第六話:集中力

 吉野さんの「一緒に勉強しよう」というメッセージが来て以来、自分の感情コントロールに頭を悩ませながら指定されたファミレスに向かった。


 結論から言おう、杞憂だった。


 待ち合わせの時は確かに緊張したのだ。


 その後ファミレスに入り、勉強を始めるまでは。


 吉野さんがお昼にも関わらず「おはよー!」と大声で言ってしまい、少し恥ずかしそうにしている所なんかは、全身を何かが駆け巡るのを感じるほど可愛らしかった。


 しかし、勉強が始まってからというもの吉野さんの集中力は凄まじく、他のことを考える隙を与えてくれないのだ。


 日頃から勉強を毛嫌いしているだけあって、かなり基礎の部分から始める必要はあったものの一気に進んで、既にテスト範囲の問題集に取り組めるレベルになっていた。


 別に要領がいいというわけではない。偉そうなことを言えば精々平均かそのくらいだろう。


 ただ、集中力が恐ろしく高いのだ。


 勉強を始めて4時間たつが、吉野さんは俺に質問をする以外で一度も顔を上げていない。


 頼んだドリンクバーにも、最初に口をつけて以来、1度も触れていない。


「まさとくん」


「ん?」


「ここの解説ってつまりはさ……」


 きた。とりあえず問題を理解するだけでなく、本質を見抜き完全に自分のものにしようとしている。


 そしてそのための道具として俺を使っている。


「そうだね。もっというなら……」


「なるほど。じゃあ……」


 一通り質問を終えると、もう次の瞬間には別の問題に取り掛かっている。


 今まで何人かに勉強を教えることはあったが、ここまでこちらの情報を引き出される感覚は初めてだ。


 この主体性と集中力はテニスをしながら身に付けたのだろうか。


 主体性はより強くなるために、集中力は試合でベストな結果を残すために、どちらも必要なもの……だと思う。


 しかし、そろそろ18時になる。


 ぼちぼち解散にするか、続けるにしても一度家に連絡を入れた方がいい時間だ。


 向かいの席に座って目線と手のみを動かしている、受験生さながらの女の子を邪魔してしまうのを申し訳なく感じながら声をかける。


「吉野さん、そろそろ帰った方がいい時間だと思うんだけど」


「…………」


 聞こえて、ないのか・・・?


 声をかけられても気がつかないとは、吉野さんの集中力には改めて感心する。


「おーい、吉野さん?」


「わっ!?」


 肩を震わせ、まさしく跳び上がるようにして顔を上げた。


 吉野さんの声に、俺の方がびっくりした。


 吉野さんは目を見開き、呼吸も少し荒い。


 確かめる術はないが、心臓もさぞバクバクしていることだろう。


「ごめん、そこまで驚くとは思わなかったんだ」


「あ! ううん! で、ごめんなんだっけ?」


 まだ体の緊張が治っていないのだろう。少し早口になりながらようやくまともな言葉を発してくれる。


「もう18時だからさ、この後どうするか聞いとこうと思って。」


「え? もうそんな時間……ほんとだ」


 吉野さんは席について以来一度もカバンから取り出していなかったスマートフォンを取り出して、時刻を確認している。


「あ〜! まただよお〜! だから勉強は嫌いなんだって〜」


 暗くなり始めていることを確かめるように見つめ、ため息をつく。


 これだけ集中した後、普通なら達成感を感じるところで、理解不能の嘆きを始める吉野さん。


「いっつもこうなんだよ〜! 勉強を始めて、次に気がつくと最低でも5時間は経ってるんだもん! 時間を無駄にした感じするじゃんー!」


 口を尖らせ、頬杖をつきながら教えてくれる。見るからに不満そうである。


 でも、なるほど。


 勉強嫌いと聞いて、ただ勉強という行為そのものが嫌いなのだと思っていたが、どうやら違うみたいだ。


 時が経つのを忘れてしまうほど集中してしまう、というのは聞いたら羨ましがる人が世の大半だと思うが、吉野さんにとっては「時間を無駄にした感じ」がするらしい。


 確かに、最高に集中できた時は作業中の時間感覚がなく、ただ成果だけがそこにある、という状態になりがちだ。


 きっと、その『時間感覚がない』というのが吉野さん的には許し難いポイントなのだろう。


「だから今まではテスト前日までは絶対勉強しないって決めてたんだけどね」


 前日まで勉強しない、というのはよく達也なんかが言っているが、「勉強すると集中しすぎてしまうから」という理由でそうしている人は世界中探しても吉野さんだけだと思う。


「でも、誰かと一緒にできるなら、私の記憶はなくてもその人の記憶には残るだろうから、いいかなって思ったの」


 頬杖をついていた右手をそのまま前に投げ出し、それを枕にして机に突っ伏す。顔だけをこちらにむけて、


「真斗くんが協力してくれてよかったなあ」


 言ってる内容もそうなのだが、顔を綻ばせてふにゃっと笑っている顔があまりに可愛らしく、居心地が悪くなる。


 吉野さんの集中力のおかげというべきか、先ほどまでは意識せずにいられた感情が急激に押し寄せてくる。


「まだ1週間あるし、今日はもう帰ろっか」


 ドキドキしている心臓を隠すように話題を逸らす。


「そうだねえ、今日はもう疲れたし」


 重々しく体を持ち上げて、机の代わりに背もたれに上半身を預ける。そこからようやく体制を自分の筋肉で維持すると、おもむろに片付けを始めた。


 とりあえず違和感を持たれることなく話題を変えることに成功して、安心しながらその様子を眺めていた。


 視線に気がついた吉野さんに「ん、どした?」と聞かれるまで、自分が吉野さんを見つめてしまっていたことに気が付かず、「なんでもない」と告げてから慌てて自分の筆記用具を筆箱に詰め、教科書とノートをカバンにしまった。

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