何もない僕らの自分探し
杏 尻尾
プロローグ:出会い・運命
始めは、ただ誇らしかった。
「今回の満点は、籠谷くんだけでした!」
先生に褒められるたびに。
「やっぱりさすがねー! お母さん期待しちゃうわ!」
親がまるで自分のことのように喜んでくれるたびに。
「まさとくんすごーーい!」
クラスメイトに尊敬の眼差しを向けられるたびに。
自分には才能があると信じて疑わなかった。
それが、なんの意味もなさないと気がついてしまったのはいつだっただろうか。
小学校の頃、遊んでばかりで、先生も手を焼いていた生徒が突然やる気を出して、俺の特等席だった学年一位を軽々と奪って言った時。
中学生の頃、同学年の女子が、硬式テニスでジュニア選抜に選ばれたと聞いた時。
あるいは、ここまで生きてきた中で、少しずつ身に染みていったのかもしれない。
俺の持っていた才能は、所詮は「平凡」の範疇に収まるものでしかなかった。
俺は今までこれと言って苦労した記憶がない。
勉強は、授業中の内職とテスト前の勉強で事足りてしまうし、
運動は、なんとなくやっているだけなのに、レギュラーから外れたことはない。
見た目にしても、自分では割と整っている方だと自覚してるし、中学の頃も何度か交際を申し込まれたので、自惚ではない、と思う。
しかし、俺には誇れることがない。
小学生の俺から突然、学年首位を奪ったあいつみたいに、
中学生の頃、最年少でジュニア選抜に選ばれたあの子のように、
飛び抜けた才能や情熱が俺にはない。
ただ学校に行き、授業を話半分で聞いて、友達とおしゃべりして、時々寄り道して、帰る。
成績が良かったり、夏休みの宿題で書いた読書感想文が入賞したり、多少の違いはあれど、自分は「規格外」ではないだと気がついてしまったのだ。
だから、高校では部活にも入らず、ただぼんやりと日々を過ごすことしかできなかった。
「真斗ー。お前進路の紙出した?」
「んいや、まだ」
1週間を乗り切り、金曜最後の授業が終わった休み時間、高校に入って以来席が近かったので、なんとなく一緒にいるようになった友達、古賀達也だ。
「だよなー。なに書けばいいかわかんねー」
「まあ、適当に書いてだしゃいいだろ」
うちの学校は、「早いうちから将来に目を向けることが大事」だとかで、入学してすぐのこの時期から、進路調査があるのだ。
とはいえ、ようやく受験が終わって、まだ遊びたい盛りのこの時期なので、真面目に考えてる奴なんてほとんどいないし、教師もそれをわかっているらしく、面談に軽く話に出るくらいで、出しさえすれば何を書こうが構わない、と言った感じだ。
将来、と言われると心に引っかかるものがないわけではないが、考えないようにすればなんてことはない。
「だなー。あ、それよりこのあとカラオケ行くんだけどくる?」
「誰がくるんだ?」
「俺とさやか、それと吉野ちゃんだな」
「あー……」
2人とも同じクラスの女子で、さやか、というのは鈴木さやかという名前で、軽くウェーブがかかった長髪に、顔立ちは整っていて、かわいいというよりは綺麗という印象だ。最近達也と仲がいいらしく、達也から「付き合ってはないけどいい感じ」と説明された。
「つまり、デートの前段階として、お互いの友達呼んでグループでってことか」
デートはしたいが、いきなりは難しいので、達也は俺。鈴木さんは友達の吉野さんを呼んでみんなで遊ぼうという算段らしい。
「察しが早くて助かるぜ、さすがは俺の相棒」
「だろ。まあ暇だったし、友達の恋路は応援しないわけには行かねえよな」
「お前ならそう言ってくれると信じてたよ!」
焦茶色の短髪、ぱっと見好青年といった印象を与える相貌で、「やったぜ」と無邪気に喜ぶ友人をよそに、俺はこう言い放ってやった、
「お前の奢りでな」
「えーー。おいこの前もマック奢ってやったじゃん!」
「それはそれ、これはこれだろ」
「ちえ」
不満そうな声を漏らすが、表情はどこか浮かれていて、達也としては、鈴木さんと遊べるなら、多少の出費は厭わないのだろう。
素直すぎる友人に苦笑しながら、俺は帰りの支度を始めた。
「真斗くんって、古賀くんと仲いいよね」
「まあ、席が近くてさ。それでなんとなくね。話してみるとノリも良いし、助かってる」
駅前のカラオケボックス。4人で入るには少し大きめの部屋に通され、ドリンクバーを取りに行ったあと、最初に歌う曲を選びながら、「吉野ちゃん」ーー吉野澄香さんーーと話していた。
吉野さんは、ミルクチョコレートのような明るい茶色のセミロング、活発で誰にでも気さくに話しかけるので友達が多く、密かに狙ってる奴も多いらしい。
制服のリボンから視線を下にずらすと、いやでも目に入る大きな膨らみ……などは見受けられず、周りからよくいじられているのを耳にする。
ただ個人的にはそのくらいの方がスリムに見えるのでいいと思う。
