■逢魔が時の倫理
今日は8月6日。
夏休み入って、もう2週間が経つ。
お昼ご飯は、相変わらず中庭で杏と一緒に食べるのが日課だ。
夏休みの今は杏は文芸部、私は占い研なので、お昼になると合流する約束をしている。
彼女と一緒に中庭へと向かう途中、こんな声が聞こえてくた。
「そういえばサイコが教室で、めちゃくちゃグロい本読んでたの知ってる?」
「グロいって?」
「なんか人体解剖図みたいな……それ見て、サイコ笑ってたんだって」
「こわっ!」
「サイコってさ、そのうち人殺しとかするかもね」
「あー、ありえるありえる」
「そしたら、あたしインタビューとかされちゃうのかな?」
「えー、シイナって、そこまでサイコと親しくないじゃん」
話しているのは、2年生の先輩。『サイコ』とは、たぶんそよぎ先輩のことだろう。
まあ、こういう噂はよく聞くので、いちいち目くじらを立てても仕方が無い。というのが先輩の考えである。
私は無視して通り過ぎる。だが、しばらく歩くと、前にいた杏が歩みを止めた。
「どうしたん?」
「もりっちは、そよぎ先輩に憧れてるんだよね?」
「それがどうしたの?」
「答えて」
振り返った杏の、真剣な表情にドキリとする。
「そりゃ、ま、部活の先輩だし、尊敬できるところもあるし、美人で頭いいから憧れてるけど」
「わたしにはわからない。あの先輩は邪悪よ。頭が切れるってのはわかってる。だから、あの人が直接人を殺すことはないと思う。けど、それでも、誰かにそれをさせる可能性はゼロじゃないと思ってるよ」
「なによそれ? 唐突だなぁ」
私は、あくまで軽口を叩くようにその話題を扱う。
「少なくとも、誰かが殺されても、あの先輩は眉一つ動かさない」
「そうね。それは私も同意する」
否定できない。だって、それが先輩だもん。
「ねえ、もりっち。あなたは、そのことに憧れているんじゃないの?」
「……」
この質問にも否定はできない。そう。私は冷徹になりたいのだ。周りに感情を左右されるモブではなく、先輩のような何事にも動じない性格に。
それはある意味、サイコパスに憧れを抱いていると思われても仕方がない。
「ねぇ?」
私は、杏との関係も心地良く思っている。だから嘘を吐く。
「先輩への憧れは、アレよ。思春期特有の性愛的なものなんだから。もう、杏、言わせないでよ。どうせこんなの、高校卒業するまでの間の熱病みたいなもの」
「……ホントに?」
杏は私を案じるように、そう問いかける。
「そうだよ。恥ずかしいなぁ、もう」
私はモブだから、当たり障りのない言い方は心得ている。
「ま、いいけど」
杏は納得しきっていないようだが、私を追求するのは諦めたようだ。
その時、後ろから私を呼ぶ声が聞こえてくる。
「守地さん。
振り返ると田中先生がいた。
「はい、なんでしょう?」
「
「あ、はい……ごめん杏。あたし職員室寄ってくから、先に中庭行ってて」
「めずらしいね。もりっちが呼び出しくらうなんて」
「うん、まあ、たいしたことじゃないよ」
私はそう言って職員室へと向かう。
**
込み入った話が終わり、職員室を出たところでハリーと会う。彼女は一人だった。
「あれ? コマは……一緒じゃないよね?」
ちょっと焦って、辺りを確認する。コマは……いないな。
ハリーとコマは、動画部という文化系の部活に入っていた。だから、放課後は彼女と行動を共にすることが多い。
「うん、ジュース買いに来たついでに、顧問の熊川先生の所に行くところ」
彼女が手に持っているのは、スイカ牛乳だった。相変わらず好きなんだなぁ。
「そうなんだ。それじゃ」
私は軽い感じでそう挨拶すると、中庭に向かおうとして足を踏み出す。が、ハリーに腕を掴まれて動きが止まる。
「もりっち……ちょっと話があるの」
深刻そうなハリーの顔に拒絶できず、私はそれに頷くことした。
私は内緒話ができそうな場所ということで、西校舎の屋上へ出る扉の前へと連れて行く。天文部が使うのは日が落ちてからだし、滅多に人は寄りつかない。
「で、話ってなに?」
