第十八話:一週間

 ちょっと休憩をするためにロッカーでカバンを取って、ロビーのソファーに腰掛ける。すると、すみかはもうお約束のごとくカバンをゴソゴソし始める。流石にもう分かる、これはノートを探している。ゴソゴソ。ゴソゴソゴソゴソゴソゴソ。いや長いな!?


「……忘れたみたい」


「やっぱりかあ」


 まあすみかはどちらかというとガサツだし、むしろ今まで忘れなかった方が奇跡みたいな……っと睨まれたのでこの辺にしよう。とりあえず今日のところはノートは仕方ないと諦めてボルダリングを再開した。


 それからは、1時間ほどボルダリングを楽しんでから帰宅した。(ちなみに、先ほどのコースはクリアできなかった。どうして!!)最近は部活にも入っていない上、トレーニングもしていないので、もう全身が悲鳴を上げている。


「筋トレとランニングくらいしとくかなあ」


 この程度で動けなくなるのは男子高校生としてのプライドに関わる。そうして学校に差し支えない時間で終わる筋トレメニューを考えていると、携帯がぶるっと震えた。メッセージなら1回だけ震えて終わりなはずだが、もう5回は震えている。電話だ。携帯を取り出すと、画面には「吉野すみか」と表示されている。


「もしもし、どうかしたの?」


「もしもし、真斗くん? ごめんね急に。実は、ノートが見つからなくて……。学校用のカバンの中とか机の中も全部探したんだけど」


 声は震えていて、すみかが不安に思っていることが伝わってくる。


 普段ならそもそもメッセージのやりとりで済ませようとするのに、いきなり電話をかけてくるのも妙である。ていうかこれ、すみかと電話するのは初めてかもしれない。


「すみか、最後にノートを見たのはいつ?」


「覚えてるのは、確か金曜日の昼休みに……ってもしかして学校!?」


 やりたいことリスト消化のペースアップを始めてから、すみかは学校でもノートを開いていることが多い。何を書いているのか詳しくは知らないが、きっとどこかに置き忘れてきたのだろう。


「とりあえず、月曜日の朝早く行って、探せるところは探してみよう。すみかもこれる?」


「うん、いく」


「じゃあ、また月曜日ね。明日は筋肉痛で動けないだろうし」


「だねえ。私も体が重いよー。じゃあばいばい〜」


 ノートのある場所に見当がついたことによって、すみかの声と口調が大分元に戻った気がする。ほとんどいつも通りの様子で電話を切った。


「ノートか」


 俺としては実際、無くしただけならそこまで困ることはないと思う。すみかがノートに何を書き込んでいるにせよ、1番大事なのは、やりたいことを通じて得られた経験である。


 しかし、最悪なのは誰かに拾われて中身を読まれることではないだろうか。俺たちのやっていることは、側から見れば遊んでいるようにしか見えない。実際楽しいので、遊んでいることは否定しないが、それを大真面目に自分探しだとか言ってノートに記録していれば、よくない感情を抱く者も少なくないだろう。


 達也や鈴木さんに俺とすみかのことを話せていないのも、これが原因だったりする。単純に怖いのだ。自分の夢が見つからず、ようやく見つけたかも知れない夢を見つけるための方法。それを誰かに否定されるのが怖い。だから、ノートが無事に見つかることを心から祈る。


「机の中とロッカーはどう?」


 ゴソゴソ。


「ない」


「じゃあ教室じゃないのか……?」


 月曜日の朝7時。まだほとんど誰もいない校舎で俺たちはノートを探していた。教室にある可能性が1番高く、そうであって欲しかったのだが、どうやら違うみたいだ。


 なら、移動教室から金曜日のすみかの動線を推定して探すしかない。


「金曜日の時間割だと移動教室は……」


「ない、か……」


 結局、移動教室だけでなくほとんど校舎を一周する勢いで探したが、ノートは見つからなかった。時間はあっという間に過ぎ、もう始業の時間を告げるチャイムが鳴り出している。


