□夕食には酸っぱいニシンを(1)

 11月に入り、朝夕はひときわ冷え込むようになる。


 食欲の秋である今は、いつも以上に小腹が空いた。


 部活帰りに駅前で先輩と別れると、ロータリー近くにあるコンビニへと入る。私はバス通学なので、近場で時間調整を行うのだ。


 たいていは、ホットスナックが置いてある棚の前で「今日は何を食べようか」と頭を悩ませる。


 クラスメイトや友達と一緒だと、スイーツコーナーへ行きがちだ。けど、小腹を満たすのには、甘さよりもしょっぱいものの方が効率はいい。


「今日はアメリカンドッグかな?」


 そんな独り言を呟き、会計の列に並ぶ。


 私の番が来たら、店員に商品名を伝えてQRコード決済をした。


 コンビニを出ると、出入り口から少し横にずれてそこに立ち止まり、包み紙から取りだしたアメリカンドッグに、ケチャップとマスタードをかける。


 そして一口。


「うー、やっぱおいひぃな」


 その旨さは、思わず声に出したくなるほど。


「お、もりっちも今帰りなんだ」


 声の方向へ振り向くと、クラスメイトの笹川さんが居た。


 あまりプライベートをさらけ出さない関係だけに、脳の処理が追いつかずにアメリカンドッグを囓ったまま一瞬フリーズしてしまう。


「うわ、びっくりした。急に声をかけるんだもん」


 我に返って、急いでアメリカンドッグを口から遠ざける。


「おいしそうだね」


 笹川さんは、軽い気持ちで言ったのだろう。


「あげないよ」


 私は意地汚く、そんな風に返してしまう。彼女とはそこまで親しくないのだから、食べ合いっこするような関係でもない。


「いや、いらないよ。夕食前だし。でも、もりっちって運動部じゃないでしょ?」

「そうだけど」

「そんなにカロリー減るような部活なの?」

「そりゃ、そよぎ先輩といるんだもん。カロリーは使うし、ストレスもかかるよ」

「そのわりには、もりっち顔色いいじゃん。ノンストレスな感じだけどね」

「そう? けっこう大変なんだよぉ。占い相談室は盛況だし、先輩は相手に嫌われることも考えないで、ズケズケと言うし」

「楽しそうだね」


 まるで私を幼子かのように見る笹川さんは、母性的に微笑む。


「否定はしないけどね」

「やっぱり楽しいんでしょ」

「そういえば、笹川さんもコンビニ寄るってことは、私と同じ買い食い?」

「んなわけないでしょ。私は書道部だし、カロリー全く消費してないよ。買い食いなんて太る原因を自ら作るわけないじゃん」

「あー、私って反省した方がいいのかなぁ」

「もりっちは、そのままでいいよ。あんまり太る体質じゃないでしょ? 羨ましいよね」


 それは嫌味では無く、羨望の眼差しだ。食べてもそれほど太らないのは、体質なのだろう。ただし、燃費は悪いけど。


「そうかなぁ」

「まあ、私は姉ちゃんに『新作のスイーツ買ってこい』って頼まれただけなんだけどね」

「あ、和栗のシュークリームだっけ?」

「そう、それ。そんなわけで、私はこのまま店に入るけど」

「あ、うん。私も食べ終わるし、じゃあ」

「うん、また学校で。じゃあね」


 笹川さんとは、そこで別れる。




**



 バスを待つ間に、お母さんからSNS経由で連絡が入る。今日は急用で帰れないから、お弁当を買うか、食べて帰るようにとのことだった。父親が帰ってくるのは、いつも深夜になるから、気にしなくていいだろう。


 さて、さっきホットドッグを食べたばかりだけど、まだ食べ足りない感じだ。北口においしいラーメン屋があると、そよぎ先輩が言っていたのを思い出す。


 私はここらへんの地元民じゃないから、そういう情報は助かるんだよね。


 そう思いながら、学校へ行く時とは反対側の北口へと向かった。


 洗練された南口と違って、北口は古い感じの飲食店が立ち並ぶ。なにか、どんよりと暗い雰囲気。


 たしかに夕刻だから、薄暗いのは当たり前。けど、それでも何か胸騒ぎがする。


 一瞬、ぶるっと背筋が凍えた。


「北口って、治安悪いってイメージだよねぇ」


 思わず、独り言がこぼれてしまう。


 女子の一人歩きは危険かな? といっても、まだ5時過ぎだし、そこまで怖がることもないか? 私は目的のラーメン屋を探す。


 ところが、嫌な予感は当たってしまう。


 高架下にある駐車場の隣の空き地で、あからさまなイジメの現場を目撃してしまった。


「てめえはアホか? オレが言ってたのと違うやつ買ってきやがって」


 学ランを着崩したツーブロックの金髪の男がそう怒鳴りつけると、目の前にいた背の低い小太りの男子を殴りつける。同じ制服を着ている事から、ツーブロックの男と同じ学校に通う生徒だろう。


