■Friday night fantasy~映画監督になろう!(2)
「ねえ、遠藤くん。なんかおかしくない?」
「何がだ?」
映研仲間の沢取が、さきほどから何かに怯えるような素振りだ。
リハーサルのために学校の中を歩いているだけだというのに、彼女の様子がだんだんとおかしくなってきている。
「窓際に変な人が見えたり、呻き声のようなものが聞こえたり、そもそも、なんで灯りが点かないのよ」
彼女は段々と、情緒不安定になってきている。
「窓際のやつは、オレは見てないからなんとも言えないけどさ。さっきの変な声は猫じゃないのか? 発情期ってなんかそんな声出すらしいぞ」
「わたしの近所にも野良猫いるけど、あんな声じゃないよ。それに懐中電灯一つで回れなんて、ちょっとおかしいんじゃない?」
「本番は暗い中で歩くんだし、それでも、きちんと動けるようにっていうリハーサルだろ? 今のうちに、順路を頭に叩き込んでおけよ。台詞を覚えるより簡単だろうが」
「そうだけど、なんか変なんだよぉ」
3階に行くと、視界がぼんやりしてくる。暗い中なのだから、よく見えないのはしかたないのだけど、なんだろう? 懐中電灯の灯りで照らされる範囲の光が拡散しているというか……。
「この部屋に入るのよね?」
渡された図を見ると、順路として音楽室に入るようになっている。
「前の台本だと、誰もいないのにピアノの音がするっていうやつだったよな」
「まさか」
「なに、びびってるんだよ。もしそうだとしたら、台本通りじゃないか」
オレは気にせずに、音楽室の扉を開ける。
「……ひゃぁ」
「変な声出すなよ。何もないぞ」
音楽室は廊下にいたときより、さらにぼんやりとした視界だ。懐中電灯の光は散乱していて、すぐ近くにあるピアノもその輪郭がはっきりしない。
「なんかおかしいよ」
「でも、ピアノが誰も演奏してないのに音が鳴る……なんてことはないぞ」
「ねぇ、あれなに?」
沢取りが指差す先には、ナイフのようなものが二つ、机の上に置いてあった。。
「小道具じゃないのか?」
何か危険な感じがして、近づくのをためらってしまう。
「なんで音楽室にあんなものがあるの?」
「とりあえず次行くぞ」
その時だった、窓の方からガタンと叩くような音が聞こえる。
「っ!!」
「ひっ!」
窓の方を見るが、特にこれといった変化もない。
「風の音だろ?」
と呟いた瞬間。
窓に手が叩きつけられる。その手は、血まみれのように真っ赤に染まっていた。
「あれ? ここ3階だろ?」
さらに手が叩きつけられる。何度も何度も。窓ガラスは、血の跡のような手形で埋め尽くされていった。
「……あ……ぁぁぁぁ」
沢取は腰が抜けたように座り込む。
「冗談きつすぎるって」
さらに、不快な高音が響いてくる。大音量ではないが、身体が拒否感を抱くような音だ。
不安は増大されていく。
何かがおかしい。いや、これも撮影のための準備なのか?
急に音楽室の扉が開いた。
「うわ!」
「きゃ!」
誰かが入って来たので、心臓が飛び出るほど驚く。
「あれ? 二人ともこんなところに居たんだ」
入ってきたのは平野だった。
「なんだよ。びっくりさせるなよ。あのドッキリおまえがやったんか?」
オレは窓の手形を指差し、そう問いかける。
「ドッキリ? なんのことだ?」
「見えないのか? あの手形だよ」
オレは懐中電灯を窓の方に向ける。
「手形? 何言ってるんだ? そんなことより、今までどこに隠れてたんだよ。あれから4時間たっても帰ってこないから、心配してたんだぞ」
4時間? オレは慌ててスマホを見る。まだ20時32分だった。
「何言ってるんだよ。まだ30分くらいしか経ってないだろ?」
「いや、4時間もおまえらと連絡とれなかったから、探し回ったんだ。ほら、俺のだと0時過ぎてるだろ?」
平野が、スマホの画面をこちらに向ける。たしかに、0時27分と表示されていた。
いや、これも込みで平野のどっきりか?
そう思って、音楽室備え付けの時計を見る。
0時27分。
背筋がゾッとした。俺たちは30分くらいだと思っていた時間が4時間も経っていただと?
ガタンガタンと、扉が開いて閉じる音がする。平野が入ってきた扉とは逆の後方の扉だ。
だが、誰も入ってきた形跡がない。
「あれ? 開かないぞ」
平野が、入ってきた方の扉に手を掛けて、がちゃがちゃとドアノブを回す。
「落ち着けよ。室内側に鍵を解除するサムターンがあるだろ?」
「どっちに回しても開かないんだよ!」
「そんな馬鹿な」
俺は平野に代わってサムターンに手を掛ける。だが、右に回しても左に回しても扉はビクともしなかった。
「どうなってるんだよ!」
パチンと何かを叩くような音がする。と同時に、室内が橙色に染まった。
『生け贄を捧げよ』
不気味な声が聞こえてくる。その声質は、ここにいる三人の誰のものでもない。しわがれたような、老人のような声。
「誰だ? 誰かいるのか?」
声の主に向かって話しかける。
沢取は声に驚いたのか、後方に走って行き、部屋の灯りを付けようとスイッチを何度もオンオフする。が、明るくなることはなかった。
停電なのか?
