◆灯点し頃の解答(2)
「ええ、そうですが」
山城杏は、自分が疑われていることに気付いていないのだろうか?
「キミの部室、たしか文芸部だったよね? 窓や扉は開けてたのかな?」
中年の刑事は、第二部室棟の間取り図の書かれた紙を取りだして、文芸部の場所を指す。
「そうですね。エアコンがないので、風通しを良くするために開けてました」
「だとすると、部室の前を通る人が見えるはずだ。キミは午前中に、あの部屋の前を誰かが通ったのを見た覚えがあるかね?」
文芸部の部室は1階の一番手前にある。入り口は北側にしかなく、一番奥の動画部の部室に行くためには、そこを絶対に通らなければならないのだ。人が二人並んでなんとか歩ける程度の狭い廊下なので、たいていは気付くだろう。
それは外から入る場合もだが、2階の部室から降りて動画部の部室へ行くときも同様だ。
「そうですね。窓際を瀬に向けて座ってましたし、風通しの良い扉の近くにいましたから、誰かが通れば気付いたと思いますが……本に集中していたこともありますので、気付いたのはハリーの時くらいかな? あ、いや、それより1時間くらい前に誰か通ったような」
彼女は何かを思い出したように、視線を左に向ける。これは、そちらに何かがあるのではなく、過去の記憶を引き出すのに右脳に負荷をかけたということだろう。
「ハリーとは?」
「あ、えっと、そこにいる橋元さんの愛称です」
山城杏は、向かいのベッドにいる彼女を指差す。
「彼女を見かけたのはいつですか?」
「11時半くらいだったと思います」
「なるほど、では、それより1時間前くらいに通った人は誰だかわかりますか?」
「うーん……本に集中していたから、誰ってのはわからなくて」
10時半くらいか。たぶん、それはモブ子さんだろう。彼女は電話をかけた後にトイレに行くと言ってたっけ。
わたくしは、モブ子さんの方に視線を向ける。彼女は話を聞いていなかったようで、無表情のまま窓の外を見ていた。
刑事さんに伝えるべきだろうか?
いや、モブ子さんは、部室棟の1階のトイレに行くとは言っていない。何か用事があって校舎の方へ行ったのなら、そちらで済ます方が自然だ。
証拠もないのに、下手なことを言って捜査を混乱させても意味はない。
「橋元さんに気付いたのはなぜですか?」
中年刑事が、山城杏にそんな質問を投げかける。
「あれは、ハリーがこの部屋に用があって入って来たからだと思います」
「橋元さん、文芸部の部室に行ったのですか?」
中年刑事は、橋元莉々の方へと視線を戻す。
「はい、動画部の部室に行く前にヤン……山城さんに話があって」
そういえば、橋元莉々はモブ子さんには謝ったが、山城杏にはなかなか謝れないと言っていたっけ。話とはたぶん、それの事だろう。
「なるほど、では、文芸部の部室のあとに、動画部の部室へ行ったと」
「はい」
中年刑事は、再び山城杏へと顔を向け、こう問いかける。
「橋元さんが部屋を出て、どれくらい経ってから、あなたたちは動画部へ行きました?」
「3分もかかってないと思います。すぐに悲鳴が聞こえて、何があったんだろうって外に出たら、2階から降りてきた、もりっちたちと出会って、すぐに動画部の部室にいきました」
「そこですぐに、古地目さんの遺体を発見したのですね?」
「そういうことになります」
「ありがとうございます」
刑事が、社交辞令的な感謝の言葉を述べたとき、山城杏が小さく声を上げる。
「ぁ……」
何かを思い出したのだろう。彼女の視線がモブ子に向く。
「何か思い出されましたか?」
中年刑事が、彼女のその反応に気付いたようだ。
「いえ……」
「本当ですか? このままだと、あなたが犯人として疑われるかもしれませんよ」
中年刑事が揺さぶりをかけてくる。
「え? なんで?」
「あなたの部室の前を通ったのが橋元さんだけなら、被害者を殺すことができるのは山城さん、あなただけになってしまいますからね」
脅しをかけてくる刑事。彼は別に、山城杏を疑っているわけじゃないだろう。単純に証言を引き出したいだけだ。
正確には犯人候補はまだいる。が、それはあえて言わないのだろう。
でも、山城杏は無言を貫く。刑事たちも、彼女だけの証言にこだわるわけにいかない。
そのため聞き取りは、工藤明、中村修二、わたくし、モブ子さんの順で進められた。
**
事件が起きたあの時、第二部室棟にいたものは、保健室にいる6人のみだ。
文芸部の隣の新聞部は、県大会の取材で、そもそも学校にいない。占い研の隣の漫研は、たしかトレース台を持っている里中さんの家で、コミケで出す同人誌の追い込み作業をしているはず。そのさらに隣の将棋部は、大会の予選で東京まで遠征中。
あの部室棟にいた者たちの行動をまとめると、次のようになるだろう。
午前9時に部室に居たのは古地目由真、橋元莉々、工藤明、わたくし、モブ子さんである。
工藤明は朝から部室で映画を観ていたらしい。9時半になるとアクションシーンが激しくなり、その大音量に対して古地目由真が映研まで苦情を言いにいったようだ。そのさいに工藤明は、彼女の生きている姿を見ている。
その後、工藤明はヘッドホンをして映画に集中していたと証言していた。
9時半になると山城杏が登校してくる。映研の騒ぎを知らないようなので、彼女は9時半を過ぎた頃に部室に到着したのだろう。
そして、中村修司が10時に登校してくる。
中村修司が来た頃に、ちょうどモブ子さんは所用で席を外していた。彼女が部室に戻ってきたのは10時半頃だ。
その時に山城杏は、自分の部室の前を人が通ったと証言しており、モブ子さんもそれは自分だと認めていた。
