◆灯点し頃の解答(6)
山城杏がまた具合が悪くなったというので、わたくしは彼女と共に保健室へと行くことにする。そりゃそうだ。橋元莉々と中村修司という顔見知りが、殺人に関わっていたのだから。
彼女は正義感が強すぎて、心の闇を受け入れられない性分にあるのだろう。
もちろん、モブ子さんも刑事たちからは解放されていた。あれから、わたくしの示した証拠の半分くらいを、刑事さんが全力で裏を取ってくれたのだ。
決定的なのは、橋元莉々がマスターキーの合い鍵を持っていたことだろう。まあ、それ以前に自供したようなものだけど。
「ごめん、もりっち。わたし、あなたのこと犯人だって疑っちゃった」
廊下を歩きながら山城杏が、モブ子さんに頭を下げる。
「いいよ。だって、刑事さんですら間違えたんだからさ」
彼女は笑って友を許す。そういう子だ。あれ? そういえば……。
「ねえ、モブ子さん。あなたが刑事さんに連れられていくとき、笑っていましたよね? あれはなぜですか?」
「え? 私、笑ってたかな?」
本人自身も気付いていなかったというオチか。人の行動すべてに『意味がある』とは思わない方がいいだろう。
「ええ、だからわたくし、最初はあなたが本当に『サイコパス』に目覚めてしまったのではないかと疑いましたから」
「あー、あれですね。たぶん、私、犯人じゃないし、どうせ先輩がいつものように助けてくれるかなって、期待していたんだと思いますよ」
合点がいく。彼女は自分の正しさを信じていたのだ。
「だから、安心して微笑んだのね?」
「ええ、悪いことをしたわけじゃないから、わりと自信はあったんです」
「じゃあ、あなたが疑われる原因となった、あの10時以降の空白の時間は何をしていらしたの?」
わたくしの質問に、モブ子さんは表情を曇らせる。
「たいしたことではないです」
「そう……たいしたことではないなら聞かないわ」
話したくないのなら仕方が無い。そう思って諦めていたら、モブ子さんは急に立ち止まる。
「どうしたのもりっち」
山城杏も立ち止まり、わたくしはそのまま進む。すると、背中からガバッとモブ子さんが抱きついてきた。
「先輩……私、転校することになりそうです」
それは初耳だ。
「急な話ね」
「うちの両親の離婚が決まったんです。最初は転校するのも嫌だから、この学校にいられるように、父側に付こうと思ったんですけど……」
ぎゅっと、私を抱き締める腕が強まる。
「お母さまに付いていくことにしたのね」
それが午前中にあった、母親との電話での結果なのだろう。
「はい。実家に戻るらしくて……北海道なんで、さすがにこの学校への通学は無理だなって」
「迷っていらしたのね」
「杏とも別れるのは嫌だったし、先輩の事もっと知りたかったんですけど」
「ずいぶんとヨコシマな考えだわ」
わたくしは、少し捻くれてそう受け取った。
「あはは、純粋に憧れですよ。べつに先輩の知られたくない秘密を暴きたいとか、そういうのじゃないですから!」
彼女は力説する。
「わたくしと一緒にいたら、きっとそういう考えに及ぶことになりますわよ」
「それは危険ですね。でも先輩、ひとつだけ質問があります」
彼女の声が震える。それはけして、冗談に笑っているわけではない。
「なにかしら?」
「私との別れは、悲しいですか?」
せつせつとした想いは伝わる。伝わるけど、それはわたくしの心を揺さぶるわけはなかった。
「そうね、もう二度と会えないわけじゃないから、悲しくはないわ。死ぬわけじゃないし」
「じゃあ、私が死んだら涙を流してくれますか?」
一瞬、答えに躊躇する。それは、迷っているわけではない。
「さあ? どうでしょう? わたくしたちの心は、常にアップデートされる。その日が来ないとわからないわ」
正確な答えを出そうとしただけだ。この手の質問に、嘘は吐きたくなかったから。
「ズルい答えですね」
