第十七話:ブラックコーヒー
すみかと知り合ってからはすっかり珍しくなってしまった、予定のない日曜日を家でダラダラと過ごし、週明けの月曜日。おそらく1週間で最も憂鬱な朝に、いつも通りの時間にホームで電車を待つ。電車が来るまであと5分ほどあるので、どう時間を潰そうか考えていると、後ろからポンっと背中を叩かれた。
「おはよー! 真斗くん!」
「……おはよう」
全く、先週といい、この子は普通に登場できないのか。
「なんでここにいるかって?」
目をキラキラさせながら、質問を促してくる。
「まだ思ってなかったけど。じゃあ、なんでいるの?」
まるで子どもと話してるみたいだな。少し呆れながら相手をするが、先週までと変わらない様子に安堵する。最悪、土曜日に開いてしまった距離がそのまま残る可能性もあると思っていた。
「なんでいるかっていうとねえ、じゃん!」
カバンをゴソゴソ漁ると、見覚えのある2冊のノートを取り出した。いつも思うんだけど、ノートくらいゴソゴソしなくても見つかりませんかね?
「ちょっとペース上げていこうかなと思って、考えてきたよ!」
「そうなんだ」
「え! 反応薄くない? もうちょっと『頑張ったねー』とかないの? ないわけ? ないんですかー!」
朝からどうしてこんなに元気なんだこの子。すごいとは思うんだけどね、ちょっとテンションについていけないんで、俺のレベルまで落としてくれませんか。
それにしてもペースを上げるか。キャンプに行った帰りにも同じようなこと言ってたし、確かに今までのペースでやってたら108個なんて卒業までに終わるかどうかだろう。俺としても前回は少しだけ世界が広がって手応えを感じ始めているし、ここらで1つ気合を入れて見てもいいかも知れない。
「もうー! 本当に結構大変なんだからね?楽器をやらせてもらうのにはどこにいけばいいかなーとか。どうしたら安く済むかなーとか調べたりするの。」
「いやほんとにそれは、助かってます!」
体験するだけなら今時、インターネットで調べればすぐ出てくるだろうが、値段とクオリティを比較して行き先を決めるのは大変な仕事だろうと思う。高校生の身分で色々と体験しようと思うと、削れるところは削っていかないとすぐに破産してしまうのだ。
「えへへー。よろしい! ってわけで次はねー……」
なんてことがあった放課後、俺とすみか共通の最寄駅に併設されている喫茶店にいた。2人掛けのテーブル席に案内され、すみかと向かい合わせで座る。これがデートなら、ここから一緒にメニューを開いてキャッキャウフフと話しながら注文を決めるのだろうが、残念ながらこれはデートではない。やりたいことリストの5つ目「ブラックコーヒーを飲めるようになりたい」を達成するために来たのだ。俺はコーヒーは嫌いではないので、今回はすみかのための企画である。なので、ここはメニューを開くまでもなくコーヒーを……
「ねえねえ!真斗くん見てこのケーキ!めっちゃ美味しそう!」
「……ねえ、すみか。コーヒー飲みに来たんだよね?」
「え、そうだよ?」
「じゃあなんでケーキ?」
「コーヒーはちゃんと頼むにして、まずはメニュー見ようよ! 食べたいのあったら頼めばいいし。」
「まあそれもそうか」
訂正しよう。これはデートも兼ねているかも知れない……?。
それからメニューのチェックを一通り終えてから、注文すべく「すみません」と声をかける。「はい、ただいま」と返事があり、現れたのは白髪に髭を蓄えた、それでいて優しそうなマスターだった。絵に描いたようなマスターの姿に、少し感動してしまう。
「コーヒーを2つ。ブラックで。後、このケーキとプリンを1つずつお願いします」
「かしこまりました、少々お待ちください」
制服を着ているので明らかに高校生だとわかるのだが、それでも丁寧に接してくれると、また来ようという気になる。それに、丁寧に頭を下げてカウンターの方へ歩いて行く姿があまりに様になっており、ついじーっと見てしまう。思うことはみんな同じようで、向かいからすみかが小声で話しかけてくる。
「あの店員さん、かっこよくない? なんかこだわりのマスターって感じ」
「わかる、ああいうの憧れるよね」
「やっぱり!?」
「こだわりのマスター」という表現に笑いそうになってしまうが、まあいいたいことはわかる。要するに、コーヒーが似合う渋いマスターという意味だろう。
「お待たせいたしました。こちらブラックコーヒーとカスタードプリン、ショートケーキになります」
そんなことを話していると、マスターが注文の品を持ってきてくれた。すみかの目が一気に輝く。堪えようとしても漏れてしまっているエネルギッシュな笑顔に、思わず笑ってしまう。
「ごゆっくりお寛ぎくださいませ」
そう言って去っていくマスターは、すみかの笑顔を見ていたのだろうか、少しだけ嬉しそうに見えた。やっぱすみかの笑顔がもつエネルギーは全人類共通なんだなあと思う。