私はハリーにそう問いかける。コマがらみだということはわかっていた。
「うん、あのね……」
ハリーは言いにくいことなのか、口ごもってしまう。
「なんかあった?」
「篠宮くんたちが抜けたことは言ったよね」
それは前に教えてもらった。彼が、杏に告白したことから始まったらしい。
「篠宮くんだけじゃなくて、ナジくんもでしょ?」
もともと二人でつるんでいたみたいなので、自動的にそうなるのだろう。
「うん、でね。コマはかなりそのことで荒れちゃって、変な人たちと付き合い始めたの」
「変な人?」
「うん、一言で言えば反社の人かなぁ?」
コマはへんに真剣な、引きつったような顔で言う。冗談とは思えない。
「こないだの公園に来た奴らは、コマの仲間じゃないの?」
「あれは、ネットで見つけてきたクズだから」
そうだろうな。そよぎ先輩の予想でも、コマたちが直接会わないで済む方法だって言ってたし。
「まあ、いいや。それで?」
「うん、今度はもっと酷いことになりそうなの」
彼女は切々と訴えてくる。その言葉には恐怖をはらんでいた。
「言ったよね。これ以上やったら容赦しないよって」
私は釘を刺す。
「私じゃ無理なの、コマの暴走は止められない。ケンケンもカザミィも、あの子に洗脳されちゃってるみたいなの」
「まあ、いいよ。返り討ちにしてやるだけだから」
私だって、そよぎ先輩の影響を受けているし、多少のことでは怖くなくなってきた。
「ダメ。今度は相手はプロみたいだから」
「プロ? どういうこと?」
「臓器売買のブローカーだっていう、知り合いの人に頼んだみたい。抵抗される間もなく、拉致られて臓器抜かれて殺されるって」
『臓器売買のブローカー』という設定に、私は呆れてしまう。ハリー、中二病が過ぎるって。
「めちゃくちゃ、大がかりな組織じゃない。そんな奴らに付き合う度胸はコマにないって」
この場合は、度胸というより頭脳だな。わりとおバカな子だというのは、あのグループを抜けて外部から見てわかったことだが。
「でも、コマに逆らった3組の根岸さん、1週間前から行方不明なんだって……」
「マジ?」
でも、さすがに臓器売買組織に拉致されたなんて、荒唐無稽な話だ。
「コマが、その反社の人と話してるの聞いちゃったの。だから、もりっちも気をつけて。ヤンにも言っておいて」
ハリーの顔は真面目で、冗談を言っているようには見えない。信じられない話ではあるが、警戒しておくに越したことはないだろう。
**
8月7日。
次の日も、部活のためだけに登校する。
我が美南高等学校は部活動の盛んな学校であり、部室棟というものが古くから建てられていた。
西側の体育館脇にある第一部室棟は、運動部に割り振られたもので、所属する部員がロッカー室代わりに使っているものだ。
一方、校庭を挟んで東側に建てられている第二部室棟は、文化部用に割り振られたものである。もちろん、化学部や生物部、天文部のように校舎内に活動箇所があるような部は別だが、それ以外はこの部室内で活動するのが基本だった。
夏休みは、昇降口で上履きに履き替えると、教室ではなく第二部室棟へと直接向かっていた。
今日はかなり暑くなりそうなので、食堂まで行って水分補給のためのジュースを買うことにする。
基本的にジュース類は紙パックのものばかりだ。エコに配慮したというより、缶ゴミを分別せずに散らかす生徒が増加したために、缶ジュースは発売中止になったらしい。私がこの学校に入る前の話だそうだ。
ゆえに、目の前の自販機はマイナーなメーカーのジュースが並んでいる。基本的には乳製品。
右からイチゴ牛乳、バナナ牛乳、スイカ牛乳、コーヒー牛乳、無調整の牛乳の5種類が並んでいた。
一番人気は、男女ともに売上げトップの珈琲牛乳で、最下位はスイカ牛乳である。スイカ果肉の水っぽさも再現されているので、微妙に牛乳と合わない感じがあって、飲む人は少ない。
私の周りでも、ハリーくらいしか買ってないのではないかと思う。
まあ、ここでしか買えないレア感はあるが、私もあんまり好きじゃない。なので、女子に人気のイチゴ牛乳を購入した。
