第三話:自分探し会議?
駅までの道のり。
もう夕日は水平線にかかり始めており、まるで映画のワンシーンであるかのように俺たちを照らしている。
道端では小さくて青い花がいくつか束になって咲いているのが、非常に可愛らしい。
確か、イヌフグリとか言ったはずだ。
子供のころ、語源を調べてかわいそうな気持ちになった記憶がある。
先ほどまでの雰囲気が抜け切らずなんとなく気まずさが残る中、吉野さんが徐に口を開いた。
「私ね、この前話したと思うけど、結構頑張ってたことがあったのね」
その表情は夕日のせいではっきりと見ることができないが、声はどこか落ち着いている。
「それなりに結果も付いてきてて、いい感じだったんだけど、ほら、ね?」
ここから先はすでに聞いている。
「ああ」
「それで、テニスは辞めることになっちゃったんだけど、周りの反応が思ってたのと違ったんだ」
それから、吉野さんは所々言い淀みながらも今に至るまでを話してくれた。
吉野さんがテニスを辞めてから数週間は、怪我の影響もあって、周りも気遣ってくれたこと。
しかししばらくすると、テニスという特技を失った吉野さんから離れていく友人や、吉野さんの気持ちを軽んじた発言をする人たちが現れたこと。
さらに親や親戚には、テニスであれだけの結果を残せたのだから、他のことでも何かを成し遂げてくれるに違いない、と過度な期待を寄せるものが現れたこと。
この話を聞くと、俺が吉野さんにしてしまったことを改めて申し訳なく思うのだが、言ったところでまた、「なんで?」と返ってくるだけなので何も言わない。
吉野さんが話してくれたそのどれについても、相手を責めることはできない。
趣味や特技、頑張っていることが変われば関わる友人が変わるのは言ってしまえば当然だし、吉野さんがどんな気持ちでいたのかなんて他人には分からない。
親や親戚にしてみれば、吉野さんは「期待の星」であり、悪いことをしたなんて一ミリも思っていないだろう。
それでも、俺には分かってしまった。
離れていく友人をみて、まるで自分に価値が無くなってしまったかのような無力感。
良く知りもしない人に軽率な発言をされたことへの苛立ち。
周囲に過度な期待を寄せられることに対する焦り。
似たような、とまでは言わないが、俺にも覚えがあった。
こんなことを1人で中学生の頃から背負っていたのかと思うと、暗闇に頭から落ちていくような感覚に狩られる。
全てを話し終えた吉野さんは当時のことを思い出しているのか、少し遠くを見つめ、何かを噛み締めているように見える。
「吉野さんは」
気がついたら、考えるよりも先に口が動いていた。
「十分頑張ったと思うよ」
テニスに対する姿勢も、諦めてからの周囲の変化に1人で耐えてきたことも、全てをひっくるめて。
驚いたようにこちらを見つめていた吉野さんは、俺が話し終えるとゆっくりと頬を緩ませて、
「うん、ありがと」
ただそれだけ返すと、駅の方へとスタスタ歩いて行ってしまった。
しかしその足取りは先ほどよりも数倍軽く見え、俺は密かな達成感を覚えながら後に続いた。
「第一回チキチキ! 自分探し会議〜!」
吉野さんがもうどこから突っ込んでいいか分からないタイトルコールをしたのは、駅近くにあるファミレスで、お互いのやりたいことを一緒に探すという約束をした2日後のことだった。
「自分探し、か。確かにそうかもしれないね」
「でっしょーー! 昨日学校終わってからめっちゃ考えたんだから!」
「え、まさか昨日に入ってた予定って、タイトル考えるためだったりしないよな?」
「そうだよ?」
驚いた。約束をした後、早速明日にでも話してみないかと提案したら、「明日はやらなきゃいけないことがあるから、明後日にしよっ」と言われて今日になったのだが、まさかタイトルを考えるためだとは思わなかった。
がまあ、わざわざタイトルを作って、雰囲気から入ろうとする辺りはとても吉野さんらしい。
「でも自分探しって何すればいいんだ……?」
俺も勢いで一緒に探そうとは言ったものの、特にプランがあったわけではない。
むしろ何をすれば自分が見つかるのか、分かっていたらとっくにやっている。
「それはねえ……」
そういって、吉野さんが登校用のリュックから取り出したのは一冊のノートだった。吉野さんにしては意外にというか、シンプルで無地の表紙だった。もっと絵とかシールとか貼ってあるのかと思ったのだが。
「シールとか貼ってなんだな」
「貼らないよ!? デコったりするのは小学生とか、おまけして中学生までだから!」
「吉野さんなら貼ってるかなと思って」
「一体いくつに見えてるの!?」
多少雑にいじってもしっかり返してくれるので、ついからかいたくなってしまう。
まだ話すようになって数日だが、こんなくだらないやりとりが密かな楽しみだったりする。
「で、そのノートには何が書いてあるの?」
「そうそうこれはねえ、『私のやりたいこと108選』だよ」
108個。そう聞いて真っ先に思い浮かぶのは人間に存在すると言われる煩悩の個数だが、ご丁寧にも吉野さんの欲望は108個らしい。