「とりあえず、帰ろっか」


「うん……」


 すみかもたくさん歩き回ったのと、ノートが見つからなかったのとで、すっかり疲労した様子である。


 教室に戻ると、何やら話していたらしい達也と鈴木さんが寄ってくる。


「2人して、どこ行ってたんだ?」


「いや別に、大したことじゃねーよ」


「朝来たら普段は遅刻ギリギリの吉野ちゃんの荷物はあるし、席に座って勉強してるはずの真斗とセットでいなくなってるんだもんなあ?」


「うん、さっきから2人が何してるか当てるための会議してた」


「もうー、さやっち、本当になんでもないんだって!」


「そうかな? 後でじっくりお話し聞かせてね?」


 鈴木さんから、「絶対に何してたのか聞き出す」という強い意志が感じられる。いやほんと、勘弁してください。すみかも、ライオンを目の前にしたネズミのような顔をしている。


「ほら、席につけー」


 担任の土方先生が、いつも通りに背筋をピンと伸ばしながら入ってくる。しかし、俺の目はその手に持っているものに強く引き付けられた。俺たちが朝7時から始業時間までの1時間半ずっと探し続けていたノート。


 それが先生の手に握られている。思わずすみかの方に目を向けると、すみかもこちらを見ていたらしく目が合う。すみかは丁寧なことにノートに名前を書いており、そのせいで担任である土方先生の手に渡ったのだろう。


「最悪だ……」


 自分の席に座ってつぶやく。教壇では土方先生が今日の連絡事項を淡々と伝えている。土方先生は決して悪い人ではなく生徒からの人気もそこそこあるのだが、少し熱心過ぎる節があり、以前に進路調査票のことで一悶着あって以来、俺はあまりいいイメージを抱いていない。今回もノートの中身を見ていれば、何かを言ってくる可能性は十分にある。


「頼むから何も起こらないでくれ……」


 そう心中に祈る俺の様子を、達也は後ろからじーっと観察していた。


「じゃあ連絡事項はここまで。それと吉野。ちょっとこっち」


 軽く手招きしながらそう言ってすみかを呼びつける。すみかはそちらへ向かいながら、緊張した様子でこちらを見つめてくる。何か言ってあげたいが、咄嗟にいい言葉なんか見つかるはずもなく、見つめ返すくらいしかできない。


 先生にノートを手渡され、2、3言葉を交える。どんな話をしているかは聴こえないし、表情もこちらからはよく見えない。


 先生との会話を終えたすみかが一瞬笑顔でこちらを見た気がしたが、自分の席に戻ってノートをカバンにしまうと、そのまま座ってしまった。


 てっきり何があったのか話しに来てくれると思っていたので拍子抜けというか、寂しさを感じる。「なーに吉野ちゃん見つめてんだ? 恋の仕業か?」と茶々を入れてくる達也を手刀で黙らせて、すみかの方に向かおうとするが、すでにすみかは5人ほどの女子に囲まれており、話かける隙がない。


 それからも休み時間のたびにすみかの様子を伺うが、その周囲は女子たちにガッチリと固められている。結局話しかけられないまま昼休みになってしまった。そういえば、今まで教室で俺から話しかけたことなかったっけな。まあいいか、どうせ昼は一緒に食べるんだ。いやでも話せるだろう。財布と携帯だけを持って、達也と一緒に2人を迎えに行こうとすると、鈴木さんがこちらへ歩いてきているのが見える。すみかは一緒じゃないのかと周りを見渡してると、


「すみかちゃんは、今日は用事あるんだって」


 と、説明してくれる。


「え、真斗くんもしかして落ち込んでる?」


「これは……ついに堅物の真斗も素直になる覚悟を決めたか!」


 好き勝手言いやがって。だれが堅物だだれが。


「そんなんじゃねえから! ちょっと気になっただけ。ほら、学食混む前に行こうぜ」


 2人して呆れたような顔をしながらついてくる。この両片思いカップルがよお!


