第九話:あの……起きてください

「ぐえー」


 あれからテストまで残された期間を四人一緒に勉強して、テスト初日が終わったところ。


 うちの高校の定期テストは3日間に分けて行われ、毎日3-4科目のテストを受けるのだ。なので午前中で帰ることができて、真斗としては特別感があって嬉しいのだが、達也にはそんな感情はないらしく、先ほどから謎のうめき声をあげている。


「なんだよお前は潰れたカエルか」


「げこー」


 こんな状態でもしっかりとリクエストには応えるところには脱帽だが、まずはテスト後に体力ゲージがゼロになるのを防ぐべきだと思う。


「そんなにできなかったのか?」


 今回は平日・土日含めて1週間毎日一緒に勉強したのでわかるが、上位とは言えないまでも、平均点は超えるくらいの点数は取れるだろうと踏んでいた。


「いや、テストはできた。正直、会心の出来だわ。」


「じゃあなんで」


「なんかテスト終わるとついクセで」


「まだ終わってないけどな」


「ぐえー」


「籠谷くん」


「んあ!?」


 しばらく達也で遊んでいると、最近ようやく聞き慣れてきた声がした。


 その声に反応して急速に姿勢を正した達也には笑ってしまうが、なぜか呼ばれた名前は達也のものではなく、俺のものだった。


 そのことに多少なりともショックを受けたのか、達也は真剣な目でこちらを見つめてくる。気にしすぎだ馬鹿。


「どうかした?」


 今日の午後も一緒に勉強する予定だったのでその関連の話だろうとは思うが、俺個人に話しかける用事とはなんだろうと思っていると、


「すみかのこと、送ってあげてくれないかな?」


「送るって、駅まで?」


 最寄駅は一緒なのでいつもはそこで別れている。一緒に勉強するなら、今日もそうなるとは思うが。


「うーん、家までの方がいいかも……?」


 そう言って指差した先には、まだテストの時に使用したと思われる筆記用具が散らかっている机に突っ伏している吉野さんがいた。その周囲を3、4人の友達が囲っており、「すみかー、大丈夫?」「すみかちゃん!起きて!」というような声が聞こえるが、ピクリとも動く気配がない。


「えっと、寝てるの?」


「うん。昨日寝るのが遅かったんじゃないかな。すみかって睡眠時間足りないとああなっちゃうんだよね」


 流石に当日は自分のテストのことで頭がいっぱいだったが、確かに今朝は吉野さんの声が聞こえてこなかった……かもしれない。いつも元気な分こうなるとかなり落差が大きく、心配になってしまう。


「いや、でも」


 初めて休日に2人で会って以来、俺はすっかり吉野さんを女の子として意識してしまっている。じゃあ好きなのかと言われるとそう簡単な話でもないので、とりあえず今までは勉強に集中することでことなきを得ていた。


 しかし、半睡眠状態の吉野さんを無事に家まで送り届けるというのは相当にハードルが高く、無理と言ってもいい。


「私が送ってあげたいんだけど、電車違うし。すみかちゃんも籠谷くんなら大丈夫だと思うんだ」


 何が大丈夫なのかわからないが、今回のところは辞退させていただきたい。そう言おうとしたところで


「じゃあ、連れてくるからちょっと待ってて!」


 捨て台詞のようにそう告げると、先ほどよりも人が増えている教室の一角に走って行ってしまった。「連れてくる」まるでペットのことを話している時のような口ぶりだが、吉野さんのことである。


 周囲の女子生徒たちに何やら説明して、吉野さんを抱き起こしている。説明を受けた女子たちがこちらを期待に満ちた目で見てくるのが居心地が悪い。


 妙な勘違いをしているのは間違いないが、誤解を解こうとしても事態を悪化させることにしかならないことは知っているので、視線を逸らすことにとどめる。


 しかしそれを見て「照れてるー!」とか言ってさらに騒ぎ出すので、もうため息をついて待つ他なかった。


「お待たせー、連れてきたよ」


 若干息切れしている鈴木さんに支えられながら、吉野さんは立っていた……いや、立ちながら寝ていた。


 いつもはパチっと開いている目は見る影もなく、首は重力への抵抗をすっかり諦めて、だらんと下に垂れている。


「す、すみかー、ほら、帰るよー」


「んん……」


 ここまで運んでくるので疲れたのか、かなり辛そうな鈴木さんから吉野さんを受け取る。


 `「えっと、じゃあ吉野さん、ここ掴まってていいから」


「ん・・・・」


 肩を貸して歩いてもらおうとするが、そのまま背中に体重を預けて、腕にしがみついてくる。俺の緊張をよそに、穏やかな寝息を立て始めている。


 控えめなサイズとはいえ、背中に当たる2つの膨らみを感じ取ることができてしまう。その双丘に持っていかれそうになる意識をなんとか保つ。背中に張り付いている吉野さんを無理やり引き剥がし、体重はこちらに預けたままだが、なんとか進んでもらう。言語の貞を成していない音で不満を訴えながらも、一応ついてきてくれる。この体制、逆に辛くないのだろうか。


