■夕闇は静かに訪れる(2)

 そよぎ先輩と一緒に行動していたせいで、かなり肝が据わってきたようだ。


 このまま逃げ切れば私たちの勝ち。


 そんな私たちの前に、急ブレーキとともに車が回り込んで来て止まる。まるで行く手を阻むように。


「お嬢ちゃんたち、逃げられないよ!」


 車から男が一人出てくる。さきほどのスプレーは、決定的な足止めにはならなかったようだ。やっぱ、トウガラシスプレーとかの方が良かったかな。先輩なら護身用に持ってそうだけど。


「警察呼ぶよ!」


 杏が勇ましくそう叫ぶが、目の前の男は涼しい顔でこう言い返す。


「呼んでもいいけど、通話途中で君のスマホはたたき落とされて壊れるだけだよ」

「そうそう、通報して一秒でケーサツが来ればキミたちの勝ちだけど、さすがにそれは無理っしょ」


 もう一人の男が、運転席から嫌らしい笑みを浮かべて、そう付け加える。


 私は冷静に周りを見渡す。大通りまでは、あと数百メートル。足止めもなしに走っても追いつかれるだけだ。


 周辺は工場地帯なので、しばらく大通りを行かないと民家はない。


 そこで、どこかの家に逃げ込むという手もあるが、トラブルに巻き込まれたくなくて家に入れてくれなかったら詰む。というか、そこに着く前に捕まってしまう。


 万事休す、とはこういうことだろう。


「おとなしく付いてくれば、悪いようにはしないからさ」


 にやけて気持ち悪い表情の、どこを信用しろというのだろうか?


 とはいえ、私にはもう策ががない。


 ここはモブらしく『万策尽きた』ことを認めるべきか?


