第八話:適当でいいや

 午後6時半。高校生が帰るにしても十分に健全な時間にファミレスを後にすると、駅で方向別に分かれ、俺は吉野さんと同じホームへ向かう。


 俺は思ったよりも勉強が進んで機嫌が良いが、吉野さんは『今日こそはみんなとおしゃべりしながらできると思ったのにい』と不満そうである。


 つい2週間ほど前まではただの知り合い程度だったのに、隣を歩いているのにも大分慣れてきてしまった。人間の適応力に感心しながら今まであったことをぼんやりと思い返す。


 最初は確か、達也が鈴木さんのカラオケに行くのに付き合わされて、その後吉野さんがテニスコートの前で立ち止まってるのを見て、進路調査書の内容で2人とも怒られて……あれ?


「吉野さん」


「ん?」


「進路調査書ってもう書いた?」


 そういえば、あと1週間やるからということで、今週の金曜日が締め切りだったはずだ。


「あ〜、忘れてたや。でもまあ……」


 一瞬だけ目が宙を泳いで、丁寧に考える仕草を見せた後、


「適当に書いてだすかな」


 いつも学校で浮かべているようなエネルギッシュな笑顔を浮かべて、普通の学生らしい、普通のことを言った。


 しかし、考えすぎてそれができなかった頃から比べれば大きな進歩で、俺まで嬉しくなってしまう。


「だって、やりたいことは真斗くんが一緒に探してくれるんでしょ?」


 表情をころっと変えて、今度はいたずらな笑みを浮かべてこちらを覗き込んでくる。その仕草についドキッとしてしまうが、努めて普段通りに返す。


「善処するよ」


 少しそっけなくなってしまったかと心配になったが、満足そうに笑っている吉野さんを見て、これで良かったのだと安心する。


「真斗くんは? なんて書くの?」


 同じことで悩んでいた俺を気にかけてくれているのか、同じ質問を返してくれる。


「俺は……」


 ずっと不安だった。俺はこのまま生きていて本当に何者かになれるんだろうかと。でも今は、その悩みを共有してくれる人がいて、『やりたいことリストの消化』という確かな目標もある。そして、その目標のために吉野さんと過ごしている時間がどうしようもなく楽しいのだ。


「適当に書いてだすかな」


 本心だった。もうこんなことに惑わされる理由が見つからなかったのだ。


「もう! 真似したでしょ!」


 そういって笑う吉野さんは目尻を下げて、嬉しそうにしてくれている。


 俺が吉野さんを心配していたように、吉野さんも俺を心配してくれていたのが伝わってきて、恥ずかしくなる。


 同時に込み上げてきた別の感情から逃げるように、到着した電車に乗った。

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