 なんとかギリギリ席を確保して座る。いつもより1人少ないのでなんだか収まりが悪い。


「なあ真斗、お前吉野ちゃんとなんかあった?」


「またそれかよ。別にお前が期待してるようなことはねえよこの恋愛脳」


 朝からこいつらは絶対に要らない勘違いをしている。


 いや奇しくも俺がすみかを気になっているのは合っているのだが。今回はそれじゃない。


「いやマジな話。朝2人でどこか行ってたのもそうだが、先生に呼び出されてからの吉野ちゃん、何かおかしいんだよな。俺らがいる教室の右半分を徹底的に避けてる感じ。んで、真斗の方も吉野ちゃんをじっと見つめているし、何もないと思う方がおかしいだろ」


 ……こいつ、観察しすぎでは?親友とはいえ、ここまで見抜かれると怖いんだが。ちょっとまって鈴木さん、威圧モードに入ろうとするのやめて。しらばっくれるなら無理にでも吐かそうとするのやめて!


「わかったわかった! 話すから落ちつこうぜ、な?」


 俺を追い詰めようと気合いを入れる2人(主に鈴木さん)を鎮めるべく、速やかに白旗をぶんぶん振る。しかし、どこから話したものか。完璧に理解してもらうには始めから、つまり俺とすみかが自分探しをしているところから話す必要がある。しかし、勝手に話していいものだろうか。


 迷った挙句、こう言うしかなかった。


「ちょっと、待ってくれないか?」


「籠谷くん……?」


 鈴木さんがすかさず威圧モードに入ろうとする。


「何適当言って時間稼ごうとしてるの?」って感じ。


 でもこればっかりはそう簡単に吐くわけにはいかない。嘘をついても俺の技量では一瞬でバレて終わりなので、思ってることをそのまま話す。


「俺だけで勝手に話していいことじゃないんだ。ちゃんと、すみかと仲直りしてから、相談して決めるから。ちょっとまって欲しい」


 というか実際のところ、喧嘩してるわけでもねえんだよなあ。


 勝手に避けられてるだけだから、何があったのかもわかんねえし。


 タイミング的に、ノートと土方先生が関わってるのは明らかなんだけど。


「いや、なんてというかさ……」


 俺の説明を聞きながら、口を開いて固まっていた達也が口を開く。


「結構重めなんだな。勝手に探ったりして悪かった。まあ話せないことくらいあるよな、悪い悪い。俺としては2人が仲直りしてくれるならそれでいいんだ」


 これだよ。


 達也は普段適当に生きてるくせに、こういう時だけ的確な言葉を投げてくれる。


 いつか、こいつにはちゃんと話したいなと思った。達也なら、全部を話しても茶化したりはしないと思う。


「……そっか。こっちこそ悪いな。まあ任せとけよ!」


「1週間」


 俺と達也が友情のグータッチを決めている間にも何やら考えていたらしい鈴木さん。


 普段は大人しいのに、、やけに頭回る節あるんだよなあこの子。参謀とかに向いてそう。


「1週間以内に仲直りできなかったら、全部話してもらうから」


「わかった」


「ちょっ、さやか。何も期限設けなくたって……」


「私も」


「え?」


「私もまた4人でご飯食べたいし」


「さやか……」


 鈴木さんの出した条件は、1週間以内にすみかと仲直りすること。できなければ、今抱えてる問題・至った経緯まで全て話すこと。


 一見すると厳しそうだが、少し解釈を加えると「すぐに解決できるなら何も聞かない。できないなら全部話して。協力するから」とも取れる。


 まだすみかや達也と比べると、2人で話すときにぎこちなさは残ってしまっているが、それでも彼女の人となりは理解できているつもりだ。興味や感情に任せて、他人が隠したがっていることを無理に暴こうとする人じゃない。


「おう! 任せろって」


 鈴木さんともグータッチを決めようとしたら、達也に止められた。


 ……この両片思いカップルが。

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