 下駄箱ではたっぷり3分かけて靴を履き替え、駅を目指す。


 いつもは無駄話しながら歩いていたらすぐなのだが、その道のりが途方もなく遠くに感じる。全体の3分の1ほど歩き、運動不足が祟ったのか俺にも疲れが出てきたところで吉野さんに変化があった。


 先ほどまでは何歩か歩くたびに「んん……」と可愛らしいうめき声を上げるだけだったのだが、その声がだんだんクリアになってきた。


「……ん、んん?あれ……」


 起きたのか思って振り返ってみるが、まだ腕にしがみついて背中に体重を預けたままなので、完全な覚醒には至っていないようだ。まだ大分眠そうな声であるが、意味が通じる言葉を話し始めたので起こすなら今だろう。体力もそうだが、先ほどからすれ違う人たちの視線が痛い。


「吉野さん? 起きてる?」


「……起きてる。起きてるから。ちょっとまって、真斗くん」


 寝ている人の「ちょっと待って」は、「あと5分」と並ぶ信頼性ゼロの常套句である。


「だめ、待たない。ほら、起きて」


「だから待ってって……。なんでいつも優しいのに今日はこんなに……んん!!??」


 急激に顔をあげたかと思うと、俺の背中に寄りかかっている自分の胴体と、俺の腕を抱き込むようにしてしがみついている腕、そしてその結果腕に当たってしまっている胸を確認する。


 1ヶ所確認するたびに顔が赤くなっていき、ついには耳まで赤く染まる。俺の腕を投げ捨てるように離す。同時に反対方向に走り出し、距離をとる。


「なななななんで!? わたし今抱きついて!?」


 顔の赤みは引くどころかさらに色を強め、手は自分を抱き抱えるようにして、目には涙を浮かべてこちらを睨んでくる。


 多少は事の成り行きを覚えてくれているかと期待したが、残念ながら何も覚えていないようだ。このままでは犯罪者扱いされかねないので、先に説明をしておく、


「吉野さんが教室で寝て全然起きないから、俺が送ってくことになった。他意はない」


「なんで真斗くんなのさ!? さやっちとかいたでしょ!」


「いたけど、『すみかちゃんも籠谷くんなら大丈夫だと思う』って、押しつけれらた」


「押し付けられたってなに! いやだったの!?」


「いやそうじゃなくて……」


 恥ずかしさのせいで何か文句を言っていないと、その場に立っていられないのだろう。先ほどから体をプルプル震わせている。普段から落ち着きがあるタイプではないが、ここまで取り乱しているのは珍しい。というか、初めてかもしれない。


 反論があるとすれば、嫌などではなくむしろ……やめておこう。


「とりあえず、俺が悪かった。ごめん。ご飯でもなんでも奢るから一旦歩こう? ね?」


 ほぼ夢遊状態の吉野さんを連れて歩いていた時よりも視線が集まっており、「何!?」「カップルの修羅場!?」とか聞こえてくるので、いち早くここを離れたい。


 吉野さんも視線が気になった、というより単純にお腹が空いていたのだろう。まだかなり不満そうだが、頬を膨らませたまま一応大人しくついてくる。


 しかし、側から見たら友達同士で歩いているとは到底思えないような距離感で、まるで母親と一緒に歩いているところを見られたくない反抗期の子どもと言った感じだ。ツーンという効果音が聞こえてきそうなほどそっぽを向いて、俺の左前を歩いている。


「あのー、吉野さん?」


 返事はない。が、聞いてはくれていると信じて続ける。


「やっぱり怒ってます?」


 相変わらず返事はない。今まではエネルギッシュでこちらまで元気になるような表情を見ていたことが多かったので、現状とのギャップを感じて不安になる。


 俺としても断った上で半ば無理やりだったので、文句は鈴木さんにいって欲しいと思わないでもないが、最終的に引き受けてしまった責任はあるだろう。


 女の子としては好きでもない男に触られるのは嫌に違いない。本当に怒っていたら一緒に歩いてさえくれないはずなので、これだけで縁を切られることはないと思うが、対応を間違えればどうなるか分からない。


 全力で頭を回して、最高級のコーヒーをドリップするよりも丁寧に言葉を絞り出す。


「何か食べたいものとか、ありますか?」


「……」


 吉野さんの機嫌を取る方法を食べものしか知らないので、これが精一杯だった。といっても、これも吉野さんがことあるごとに何かを奢らせようとしてくるからそう思っているだけで、実際のところは分からないのだが。


