■夕闇は静かに訪れる(1)
7月26日。
夏休みに入ってすぐ、私の平穏な日常は崩れていく。
自宅のリビングから聞こえてくる怒号。
「あなたのせいでしょ!」
「おまえが悪いんだろ。勝手に責任を押し付けるんじゃないよ」
両親の不仲は、今に始まったことじゃない。
中学くらいから喧嘩は多くなり、夕食時に父親が帰って来ることはほとんどなくなる。
今日はめずらしく早く帰宅したと思ったら、この有様だ。
「ここのところ静かだったのになぁ」
私はそんな独り言をこぼしながら、緊急退避のために家を出る。
このままここに居たら、心が壊れてしまうから。
とりあえず駅方面へと向かう。夕食時にすぐに喧嘩が始まったので、食事が摂れていないのだ。歩いて学校にも行ける距離だが、こんな夜遅くじゃ入れないだろう。
お母さんの作るハンバーグ、好きだったんだけどなぁ。たぶん、今は皿も割れてグチャグチャになっているだろう。
嫌な事があったとはいえ、お腹は空く。夜風も冷たくなってきたので、コンビニでおにぎり買って公園で食べる、というのはつらすぎる。
「ハンバーガーかな?」
駅ビルの中にある、ファストフードへと入ることにする。ここなら学生の私の財布にも優しいはずだ。
ポテト付きのセットで腹を満たすと、しばらくは店内でぼーっとする。
両親たちが落ち着くまでと思ったが、それにはどれくらいかかるのだろう? いっそのこと本当に家出でもするか?
夏休みに入ってるから、朝早くに学校へ行く必要もない。制服とかは、明日取りに戻ればいいな。
だとしたら、泊まれる所を探さないと。
第一候補は、杏のところかな。
とはいえ、彼女の家庭の事情は知らないからなぁ。簡単に泊めてもらえると思わない方がいいだろう。
第二候補は、そよぎ先輩だね。
けど、こっちも家庭の事情を知らない。というか、杏より自分のことをあまり話さない人だからなぁ。
ま、とりあえず杏にそれっぽいメッセージを投げておくか。
杏の場合の懸念は、彼女自身の正義感だ。
私の今の境遇を聞いたら、杏は絶対に両親を許さない。けど……私はべつに、味方になってほしいなんて思っていないのだ。
だから、理由を聞かずに泊めてくれればいいのだけど……絶対聞いてくるよね?
しばらく待つが、既読にならない。まあ、杏の場合はそこまでSNSに依存しているわけでもないから、仕方ないか。
というわけで、そよぎ先輩にもメッセージを送信しておく。
あ、考えてみれば二人とも、頻繁にメッセージを見る方じゃないんだよなぁ。と、気付いて頭を抱える。
ま、いっか。最悪、ファミレスで一晩越してもいい。制服じゃないから、通報されることもないだろう。
私は1時間ほど待つと、ファストフードを出る。駅ビルの中にある店なので、閉店時間が迫ってきたのだ。それに移動するなら、あまり遅くならないほうがいいだろう。
ファミレスに行くために、駅沿いの大通りを西へと向かった。
その途中で、見知った顔が視界に入り、反射的に物陰へと身を隠す。
それはコマたちのグループであった。
「あはは、あんときヤンの顔ったら笑えたよね」
「あれで少しは頭を冷やすんじゃないの?」
「あんなんで終わるわけないじゃない。あたしは、あの子を許さないんだから」
「コマ、こっわ!」
「まあ恋する乙女だからね。純粋なんだよコマは」
「あの公園の名前なんていったっけ?」
「さっきの公園? 名前なんて気にしてなかったな。それがどうしたの? コマ」
「ちょっといいこと思い付いたのよ」
「コマ、ちょっと笑い方が邪悪だよ」
「あ、コマ、調べてみたらわかったよ。中央ゆうやけ公園だって」
「サンキュ、カザミィ」
私はなんとか身を潜めて、コマ達をやり過ごす。コマの他にはケンケンとカザミィとハリーが一緒にいた。ハリーはあまり喋らず、皆に合わせて苦笑いをしているだけ。
こんな遅くに何をしていたのだろう? 『ヤン』という名前が出ていたのが気になる。
まずはスマホの画面を見て、SNSのメッセージが既読になっていないかとうかを確認する。なっていない。
次に直接電話をかけた。十数回呼び出し音を鳴らすが、出る気配はない。
中央ゆうやけ公園は、たしか、ここからさらに10分ほど西へと行ったところだ。杏はそこで、コマたちに何かされたのだろうか?
