第二話:仲間

「お前らなあ、これはなんだ?」


 クラスの担任が、三つ目の項目に「自分に向いていて、やりたいと思えることを見つけたいです」と書かれた進路調査票を2枚掲げて見せる。


 2枚、つまり俺の他にも同じことを書いた人がいる。


 隣に立って、聞いてるのか聞いてないのか、ただぼうっとしているのは吉野さんだった。


 吉野さんは性格上日々の生活でも色々とやらかすので、教師に怒られている時の対処法も心得ているのかもしれない。


 俺はどうしても教師に言われたことは気にしてしまうタチなので、生徒のために怒ってくれている教師には申し訳ないが、今度その極意を聞いてみようと思った。


「別にこれで決定ってわけじゃないんだ。なんか書いてくれないと、こっちもアドバイスのしようがねえ」


 別にアドバイスなんか求めてない。できるなら共感してほしい。でもそこまでは求めない。だから、ただ放っておいて欲しいのだ。


「籠谷は成績もいいんだし、選び放題だろ?」


「まあ、そうかもしれないですね」


 何度も聞いたこのセリフ、曖昧に頷くので精一杯だった。


「吉野も中学の頃は部活頑張ってたんだろ?夢を叶える力は持ってるんだから、早いとこ次の目標見つけて取り組めば、きっと成果が出ると思うぞ」


 俺ははっとした。要約すれば、早く次を見つけろ。成果をだせ。


 もし吉野さんが俺の思ったような気持ちを抱えているのだとしたら、そのセリフは……


 反射的に横に目を向けると、吉野さんは先ほどまでの何も考えてないだろう顔とは対照的に、奥歯で何かを噛み締めているような顔をしている。


 ……禁句だ。ただでさえ全てを捧げていたテニスを失い、次を見つけることができずにいるのに、さらに結果を求められる。その焦りと不安は俺の比ではないだろう。


「はい……」


 吉野さんは別人とも思えるようなか細い声で返事をした。


 やはり様子がおかしかった。


「とにかくもう1週間やるから、しっかり考えてこい」と言われ、そのまま一緒に帰ることになった帰り道。


 吉野さんは普段なら話題をコロコロ変えながらエネルギッシュな笑顔を振り撒いているのに、先ほどからほとんど何も喋らない。


 こちらから話しかければ一応会話は成立するが、2、3ラリー続けば良い方。ひどい時は相槌しか帰ってこない。


 余計なお世話かとも思うし、俺なんかに慰める権利があるとも思えないが、苦しいと分かっている人を放っておくのも気持ちが悪い。


「別に焦って探さなくっていいと思うよ」


 普段とは対照的な、沈み込んでいる吉野さんにこう切り出した。


「え?」


「やりたいことなんてそう簡単に見つかるものじゃない。ましてや吉野さんは1度、テニスっていうやりたいことを見つけている。もう少しゆっくりしてもいいと思うんだ」


 ——言い切った瞬間、気がついた。


 これで吉野さんがやりたいことも見つけられずに悩んでいる、という俺の仮説が間違ってたら?


 え?やばくない?


 急になんかそれっぽいこと言い出したイタイやつにならない!?


 さっきの奥歯を噛み締めているような顔を見て勝手に想像していたが、あれってあくびを我慢してただけなんじゃ?


 今も、ただ眠いから話さないだけとか?


 あ、ありえる……。


 むしろ吉野さんならそっちの方が自然だ。


 胸の辺りから脳天を目掛けて、暑さが迫り上がってくる。


 おそるおそる隣を歩く吉野さんを見ると、


 真顔でじっとこちらを見つめていた。


 あああああやっちまったかああああ!


