ、か、ら、愛花ちゃんがわざわざ話する必要ないって」

「じゃあ、どうして連れてきたの?」

「それはやって欲しいことがあったからだよー」

「話すくらい大丈夫」

「……ダメだ」

「私も関わる理由があるし。……優芽ちゃんは話すのは上手いけど、話を聞くには向いてないところがあるから。

 ただのダメは聞きません」


 授業をサボってまで連れて来られた先で、争いに巻き込まれるなんて最悪な展開は嫌だ。


 結局、愛花が前面に立つことになった。


 これは、愛花に説得して貰えば助かる道があるかもしれない。少しの希望を見出した。


「……俺たちは、この町の結界を修復に来たんだ」

「修復ですか」

「そう、修復だ。ひと月ほど前だろうか、この土地から怪異が流れ出るようになった。その原因を突き止め、解決することが私たちの役割であり、いまは修復の準備をしていたところだ」

「ひと月前……」


 ひと月前といえば、夢とのいざこざがあったくらいの時期。


「そ。じゃあ余計なことしないで、しばらく待っててもらって。人間の中途半端な修復じゃ、穴が出るから。壊す手間がかかるし」


 優芽がその答えを聞いて言う。

 

 ーー愛花ちゃん、ちょっとこっち来て。


 指図されるままに、時頼達が作った祭場に足を踏み入れる愛花。


「他の場所も準備してたみたいだから、一度愛花ちゃんに繋いでもらうよ。ちょうどのタイミングで来れたみたいだし」

「え?」

「大丈夫。そいつがいるから」


 そいつとは、稀龍のことである。


「えーと、ね。問題があったから、解決しなきゃいけないんだ。

 前の私(夢)がさ、この土地の封印を破って、一回外に出て来たんだよ。それがあの小学生の頃の夏ね。人を襲い回って、この土地をぐちゃぐちゃにしたの。

 でも、そもそもこの土地は他の場所とは分離した場所だった。結界が周りに張られてて、その中心地が、この男の祀られてる神社だったわけなんだけど。愛花ちゃん、ちょっと見て」


 優芽は地面に大きな丸と、その中に小さな丸を描いた。


 小さな丸が別世界と繋がる地点であり、稀龍の神社。大きな丸は結界で、その中が領域内。

 管理をする役目を担っているのが彼だったが、夢との争いで、暫くその役目を果たせなくなった。

 一度破られた封印は生半可なことでは元に戻らず、別世界の生き物とこの領域内の物怪が混ざって暮らすようになる。

 それがここ10年の現状だったが、外側の結界があるため、外部に影響はなかったという。


 愛花は初耳の情報が多くて、驚いた。


 猫の情報を、綺麗に繋ぎ合わせたらこうなるのだろう。

 例にしたら。猫はそもそもファンタジー世界よりも前にこの土地にいて、後から来たのが魔法使いということだ。余所者の噂話をして愚か者と嗤っていたのが、猫達らしい。


「この間、結界が開いちゃったんだよね。で、中にいたのが外に出ちゃったらしいの。そして、この人たちが来た」


 愛花が見ないようにしている存在が、山のように列をなして、我先にと外に出ている様子を存在してぞくりとする。人を襲う化け物がたくさん、たくさん……。

 それは迷惑だったことだろう。被害を考えると、彼らが来るのも当たり前。


「愛花ちゃんに頼みたいのは、一度『閉じる』こと。この人たちが場を作ってくれたから、多分簡単に閉じられるよ」

「閉じる……」

「邪魔も入るかもだけど、そこはその男の出番」


 『開いた』ことはあった。すべてのとびらを見通して、愛花の願いを叶えてもらった。


 それを元に戻すことが必要ということ。


 促されるままに稀龍と手を握り、目を閉じて、繋がる。


 手の感触をまず意識して、次に自分の目がこの土地と同化する感覚を覚える。


 そして、山の中のある場所にいる自分を見つめた。これから、どうすれば良い?


 稀龍が誘導してくれているのがわかった。用意された主要な箇所が6つ。

 この土地は知り尽くしているから、流れるままに辿れば想像するのは簡単だ。


 ーー見える。わかる。


 両開きの扉は、押して開く。


 赤い扉が開いたままになっているから、それを元に戻す。こちら側に引っ張って、境界を作るのだ。


 稀龍の手をギュッと力を込めて握る。


「……閉じて」


 ーー戸、差し固め。ところ、閉ぢこみ。ありあらぬを故に、まづ、晴るけ給へ。


 

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