それを持って部室へと向かう。
第二部室棟の建物は、古いコンクリート造りで壁面にはツタが這った、ある意味不気味な雰囲気を醸し出している。
とはいえ、西側の窓の外には園芸部が管理する花壇があり、今の時期にはルリマツリの淡いブルーの花が満開となっていた。
私が所属する占い研究部は、その第二部室棟の2階に位置する。
「おはようございます」
部室を開けると、先輩は氷と黄金色の液体が入ったブランデーグラスを片手にこちらを向く。少し頬が紅潮していた。
いや、まあ中身はアルコールでは無く、ただの麦茶だろう。
あと、朝から暑いせいだ。とはいっても、午前中は第一部室棟ほど部屋の中は暑くはならない。東側には雑木林があるせいで木陰となるのだ。だから、窓を開けて、入り口のドアを開けたままにしておけば風通しはよくなる。
まあ、占い研の場合は相談室があるので、生徒が来た時はドアを閉めることになる。相談内容が外に漏れないためだ。
それゆえに、どこで入手したかわからないが、窓用のエアコンが付けられている。暑い日などは、これがフル稼働するのだ。もちろん、他の部室にはない。
「おはようございます。モブ子さん」
「今日は何人くらい来ますかね」
昨日は午前、午後、合わせて6人くらいは来ていたと思う。
「そうね。昨日より少ないことを希望するわ。ところで、もう並んでおりました?」
「さすがに朝一では、いませんね」
夏休みとなると、部活をやっている者以外は、わざわざ朝早くに起きて学校にくることもないだろう。昨日だって、午前中は相談者がほとんど来なくて、午後に集中したくらいだから。
「並んでないなら、部屋の中で待ちましょう。相談者が来れば扉をノックするはずよ」
「そうですね」
私は椅子に座ると、スマホを取り出す。時間つぶしにはこれが一番だ。
先輩はというと、文庫本を取りだして読み始める。
部屋の中は、二人だけの静かな空間となった。ときどき聞こえてくる蝉の声、そして運動部のかけ声などは、ほとんど気にならない。
夏の日のゆったりした時間は、私の心を癒してくれるのだろうか?
小一時間ほど、心地良い時間は続く。だが、突然先輩が笑い出した。
「あはははは!」
そういや二人きりの時は、先輩の気が緩んで『お嬢様さ』が失われる時があるんだっけ。
「先輩、何が面白いんですか?」
「あら、ごめんなさい。いえ、本の内容があまりにも傑作で、笑いをこらえることができませんでしたの」
「コメディか何かの作品ですか?」
「いえ、ノンフィクションよ」
「エッセイじゃなくて?」
『笑える』といったら、私はそちらのジャンルを思い出す。
「いえ、歴史書に近いのかしら」
「歴史ですか? 何か笑えるような、歴史上の出来事ってありましたっけ?」
「歴史といっても、メジャーなものではないわ。わたくしの読んでいるものは『マッドサイエンティスト』の歴史ですの」
「まっどさいえんてぃすとですか?」
「これよ」
先輩が表紙を見せる。『世にも奇妙な人体実験の歴史』という本だ。タイトルからして、その内容が窺い知れるマニアックなものであった。
「どんな内容ですか?」
昔の私だったら、思わず眉を顰めただろう。そりゃそうだ。人体実験なんて、マイナスなイメージしかないのだから。けど、今はそういうものに対しても慣れがある。
「中身は真面目なエピソードがほとんどですわよ。自分の肉体で危険な実験を行ったっていう、いろんな意味で痛々しい話なの」
「あ、そっちの痛いですか」
恥ずかしいという意味で無く、苦痛の方か。
「特に今読んでるジョン・ハンターのエピソードは凄いのよ。彼は淋病患者の膿を、自分の性器に塗りつけて、病気の感染具合を検証したの」
「へぇー、奇特な方なんですね」
知識を追求するのだから、自己犠牲すら厭わない人なのだろう。マッドサイエンティストらしいエピソードではあるか。