 やはり返事はないようなので、もう打つてはないのかもしれないと諦めかけていると、


「アイス」


「え?」


「アイス! 食べたいっていったの!」


「あ。ああ。うん、わかった! じゃあアイス食べに行こっか」


 あまり機嫌が良くなったようには見えないが、口を聞いてくれただけでも御の字。作戦大成功だ。


「それと」


 吉野さんの態度が少しだけ柔らかくなったことに安堵していると、


「別に真斗くんに運ばれてたのが嫌だった訳じゃないから」


「え? じゃあなんで」


 そんなに不機嫌そうなの。そう聞こうとするよりも早く、吉野さんはさっさと先に進んでしまっていた。俺に運ばれたのは嫌ではなかった。つまり、俺に触られたことが嫌で怒っていたわけではなかった?それともそもそも怒ってすらいない?機嫌が悪そうだったのはただ寝起きだったからか?いやでも……


「なんでそんなに平気そうにしてるのよ。真斗くんのばか」


 こんな風に頭でグルグル考えていた俺は、そっぽを向いたまま放たれた言葉に気がつくことはなかった。


 しっかりと俺にアイスを奢られて、機嫌が治ってきた吉野さんに気になっていることを聞いてみたのだ。


「吉野さん」


「なに?」


「そういえばなんで昨日寝れなかったの?」


「……」


 目を細めてこちらを見やる。少し呆れているような視線を向けられるが、怒っている風ではないので、大人しく返事を待っていると、まるで嫌なことを思い出した時のように「はあ」とため息をついて、から応えてくれる。


「テスト前日だから、ちょっとだけ復習しとこうと思ったんだけどね……」


「なるほど……」


 少しだけ復習しようと思って机に向かったら、例によって朝になっていたということなのだろう。そこまで集中できるというのは、俺としては羨ましい限りなのだが、意図せずそうなってしまうのも困りものだろう。


「はい、私は答えたから次真斗くんの番ね」


「え?」


 俺の番、つまり、俺が質問に答える番ということだよな?俺が昨日寝れなかった理由?いや、そもそも俺昨日もしっかり寝れてるし。健康優良児だし。今年の健康診断も保健の先生に褒められたし。


 とりあえず、昨日は22時にはベッドに入って……


「そんなこと聞くわけないでしょ……」


 半目で、再び呆れ気味に突っ込まれる。


 思考を読まれた。超能力か。しかし、見事的中させた本職もびっくりのエスパー吉野に得意げな様子は見られず、なぜか緊張した様子でそれをほぐすように深呼吸を繰り返している。


「え、じゃあなに」


 俺の質問に急かされて、もう一度確かめるように息を吸って吐くと、


「さっき、何か感じなかったの……?」


 消え入りそうな声で、こちらをゆっくりと見上げながら聞いてくる。その瞳はわずかに揺れていて、不安そうにも見える。なんのことだかよく分からないが、お化けでも見たのだろうか。でも昼間だぞ?


「さっき?」


「さっき私が……その……くっついて歩いていたとき……」


「え」


 学校からの道のり、そこで感じていた感覚が蘇る。呼吸のたびに脳を支配する甘いながらも爽やかな香り。背中に感じる体温と腕に当たる柔らかさ。ただ思い出しただけでも自分の胸の辺りで感じる振動が速く大きくなり、それに呼応するかのごとく顔に熱が巡ってくる。


 俺はそのことに気づかれまいと顔を背けるが、吉野さんが先回りして覗き込んでくる。


「なんか、照れてる?」


「いや別に」


「顔赤いよ?」


「……悪いかよ」


「んーー?別に?」


 俺を自白に追い込むと、吉野さんは一瞬ビクっとしてから、口角をゆっくりと上げていく。先ほどまでの機嫌の悪さはすっかり姿を消しているように見えた。


「はい!」


 突然200円を渡された。


「なにこれ?」


「え、アイス代だけど。渡してなかったよね?」


「そうだけど」


 俺としてはすっかり奢ったつもりだったので、急に渡されて驚いたのだ。でも、


「足りなくない?」


 確か吉野さんが頼んだ、『期間限定! メロンソーダ味』は420円だったはずだ。いや別にきっちり払ってもらわなくてもいいのだが。


「知ってる」


「え?」


「だから、代わりにわたしを名前で呼ぶことを許可します!」


「はあ……」


「え、どゆこと」


「もうー、察しが悪いなあ」


 なんでも、アイス420円に対して現金払いが200円。残りの220円は、吉野さんを名前呼び、つまり『すみか』と呼ぶ権利であてがうということらしい。意味が分からない。


 というか、吉野さんの名前呼びって220円なのか。本人横に置いて教室で販売すれば結構稼げるのではないかと思う。それはさておき押し売りしてくるのは勘弁してほしいのだが。


「心配しなくても普段は非売品だよ?」


「そんな心配はしていない」


「はい! じゃあさっそく使ってみよー! せーの?」


「……」


「せーの?」


「す……みか」


「よくできました!」


「なんかうざい」


「頭なでてあげようか」


「要らないから」


 俺が数本後退りながら拒否すると、空を切った右手を見つめて残念そうにしている。なんか吉野さ……すみかさん、やけに上機嫌じゃないですか?

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