「すいません、すいません。頼まれた物がなかったんで」


 男子は土下座して謝るが、その下げた頭を蹴り上げる金髪の男。


「そういう時は連絡しろって言っただろ!」


 一度だけじゃなくて何度も蹴るので、男子の鼻や口からは血が垂れてくる。それでも彼は、無抵抗に謝るだけ。


「すいません。本当にすいません」


 震えながら物陰から観察していたが、さすがに目に余る行為だ。これはさすがに犯罪でしょ。


 私はそよぎ先輩みたいに、介入してあいつらをやっつけるなんてことはできない。


 なので、サクッと110番する。あ、でも、先輩は興味のないことには首は突っ込まないのだった。彼が相談室に来ない限り、助けることもないだろう。


「もしもし」


 あとで、目撃者として説明しなきゃいけない。『面倒だなぁ』と思いつつも、モブっぽいなとも思った。


 私は、誰かを助けるヒーローにはなれない……あれ? 女性の場合ヒーローじゃないんだっけ? ヒロイン? いや、それ物語だと助けられる側が圧倒的に多いな。


 まあ、呼び方はポリコレに染まった映画界がなんとかしてくれるだろう。例えそれがしっくりこない、ごり押しで流行らせるだけの呼び方だとしても。




**



「ということがあったんですよ」


 私は先輩に昨日の話をする。


「それは無難な判断ね。モブ子さんは下手にヒーローぶって助けに入らない方がいいですからね」


 なんか微妙にけなされているような気もする。そういえば、ヒーローって英雄的な意味があるから男女関係ないんだった。


「先輩なら助けに入りますか?」

「いえ、見なかったことにします」


 やっぱり。


「まあ、先輩は直接相談されないと興味が湧きませんもんね」

「そうね。それと、その助けた男子のかた。たぶん、今日もいじめられていると思いますわ。だから、その場で助けても無駄になってしまうと思いますの」


 まるで、未来予知のようなことを先輩は告げる。


「え? だって、いじめっ子の方は警察に補導されて絞られていると思いますが」

「たぶんですけど、その子、他の方にもいじめられていますわよ」

「なんでわかるんですか?」

「あなたが説明した彼の言葉や態度が正しいなら、彼はかなり卑屈で人の話を聞かなくて言い訳をよくするタイプじゃないかしら? 皆に使い走りにされるけど、昨日のいじめっ子のキレっぷりから、同じことは一度や二度ではないと推測できますの。何度言っても聞かないから『ブチ切れた』というのが事実じゃないかしら?」


 たしかに、そう考えれば腑に落ちる部分もあるが……。


「なんか先輩、まるでいじめっ子を擁護をしているようにも聞こえますけど」


 先輩は、常にフラットに物事を見る。だから、どちらかに肩入れするようなことはない。いじめっ子を擁護しているように思えるのは、私がいじめられっ子側に同情しているからだろう。


「そうね。まあ、あくまで推測だから、本当はどうかわからないわ。でもね、わたくしの言っていたことが正しいなら、そのいじめられっ子はいじめっ子とは関わってはいけないの。早急に逃げるべきよ」


 先輩は、さらに言葉を続ける。


「暴力を振るわれないように媚びて、相手の言うことを聞こうとしても、その子には『相手が何を指示しているのか?』を読み取れる能力がない。だから、結果的に相手の要求に応えられずに、再び暴力を振るわれる。悪循環でしょ?」


 たしかに、今いるいじめっ子に制裁を加えたとしても、さらに誰かが彼と関われば、そこにまた『いじめ』のような状況が発生してしまう。


「だから、お互いに関わってはいけないと?」

「そう、いじめる側もその子に関わる事でストレスを抱えて、暴力でそれを解消するという安易な方法をとってしまう。まあ、頭が足らないゆえに、それしか考えつかないのでしょうけど。そういう相手と関わってしまうのは、不幸でしかないわ」

「でも、一緒の学校だと、関わらないわけにはいかないんじゃ?」

「だから、逃げるしかないの。不登校でも、ひとまず退避して、その間に精神や肉体を癒す。もしくは、教師に相談して隔離してもらうとか」

「他に方法はないんですか? 場合によっては、いじめられる側が泣き寝入りみたいになるのでは?」


 これは私の本音ではない。客観的に、モブ的に『世界一般がどういう反応を示すだろう?』というのを、トレースしているだけだ。


「逃げたくないのであれば、必要以上に卑屈になったり、話を理解できなかったりする部分を直すとか、内面を補強するやり方もあります。けれど、これらは心に余裕がないと改善は難しいでしょう」

