◆灯点し頃の解答(1)

 これは、わたくし戦技そよぎ彩子あやこが一人の少女と別れるまでの物語。


 モブ子と名付けたあの子が、その他大勢ではなくなるというお話だ。


 悲しくはない。あの子は、わたくしの前を通り過ぎただけのことなのだから。




**



「あんた何様のつもり!」


 相談者が怒り狂って立ち上がる。高坂たかさか純麗すみれという1年生だ。下級生だというのに、高飛車な性格のようだ。


「あなたは、少し冷静になられた方がいいですよ」

「ああ、もう! 今日は最低。電車が止まって真島先輩も安藤くんも来ないし、あたしを癒やせる人が誰一人来ないんだから」


 電車が止まってるって、そんな不可抗力なことで不機嫌になっているのか、この子は。

「そんなの知りませんわ」

「もういい!」

「わたくしはアドバイスを強制するつもりはありません。お気に入りいただけないのであれば、お帰りはあちらからですよ」


 わりとよくある反応なので、わたくしはそれに動じることもない。


「言われなくても帰るわよ!」


 高坂純麗は、扉を乱暴に開けて出て行ってしまった。


「モブ子さん、次の方はいらっしゃるかしら?」


 まだ午前中なので、並んでいる人はいないだろうと思いつつも、念のために彼女に聞いてみる。


「……」


 彼女は何か考え事をしているようで、わたくしの声が聞こえていないようだった。


「モブ子さん?」

「あ、はい。なんでしょう?」

「次の方はいらっしゃいますかね?」

「えっと、見てきます」


 彼女は、焦ったように立ち上がると扉の外を窺う。そして「いないですね」と苦笑しながらこちらに顔を向けた。


 その表情に違和感を覚える。彼女が、何かを隠しているように思えるからかもしれない。それは、彼女が何かの用事で席を外し、戻ってきてから感じたものだ。電話とトイレと言っていたけど、それは本当なのだろうか?


 気にしていても答えはでない。なので、わたくしは読みかけの本を手に持ち、読書を再開した。


 再び部屋に静寂が訪れる。


 その時だった。


 女生徒の悲鳴が聞こえる。それも尋常じゃない感じの叫び声だった。


「先輩、聞こえました?」


 モブ子さんも、それに反応していた。


「ええ、何かあったようね」


 声が聞こえてきたのはたぶん、部室棟の1階からだ。反射的に、スマホを取りだして時間を確認する。11時36分である。


 扉を開けると、隣の写真部からも男子生徒が出てきた。


「ナジくん」


 モブ子さんが声をかける。彼女の話では、彼は中村なかむら修司しゅうじといって、クラスメイトで元友人関係だったという。


「叫び声聞こえたよな?」

「うん。なんだったんだろう?」


 彼とともに階下へ降りると、一階の手前の部室からも出てくる一人の女生徒が見えた。


「杏」


 不安そうに、モブ子さんが彼女に声をかける。


「あ、もりっち。もりっちにもあの悲鳴聞こえたんだ」

「うん、たぶん奥の部室だよね?」

「そうだと思う」


 モブ子さんと山城杏はクラスメイトで、お昼ご飯を一緒に食べる仲だ。ゆえに、山城杏の顔からは、モブ子さんが来たことでの安堵感が窺える。


「たぶん、ゴキブリか何かが出たのだと思いますが、いちおう確認した方がよろしいですわね」


 わたくしは、あくまで冷静に三人に伝えた。いちおう、この中では私が最も年齢が高いのだから。


「そうですね。先輩、見に行きましょう」


 わたくしが先頭を歩き、後から三人が付いてくる。


 一階は手前から文芸部、新聞部、映画研究部、動画部、女子トイレとなっていた。悲鳴があったのは、一番奥の動画部だと思われる。


 建物はシンプルな作りであり、一本の廊下が南方向に伸びている。入り口は北側の1箇所のみである。


 部室棟は、一部の部屋を除いてエアコンが設置されていないので、夏になると大抵は扉が開けっ放しとなっていた。


 新聞部の扉は閉まっている。たしか、野球部の県大会の取材で出かけて、誰もいないのだろう。


 映画研究部の扉は開いている。中には、モニタ画面を食い入るように見ている、男子生徒の背中が確認できた。彼はヘッドホンをしているようで、叫び声に気付いていないようだ。


