第二十四話:またみんなで!

「ううん、違うの。私真斗くんに謝らなきゃいけないことがあって」


 すみかはそう言うと何かを確かめるように目を閉じた。そして、


「ごめんなさい!」


 すみかが一息で言い切る。


 ——状況が理解できない。


 何を謝っているんだ?


「えっとね……この前私たちがやってることはただの遊びなんだよって言ったと思うんだけど」


 もちろん覚えている。


 だから、俺はすみかとの自分探しをやめることにしたのだ。


 しかしそれですみかと全く関われなくなるのが嫌で、今日すみかを呼び出した。


「それ、撤回させてください!」


 ——は?


「私あの時……色々と混乱しててあんなこと言っちゃったんだけど……」


 気まずさをごまかすためか手持ち無沙汰か、髪を耳にかけてから続ける。


 それでも視線だけは外さずに真っ直ぐ見つめてくるので、真剣に話しているのだということが伝わってくる。


「あれはその……本心じゃなかったというか……」


 緊張しているのか、話すたびにミルクチョコレート色の髪が震えるかのように揺れる。


 こちらを真っ直ぐ捉えている瞳も、先ほどから俺を捉えては斜め下の方へと外れていき、慌てて戻すということを繰り返している。


 沈黙が流れる。


 その間すみかは視線をあちこちに向けて、次の言葉を必死に探しているように見える。


「だから……真斗くんさえ良かったらなんだけど……また一緒に……自分探ししてくれないかなって……」


 ——思ってもみないことだった。


 もう終わったものだと思っていた。


 進路調査票がきっかけですみかの悩みを知ったあの日、自分と同じ悩みを持っている人を放っておけなくて提案した自分探し。


 俺は今まで悩んでいる割に行動できず——というより行動できないことにも悩んでおり、すみかと一緒に自分探しをすることができて、初めて行動できているのだと思うと胸が高鳴った。