しかし達也に話すと、「え、お前貧乳好きだったの!? ロリコンじゃん!ぷっ!」といじり倒された記憶があるので、二度と話さないが。
「吉野さんは、鈴木さんとどうして仲良くなったんだ?」
吉野さんは元気なクラスの人気者タイプ。鈴木さんは、吉野さんほどではないにしろ、話しかければ普通に対応しているし、その容姿も伴って、仲の良い子も多いみたいなので、別に不思議でないのだが。
「んー、別に何かってわけじゃないんだよね。ほら、わたしって色んな人に絡みに行くじゃん?」
「そうだな」
「だから、その流れで知り合ってー、なんとなく?」
どうやら俺の考えたまんまだったらしい。特別なエピソードがあって友達になる人たちの方が少ないだろうし、まあそんなもんかと思っていると、
「あ、でもさやっちはねえ」
さやっち。と聞いて一瞬誰かと思ったが、鈴木さやかの名前を文字って、「さやっち」なのだと思い当たる。
「めちゃくちゃ可愛いと思う!」
吉野さんは急に声のボリュームを上げてそう言いながら、反対側の隣に座って達也と何か話しているらしい鈴木さんに抱きつき、鎖骨の辺りに顔を埋めてすりすりしている。
普段から教室でじゃれついているのをよく見かけるので別に珍しいことではないのだろうが、いざ目の前でやられると反応に困る。
しかし困惑している鈴木さんをよそに、えへへー、と人懐っこく笑っている様子は、別に特別な感情を持っていなくても惹かれてしまうものがあった。
「いやー、歌った歌った!」
カラオケで2時間、その後延長して1時間。計3時間を4人で回した帰り道、吉野さんは満足そうに伸びをしていた。
「いやお前すげーよ」
「え?何が?」
延長したとはいったが、吉野さん以外の3人は始めの2時間で喉が限界を迎えており、残りの1時間を一人で歌い切ったのだった。
にもかかわらずあっけらかんとしている彼女は、只者ではないと思う。
後ろを歩いてる達也と鈴木さんもぐったりとしていて、心なしか会話が弾んでいない気がする。
いつもより控えめに話しながら改札まで歩き、方向別に解散となったのだが、
「真斗くんもこっちだったんだねー」
「吉野さんも?」
「うん!あれ、でも電車一緒になったことないね?」
「あー、俺朝7時には学校つくようにしてるから、時間違うかも」
「はやっ! 私その時間起きてないよ??」
ひゃー、と、情報量がゼロの反応を示しながら楽しそうに笑っている。
吉野さんも部活には入ってないらしいので、特に早く来る必要もないのだろう。
いつも始業5分前くらいに駆け込んでくるイメージがある。
「そんな早く行ってなにしてるの?」
「勉強してる」
「勉強!?」
「まあできて困る物でもないしな」
昔からの癖で、ある程度はやっておかないと落ち着かない体質になってしまったのだ。無意味だと気づいた今でも。
「真斗くん」
「ん?」
「その話、もうやめよっか」
どうしたのだろうか。先ほどまでは周囲にエネルギーを振り撒くような、エネルギッシュな笑顔を浮かべていたのが、急に深刻な表情をしている。
「私、結構頑張ってこの学校入ったのね」
「え、うん」
なんの話をしようとしているのか、全く読めない。
吉野さんは、意を決したような表情を浮かべてから、ゆっくりと口を開く。
「なのに! 入学早々! 勉強の話をしないでもらえるかな!?」
「は?」
「私はね、長く苦しーーーい受験生活をなんとか乗り切ってここにいるわけ! だから! もう!勉強のことは考えたくないの!」
「はあ」
突然真面目な雰囲気を醸し出したので何事かと思ったが、この上なく学生らしく、可愛らしい主張を全力でぶつけられて、苦笑すると同時に安堵した。
表に出したつもりはないが、俺が抱えている悩みに気がつかれたのかと思ったのだ。この悩みは人に話すべきじゃない。どうせ理解されないのだから。
「ジュース奢って!」
ホーム中央に2台、並んで立っている自動販売機を指差しながらじっとこちらも見つめてくる。
「え、なんで」
「気持ちよく歌って帰れるはずだった私の気分を台無しにしたお詫びです!」
腰に手を当て再びあのエネルギッシュな笑顔に戻って、というより、さらにご機嫌な表情を浮かべている。
まさか、始めからこれが狙いだったんじゃないだろうな。
「ま、良いけどさ……」
「よろしい!」
吉野さんは満足そうに頷くと自動販売機に向かってスタスタと歩いて行った。どれにしよっかなーと選んでいる姿を見て、まるで子どもみたいだなと思う。
理不尽な理由でジュースおごれ、だなんて普通なら図々しいとしか思わないことでも吉野さんがやると嫌に感じない。
これが計算だとしたら恐ろしいことこの上ないのだが、きっとそうではないのだろう。そう信じたい。
それはきっと彼女のもった「才能」なのだろう。
「これにする!」
そういった彼女が指差していたのはメロンソーダだった。
それさっき、カラオケのドリンクバーでも飲んでなかったか?