 動画部の前に行くと、扉が開けっ放しで、中には一人の女生徒が座り込んでいた。といっても、彼女の状態は普通ではない。


 まるで足元から力が抜け、腰を抜かして座り込んでしまったかのようであった。


「ハリー?」


 入り口から山城杏が声をかける。


「どうしたの? ハリー」


 モブ子さんが、さらに問いかける。が、返答はない。


 わたくしは部室内に入り、入り口からは死角になっていた部屋の右側を見る。


 そこには血だらけの女生徒がいた。


 彼女は、鋭利な刃物で喉を切られて、絶命しているようにも思える。


 だが、わたくしは、一目でそれが遺体と確認できるほどの知識もない。だから、彼女に近づき、口元に手を近づけて呼吸をしているかを確認した。


 なるべく現場を荒らさないようにと、彼女にはなるべく触れないことを心掛ける。


 手に息が当たるような、通常の呼吸はしていない。しかも、流れ出ている血の量はかなりのものだ。


 亡くなっている可能性は高いだろう。そんな風に、淡々と確認作業をしていると、後ろにいた三人も部屋に入ってくる。


「え? 嘘? コマ?」


 山城杏が口に手を当ててショックを受けているようだった。『コマ』ってたしか、モブ子さんや山城杏をいじめていたグループのリーダーか。『古地目由真』という名前だったと思う。


「マジかよ」


 中村修司も、コマと呼ばれる少女の惨状に顔を歪ませていた。


「先輩、彼女、息がありますか?」


 モブ子さんが冷静に、そう聞いてきたのでわたくしは常識的に指示を出す。


「すぐに職員室に行って、先生にこのことを伝えてください。生きている可能性もありますから、救急車を呼んでもらいましょう」

「はい!」


 彼女は駆けだしていく。わたくしの予想では、すでに亡くなっていると思う。けれど、こういうのは専門家が判断すべきであろう。


 さてと。


 わたくしは座り込んでいる「ハリー」と呼ばれる少女を見る。彼女は『コマ』と同じグループの一人だったはず。名前はたしか橋元莉々と言ったっけ。


 彼女は放心状態だった。


「大丈夫かしら?」


 わたくしは、そう声をかけながら彼女を観察する。


 橋元莉々の制服には返り血は付いていない。相手の喉を切るのだから、かなり近づかなければ行えない行為である。


 ゆえに、彼女が犯人である可能性は低かった。


 というのも、被害者の状況は西にある窓の方向に頭を向け、床に仰向けに倒れている。もし彼女が切りつけられたとするならば、正面からだろう。


 これが椅子に座っている状態で、後ろから行えば返り血を浴びる可能性も低いかもしれないが。


「……」


 橋元莉々は、わたくしの言葉に反応しない。


 わたくしは次に、同じようにショック状態の山城杏を観察する。


 彼女にも返り血のようなものはない。隣の中村修二も同じだ。


 では、まったくの第三者による犯行なのだろうか? 被害者の傷からして、単独事故によるものだとも思えない。


 もう一度、古地目由真を確認する。


 瞬きをせずに開けられたままの目蓋。亡くなっているという、わたくしの予想は間違っていないだろう。


 たしか死亡すると死斑ができるはずだ。だがそれは、死後6時間から12時間後と言われている。


 うつぶせの場合は、背面部に出るわけだが、警察関係者でもないわたくしが、勝手に動かして確認するわけにはいかないだろう。こういうのはプロに任せるべきだ。


 見た目から判断できるものとしては、蒼白化くらいか。


 これは死後30分ほどで始まる。肌の色は、生きている人間に比べて段違いに白くなる。それは血液の流れが止まるからだ。


 今の彼女はそれに該当している。30分以上前に殺された、ということで間違いはないだろう。


 だとすると、第一発見者の橋元莉々は犯人としては除外するべきかもしれない。


 ハエがたかるような腐敗もまだ始まっていない。ということは死後6時間……夏の暑い時期ということを考慮しても『死後3時間以上は経っていない』ということだろうか?