 でも、すみかにとって結局は遊びにしか思えず、それをこの前伝えられた。


 もうこれからは1人でやるしかないのだと思った。


 それでも、すみかと一緒にいた時間が大袈裟じゃなく夢のようで、それを失わないために今日すみかを呼び出した。


 ……俺に断る理由なんてあるはずもない。


 またすみかと一緒に自分探し、つまりやりたいことリストの消化をする毎日を送ることができる。


 考えただけでも腹のそこから押さえつけていた何かが込み上げてくるのを感じる。


「俺で良かったら……こちらこそよろしく」


 ずっと見ないふりをしていた胸の重さがスッと軽くなるのを感じる。


 鏡なんかなくても分かるくらいに頬が熱くなっている。


 しかしそれは俺だけではないようで、こちらをほうっと見つめるすみかの頬も先ほどとは比較にならないほど赤く染まっており、ついそこに触れてしまいたい衝動に駆られる。


 すると、右頬に何やら冷たい何かが触れる。


 ——それがすみかの手だと分かるまでに数秒の思考を有した。


 視界に映るすみかは、頬が赤いのはそのままだが口元をへにゃっと歪めて、こちらを覗き込むようにして見つめている。


「まさとくん、顔真っ赤〜」


「すみかだって……」


「えへへ」


「いつまで触ってるのさ」


「んーーー?」


 楽しそうに首を傾げたまま、手を離す気配はない。


 相手の頬に手を添えるなんて、恋人同士でもそうそうやらないような仕草に心臓が激しく鳴りだす。


 手からは汗が滲むのを感じ、恥ずかしくてたまらないのにずっとこうしていたいような、妙な感覚に襲われる。


 ——その体制のまま数分が経った頃、すみかが急にモジモジし始めた。


 先ほどまではしつこく絡みついてきたのとは対照的に、俺の頬から手を振り払うかのように離すと、そのまま走って逃げてしまった。


 先ほどまでは気分が盛り上がっていてなんともなかったのが、落ち着いてきて急に恥ずかしくなったのだろう。


 カーテンの後ろに体を隠し、目から上だけを覗かせている。


 お互いに黙ったまま、次にかけるべき言葉が見つからない。


 数分のクールタイムの後、普段よりも高く震えたすみかの声が教室に響く。


「と、とりあえず、ここ出よっか? 先生に見つかったりしたら怒られちゃうかもしれないし」


「あ、ああそうだな。出るか」


 クラスに置いたままになっている荷物を取りに行き、荷物をまとめて2人一緒に校舎を出る。


 一緒に帰るのも久しぶりで、隣にすみかがいるという状況が嬉しいはずなのに、先ほどの事件のせいで会話がない。


「ていうか真斗くん、今更気になったんだけど」


 あくまで普段通りの口調で、すみかが沈黙を破る。


「わざわざ呼び出してこんなこと言うくらいなら、なんでこの前はあんなこと言ったの?」


「……」


 ——あんなこと。


 ——「なら、俺たちの関係もここで終わりだな」


「いや、それはなんつーか……いや……あの……」


「まあ? あんなに熱く? わたしへの思いを語られて? 気分は良かったけどさ? 思えばあれがなければ、普通にまだ友達だったと思うんだけど」


「いや、本当にそれは……ごめんなさい……」


「……じゃあ理由を教えてくれたら許してあげる」


「え」


「おや? 何難しい顔をしてるのかな真斗くん? 言えない理由でもあるのかな?」


 先ほどまでの重い空気が段々と抜けてきて、普段通りのすみかに戻ってくる。


 それ自体は嬉しいことだが、ここで発揮して欲しくなかった。


 やめて、そのニヤケ顔で覗き込んでこないで。


「ほら、さっさと吐いたほうが楽だぜい?」


 どこで覚えてきたのだろう。ミルクチョコレート色の髪を揺らしながら、ドラマの中の刑事しか言わないようなセリフで詰め寄ってくる。


 確かに今回は俺にも責任があるし、本来なら話すべきなのだろう。


 でも、「君に拒絶されるのが怖くて言えませんでした」とか言える?言えないですよ?言えるわけないよね?


 ……というかこれ、よく考えたらすみかもだよな?


「なあ、すみか」


「ん?」


「じゃあ聞くが、すみかはなんであんなこと言ったんだ?」


「……あんなことって?」


「忘れてやるわけないだろ。『私たちがやってたことは、ただの遊びなんだよ!』って。あれがなければ、普通にまだ友達だったと思うんだけど?」


 わざとらしく先程のすみかの口調を真似して言ってやる。これでどうだ?


 唇をとんがらせて少しだけ不満そうにすると


「ふーん? 真斗くんがそういうこと言うなら……」


 瞬間、すみかの動きが急激に速くなり、あっという間に俺を置き去りにする。


 かと思えば5メートルほど引き離したところで振り返ると


「また明日ねー!」


 ——逃げやがった。


 しかし俺が思考している間にもすみかはほとんど全力で走っており、みるみるうちに小さくなっていく。


 ここから追いかけたところで、運動不足の俺では追いつく前に力尽きるか、そもそも距離を縮めることすらできないかの2択だろう。


「まあ、いいか」


「また明日ね」


 ほとんど捨て台詞のような、先程の言葉。


 しかし、その「明日」があることのありがたみを知ってしまった今ではこれだけでも嬉しくなってしまう。


 昨日までは、俺たちの間に来るのかも分からなかった明日。


 その味を噛み締めながら、すみかの通った道をゆっくりと歩き出した。


「へえ、良かったじゃん」


「じゃあ明日からはまたお昼一緒でいいよね?」


 夜10時。スマホの通話画面に表示されているのは2人。


 どこのかも分からない謎のロゴのアイコンと、誰もが知ってるであろう犬のキャラクターのアイコン。


 達也と、鈴木さん。


「ああうん、一緒で大丈夫だと思う」


「にしても、教室を出る時の真斗の表情は、まさに出兵する兵士みたいだったなー」


 こいつ。そういえば俺がすみかを呼び出した場所に行くまで、教室で待ってやがったな。


「なにそれ? 籠谷くんどんな顔してたの? 写真ないの?」


「おう! あるぜ?」


 あるのかよ!いつの間に撮ったんだ。


「送ってほしい! 私、直前まですみかちゃんに泣き付かれててそっち見れなかったんだもん」


 なるほど。すみかの移動がやけに早いと思ったが、待ち合わせ場所まで鈴木さんについてきてもらってたのか。


 って、待ち合わせ場所にいたのか?


「鈴木さん、それって?」


「あ、そういえば言ってなかったよね。すみかちゃんが不安だからついてきてーって言うから、空き教室で一緒に待ってたの」


 ん?でも俺は鈴木さんを見てない。俺が来るギリギリで抜け出したのか?


「鈴木さん、それ最後まで近くで聞いてたりしてないよね?」


「最後までは、聞いてないよ」


「……どこまでは聞いてたんだ」


「聞きたいなら教えてあげるけど?」


「いや……やめときます」


 正直、今日のセリフを誰かに聞かれていたという事実だけで、恥ずかしさのあまりこのままベッドにダイブして布団に包まりたい衝動に駆られている。


 ここで具体的なセリフまでリピートされた日には布団に閉じこもって、明日どころか、1週間は学校を休む自信がある。


「それより2人とも」


 今日、2人に電話をかけたのは俺。


 すみかと無事に仲直りできたことを報告する目的もあったが、もう一つ


「今回は本当に助かった。ありがとう」


「真斗……」


「籠谷くん……」


「うへえ。やっぱお前がそんなこと言うの気持ち悪いわ! やめてくんね?」


「このやろう達也。人がせっかく感謝してやってんのに」


 いつもの調子で悪態をついてくる達也だが、その声はどこか弾んでいる。


 我ながらいい友達を持ったものだと、心の中で改めてお礼を言ってから電話を切る。


「明日のメシ、楽しみだな」


 たった一人しかいないはずの部屋でのつぶやきは、なぜか2重にも4重にも聞こえた。

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