□夕食には酸っぱいニシンを(2)
先輩は鞄から、部室で見た小包の中身を取り出す。それは、手のひらより少し大きめの缶詰だった。
黄色と赤の色合いで、禍々しさも感じる。表面の文字は英語? いや、アルファベットの『O』の文字の上に点が二つ付いている。たしか軟母音で『オー・ウムラウト』と言うんだっけか?
さらに缶詰は、少し蓋の部分が膨らんでいるように見える。
先輩はそれに、何かのアタッチメントを付けた。そして、上部に付いているキッチンタイマーのようなダイヤルを回す。
「面白いものが見れますわよ」
そう言って、先輩は缶詰を建物の中へと投げ込んだ。
「あ?」
「なんだこれ?」
「おいおい、誰だよ?」
男たちが、投げ込まれたものに様々なリアクションを返す。だけど、余裕があって笑っていたのはその時まで。
缶詰から汁のようなものが吹き上がると、廃屋内は阿鼻叫喚となる。
「ぐぁああ!!」
「おぇええええええ!」
「あんだよ……これぇ? うっぷ」
私たちのところに、屋内の空気が漏れてきた。それは、魚の腐ったような臭い……いや、それ以上の強烈な臭いだ。
「くさいです、先輩」
屋外でも鼻をつまみたくなる。屋内は地獄なんだろうな、ということは予想が付いた。
「面白いと思いません?」
先輩のドヤ顔が、こちらに向く。
屋内では、喜劇のように男たちがギャーギャー騒いでいる。というか、いじめられていた子も臭すぎて
「先輩……被害大きすぎですよ。なんですかあれ?」
「優羽先輩の姉上のお友達の知り合いである、アリスさんの伝説の武器よ」
友達の友達すぎて、そよぎ先輩とは無関係ということは理解できた。
「それより、中身はなんなんですか?」
「あら、ご存じないかしら? シュールストレミングよ」
「しゅーる? なんですか?」
「伝統的な北欧の缶詰よ。ニシンを腐敗しない、ぎりぎりまで節約した塩水で漬けて缶詰にしたものですの」
「腐った匂いがしますけど」
「これは腐敗臭ではなく、発酵臭ですわ」
健康被害はないと言いたいのだろう。けど、これはバイオ兵器と呼んでもいい。
しかも加害者どころか、被害者にも大打撃を加えるのが先輩らしくもある。うん『人でなし』だ。
「強烈ですね」
「測定では8070Auも出たと言われてますから、そこそこ強力ですわね」」
「そんな数値言われても、ピンを来ませんよ」
「そうね。例えるなら……野球部の練習後のソックスで420Auですから、約19倍以上の臭さかしら」
想像しただけで気持ち悪くなる。いや、すでに気持ち悪いけど。
「さすがにこれ、鼻が慣れるとかそういうレベルの臭いじゃないですよ」
「これを付けるといいですわ」
先輩に、ゴツいマスクを渡される。これ、防毒・防塵マスクだっけ。口だけ覆う作業用のものだ。
匂いがすごくなってきたので、私は躊躇せずにそれを付ける。が、こんなところをクラスメイト見られたら、なんと思われるか……。ガスマスクみたいに、顔全体を隠せるタイプの方が良かったなぁ……。
「どうするんですか?」
「災難にあって、逃げ遅れた人がいますから、救出しましょう」
「先輩が原因ですけどね」
私たちは、廃屋の内部に突入する。
いじめていた男たちは、どこかへ逃げ出してしまった。けど、いじめられていた男子に関しては肉体にダメージをうけていたせいで、逃げ遅れて涙目になって、のたうち回っている。
「引っ張りますわよ」
先輩が男子の左足を掴んだので、私は反対側の右足を掴む。
「いきますよ。せーの!」
そのまま二人で引き摺って、屋外へと引っ張り出す。缶詰の汁を直撃していなかったのが、彼にとっての不幸中の幸いだろう。
「大丈夫かしら、あなた」
先輩は、いつの間にか消臭スプレーを取りだし、彼に向かって噴射していた。
「……ッエホ……ゲホッ」
「大丈夫そうね。では、ごきげんよう」
彼の無事を確認すると、先輩はあっさりとそう言って手を振る。
「ちょ……ちょっと待ってください。あなたたちは、何者なんですか?」
助け出された男の子が、先輩の方に手を向けて、必死に引き留めようとする。
「通りすがりのサイコパスですわ」
ちょ、私もサイコパスにされてるし。というか、先輩、いくらそう噂されているからって開き直りすぎですよ。
「へ? サイコパス?」
「ですから、あまりわたくしたちの行動に意味を求めてはいけません」
まあ、先輩にとって、助けたのは『実験の被害が大きすぎた』のが理由だろう。ただの後始末だ。
「え? 僕を助けてくれたんじゃないんですか?」
「助ける? わたくしたちが? それでなんの得があるのかしら?」
先輩、後始末でしょ。ミステリアスに誤魔化しても、私にはバレてますよ。
「え? え?」
助けた男の子には、訳がわからないだろう。
「では、ごきげんよう」