「おはよー!」
週末は特に用事もなく平和に過ごし、週明けの月曜日。いつも通り教室で自習していると、ボリュームが大きいわけでもないのになぜか聞き取りやすい声が降ってきた。
「あーー!本当に勉強してる!」
声で誰が挨拶してきたのかはわかっていたが、目で見て確認する前に話題がふれられてきた。
「おはよう、吉野さん」
「あのね、真斗くん。次私の前で勉強したら、今度はご飯を」
「奢らないからな」
「えー! 良いじゃんけちー!」
「勉強しただけで罰金とかどこの暴君だよ」
いや金ではないから罰飯か?こいつはそんなに勉強のことを考えたくないのだろうか。
「あ、そだ真斗くん。真斗くんって、いつも一人で帰ってる?」
「一人だな、こっち方面の知り合いいないんだよ」
「じゃ、今日一緒に帰ろうよ」
俺の机に手をついて、身を乗り出してくる。ミルクチョコレート色の髪が僅かに揺れている。
彼女はそのまま俺の耳に口を近づけ、小声で
「さやっちと古賀くんについて話たいんだ」
ああなるほど。
おそらく鈴木さんから事情を聞いたか、二人の様子を見て察したかで、俺から達也側の情報を引き出したいって所だろう。
幸い俺たちの使ってる路線は利用者が少なく、内緒話をするにはもってこいというわけだ。
「はいよ、りょーかい」
「やったー!放課後またくるねー!」
要求を速やかに通すと、タッタッタッと効果音の聴こえそうな足取りで、固まりになって話している友達の方へ走っていった。
「でさー、やっぱあの二人いい感じだと思うんだよねえ」
駅に向かいながら、早速お目当ての話題を切り出してくる。
「そうだなあ、達也もそれっぽいこと言ってたし」
「やっぱり!?」
「そろそろ達也からデート誘うんじゃないか?」
「そっかそっかー。うへへへへ」
吉野さんは笑っているが、いつものようなエネルギッシュな笑顔ではない。ニコニコというよりはニヤニヤという方が正確だろう。野次馬根性丸出しである。
「ね!わたしたちで応援してあげよっか!」
「応援ってなあ。別に俺らが特に何かしなくても。多分達也の奴が」
自分でなんとかすると思うよ。そう言いながらちょうど駅まえのテニスコートを通り過ぎようとした時、先ほどまで隣にいた吉野さんがいないことに気がついた。
さっと後ろを振り返ると、ちょうどテニスコートの真ん中がよく見える位置で吉野さんが立ち止まって、どこかのチームが練習しているのを見つめていた。
いつもの笑顔とも、勉強の話を拒否するときの真面目な表情とも違う、その眼差しには羨望と諦念が宿っているようで、
「どうかしたの?」
思考すると同時に、条件反射で聞いてしまっていた。
「え?ああ、ごめんごめん!ちょっとぼーとしてた!」
すぐにいつも通りの表情に戻って笑うが、俺には先ほどの羨望と諦念が1割ほど残っているように思えた。
「そうか。まああんま無理すんなよ」
明らかに何かあるのは分かったが、人に触れてほしくない部分というのはあるものだ。自分から話そうとしないのならこちらから踏み込むべきではないだろう。
なので、とりあえずあたり触りのない労いの言葉を投げる他なかった。
「おーおー、真斗くんは良いやつだねえ」
「別に普通だろ」
「でもね、私別に隠してるわけじゃないんだよ?」
吉野さんは左斜め上を見て思案するようにした。
しばらくするとスラスラと話し始め、この話をするのが初めてではないのが伺える。
隠してるわけじゃない、というのは本当なのだろう。
「私小学生の頃から中学までさ、テニスやってたんだよね。実はジュニア選抜に選ばれたこともあってね。結構頑張ってたんだよ?」
吉野さんは話しながら胸を突き出し、得意げにして見せる。まさにドヤ顔である。
テニスでジュニア選抜、そう聞くと中学の頃俺が自分の凡庸さを痛感する一つの要因となった子のことを思い出す。クラスが同じになったことがなく、名前どころか顔すら覚えていないのだが。
「でもまさにそのジュニア選抜の合宿中にね」
