第十六話:良かったじゃん

 登校する電車内で公民館へ行く話をした週の土曜日、すみかと並んで公民館への道のりを歩いていた。


「えへへー、休みの日にわざわざ公民館に行く日が来るとは思わなかったなあ」


 脛の辺りまで伸びているレース生地のスカートを揺らしながら、すみかはご機嫌である。


 しかし当たり前だが、公民館という場所は若者に人気がある場所ではなく、目的地近づくにつれてすれ違う人の平均年齢が上がっていっているのを感じる。


「そういえば結局、4番と61番ってなんだったの?」


 すっかり公民館の話に気を取られて聞き忘れていたのだ。


「あれ、言ってなかったっけ? 4番が『なんか楽器やりたい』61番が『絵を習ってみたい』だよ」


「楽器と絵か……」


「学校の美術とかでさ、習ってる訳でもないのにめっちゃ上手い人っていなかった?」


「あー、いたいた。夏休みの宿題で最優秀賞とかもらってる人な」


「そう! そういうの見るたび私もちょっとでいいから上手くなってみたいなって思ってたんだよね」


 そんな話をしていると公民館に到着した。中に入って受付の人に名前を告げると「会場は奥のホールです」と案内された。


 ホールはバスケットコート2面分くらいの広さがあり、それが6つほどのブースに仕切られているようだ。もう予約時間の5分前なので、最初に行く予定のギター教室を探すが、先ほどから周りのおばあちゃんたちの「アベックだわー!」「若いっていいわねー」などと話している声が聞こえてきて居心地が悪い。すみかは気にした様子もなく……いや耳が赤いので恥ずかしがりながらも進んで行く。


 ギター教室のブースは、入口からみて右奥にあり探すのに手間取った。その分、周囲の人たちに話しかけられることも多かったのだが、すっかり順応したらしいすみかが、いつものエネルギッシュなスマイルで対応していた。


 その結果3、4人からお菓子を獲得しているのだから、すみかのコミュニケーション能力はさすがとしか言いようがない。俺も失礼のないくらいの対応はできるが、すみかが話した時の方が明らかにウケがいい。


「あらあ! 次のお客さんは若いカップルさんかい! いいねえ!」


 ブースに入ると、ギターを膝に乗せてそれを右腕で抱えた体勢のまま、70代くらいに見えるおじいちゃん先生が迎えてくれる。しかし、元気なハキハキした声と筋肉の浮き出た前腕は若々しさを放っており、老後は自分こんな風でありたいと思わせてくれる。


「えへへー、一緒にギター引けたら楽しいだろうなって思って、来ちゃいました〜」


「そうかい! ばっちり教えてあげるからね!」


「はい! お願いします!」


 ここでもすみかのコミュニケーション能力が炸裂している。一瞬で講師の先生と打ち解け、俺はすっかりすみかのおまけとなってしまった。


 おそらくそこを説明すると、話がややこしくなってしまうから黙っているだけなのだろうが、彼氏という所を否定しないのにくすぐったさを感じてしまう。


「じゃあ、まずこうもって……」


「こことここを押さえて弾くと……」


「おお! にいちゃん上手いぞ! ねえちゃんはもうちっと指立てるといいでね!」


 ギターの持ち方から簡単なコードの押さえ方まで教わり、すみかは所々つまづきながらだが、とりあえず形になってきた。俺は昔からある程度のレベルまでなら大概のものは習得できるのだが、今回は先生がやたらと褒めてくれるので気をよくしていた。


「それじゃあね、最後に曲。弾いてみようか! さっきまでのコードを順番につなげると……」


 俺たちがギリギリ弾ける範囲のコードを使ってきらきら星を弾いてくれる。


「できるかい?」


 えっと、始めはこう。一度指を離して、次はこう。なんか分かってきたぞ。


「おお! にいちゃん弾けるじゃねえか! そうだ!」


 コツを掴んだ俺は完璧にとまではいかないが、ギリギリ曲に聞こえるくらいの精度で演奏することができた。楽器をやろうと思ったことはなかったが、やってみると面白いかもしれない。きっと簡単な曲を選んでくれたのだろうが、小一時間で曲を弾けるようになるとは思ってなかったので、大満足である。


「次はねえちゃん、いってみようか!」


「は、はい!」


 あまり自信がないのか、すみかは緊張した様子で構える。


「えーーっと、」


 ジャーン、ビヨ〜ン、ビヨ〜ン、ビヨ〜ン、スカッ。


 1音目は鳴らせたものの、やはり押さえ方を変える所が難しいようだ。うまく押さえられずにビヨーンと変な音が鳴ってしまっている。それでもしばらく奮闘を続けていたのだが、1つミスするたびに少しずつ顔が暗くなっていくのが横から見ていて分かる。


「あれっ」


「なんでっ」


 ついに限界を迎えたようで、曲のちょうど真ん中あたりで弾くのを辞めてしまった。


「あははー、ちょっと無理かも〜」


 口元は笑っているが、目は泣きそうである。負けず嫌いな人はスポーツに向いているとどこかで聞いたことがあるが、すみかもそうなのかもしれない。どう声をかけたらいいのか迷っていると、先生が口を開いた。