「待ってください!」
彼は、どうしても先輩を引き留めたいらしい。
「はい?」
「ちょっとだけ話聞いてくれませんか? もういじめられたくないんです!」
先輩を引き留めようとしている、必死さは伝わってくる。彼は、モブの私なんかには目もくれていない。
彼を助けたのは二度目になるのだけど、私も彼にあんまり思い入れはないから、ある意味どうでもいい。
「……うーん、どうしたものかしら。予定では、あなたもあの『シュールストレミング開封爆弾』の影響で逃げ出すはずだったのに」
あの最臭兵器は、そんな名前が付いていたんだ。
「先輩のミスですね。投げ入れる箇所が悪かったんじゃないですか?」
彼に興味はないけど、先輩がどう彼を救済するかは興味がある。だから、私はモブ的な意見で先輩を誘導する。
「そうね。わたくしのミスなら仕方がないわ。できる範囲で関わらせていただくしかないわね」
先輩のその言葉に、男の子は神にでも祈るように手を合わせる。
「助けてくれるんですね?」
「助かるかどうかは、あなた次第ね」
**
近くに小さめの公園があり、そこのベンチに腰掛けて相手の話を聞くことにした。
「僕は
「あなたが信用できるとは限らないので、わたくしたちの個人情報は教えませんわよ。それでもいいかしら?」
「かまいません」
「あなたに暴力をふるっていたのは、何者?」
「クラスメイトです。名前も言った方がいいですか?」
「いえ、そんな情報はいりません。親御さんには相談したのかしら?」
「親には話したことはありますが『あんたも悪いんでしょ?』って返されます」
毒親なのか、それとも息子の性格をわかった上での発言なのか、判断がつかないな。
「では、昨日あなたに暴力をふるっていたのもクラスメイトですか?」
「え? 昨日? 見てたんですか?」
「ええ、そこにいるモブ子さんが」
「あはは……」
あだ名の『モブ子』なら、たしかに個人情報を伝えることにならない。けど、事情を知らない彼には、私は完全にモブ扱いされることになるな。
「昨日、警察を呼んだのは私です。暴力があんまり酷かったんで」
仕方なく、私はそう申し出る。
「そうでしたか。ありがとうございました。彼らも僕のクラスメイトです」
先輩は、それを踏まえた上で滝口くんに話を振る。
「あなたに暴力をふるうのは、その人たちだけかしら?」
「いえ、その……僕って人の事を怒らせちゃうみたいで」
「原因はわかっていますの?」
「たぶん、僕、調子にのって話を盛ることが多いんです。ナメられないようにって、ファンジェネのミサキちゃんの親戚だから、チケットも融通できるとか」
「ファンジェネって、今男子に人気のアイドルユニットだったかしら? 本当に知り合いなの?」
それが本当なら舐められるどころか、優遇されるのだろう。けど、あのやりとりを見るに、全部嘘だってのは予想が付く、
「いえ、ほら、嘘も方便とか言うじゃないですか。ミサキちゃんはセンターだし、そんな子と知り合いなら自慢できると思って」
安易だなぁ。
「でも、お知り合いじゃないんですよね」
「仕方ないじゃないですか。学校も底辺だけど、クラスの中でも、僕は最底辺のカスなんですよ。それくらいの優位性がないと、学校に行くのがつらいんです」
優位性? なんか引っかかる言葉なんだけど。
「せめて嘘を吐かなければ、もう少し平穏に学校生活を送れたのでは?」
「ダメなんです。僕」
「何がダメなのかしら?」
「自分が『何か凄い』って思ってないと、学校に行けないんです。僕、自分に自信がなくて……中学はそれで『引きこもり』に、なりかけてたこともあるんです」
「わかりましたわ」
先輩はポンと、目の前で手のひらを合わせるようなポーズをとる。
「わかってくれました?」
「ええ、わたくしたちには、あなたを助けられないことはわかりました」
「えー?! 助けてくれるんじゃないんですか?」
滝口くんには予想外の反応らしく、助けてくれないことに絶望して、表情を曇らせた。
「そもそも、わたくしたちとあなたは学校が違うのですから、あなたを暴力から守る手段がありません。それとも、わたくしたちに学校をやめて、あなたのボディーガードでもしろとおっしゃるのですか?」
「いえ、そこまでは」
先輩らしからぬ、正論。それゆえに反論できるわけがない。
「あなたが暴力をふるわれないためには、その手の
「む、無理ですよ。クラスメイト以外にも目を付けられていて」
「それって、あなたが『嘘を吐いたから』じゃないんですか?」
「……」
彼は、気まずい顔をして目を逸らす。
「安全に平穏に暮らしたいなら『引きこもり』に戻るのが一番ですわ。大学に行きたいのであれば、高卒認定という手もありますから、学校にこだわる必要もありません」