胸騒ぎがして私は公園へと急ぐ。
中央ゆうやけ公園は沿線脇にある、わりと大きな昔からある多目的公園だ。周りを工場地帯に囲まれている。野球場やテニスコートもあり、中央部は池もあって、過去には釣り人も訪れるとこともあった。
ちょっと前に、中学生が水難事故を起こして現在、池は封鎖されている。その件もあってか、今はあまり人が寄りつかない、寂れた公園となっていた。
野球場はあるがナイター設備もなく、古い公園なので街路灯の数も少なくて間隔も長め。なので、夜になると暗すぎて、さらに人があまり寄りつかない場所でもあった。
私は公園入ると、スマホのライトで足元を照らしながら進む。
「杏。杏! どこにいるの? いたら返事をして!」
公園内の道を、入り口から順に辿っていった。
しばらく歩くが、人影は見当たらない。私は立ち止まって、もう一度杏へと電話をかける。
呼び出し音が鳴る……鳴る?
スマホのスピーカーからではなく、近くから呼び出し音が聞こえてきた?
「え? 杏、どっかにいるの?」
そんな偶然あるのだろうか? でも、公園内には人の気配はない。と、思っていたら地面に、LEDの赤いランプがちかちかと光っているのが見えた。
一度、通話を切ってみる。
静寂だ。
もう一度かけると、音が鳴り出す。これは偶然に、別の誰かの携帯が鳴っているわけじゃないだろう。
私は音源に近づき、ひっくり返ったスマホを拾い揚げる。側面にLEDランプが無ければ見つけられなかったかもしれない。
私は自分のスマホのライトを付けて、拾ったスマホを見る。
「杏のだ。落としたのかな?」
そういえば、前にも落としたことがあったっけ。あの子、わりと注意散漫なところがあるからなぁ。
私は周りをキョロキョロと見回す。しかし、誰もいない
明日、学校で渡せばいいか。そんなことを考えながら歩き出すと、どこからともなく声がする。
「……けて」
え?
「たす……けて」
ひとけの無い公園。そして声だけが聞こえてくる。それ、何てホラー?
「……っ!!!」
背筋がぞぞぞっとする。先輩の影響もあって、幽霊とか神さまとか信じなくなってきたけど、さすがに恐怖だけは打ち消せていない。
「もりっち、ここ。たすけて」
「へ?」
それはよく知っている声。というか、杏の声だ。
「どこ? どこにいるの?」
まさか、死んで幽霊になって出てきた、とかいうオチはやめて欲しい。
「もりっちの前」
「え? どこ」
そこにあるのはベンチ。だが、誰も座っていない。ちょっとやめてよ、ホラーじゃない……。
「ベンチの横に、おっきなゴミ箱あるでしょ」
たしかに、ベンチの隣には大型のゴミストッカーがあることが見えた。上部が跳ね上がる形で開くタイプ。表面は金属の編み目のような作りになっており、その中で何かが動いているのを確認する。
「え? 杏? そこにいるの?」
私はゴミストッカーに近づき、その内部を見ようとスマホのライトを照らす。
「もりっち……よかったぁ。朝までここで過ごすかと思った」
「どうしたの?」
「コマたちに呼び出されて、ここの公園に来たんだけど、帰り道に誰かに襲われてゴミ箱に突っ込まれた」
どう考えても、コマたちの仕業だろう。
「なんでノコノコ行っちゃったの?」
「返したいものがあるって言っててさ」
「返したいもの?」
「そういえば、前にマンガを貸してたことがあってね。それを返してくれたんだけど」
「そしたら、コマの策略に嵌まったと?」
「コマ一人で来たから、大丈夫だろうと思ったんだ……」
私はゴミ箱の中から杏を出そうと、その扉の取っ手に触れる。が、そこにはダイヤル式の南京錠がかけられていた。
「開かないじゃん。鍵かけられてるよ」
「だよね。開かないはずだ」
杏は、疲れたようにそう答える。
「どうしよう……」
私は独り言のようにそう呟く。別に、杏に答えを求めたわけでもなかった。なのに彼女はこう返答する。
