第二十二話:親友達の策略

 思いがけず、悩みが軽くなった。


 おかげで、今日まで曇っていた思考が少しだけ鮮明になる。


 やりたいことが見つからない。


 このことを仲の良い友達に隠さなくて良くなったのは大きい。


 しかし、まだ考えなくてはならないことが残っている。


 今はやりたいこと探しよりもすみかとのことを優先しろと達也に念を押されている。


「いやでも、俺にできることはもうないだろ」


 やりたいことを探すために始まった関係。


 それを一緒にやるべきじゃないという結論が出てしまった以上、もう一緒にいる理由がない。


 …………そう言い訳をしてきた。


 もうこの際だ。はっきり言おう。


 達也と鈴木さんが何を言いたかったのかは分かっている。


 きっと始めから、すみかと放課後に喧嘩した日から分かっていた。


 なんの目的も無くたって、一緒に居たいならそうすればいい。


 一緒にいるきっかけが無くなろうと、積み上げてきた絆や、抱いてしまった恋心が消える訳じゃない。


 ただ、怖いのだ。


 目的がなくなっても一緒に居たいという気持ちが、受け入れてもらえないかも知れない。


 俺は恋心や絆を感じてしまっているが、すみかはそうじゃないかもしれない。


 だから、自分から関係を終わらせることで自分を守ろうとした。


 それが、すみかをどんな気持ちにさせるかも考えずに。


 今日の帰り際、鈴木さんに言われた。


「籠谷くんが思ってること、すみかちゃんも思ってるかもよ?」


 意味は聞き返さずとも分かった。


 もしそれが本当だったら、俺はすみかの気持ちを拒絶したことになる。


 きっと、鈴木さんが言っているのは絆の方。恋心じゃない。


 だとしても、自分を守るために、すみかを傷つけていたかもしれない。


 その可能性があるなら、今は怖いとか言っている場合じゃない。


 俺の気持ちを伝えなくてはいけない。


 君といる時間がどうしようもなく楽しくて、目的がなくても一緒に居たいって。


 ……異性として好きだということはまだ伝えるつもりはないけれど。


 ただそれだけ決心した。


 思考はすっかり鮮明となり、自分でも迷いがないのを感じていた。


 ——朝、教室。


 ……いやでもこれどうするよ!?


 いや決めたよ?昨日ね?


 格好つけて「怖いとか言ってる場合じゃない」って言いましたよ??


 でもさあ、噂では俺って今「すみかにフラれた人」な訳でしょ?


 これでまた呼び出しなんてしたら、「すみかに付き纏ってるストーカー」にグレードアップしませんかね? しますよね?


 だから困ってるんですよ!分かります?


 かくなる上は下駄箱に手紙を……って本当に告白するみたいじゃねえかよ!!


 ラブレターじゃなんだって!