「なるほど」

「だからこそ、そんなものは彼自身や、彼の身内が考えること。相手の情報がまったくない状態で関わったところで、かえって状況を悪化させる可能性もありますわ」

「だから先輩は助けないんですね」


 明確な理由。これこそが、そよぎ先輩だ。ただ、世間からは情がないとか、冷酷だとか思われてしまうだろう。


「まあ、面倒だからというのが、9割以上を占めていますけどね」


 先輩が、そんな結論に達するのはわかっていたこと。なので、あまり驚かない。それよりも、先ほどからテーブルの上にあるものが気になっていた。


「ところで、そこにある小包ってなんなんですか?」

「これは、優羽先輩からの預かりものというか、頼まれごとかな?」


 ということは、私が部室に来る前に優羽先輩来てたんだ。会ってみたかったな。


「何を頼まれたんですか?」

「実地試験とレポートの提出ですわ」

「中身はなんなんですか?」

「優羽先輩が言うには、とても危険なものですって」


 え? 危険?




**



「北草高って、たしか駅の反対側でしたわよね」

「はい、北口から800mほどだってマップで出ています」


 私は、スマホで検索した画面を見ながらそう答える。


 部活が終わって私たちは、昨日の高校生が『北草和高校』の生徒であることを突き止める。といっても、私の拙い記憶力から制服の特長を思い出しただけだ。


 そもそも、男子高校生の詰め襟の制服は、特長があまりないので学校を特定しづらい。けど、北草高の制服は黒地ではなく、グレー地なのでわかりやすいのだ。


「北草高って、わりと底辺高ですわよね?」

「先輩、そういう差別的なことを言うと、人権団体に……いいえ、相手高にインネンをつけられますよ」


 今は後者の方が厄介だ。


「大丈夫ですわ。今のところ、北草高らしい生徒たちとすれ違っていないのですから」

「……」


 先輩は相変わらず脳天気というか、楽観主義なところもたまにある。


 そもそも、なんで私たちがこんなところを歩いているか? というと、北草高の生徒の動きを探るためらしい。


 さすがに、昨日のいじめられていた男子にまた遭遇するとは思えない。しかしながら、彼のようにいじめられる人間は他にもいるだろう、というのがそよぎ先輩の予想だ。


 底辺高であるがゆえに『暴力で解決する生徒が多い』というのが先輩の見解である。


 そして、そのいじめの現場を見つけることこそが、今回のミッションなのである。先輩は理由を教えてくれなかったけど……。


 とはいえ、なんだかウキウキと楽しそうな先輩の顔を見るに、いじめられっ子を助けるのが目的ではないだろう。


「駅の北側は初めて来ましたけど、区画も整理されていないわりに、住宅が密集しておりますのね。よく言えば、下町っぽい雰囲気ですか」


 私たちが普段通う南側は、わりと道も綺麗で高級住宅地っぽい雰囲気。格差社会のようなものを見た気がするのは、ただの偏見だろう。


「古い家が多いですよね。まあ、こういう雰囲気は嫌いじゃないですよ。おもむきがあるっていうんですか?」

「無理しなくていいわよモブ子さん。人間は、慣れた環境が一番というものです」


 背伸びしていたのがバレバレだった。私だって、先輩みたいに知的に見られたいと思ったりするのだが。


 しばらく進むと、周辺が空き地となった、廃屋のようなものが見えてくる。


 二階建ての、そこそこ標準的な日本家屋だ。しかしながら、窓硝子は割れて、雨戸も外れて庭に転がっている。庭の草木も手入れされていないので、雑草が生えまくっていた。


「……あ!」

「……ません」


 人の声がする。男の人のもので、喧嘩か何かしているのだろうか?


「誰かいますわ」


 廃屋の中で生活するわけもないだろうから、不法に立ち入った人たちなのだろう。


 私が立ち止まって躊躇していると、先輩はどんどん進んでいってしまう。しかたなく、先輩の後に続いた。


「おまえがあるって言ったんだろうが!」

「ごめんなさい。ごめんなさい」

「謝らなくていいから説明しろよゴラァ!」

「すみませんすみません」

「オレたちの言ってることを理解しているのかよ」


 割れた硝子の間から、中の様子が窺える。そこには昨日の男子が、別の男子にいじめられているという構図。


 なんという偶然。彼がイケメンであれば、運命を感じてしまうかもしれない。


 今度のいじめっ子は、見た目ですぐわかる不良少年たちではなく、短髪の髪を染めていない男子数名。よく、野球部にいそうな顔立ちと体型だった。


 部屋の内部は、廃屋のわりには小綺麗になっている。なので、おそらく彼らのたまり場になっているのだろう。


「てめえ、ふざけんなよ」


 別の男子が、いじめられている男子の胸ぐらを掴んで殴りつける。


「せ、先輩」


 私は小声でそよぎ先輩の顔を見る。その顔はニヤリと笑っていた。


 どうしよう? また警察に……


 先輩は、スマホを取りだそうとした私の手を掴み、口元に人差し指をたてて「しー」と沈黙を促す。


 彼を助け出すための、何か良い作戦があるのだろうか?


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