「でも、親がなんていうか……」
「親にも殴られるのですか?」
「いえ、それはないですが」
「学校はお休みして、高卒認定に受かるよう家で勉学に励んでいれば、将来的な不安はありませんよ。親御さんも、それで納得するはずです」
「でも、僕、勉強が苦手で」
「……」
先輩は自らのおでこに手を当てて、難しい表情をする。頭を抱えたくなるのも、わかる気がする。
「……あはは、どうすればいいのでしょう?」
頭を抱え込むのは、滝口くんも一緒だった。
「そういえばあなた、趣味はおありで?」
「趣味ですか? アニメとかラノベとか、ですかね。金ないんで、無料の小説投稿サイトとかのランキング作品を読みあさっています」
彼のその返答に、目を閉じて少し考え込むそよぎ先輩。
しばらくすると、パッと目を開き彼にこう告げる。
「……いいですわ。そんなあなたに究極の選択を与えましょう。一発逆転のある
「バクチ?」
「あなたは嘘が得意ですよね」
「え、嘘ですか? ちょっと話を盛るくらいはできますが」
「その得意な嘘で、小説でもお書きになればいいわ。それをネットの小説投稿サイトで発表しなさい」
「でも、僕、自分の妄想を垂れ流すくらいしかできません。高尚な作品なんて書けませんよ」
「いいのよ。あなたの妄想を凝縮して、それを発散すればいいの。きっと、あなたの作品を評価してくれる人が現れるわ」
「もしかして、それで小説家デビューできます?」
「それは、あなた次第ね」
「……」
男の子は考え込む。
「学校で嘘を吐いて殴られるよりは、実りのある生活を送れるわよ」
「……」
そよぎ先輩が、変な方向に誘導しようとしているのは気がついていた。もしかして先輩、厄介払いしようとしてませんか?
「わたくしたちは助けられませんが、あなた自信で助かる道はあるわ。どう進むかはあなた次第。殴られたいなら学校へ行きなさい。殴られたくないのなら、引きこもって小説でも書きなさい」
無茶苦茶な選択肢だな。それに、小説家を愚弄するような言い方でもある。
「……わかりました。書いてみます」
納得しちゃったよ!
「では、ご武運をお祈り申し上げますわ」
先輩は男の子に両手を広げ、まるで教祖のようなミステリアスな表情を浮かべる。そして彼に背を向けると、私に「行きますわよ」と目で合図をする。
駅の方へと向かい、廃屋からだいぶ離れたので毒ガス用マスクを外す。
「先輩、あの子、うまく行きますかね?」
小説家になれるのだろうか?
「まあ、成功率は0.1%以下ですわ」
「あはは、めちゃくちゃ低いのにその気にさせてましたね。詐欺師の手法ですよ」
「でもゼロじゃないわ。それに、今は平和が脅かされるような時代よ。インテリ向けの『社会派ドラマ』を描く作品より、シンプルで欲望に突き抜けた作品の方が受ける時代なの。異世界転生ものなんて、まさにそんな感じじゃないかしら」
まあ、私もいくつか読んだことはあるけど、たしかにネットで人気のある作品はそういうものが多かった。
「なるほど」
「でも、本当の狙いは『憑き物』を落とすことですわ」
「憑き物?」
「彼の場合は『嘘つき』という『憑き物』。インプットしたものを適度にアウトプットするってのは普通だけど、彼の場合はアレンジという嘘を加えて日常会話で話したのが悲劇の始まり。小説という『嘘』が前提のアウトプットなら、誰にも迷惑はかからないですわ」
「あはは、先輩、そこまで考えてたんですか。凄いですね」
とはいえ、あまり褒められるような解決法ではないだろう。相談者に『引きこもり』を勧めてしまうなんて、いじめの解決としては本末転倒なのかもしれない。
でも、彼に小説家になる才能があるなら、もしかしたら将来感謝されるのかもしれない。
……いやいや、彼の小説はうまくいかずに、無慈悲に叩かれるか無視される方が容易に予想がつく。結局、そよぎ先輩のアンチになる未来しか見えないじゃないか。
どちらにせよ、彼は一人で戦うしかない。そして、誰かに助けられるのではなく、自分で助かる道を探すのだ。その方が、彼にとっての幸せに繋がるだろう。私は、そう思っていたりする。
こういう風に考えるのも、そよぎ先輩の悪影響を受けたせいなのかもしれない。
勝手に助かればいいなんて……。
まったく、あの人は『人でなし』なんだから!
**
ちなみに、投げつけたシュールストレミングについてだけど、友人に事の顛末を聞かれた時は「回収して夕食のおかずとして、おいしくいただきました」と答えることにする。
「スタッフが美味しくいただきました」と同義。
食べものを粗末にしてはいけません。
反面教師の先輩から、私が学んだことであった。
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