「明日になれば公園の管理人とか来るし、開けてもらえるかも」
「ここで一晩超すの? こういう場合はレスキューだっけ? いや、監禁に近いから警察かな?」
「警察はやめて」
杏が、思い詰めたようにそう言い切る。
「え? なんで? 早く出たいでしょ?」
「親が心配する」
「でも、自分の子どもが帰ってこない方が心配するんじゃないの?」
「うちの親、母親だけで、しかも夜の商売だから、帰ってくるの明け方になるかな。今、警察に電話しちゃうと、仕事場にまで連絡がいっちゃう」
そういう事情じゃ仕方が無い。杏はお母さん思いの優しい子だ。
ここは自分のモブっぷりを自覚して、他者に頼ることにしよう。
私はスマホで、そよぎ先輩に直接電話をする。さすがに、SNSの通知みたいに無視するわけにはいかないはずだ。
「そよぎ先輩に電話するだけだから、安心して。ちょっと知恵を借りるだけだよ」
杏にそう説明したところで、先輩に繋がる。
「……もしもし、モブ子さんですね。どうされましたか? こんな夜に」
「えっと緊急事態というか、今、中央ゆうやけ公園にいるんですけど、杏が誰かに嫌がらせをされたみたいで、ゴミ箱に閉じ込められてるんです」
「それは災難でしたね」
「まあ、嫌がらせというかイジメなんでしょうけど。それで、鍵が掛かっていて開かないんですよ」
「警察には連絡されました?」
「杏の都合で、通報できないみたいなんです」
「めんどくさいですわね……鍵の種類は?」
先輩、めんどくさいって声に出てますよ。
「南京錠ですね。ダイヤル式の」
「それでしたら、小さめのスパナを2本用意されたらどうです?」
「スパナですか?」
「まず2本のスパナを『ハ』の字になるよう、南京錠の穴に両方のフック部分に通します。次にスパナの両端を持って、はさみを閉じるように内側へ力をこめます。こうすれば、テコの原理で、ツルの部分が破損して解錠できるようになりますわ。まあ、解錠というより破壊ですけどね」
「なるほど、ライフハック的な解決法ですね。けど、私、スパナ持ってません」
女子高生が工具なんか持ち歩かないんだよなぁ。
「まだ9時前ですわね? 学校近くの大通りに、ホームセンターがあったはず。そこの公園からなら、10分くらいで行けるのでは?」
「さすがです! そよぎ先輩」
私は先輩にお礼を言うと、通話を切って駅前へと駆けていく。只今の時刻は20時30分。閉店前には着けるかな?
**
そよぎ先輩に言われたとおりにやってみたら、簡単に南京錠を壊すことができた。
蓋を開けると、杏が疲れ果てたような顔で出てきて、そして私に抱きつく。
「ありがとう。もりっち」
ゴミ箱の中に入っていたこともあってか、ちょっと臭かったけど。
「お礼は言葉じゃなくて、他のものがいいな」
あれ? 私、これと似たような言葉をそよぎ先輩に言われなかったっけ? まあ、今度は私自身が言ってるんだけど。
「なに、もりっち。お礼は物でってこと? いいよ。何か奢ってあげる」
「いや、奢ってくれるのも嬉しいけど、それより、今晩泊めてくれないかなぁ」
「は? あんた家出でもしたの?」
杏は寝耳に水といった感じで、驚いたように目を丸くする。
「うん」
「どうして?」
「だから、お礼は『何も言わずに泊めてほしい』ってお願いなんだけど」
杏は何かを言おうとしたのか、口をパクパクさせるが、大きくため息を吐き、こう告げる。
「そう言われたんじゃ、仕方ないわね。泊めないわけにいかないじゃない」
「ありがと」
そんなほっこりした会話を、杏としていた時だった。
「あっれー? 閉じ込めてたって聞いたんだけどなぁ」
「しかも、一人増えてるじゃん」
振り向くと、二人組の男がいた。首回りや、半袖からちらりと見える部分に入れ墨のある、雰囲気ヤバめな半グレな奴らだ。いや、タトゥーがイコール反社というわけではないが、アート的な個性で入れているようには見えない。
「……」