「ぐあ!!」

「おまえ、誰だ?! ぐへっ!」


 男たちが急に、呻き声をあげて倒れる。


 そこに颯爽と現れたのは、そよぎ先輩だ。


「公園にいなかったものですから、探しましたわよ」


 右手にはスタンロッドを持っている。なるほど、あれの電気ショックで麻痺させて……ってあれ? 男たちの頭から血が出てますけど。


「せ、先輩? 強く叩きすぎじゃないですか?」

「あら、ごめんあそばせ。借りたばかりなので、力加減がわかりませんでしたわ」


 電気ショックで昏倒しているのか、物理的な衝撃で気絶しているのか判断がつかないな。


「先輩、傷害罪で訴えられますって」

「大丈夫でしょう。あなたたちを連れ去ろうとしたわけですから、警察なんかに駆け込めませんよ」

「そりゃそうですけど」


 私は、隣にいた杏の反応を窺う。彼女は固まったように言葉を失っていた。まあ、先輩のハチャメチャぶりを初めて間近で見るのだから当たり前か。


「でも、どうして先輩来たんですか?」

「だって、女の子を閉じ込めて、そのままというのはおかしいと思いましてね。南京錠がダイヤル式だったのも気になりましたわ」

「なぜダイヤル式だと気になるんですか?」

「だって、鍵をかけた者は鍵を直接渡すこと無く、悪意を抱く者に開け方を教えられますもの」

「……」


 絶句する。


 つまり、杏はネットかなんかを介して売られたのか? コマ、やることがクズ過ぎるよ。


「あと、車で追ってこられないように、処理をしておきましょう」

「処理ですか?」


 先輩は鞄の中からスプレーのようなものを取り出し、キャップを外してプッシュするかと思いきや、上の部分を回して完全に開けるとそれを男たちの車の中へとぶちまけた。


 なにやら仄かに匂ってくる悪臭。


 トイレの匂い……というより、これ便そのものじゃないか。


「先輩、臭いです。なんですか? それ?」

「ジョークグッズですわ。Liquid ASSといって、擬似的に作りだした、いわゆる新鮮なクソの匂いかしら。本物ではありませんから衛生面では問題ありませんわよ」


 お嬢様言葉に『クソ』は混ぜたら危険です。


「先輩。そういう、はしたない言葉をお嬢様言葉に交ぜるのやめてください。汚穢おわいとか、もうちょっとマイルドな言葉があるじゃないですか?」

汚穢おわいなんて言葉、よくご存じでしたね。こういうのは、伝わらないと意味がないですから、クソでいいんですわ」


 先輩が似非お嬢様であることはわかっていたが、もうちょっと内面を上品にしたほうがいいのに。


「先輩、早く逃げましょう」

「ええ、そうですわね」


 私は呆然とする杏の腕を引き、その場を後にする。


「ねぇ、そよぎ先輩って何者?」


 我に返ったであろう杏が、小声で問いかけてくる。


「あ、えーと……ただの女子高生かな?」


 少なくともスーパーヒーローではないことは確かだ。もし、ヒーローだったとしても『ダーク』が付くキワモノだろう。




**



 次の日、無事に学校に来た杏を見て、コマたちがギョッとした顔をしていた。


 ハリーを見ると、いたたまれない顔で視線を外してくる。今回のは完全に犯罪行為だ。私は昼休みにハリーを呼び出して文句を言うことにする。


「ごめん……」


 開口一番で、ハリーは私に謝ってくる。


「謝るのは、私じゃなくて杏にだよ」


 彼女はいまだに、杏に謝罪は行っていない。引け目を感じすぎて、被害者本人に会うことに恐怖しているのだろう。彼女は、とても心の弱い人間だ。ゆえに強制はできない。


「ごめん」


 立場上、彼女がコマに対して強く言えないのはわかっているし、拒否権だってないだろう。けど……。


「今回は、場合よっては警察沙汰になるところだったんだよ」

「うん。ほんと、ごめん。でも……無理なの。私にはどうにもならない。最近のコマ、怖いの」


 彼女の恐怖は理解できるけど、実際やられるのは杏だ。ハリー以上の恐怖を感じているだろう。


「だったら、せめて抜けた方がいいよ。このままコマと一緒にいたって、巻き添えくって、それこそ警察のお世話になるかもしれないよ」

「わかってる……わかってるけど」


 ハリーを責めても、仕方がないことはわかっていた。ゆえに、これからも嫌がらせは止まらないだろう。


 だったら強気で行くしかない。


「じゃあ、私がこう言ってたってコマに伝えて。これ以上杏や私に何か仕掛けるようなら、それ相応の仕打ちを受けるって」

「へ?」


 だからこれは戦争だ。




**



 いつものように部室で占い相談室を行っていると、救急車の音が聞こえてくる。そして、それは校内に入ってきて止まったようだ。


「え? 何かあったの?」


 相談者の女生徒が、そちらの方に気を取られる。


 窓から覗いてみるものの、校庭で何かがあったわけではなさそうだ。


「気になるなら、行ってみればよろしいですわ」


 私がそわそわしていると、そよぎ先輩はそんな風に言ってくれる。


「あ、でも今相談中だし」

「相談者の方も気になるみたいですし、野次馬こそがモブの役割じゃないかしら?」


 う……まあ、たしかにそうなんだけどね。


「じゃあ、ちょっと行ってきます」

「あたしも、相談中だけど行ってもいいよね」


 相談者の女生徒も、先輩へと許可を求める。


「はい。何があったかを教えてくださいね」


 私と相談者の女生徒は、一緒に救急車の到着した方へと向かっていく。彼女は3年生の先輩であり、私には面識のない人だった。


「何があったんだろうね?」

「そうですね。気になりますね」


 親しげに話しかけてくる先輩。そういえば、彼女は3年1組のくすのき雅代まさよと言っていた。


 そよぎ先輩より謎の多い、あの優羽先輩のクラスメイトなんだよね。


「あの、全然関係ない話なんですけど」

「どしたの? 後輩ちゃん」


 私は自己紹介をしていないので、こう呼ばれるのは仕方が無い。そよぎ先輩に『モブ子さん』と呼ばれるよりモブっぽくて、悪い気はしなかった。


「浅井優羽先輩と同じクラスですよね」

「うん、そうだよ」

「優羽先輩って、どんな人なんですか? 私、同じ部活だというのに、いまだに会ったことがないんです」

「うーん、普通の子だよ」

「普通ですか」


 そよぎ先輩の評価とは、真逆な感じだなぁ。


「そうね、普通でありすぎて……たぶん、あなたと似た感じがあるかな?」


 その返答に驚いてしまう。なにせ、そよぎ先輩を凌駕する性能を持つ、と思われる人なのだから。


「わ、私ですか?」

「そう、普通過ぎて、どこにいても環境に溶け込む感じかな。そのくせ『本音を見せてくれない』『何を考えているかわからない』ということさえ悟らせない、ある意味特殊な感じもあるかな」


 でもこの先輩は、優羽先輩の特殊性に気付いているんだ。


「あ、救急車が止まっている」


 そこは、事務室がある通用口。扉の近くに車が止まっている。救急隊員たちは、もう現場に向かった後のようだ。


 周りには生徒達が集まり始めている。


「何があったの?」


 楠先輩が周りの子にそう問いかける。


「なんか誰かが、飲酒して倒れたって」

「飲酒? 誰かがアルコール持ち込んだの?」

「うん、手芸部の1年生らしいよ」

「うわぁ、そんな不良な子、うちにいたんだ」

「あ、運ばれてくる」


 担架に乗せられた女生徒が、こちらにきた。その顔には見覚えがある。


「……ケンケン?」


 それはコマたちのグループの一人、剣持景香であった。

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