ジュニア選抜に選ばれると合宿に招待され、選抜メンバーだけを対象としたハイレベルな練習に参加することができるらしい。
しかし吉野さんは、そこで限界まで自分を追い込んだ結果運悪く肘を故障、復帰が実質不可能となってしまったらしい。
「いやあ、つい張り切っちゃってねえ。だって選抜だよ?? 張り切るなって方が無理じゃない?? むしろなんで私しか怪我してないの!?」
気を使わせまいとしているのか、あるいはただ素なのか、理不尽に怒ってみせる。
「というか、真斗くん。私のこと知らなかったんだ」
「え?」
知らなかった?そりゃこの話を聞くのは初めてだし、中学の頃は吉野さんと知り合ってすらなかった。
だから、知ってるはずがないと思うのだが。
吉野さんは俺が困惑しているのを見とめると、「やっぱり」と少し呆れ気味に呟く。
「私たち、中学同じだよね?」
「え、本当に?」
「そんな嘘ついてどうするのよ」
吉野さんはやや顔を赤らめて頬を膨らませながら答える。聞くまでもない、ご不満の様子だ。
さらに、「まじか、そこからか」と本音が漏れていらっしゃる。
「だから私のことも知ってると思ってたんだよね。ていうか、話したことあったと思うんだけど」
「ま、まじ?」
「まじまじ」
「それはごめん」
俺はそこまで他人に興味がない人間ではないはずなのだが、それに選抜に選ばれてたのなら表彰だってされてるだろうし、それこそ関わりがなくても名前くらい・・・
ん?待てよ
俺の記憶回路で2つの事象が違いに強く結合した。
俺に自分の凡庸さを自覚させた「中学の頃、最年少で選抜に選ばれたあの子」
今、目の前にいる吉野さんが?
しかし、だとすると俺が吉野さんを知らなかったのも納得できる。
俺は「あの子」の名前を知らない。
というか、知らないように努めていた。
知ってたまるかと思っていた。
名前を覚えないことで自分の頭の中から、自分と同世代に次元が違う才能を持った奴がいるという事実を追い出そうとしていたのだ。
子供じみた、くだらない抵抗だ。
でも、そうせずにはいられなかった。
合点がいくと同時に、目の前に立っている女の子に対してどんな顔を向ければ良いのかわからなくなった。
先週初めて一緒に遊んで、今日は友達の恋バナをするために一緒に帰って、まだ恋愛感情なんかは持ってないが、少なくとも友達としては仲良くなれるかもしれないと思っていた。
しかしその子は俺が以前、理不尽な理由で認めようとしなかった子で、しかも、俺が憧れたその才能は非常にも潰れてしまっていた。
目眩がするほどの情報を一気に流し込まれ、俺の脳みそは回転を止めてしまった。視界がぼやけ、思考がまとまらなくなる。
今、俺はどんな顔をしているのだろうか。
すると、正面から声が聞こえる
「ええええ? なんで泣きそうな顔してるの!? 別にそんな気にすることじゃないから! いやほんとに!」
「ああ、ごめん。大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」
なんとかそれだけを搾り出して会話を終えようとしたとき、倒れる寸前のコマ程度の回転しかしていなかった脳みそを、ある思考がよぎった。
俺は吉野さんの才能に嫉妬していた。
でも、そんな才能を持っていた人間が突然それを奪われたら?
今まで情熱を注いできたものを失い、「自分には何もない」という感覚に陥るのではないだろうか。
俺と同じように、いや、落差がある分、俺よりも悲しみは大きいかもしれない。
しかし、それに気がついたところで確かめる勇気はない。
「本当に大丈夫だから。じゃ、そろそろ行こうぜ!」
強引に会話を打ち切り、歩き出す。
吉野さんは一瞬不思議そうな顔をしていたが、話そうとしない俺に諦めたのか、すぐにいつも通りの笑顔に戻ってついてきた。
その日はそのまま家に帰ったが、いつもならとっくに寝ている時間になっても吉野さんとの会話が頭から離れず、胸にしこりとなって残っていた。
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