「え? なんかいった?」
「嘘、俺なんか言った?」
「いや、こっちが聞いてるんだけど……まあいいや、じゃ! それ半分ちょうだい!」
俺の注文はカスタードプリンなのだが、これはすみかが初めに見つけたケーキと迷った挙句、「真斗くんこっち頼んで半分ちょうだい」と言って来たためである。にしてもこのプリン美味いな。
「私の笑顔にエネルギーって、何言ってるのよ本当に……」
プリンに夢中になっていた俺は、ぼそっと呟いたすみかの言葉に気がつくことはなかった。
「あれ、すみかコーヒーは?」
ケーキとプリンですっかり忘れていたが、今日はコーヒーを飲みに来たのだった。そう思って尋ねたのだが、言葉の代わりにムスッとした見るからに不満そうな顔で返される。「せっかくケーキとプリンで口の中が甘いのに? なんでわざわざ苦いの飲まなきゃならないの?」とでもいいたそうである。
「そんな顔してもダメです。今日はコーヒー飲めるようになりたいんでしょ?」
「だってこれ苦いじゃん! 苦味って毒の味なんだよ?苦味が嫌いなのは人類が生き残るための進化なんだよ?」
なにやら大層なことを語っているが、彼女はコーヒーが飲めないだけである。
キャンプの朝も、鈴木さんが飲んでいるコーヒーをココアだと思って奪ったまではいいものの、口をつけた瞬間涙目になっていた。そこからメロンソーダで口を濯いでいたのには鈴木さんと顔を見合わせて苦笑したが。
「まあまずは1口飲んでみよ?」
「うん……」
口に入れてもないのに、もうすでに死にそうな顔である。
ゆっくりカップを傾けていき、中身が唇についた瞬間、すみかの体がピクッと動く。しかし、そこから持ち直してさらにカップを傾けていく。1秒ほどたったあたりでカップを元に戻す。後味が気になるのだろう、口を必死にモニョモニョ動かしている。ちなみに元々死にそうな顔をしていたため、表情に変化はない。
「まずい……です……」
「そっか。じゃあもう一口頑張ろうか」
コーヒーに苦戦しているすみかというのも、普段の笑顔とのギャップも相まって中々に可愛らしく、優しくしてあげたい気持ちが湧いてくるが、心を鬼にして次を促す。決して、そんなすみかをもうちょっと見ていたいというわけではない。
「真斗くんの鬼ぃ……」
涙目になりながらも半分ほどを飲んだすみか。「もうギブ……許して……」ということで、労いの意を込めて残っていたプリンをすみかの方に寄せる。
「じゃあ残りは俺が貰っちゃっていい?」
「うん……もういらない……」
残すのはマスターに申し訳ないので、ここは俺がありがたく頂くことにする。確かに苦いのだが、インスタントコーヒー特有のしつこさが全くない。コーヒーは嫌いではないが、好き好んで毎日飲むほどではなかった。しかし、ここのコーヒーを飲んで毎日飲む人の気持ちが理解できたかも知れない。おいしい。あれ、でもこれって、
「間接キスじゃね」
しまった声に出てしまった。
調子に乗ったすみかに「おやおや真斗くんそんなこと気にしてるの? うぶだねえ」とか言われるだろうと判断して覚悟を決める。違うんだって、別に間接キスだなあって思っただけで気にしてるわけじゃないんだって!
「……」
……聞こえてなかったらしい。考え事をしているのか、コーヒーの後味と戦っているのか、あるいはその両方か。なんにせよ窮地は脱したらしい。とりあえずセーフ。でも、期待してた反応が来ないとそれはそれで寂しいな。
それからはあのカッコいいマスターに支払いをして店を出た。すみかはコーヒーを完飲できなったことを悔やんでいるようだが、味覚なんて1日で変わるものでもないし、これからも時々来ればいいと思う。いつもの分かれ道で手を振って分かれ、喫茶店でゆっくりしすぎたせいか、もうすっかり日が暮れてしまっている道を歩く。
それからの4日間も、やりたいことリスト消化のペースアップというだけあって、毎日のように出かけた。実は行ったことがないのだというゲームセンターに行ったり、コスプレ写真館に行って写真を撮ってもらったり、ルートビアという名前の湿布みたいな味がする飲みものを飲んだりした。そのペースに合わせるために、すみかは計画を立て続け、学校でも時々ノートを開いているのを見かけた。そのおかげもあって2週間先までは準備が済んでいるようだが、ちょっと張り切りすぎじゃないか?
それをすみかに伝えようとした日、事件は起こった。
その日はちょっと前に流行ったボルダリングをやってみたいということで、近くの施設に来ていた。今回は運動なので、すみかの得意分野。俺が失敗したコースを楽々とクリアしてご機嫌である。…………絶対俺も後でクリアする。
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