11時くらいには、占い研に1年生の高坂純麗が相談にやってくる。が、わたくしのアドバイスが気に入らずに、10分ほどで怒って出て行ってしまう。
11時半になると橋元莉々が登校する。
動画部の部室に行く前に文芸部、つまり橋元莉々に会いに行ったという。
理由については、次のようなことを言っていた。
それまでモブ子さんばかりに謝罪していた彼女が、ようやく決心がついて、いじめた本人に謝ることができたと。
そして、橋元莉々が文芸部を出て1分も経たないうちに、彼女は動画部の部室で悲鳴を上げる。
第一発見者は犯人と疑われることが多いというが、あの状況でそれは不可能に近いだろう。
橋元莉々が犯人で、被害者が喉が切られたばかりなら、彼女は血まみれになっているはず。
もし、何らかの方法でそれを防げたとしても、わたくしたちはその直後にその部屋に入ったわけだから、被害者の傷口からは、まだ血が噴き出していなければおかしい。
わたくしが見た時には、血は止まっていて蒼白化が始まっていた。死後30分以上は経っていたのは間違いないはずだ。
となると、古地目由真が死亡したの9時半から11時までの間。
とはいえ、映研の工藤明が嘘を吐いていたとなると話は別だ。
動機としては弱いが、彼は古地目由真に告白して振られたという過去がある。さらに、映研は動画部の隣のため、山城杏に目撃されることなく犯行は可能だ。
けれど、可能なだけで、そんなことをやらかしたら普通に疑われる。
彼が古地目由真を殺して、そのまま放置した。逃げずに? 不可解ではある。
他に、犯行が可能な人間はいるだろうか。
例えば中村修司は? 彼は根岸陽菜に片思いをし、その彼女は古地目由真とのトラブルが原因で自殺未遂を起こした。
その噂が変に尾ひれがついて、根岸陽菜が行方不明になったということになっているが、それは間違いだということは早紀先輩の情報網で裏は取れている。
根岸陽菜のことで、中村修司は古地目由真を恨んでいるだろう。十分な殺害する動機を持っているとも言える。
あとは山城杏だ。彼女は古地目由真たちから、嫌がらせを受けていた。彼女を恨む理由はあるが、殺意があったかというと疑問である。
モブ子さんの話では、彼女は正義に重きを置く性格。殺人などをするくらいなら、他の手段をとるだろう。
さらに考えられるのは、橋元莉々の話が嘘だった場合だ。
例えば、彼女はわたくしや山城杏や工藤修司よりも早く登校しており、古地目由真を殺害後に校内に隠れ、何食わぬ顔で11時半に部室棟にくれば、自分は第一発見者となりながらも、殺害は不可能だと証明もできる。
ただし、この推理は成立しなかった。
橋元莉々は登校する前に、自宅でライブ配信を行っていたという。それが9時半から11時の間だ。
配信時には、自宅の部屋の時計なども映り込んでいたと言っている。それだけなら、前もって収録した動画を、ライブ配信時に流すということもできる。
しかしながら、彼女は視聴者からのコメントでの質問に、リアルタイムで答えているのだ。予知能力でもない限り、収録した動画ではできないことである。
しかも彼女の家は、学校までは電車通学のために30分はかかるのだ。ライブが終わって、すぐに学校に来て、古地目由真を殺し、どこかに隠れて11時半に再び部室棟に現れるなんて芸当はできるはずもない。
そう考えると、残るはモブ子さんだ。
古地目由真を、殺すほどの殺意を持っていたとは思えない。しかしながら、彼女を殺せる状況であったことは間違いない。
そして、わたくし自身。
モブ子さんが席を外していたので、わたくしのアリバイもあやふやになる。
その気になれば、モブ子さんの不在時に、2階の窓からロープか何かで降りて1階の窓へと侵入し、古地目由真を殺害したのちに再びに2階に戻ればいい。
こうすれば、1階の文芸部の前を通ることなく犯行が可能だ。
とはいえ、可能なだけで、わたくしには古地目由真を殺害する理由はない。
そういえば、中年刑事が聞き取りの途中で、若い刑事に耳打ちをして彼は保健室を出て行った。
何を指示したのだろうか?
わたくし自身は犯人でないのだから、捕まることはないだろう。だから、どうでもいいことではあった。
だた、同じ『どうでもいい古地目由真』が殺されたことについて、どうしてわたくしは、こんなにも真剣に考えているのだろうか?
たぶん、一つの懸念があるからだ。
それはもしかしたら、わたくしの弱点にもなりえるものだから。
しばらくすると、若い刑事が保健室に戻ってくる。
「ヤマさん、見つかりました!」
真剣な顔で中年の刑事に呼びかけると、近づいて何か耳打ちする。「ロッカー」「血まみれ」「ナイフ」という単語が漏れてきたのを、わたくしは聞き逃さなかった。
「守地忍さん。ここだとお友達もおりますし、応接室の方でお話を伺えないでしょうか?」
中年刑事はモブ子さんの方へ向かい、彼女にそう告げる。
「なんですか?」
彼女は能面のような顔で、そう問い返す。
「ゆっくりとお話を聞けたら幸いです」
「行かないとダメですか?」
「学校側には許可をいただきました。こちらとしても、あまり手荒な真似はしたくありませんから」
中年刑事はあくまでも丁寧な対応で、モブ子さんに話しかける。
「それでは、しかたないですね」
彼女は同意するように頷くと、刑事と共に保健室を出て行こうとする。
振り返ったモブ子さんと目が合った。
彼女はわたくしを見て微笑む。え? どういうことでしょう?
まさかあの子は、捕まることを想定していた?
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