私は杏の様子を見る。長時間閉じ込められたことで、衰弱している。とても走れるような体力はないだろう。たとえ元気でも、この男たちから逃げられる気はしない。
ショップで買ったスパナは、6本組みのもの。一番大きくても、長さが20センチにも満たない。こんな物では、武器にすらならないだろう。
とはいえ、杏を置いて逃げるわけにはいかない。助けた意味がなくなっちゃう。
「えっと……」
私が考えをめぐらしながら吐息を吐くが、隣の杏は威勢良く男たちに啖呵を切る。
「あなたたち何者? いえ、わたしがゴミ箱の中に閉じ込められていることを知っていたみたいね。ということは、コマたちの仲間?」
杏は男たちを睨み付ける。が、彼らの方は、ニヤリと気持ち悪い笑みを浮かべながらこちらに向かってくる。
「俺、右の子ね」
「じゃあ、俺、左かな」
ここでの私たちの勝利条件は、男たちに喧嘩で勝つことじゃない。彼らから逃げ切って、明日無事に学校へ行くことだ。
まだ9時過ぎだし、公園から出れば人通りがないわけじゃない。駅前に行けば、交番もあるし、助けも呼べる。まあ、公園の入り口に彼らの車があって、そこに押し込められたらおしまいだけど……まあ、それまでになんとか男たちの動きを封じられればいい。
「やめてよね!」
杏に触れようとした男の腕を、彼女は力強く叩く。
「おうおう、生きのいい女だな」
私は逆に、力を抜いて抵抗しないようにする。
「へへへ、こっちの子はおとなしいぜ。当たりだな」
私の腕が掴まれるが、適度に力を抜いてされるがままにする。まさか、こんな人目があるところで乱暴なんてしないだろう。
「やめて! 痛い! 嫌って言ってるでしょ!」
杏は声を張り上げて抵抗している。このまま誰かが気付いて、通報してくれればいいけど……。
ぱちんと、頬を叩く音。杏が男にやられたのだ。そして、そのまま口を押さえつけられてしまう。
「……ぅー……ぅー」
さらにタオルのような布で猿ぐつわをされてしまった。
まあ、力じゃ敵わないのはわかっていた。だから、私はチャンスを窺う。
コマたちから連絡を受けて、杏をどうにかしようとしたわけだから、車を用意しているはずだ。
公園には駐車場がないから、路上駐車しているのだろう。
腕を掴んでいる男は、私が抵抗しないものだから、すっかり安心して力を緩めている。
私一人なら、瞬間的に手を振りほどいて逃げるという手もあるのだけど、杏がいるからなぁ。
項垂れて呆けているような演技をして、引っ張られるままにおとなしく男たちに付いていく。
公園の入り口に一台のバンが止まっていた。十中八九彼らの車だろう。
杏を引っ張っていた男が、私を掴んでいる男にこう告げる。
「鍵開けるから、こいつ掴んどいてくれ。そっちの子と違って、抵抗が激しいから気をつけろよ」
「ああ、わかってるよ」
そう言って、男はもう片方の手で杏を掴む。彼女が動くものだから、私を掴んでいる方の手にも力が加わってしまう。まあ、想定内か。
とはいえ、男は杏を注視することになるので隙ができる。私は夜道を歩くときに持ち歩いているスプレータイプの消炎鎮痛剤を取りだした。
すかさず、私を掴んでいる男の目元に噴射。
「ぎゃああああ! いてえぇ!!!」
私たちを掴む手が外れ、男は顔面を覆うように目を押さえ込む。
「おい、どうした?」
運転席へと行こうとした男がこちらを向く。そこに噴射。
「うわ! なんだよこれ!」
成分のほとんどは l-メントール。目薬にも微量に入っていて心地良い爽快感を抱くこともあるが、これは本来湿布薬なので、微量ではなくかなり強力だ。過って目に入ったのなら、すぐに水で洗い流すことをオススメする状態である。
「杏、逃げるよ」
「う、うん」
私は杏の手を引いて、大通りへと走って行った。
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