 ……はあ。まあ待て。一回落ち着こう。


 俺はこんなことで悩む人間じゃない。


 今やるべきことは——


「まさとおおお、これ分かんないいいい」


 ……。


 後ろの席からこの亡霊みたいな声を出しているのは、昨日随分と大人ぶった説教をかましてくれた達也だ。


 しかし今日は一転、というかこっちが平常運転なのだが、やるのを忘れていた数学の課題プリントを死に物狂いで進めている。


 本来なら俺と、あと数名しかいない静かな始業前の教室に、達也がいるのはそういうわけだ。


「よし、1問につきジュース一本で教えてやろう」


「たかっ!……いのか? 分かんねえけど、悪徳だぞ!! 独禁法に反する!」


 達也のくせに、独占禁止法なんてよく知ってたな。


 ……ああ、昨日の授業でやってたなそういえば。


 そこだけ起きてたってわけね。


「はいはい、分かったからどれだよ」


「無反応すぎない? 『達也くん実は頭良かったんだ』って褒めてもいいんだぞ?」


「タツヤクンジツハアタマヨカッタンダ」


「ふっ。まあな!」


 こんな棒読みでも満足したらしい。


 誇らしげに顎を上げ、胸を張っている。心なしか、鼻も伸びてる気がする。


 しかし、君の前にあるのは未提出未完了の宿題である。


「うんじゃあ宿題、頑張ろうな」


「おう!」


 よしよし。


 達也をやる気にさせたところで俺は前を向いてすみかに話しかける方法を考える。


「いやだから真斗! だからこれわかんないんだって!」


 ——騒がしいやつだな。


 結局、朝は達也にかかりっきりで何も良い策は思い浮かばず。


 当然ながら、すみかに話しかけることすらできていない。


 昼休み、学食。段々と慣れてきてしまった達也と2人だけの昼食。


 隣に2席空いているので、4人だった頃を余計に思い出してしまう。


「何難しい顔してんだ?」


「いや、本来はここに後2人いたんだって思ってなあ」


「お! 昨日の説教が効いたかこのチキン野郎め!」


「うるせえ。お前こそいつまでも鈴木さんに告白しないチキンじゃねえかよ!」


「うっ。それとこれとは話が別だろ!?」


「別じゃねえ! 大体俺はいつも思ってたんだよ。お前は人を巻き込んでまで距離縮めようとしてるくせに、遅すぎやしねえか?」


 初めて4人でカラオケに行った時には、もうすぐ付き合うのだろうと思っていたのだが、それから進展が見受けられない。


 そのことに対するヤキモキした気持ちと、すみかとのことを達也に突っ込まれた照れ隠しとが相まってつい口調が激しくなる。


 そんなやりとりをしていると、聞き慣れた——最近はすっかり聞かなくなってしまった声が聞こえてくる。


「ここ空いてるんじゃん! ラッキー! もう席ないかと思ったよー!」


「うん、じゃあ私向かい側の席座るね」


 視界の端っこでミルクチョコレート色が揺れ、コトンと隣の席にトレーが置かれる。


 そして、椅子が引かれて——固まった。


 見ると、想像通りというべきか、すみかが椅子の背もたれを持って移動させた体制のままこちらを見て固まっている。


 この距離で会うのは久しぶりすぎて感動を覚えそうになるが、気まずさがそれを圧倒的な力で押さえつける。


「ね、ねえさやか? やっぱり別の場所探さない?」


「えー? でももう他の場所なくないかな?」


 回り込んで向かいの席、つまり達也の隣に座っていたのは鈴木さん。


 すでに学食のトレーを机に置いて、達也と談笑しながら食べ始めている。


 もう動く気はさらさらありませんよ、と言わんばかりの鈴木さんに、すみかも観念して席につく。


 俺も気まずい気持ちでいっぱいだが、ここで席を立っても移動先がない。


 この構図だけ見たら4人で食べていた頃とそっくりそのまま。


 しかし、俺とすみかの間に会話はない。


「にしても、なんで鈴木さんたちも学食? いつもお弁当じゃなかった?」


 鈴木さんはちらっと俺の隣を見やってから口を開く。


「うん、でも私が今日は学食で食べたいって言って、合わせてもらったんだー」


 鈴木さんの口角がニヤッと上がる。


「へえ、にしても偶然だな。さやか。隣の席にくるなんて」


 達也も何やらニヤニヤしながら乗っかってくる。


 ——こいつら、わざとだろ。


 あの礼儀正しい鈴木さんが、友達のすみかが座る前から食べ始めているという時点でかなり怪しかった。


 そして、今のやりとりで確信した。


 こいつら、わざわざ学食で一緒になるように仕組んだな?


 ったくマジでどうやったのか知らねえけど、器用なことするよなあ。


「じゃ、俺ら食べ終わったから、先戻ってるわ」


「え? ちょっと待てよ! てか早くね?」


「そうだよ! 私が食べ終わるまで待っててよ! って食べるの速いね?」


 見れば2人とも、うちの学食で1番食べやすいと思われる牛丼。


 対して俺はラーメン。すみかはうどん。比較的食べるのに時間がかかるメニューだ。


 俺はまだ半分程度残っているし、すみかに至ってはまだ2、3口しか手をつけていない。


「悪いな、俺は数学の課題やらなきゃいけないから」


「私は達也くんが課題をちゃんとやってるか見張らなきゃいけないから」


 そんなあ。ってまだその課題終わってなかったのかよ……。


「そんじゃまた後でな!」


「がんばってね」


 それだけいうと、2人してさっさと行ってしまった。


「……」


「……」


 残された俺たちの間に気まずい沈黙が流れる。


 いや確かに話しかけるタイミングに困ってはいたけどさ、いきなり2人きりにするのはやめてほしい……。よし、達也は後で説教だな。


 さて、その前にこの空気をなんとかしないとだよなあ……。


 達也への説教を固く決心しながら、この沈黙を打開する方法を思案する。


 怪我の功名、とは少し違うかもしれないが、俺の気持ちを伝えるのにこの機会を利用しない手はない。


 いつも逃げ回ってくれるすみかが隣に座っており、しかもあと数分は動かないのだ。


 昨夜、すみかに気持ちを伝えようと決心してから、伝えるためのセリフは考えてきてある。


 後は適当に雑談を挟みつつ、タイミングを見計らって読み上げるだけでいい。


 しかし、この沈黙が支配する空気にクーデターを起こすのはなかなか勇気がいる。


 考えながらラーメンを食べ進めようとするが、緊張しているのか手に上手く力が入らず、ラーメンが箸からスルリとすり抜けてしまって、うまく持ち上げることができない。


「ぷっ」


 すると隣から、我慢しようとしたけど思わず吹き出してしまったような笑い声が聞こえた。


 2席先にいる別のグループの人かと思ったが違う、もっと近くから。


 つまり、俺の隣から。


 ちらっと横目で見ると、すみかは何事もなかったかのようにうどんを食べ……れてない。箸で掴もうとするたびツルッと抜けて、うどんが汁へと飛び込んでいる。


 確かにうどんは掴みづらいよな、割り箸が欲しくなる。でも、


「……下手すぎね?」


「ちっ、違うから! ていうか、真斗くんだってさっきラーメン掴めてなかったじゃん! うどんよりかはラーメンの方が掴みやすいでしょ! それなのに、真斗くんは掴めてなかった! はい私の勝ち!」


「何言ってんだ……?」


 何が勝ちなのかは分からないが、とにかく空気がほぐれてくれて良かった。


「なあ、すみか」


「……なに?」


 さすがクラスの人気者。空気の変化を感じ取ったのか、先ほどまでと声色が一変する。


「今日の放課後、この前の空き教室に来てくれねえか?」


「……分かった」


 良かった。とりあえず良かった。正直、ここで「やだ」とか言われたら立ち直れなかったもん。


 タイミングよく授業開始5分前を知らせる予鈴がなる。


「ふう。じゃ俺らも戻るか」


「待って真斗くん」


「どうした?」


「まだ、ラーメン残ってるよ?」


「あ」


「すみかもうどん残ってるけどな」


「あ」


 ……伸び切った麺類の早食いタイムアタックが始まった。

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