「このジョン・ハンターの話は、その前の『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』というのを読んでおりましてね。そちらは、けっこうグロい話がありましたから、そのギャップで笑ってしまったの。だって、彼、実験のおかげで一生性病で苦しむのですよ」
「今の話でも、十分グロい感じはしますけど」
モブの私は、それを気持ち悪いと思わなければならない。けど、こみ上げてくるのはシニカルな笑い。
「前の本はね。何がエグいかというと、精密に描かれた臨月直前の子宮辺りの解剖図の話がエグいですわ。それも18世紀のロンドンでのことですの」
「18世紀っていうと、中世……じゃなくて近世でしたっけ」
「そう。まだX線が発見される前だから、レントゲン写真のない時代のこと。解剖することでしか、人体内部の構造がわからない時代」
「解剖というと、日本でも杉田玄白とか有名じゃないですか」
教科書で習った歴史の方しか、私は知らない。先輩はマニアックすぎるんだから。
「日本はまだ江戸時代だったわね」
「そんな昔なんだから、解剖して絵に残すのは普通じゃないんですか?」
カメラが普及したのが19世紀以降だから、それ以外に方法はないだろう。
「そもそもね。当時のイギリスでは、遺体の解剖なんて、死刑になった罪人でしかできなかったの。しかも妊娠中の女性は『死刑にされない』という法律まであったの。そんな中でジョン・ハンターは、優秀な外科医の兄のために、死体を集める仕事をしていたのよ」
「……」
私は、ジョン・ハンターになりきって考えてみることにした。
「ジョン・ハンターの兄は、妊婦の妊娠初期から臨月直前まで、段階ごとの死体の解剖図を論文で発表したのよ。これがどういうことかわかる?」
「……」
最適解は見えてくる。
「ただでさえ、入手困難な妊婦の遺体が偶然手に入った……なんてことあると思う? しかも妊娠初期から臨月まで段階ごとですわよ」
「……」
結論を私の頭が導き出す。いや、時代が時代だから、これもありえる推測か。
「想像で描いた? そんなことないわよね? わたくしもその図を見てみましたが、かなり精密で正確よ。実物を見ないと描けないわ」
「まさか、誘拐から解剖までの組織的な犯罪が行われていたと? 私がジョン・ハンターの立場であればそうしたのかなぁ?」
でもこれは、小説の中の出来事じゃない。
「証拠は、ないらしいですけどね」
「もしかして、切り裂きジャックと取引でもしてたのでは?」
私は苦笑しながらも、まったく関係ないような事と結びつけてしまう。これは直感でしかないが。
「どうして、そう思うのかしら?」
「同じロンドンですし、年代も重なってる。彼は無差別殺人を犯していたのではなく、解剖できる妊婦を探していたのかもしれません」
犯人は、解剖学や外科学の知識があったと考えられているし。
「いい推理ね」
「あははは、実際に切り裂きジャックの立場になってみた場合、快楽殺人でないのなら、それが一番『しっくりくる』かなって思いまして」
「……モブ子さん。あなた気付いています?」
そよぎ先輩が微笑む。先輩の場合は、含みのある時によく見る表情だ。
「何がですか?」
「ジョン・ハンターや、切り裂きジャックの立場で考えられるってのは、ある意味特殊なのよ」
「特殊ですか?」
「そう、まるでサイコパスみたいに」
そよぎ先輩の目が冷たく光る。それはまるで、心を見透かされたように。
「……」
否定の言葉が出てこない。
たぶん、そよぎ先輩のせいだ。
先輩と放課後の時間をそれなりに過ごしてきて、かなり影響されてきた。それこそ、ちょっとしたことさえ、私は動じなくなってきている。
私はたぶん、先輩のように『誰かの死体』を見ても何も感じないだろう。笑えるかどうかはわからない。でも、確実に自身の変化に気付いていた。
その時、ちょうどスマホに設定していたアラームが鳴り出す。
「すいません、ちょっと電話かけてきますね。あと、お花を摘みに」
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