「点かないよ。どうして?」
さらに彼女は、外に出ようと扉を開けようとしている。だが、そこも開くことはない。
「開かない! 助けて、誰か助けてよ!」
沢取は狼狽えている。
『二人の生け贄を捧げよ。さすれば解放される』
なんなんだよ、これは。
「うぎゃあああああ!!」
平野が急に奇声を上げたかと思うと、首元から大量の血が噴き出した。そして、そのまま倒れてしまう。
「やだ。やだよ。なによこれ?」
沢取は、口に手を当てて呆然とする。
『あと一人。生け贄を』
その声が響くと同時に、沢取が狂ったように叫び出す。
「きゃー!!!!!!!!!!!」
「落ち着けよ。これはきっと……」
きっと……なんだ? リハーサル? それにしてはやり過ぎだ。
「イヤ……死にたくない!」
沢取が、置いてあったナイフを手に取る。
「え?」
そして、こちらに向かって歩いてきた。その足取りはおぼつかない。
「遠藤くん、お願い……」
何か思い詰めたような表情。いや、完全に我を失っている。
「おいおい……冗談だろ」
相手はか弱い女の子だ。逃げようと思えば逃げられる。だが、音楽室の外には出られない。
一歩一歩、正気を失った沢取が近づいてくる。
「あなたが死んで……」
どこにも逃げられない。そして、俺には彼女を殺すことなんてできない。
次の生け贄は……オレか?
靄がかかった室内が、赤く反転する。
オレだって死ぬのは嫌だ。だから、もう一つの残ったナイフを……。
「ハイ、カット! ですわ」
音楽室がパッと明るくなると、窓が開いて今回の監督代行である
「え?」
やっぱりドッキリなの?
「いい表情だったわ。一発撮りのリスクはあったけど、わたくしの映画理論は正しかったのですね」
「映画理論?」
「そうですわ。役者に演技をさせてはいけません。体験したことのない事など、演技できるわけがないんです。ならば、演技ではなく『実際に体験させてやればいい』という理論ですわ」
「先輩、それ、邪道すぎますよ。プロの役者さんにやらせたら、総スカン喰らいますって」
窓の外から、もう一人女生徒が室内へと入ってくる。そういえば窓の外って、階ごとに
それに彼女たち、安全ベルトのようなものを付けていたから、命綱もあったのだろう。
ということは、あの手形も彼女たちの仕業か。
「びっくりした?」
血だまりの中から、平野がゆっくり起き上がる。そうだよなぁ……。
「え? え? え?」
沢取は、まだ状況を把握できていないようだ。そんな彼女の顔を見て、くすりと笑う。
いや……笑えない。
あの時、あいつは本気で俺のことを……。
**
「先日はありがとうございました。これで映画もバッチリです」
後日、平野先輩が夕月堂のケーキを持って部室を訪れる。高校生とは思えないほどのマメさだなぁ。
「そう良かったわ」
映画はまだ完成までいっていないが、あとは先輩のアイデアどおり、撮影されたものをうまく編集して、それっぽいストーリーをナレーションで入れれば終わりだろう。
そよぎ先輩に相談して、うまくいく行く確率は半々だ。言い過ぎたり、問題解決以上のトラブルが起きた場合は、ヘイトを溜めることになる。
今回は大成功の例だ。こういう場合、相談者はそよぎ先輩の信者になることが多い。先輩は、そういうのはあまり好まないが、アンチになられるよりはマシだろう。
それに先輩は、おだてられるとけっこう『いい気になる』ってことに最近気付いてきた。
「そういえば、今日、調理実習室で事故があったのをご存じですか?」
平野先輩が、世間話をするようにその話題を持ち出す。
「いえ。何かあったのかしら?」
「ドライアイスを大量に使いすぎて酸欠で倒れたとか」
「ドライアイス?」
「ええ、実習室のエアコンが壊れていたらしく、数台の扇風機の後ろにおいて、部屋の中に冷たい空気を送り込んでいたみたいなんですよ」
エアコンの代わりになると思ったのか。
「なるほど、ドライアイスは二酸化炭素を固体化したもの。気化した冷たい空気を送り込んだら、そりゃ部屋の中はその気体に満たされて酸欠になりますわね」
「そうなんですよ。危険な行為を、理解していない生徒がいたってことです。うちらも撮影で、かなり注意しましたからね」
事前にそういう知識があったからこそ、私たちは慎重に扱ったのだ。
「救急車の音は聞こえてきませんでしたが、大事には至らなかったということですか?」
「はい、1年生一人が保健室に運ばれてとのことです。たしか1年5組の風海泉乃だったかな」
カザミィが?
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