 ならば、彼女は今日の午前中に殺されていることになる。


 そもそも古地目由真は、いつこの部室に来たのだろうか?




**



 あれから教師達がやってきて、救急車どころか、警察を呼ぶことになり、かなりの大事おおごととなった。


 そこでようやく、隣の部屋にいた映研の工藤明が気付いて出てくる。


「古地目殺されたの? ヤバすぎだろ」


 彼は、わたくしたちから話を聞いてそう呟いた。現場を見ていないのだから、呑気なものだ。


 わたくしたちは、教師にその場を任せて、橋元莉々を保健室へと連れて行くことにする。遺体を見た山城杏も気分を悪くしたらしく、ちょうど良かったのだ。


 モブ子さんは、わたくしの影響によるものなのか、二人のように寝込むようなショックは受けていない。


 それでも、たまに考え事をしているかのように、わたくしの声に反応しなかったりもする。


 中村修司と工藤明も付いてくる。第一発見者たちは『あとでまとめて話を聞かれるから、一緒に居なさい』と校長に言われたからだ。


 まあ、工藤明は発見者でもないのだが、被害者の隣の部屋に居たので、帰すわけにもいかないのだろう。彼がやった可能性もあるのだから。


 しばらくすると、古地目由真が死亡したという話も聞こえてきた。保険医にかかってきた電話の様子で、わたくしが推測したことではあるが。


 たぶん、あの場で古地目由真はもう死亡していたのだが、病院に運ばれて死亡が診断されたというのが正しいだろう。


 いちおう、わたくしたちは遺体の発見者ということで、警察の方々に簡単に事情を聞かれることになる。


 保健室に現れたのは、40代くらいの中年の禿げた男と、20代くらいの若い男のコンビだ。彼らはいわゆる刑事なのだろうか?


 校長と生活指導の教師も一緒にやってきて、刑事にわたくしたちの名前を教えている。


 まずは、第一発見者の橋元莉々が寝かされているベッドに行き、彼女に「起きられますか?」と若い刑事は尋ねた。


 そして上半身だけ起き上がった彼女へと、中年の刑事が質問を始める。


「橋元さん。あなたが最初に古地目由真を発見したのですよね? それは、何時くらいですか?」

「……正確な時間はわかりません。11時前に家を出たから、学校に着いたのは30分くらいだったと思います」

「学校に到着して、直接第二部室棟に向かったのですね」

「はい」


 中年刑事の後ろに立つ若い刑事が、彼女の身体をじーっと舐め回すように見ている。彼らが刑事でなければただのセクハラ行為だが、たぶん、わたくしと同じように彼女が返り血を浴びていないか確認しているのだろう。


「発見して、君が人を呼んだのですか?」

「いえ、コマの遺体を見て、頭が真っ白になって動けなくなってしまって」

「その直後に人が来たのですか?」

「はい」


 橋元莉々はその時のことをまた思い出したのか、顔を真っ青にさせている。


「ありがとう。では、次はキミ、山城さんだったね」

「あ、はい」

「キミは、何時くらいに登校していましたか?」

「9時には登校して、部室にいたと思います」

「その時、他には部員はいませんでしたか?」

「ええ、トオヤマ先輩も、サエバ先輩も午後から来るって言ってましたから」

「じゃあ、キミは一人であの部室にいたのだね?」


 刑事の口調が少し鋭くなる。


 たぶん、この保健室に集められた生徒の中に犯人がいると、刑事たちは思っているのだろう。


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