 と思いかけて、吉野さんの目がわずかに潤んでいることに気がつく。


「そう言ってもらえたの、初めてかも」


 初めて。その言葉が吉野さんが今まで背負わされてきた期待の大きさを表しているのだと思う。


 俺の場合は周りを見て、言ってしまえば一人で勝手に焦っていたわけだが、吉野さんは違う。


 周りの期待によって、強制的に、無理やり、焦らされていたのだ。


 かつて、大きな成果を残してしまったばかりに。


「まあほら、俺でよかったら一緒に探したりできるしさ」


「え? 探してくれるの? 一緒に?」


 吉野さんの目に期待が灯る。まるで、母親とはぐれた子どもが近くにいた大人に助けを求めている時のような目だった。しかし、探しているのは母親ではなく、やりたい事。


 ほとんど慰めるつもりで言ったのでまさか食いついてくるとは思わなかったが、そうして欲しいのなら協力するのはやぶさかではない。


 むしろこちらからお願いしたいくらいだ。


「ああ、というか俺も探さなきゃいけないしな、一緒に探してもらえると助ける」


 目を一瞬だけ大きく見開き、何かを確かめるようにこちらを見つめる。


 その目はまだ微かに潤んでいる。


「そっか、じゃあそうしてあげよっかな」


 口元を軽く手で隠しながらくすっと笑っている姿に、ウェーブがかかったミルクチョコレート色の髪が映え、彼女の周囲だけ輝いているように見える。


 彼女の髪色のせいだろうか、甘い香りがする気がした。


「あ、まって! だめだ!」


 話が纏まりかけたところで、重大なことに気がついた。


 先ほどまで、明らかに様子がおかしい吉野さんに気を取られてしまっていたが、俺に吉野さんと一緒に自分探しをする権利があるのだろうか。


 俺は吉野さんの才能に嫉妬して、理不尽に認めようとしなかったのだ。


「実は、吉野さんに言ってないことがあって、」


 伝えて関係が終わってしまうとしても、これを伝えずに協力関係を結ぶわけにはいかない。


 話す覚悟も決まっていなかったのに、これから伝えなくてはならないことを思うと、胸のあたりから緊張が全身を駆け巡るのを感じる。


「中学のころ、吉野さんの出した成果に嫉妬して、わざと考えないようにしてたんだ。吉野さんが同じ中学だったって知らなかったのも多分それが原因で」


 なんとか言い切ったものの、達成感などは微塵も感じられず、ただ全身から力が抜けるのを感じる。


 もうこのまま地面に倒れ込んでしまいたい。


 吉野さんが姿勢を固めたまま、こちらをじっと見つめてくる。


 どんな言葉が返ってくるだろうと思うと恐ろしく、1秒が10分にも20分にも感じられる。


「そうなんだ?」


 ——え?


「いやいや! もっと他にあるだろ! 『ふざけるな!』とか」


「え? なんで? まあ確かに、中学同じなの知らなかった時はびっくりしたけど」


 首を傾げて、本当に分からないといった様子で聞き返してくる。


 これ、俺がおかしいの?


 普通、こういうこと言われて何も思わないのか?


「にしても真斗くん、嫉妬してたんだ〜。えへへへへへ。頑張った甲斐がありますな〜」


 怒られるか、最悪関係を切られるくらいの覚悟を決めてのカミングアウトだったのだが。


 なんで吉野さんは嬉しそうなんだよ。


「怒らないのか……?」


「だからなんで?」


 まるで当然のことを告げるかのように、間髪入れずに質問を返してくる。


「いやだって、俺は君に嫉妬して……」


「嫉妬するほど、私をすごいって思ってくれてたんでしょ?」


「そうだけど……」


「じゃあ、むしろありがと!」


 丁寧に頭を下げてお礼を言われてしまった。


 ここまで言ってもらっているのにこれ以上、俺が悪いのだと言い張るのも変な話だろう。


「そっか。ならいいんだ。じゃあ改めてよろしく、吉野さん」


「えへへ、よろしくー」


 悩んでいたのが馬鹿らしくなるほど簡単に受け入れられてしまい拍子抜けだが、これから吉野さんと自分探しをしていく中でこの恩を返していきたいと思った。

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