「まあ、今のは応用編だからね! 今は弾けなくてもへーきへーき! むしろ弾きやがったそっちのにいちゃんが特殊なんだわ!」


「そうですねー、真斗くん器用ですから〜」


 必死に平常を取り繕う。俺が弾けたのが悔しいならいっそ、力任せに殴りかかってきてでもくれれば笑い飛ばしてあげられるのにと思う。しかしそうしないというのも、すみかなりのプライドなのかもしれない。であれば、俺から励ましの言葉をかけることは事態を悪化させることにしかならない。


「先生、これで最後ですよね? ありがとうございました!」


「あ?ああ、そうだよ。またきてね!」


 逃げるように出ていったすみかを追いかける形で、俺も先生にお礼を言ってからブースをでる。先生には少し失礼だったかもしれないと思いながら、すみかに追いつく。


「いやー、真斗くんやるねー! びっくりしちゃったよー」


「ああ、まあね。こういうのは割と得意」


「さ! 次だよ次! お絵描きいこ!」


 何かを振り払うように次を促す。そうだ、きっと次の絵画教室でうまくいけば、ギター教室での失敗は軽くなるかもしれない。そう考えて俺はすみかに乗っかることにする。


「そうだね! いこうか!」


 そう思っていたのだが、結論から言うと全くの裏目に出てしまった。


 先生にコツを教わり、「じゃあ好きな絵を描いてみましょう」といわれたので、俺はスマホを開いて、祖父が家で飼っている犬の写真を見て描いた。


 自分としては会心の出来で、元から絵は苦手ではなかったものの、細かい部分がどうしても雑になってしまっていた。それが、今回は毛並みまでよく描けている……と思う。先生にも「あら! いいじゃない! 可愛いわ!」と褒めてもらえた。


 しかし、問題はすみかだった。俺より10分ほど時間をかけて丁寧に描き、満足と少しの疲労が混じった様子で絵を掲げた。


「あっ」


 しかし、先生が持っていた俺の絵を見て表情が一気に曇る。すみかが描いたのは、以前写真を送ったことがある、祖父の犬。すみかの絵も決して下手ではない。むしろ、美術の授業で描いたら、うまくいけばA、少なくともBくらいの評価はもらえると思う。


 この教室以外ですみかの絵を見たことがないので確信はないが、きっと上達したのではないかと思う。しかし具合が悪いことに、題材が同じだと比較がしやすい。俺の絵と比べると、自分でいうのもおこがましいかもしれないが、見劣りしてしまう。


「あら? もしかして同じわんちゃん?仲がいいのねえ。こっちも可愛いわあ!」


 先生は、「あらまあ」と嬉しそうに俺たちの絵を見比べているが、すみかの表情は暗いままである。


「せっかくだから持ち帰ったらどうかしら? 袋あげるから!」


「いや私は……そうですね、じゃあ持ち帰ります、ありがとうございます」


 教えてもらって描いた絵を「要らない」と言うのは失礼だと思い直したのだろうか、すみかは遠慮しようとして辞めた。


「そっちのぼくは?」


「はい、じゃあせっかくなので貰います」


「はいはい! じゃあこれに入れて持って帰りな! 今日は来てくれてありがうね!」


「こちらこそ、ありがとうございました!」


「……ありがとうございました」


 難儀だな、と思う。すみかは負けず嫌いで、俺に負けてしまったことが悔しい。しかし、それを表に出すことは「負けて悔しい」ということを認めることになり、プライドが許さない。ゲームや遊びなら流石にここまで拗らせることはないだろうが、今回は自分探しの一環だから余計に負けたくなかったのかもしれない。


「真斗くんは……今日は収穫あった?」


 他人と会話をするほどの気力を失ってしまったすみかの代わりに、話しかけてくれるおばあちゃんたちの相手をしながら公民館を後にした帰り道。ここまでだんまりを続けていたすみかが聞いてくる。


 正直に言えば、あった。もちろんここでの経験をそのまま活かすなら、音楽家、ギタリスト、画家、イラスレーターあたりになってしまうのでそこまでは考えていないが、何か新しいものを知れたような、世界が広がったような感覚がある。しかし、これを伝えたらすみかは余計に機嫌を悪くしてしまうかも知れない。


「そこそこかな」


「へえ、あったんだ?」


 うまく誤魔化したつもりが、一瞬で見抜かれてしまう。己の嘘の下手さをここまで呪った日はない。


「まあ、ちょっと世界が広がった気がしてるよ」


「…………良かったじゃん」


 喜んでくれているように聞こえる言葉の前に挟まれたわずかな間が、本心からの発言ではないことを滲ませる。無理にでも喜ぼうとしてくれるのは嬉しくもあるが、同時に寂しさを感じてしまう。「ちょっと世界が広がった」くらいで喜ぶなんて、他の人からして大袈裟にも程があると思われるだろう。だから、その価値を共有してくれる人には心から一緒に喜んで欲しかった。


 それからは今にも姿を隠していまいそうな太陽の下、終始無言で歩いた。隣を歩くすみかとの距離は、来る時よりも遠く感じた。

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