「ちなみにだけど、108って数字に意味は?」
「意味? いや思いつくだけ書いたらそうなっただけー」
一体なんの話をしているのかわからないと言った様子で、キョトンとしながら答えてくれる。
どうやら意識して数を合わせたという訳ではなく、本当にたまたま、書きたいように書いたら108個になってしまったようだ。
「まあまあ変なこと気にしてないで、とりあえず見てみてよ」
「細かいこと気にしてると、女の子に嫌われるよー」と言いながらノートを押し付けてくる。余計なお世話だ。
表紙をめくって、1ページ目は何も書いておらず白紙。さらに1ページめくると、
「1.カラオケで99点以上取ってみたい」とページ上部にデカデカと書いてあった。
その右に視線を移すと『2.頭良くなって褒められてみたい』とある。
その後もパラパラとページをめくっていくと、どのページもその上部に1つずつ吉野さんの「やりたいこと」が書かれているようだ。
「ん?」
最後のページまで捲り終えたところで、引っかかることがあった。吉野さんは108項目あると言った。しかしこのノートは30枚綴りだ。最初のページが白紙だったことを考えると、全部で59項目にしかならないはずだ。事実、最後のページをもう一度確認すると、59と書いてある。
「吉野さん、このノートって続きある?」
「うん、あるよー。半分はおうちー」
なるほど。俺が納得している間に、「ノートが半分しかないことに気がつくとはさすが真斗くん。私の助手だねえ」と吉野さんが何か言ってるが、助手になったつもりはないので無視しておく。
「でも、これってただのやりたいことリストじゃね?自分探しと何か関係ある?」
最初から疑問に思っていたことを口に出す。
もっとも俺としては、追い詰められている吉野さんを放っておけなかっただけなので、ただの息抜きだとしても付き合うのはやぶさかではないのだが。
「んー。やりたいことって結局、新しいことをしたり、見たりしないと見つからないかなあって。私たちって、自分の身の回りにあることにしか目が向かないじゃん? だから、先生、ユーチューバー、スポーツ選手になりたいとかいう夢は結構見つかりやすいと思うの。それなら、そうじゃない、普段はあんまり思いつかないような夢は、普段やらないことをすれば見つかるかもしれなくない?」
なるほど。つまり、やりたいことを見つけるために、まずは見聞を広める必要がある。
そのための「吉野さんやりたいこと108選」というわけか。
今まで悩みながら何も行動しなかった俺とは大違いだ。
何をすればいいかわからないから何もしない、ではなく、とりあえずできることをやるという姿勢。俺も見習わなくてはいけないと思った。
「どしたの真斗くんそんな驚いた顔して」
「いや吉野さんがこんなに頭使ってるとは思わなくて」
「やっぱり私のことバカだと思ってるよね!?」
感心していたのがなんだか恥ずかしくて、つい茶化してしまうが、吉野さんとの自分探しには期待を膨らませている自分がいた。
「そういえば真斗くんさ、」
吉野さんの丁寧なツッコミに俺が笑っていると、急に何かを思い出したような顔になって呼びかけてくる。
「この前『俺も探さなきゃいけないしな』って言ってたけど、真斗くんもずっとこうなの?」
「ああ」
そういえば、話してなかったな。
吉野さんの話を一方的に聞いてすっかり話したつもりになっていたが、きちんと説明したことはなかったように思う。
「ずっとこうなのか」
つまり吉野さんと同じように、やりたい事を見つけられずに悩んでいたのかという質問。
答えを言ってしまえば、イエス。
しかし、いざ話すとなると躊躇いが残る。
この前は、なんとなく流れというか、そういう空気があったから「俺も探したい」なんて言うことができた。吉野さんもあの状況じゃなかったら、自分の話をあれだけ長々と話したりしないと思う。
俺が迷っていると、吉野さんが慌てて訂正してくる。
「あ! 別に、私みたいに全部話さなくたっていいんだよ! ていうか、私も話すつもりなかったし! またいつか、話したいと思った時でも」
「いや、大丈夫だよ。ちょっとタイミングが掴めなかっただけだから。と言っても、俺のは吉野さんほど立派なのじゃないからね?」
ふうと一息ついてから、話し始めた。
俺は、元々勉強も運動も人よりできたこと。しかしある時、その才能は決して特別なものではなく、自分は規格外にはなれないのだと気がついてしまい、それ以来自分に価値を感じることが出来ていないことを話した。
それが終わると、俺が話している間ずっと、真剣な顔で聞いてくれていた吉野さんが顔をあげる。
「……そっか」
何も特別じゃない、ただの相槌。
「じゃあ、一緒に頑張らないとね!」
しかし、悩みを話すということ事態が初めてだった俺は、たったそれだけの言葉にすら安堵してしまう。
「おう、頑張ろうぜ」
明日から、自分探しが始まる。
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