「そうかしら? けれど、これだけは言えるわ。あなたは、わたくしが気にかけるべき存在。ゆえに、深く記憶に刻み込まれたの」
「え? それって、どういう意味ですか?」
「あなたはもう『その他大勢』じゃないわ。わたくしの大切な後輩であり、
あわや、ラスボスになりかけたキャラだけどね。
「あははは……私は先輩に影響されてるから、泣かないでいられるかなと思ったけど……やっぱダメです」
背中からは、鼻を啜る音と小さな嗚咽が。妙に艶めかしいシチュエーションだな。
「保健室に急ぎましょう。山城さんの具合も悪いのですから」
「そうでしたね。ごめんなさい先輩、ごめん杏」
そう言って、背中から名残惜しそうに離れるモブ子さん。そんな彼女を、振り返ったわたくしの視線が捉える。
モブ子さんの顔は、涙でグチャグチャになっていた。走馬燈のように流れる、彼女との記憶。
とても愛おしく感じる。
ぽたりとぽたりと、わたくしの顔から何か水分のようなものが廊下に垂れた。
「せ、先輩!」
驚いたような顔で、わたくしを見るモブ子さん。その隣の山城杏も、口に手をあてて言葉を失っている。
「あら、どうしたのかしら?」
鼻のあたりを拭うと、そこには赤い血が。
「先輩、鼻血出てます! ティッシュティッシュ」
モブ子さんは、慌てて自分のポケットを探っている。
「もりっちの泣き顔に興奮したんですか? サイテーですね」
山城杏が、ポケットティッシュを一枚取りだして、わたくしに渡してくる。
「殺人事件の推理をするために、頭をフル回転したのです。負荷がかかって鼻血くらいでますわよ」
モブ子さんは、涙を拭って笑う。
「先輩は、生粋の『ひとでなし』です」
**
保健室で山城杏を寝かすと、わたくしたちも休息のために部屋の中でゆったりとする。現場検証とかあるだろうから、しばらくは部室には戻れないだろう。
「そういえば先輩。なんでハリーが犯人だって気付いたんですか?」
「これまでのことを整理してたらね。始まりは『わたくし』だったって気付いたの?」
「え? 嘘? 先輩黒幕なの?」
もう、この子はそそっかしいのだから。
「違いますわ。あの子が『犯罪を楽しむきっかけ』を作ってしまったという意味よ」
「きっかけ?」
「橋元莉々は、古地目由真のグループを抜けたい……いえ、違いますわね。あのグループを崩壊させたい、と言ってたではありませんか。それに協力した件を覚えています?」
「携帯電話のジャミング装置を使った時ですよね?」
「彼女はあれで復讐……いえ、自分が優位に立つ事への『快感』を知ってしまったのよ」
「どうしてですか?」
「それは、次の事件を起こしているからよ」
「え? まあ、何回か似たようなことをやって『グループ内に亀裂を入れろ』って先輩が言ってましたからね」
「彼女がやったのは、グループ内の亀裂ではなく、自分が気にくわない人間に対する嫌がらせよ」
「嫌がらせ? 彼女、なんかやったんですか?」
「夏休み前に、調理部で事故があったの覚えてる?」
「事故? 事故……あー、なんか酸欠で生徒が倒れて保健室に運ばれたって……あ、そっかあれって、カザミィが被害者か」
ぽんと手を叩くモブ子さん。
「そう、その後に被服手芸部でも騒動があったのは?」
「そういや、ケンケンが急性アルコール中毒で運ばれたって」
「共通点は?」
「どっちも被害者はコマの仲間ですけど……でも、事故とかじゃないんですか?」
「映画を撮りなおした日。橋元莉々が、マスターキーを盗んだって話は聞いてたわよね」
「はい、それがハリーが私のロッカーを開けられた理由だと」
「あの日、橋元莉々が盗んだのはロッカーのマスターキーだけじゃないのよ」
「他になんか盗んだんですか?」
「ドライアイス」
「……ぁああああああああ!!! 酸欠! もしかしてエアコンが壊れたのもハリーの仕業ですか?」
モブ子さんは、すぐに気付く。
橋元莉々は、カザミィこと風海泉乃が、料理部で調理実習室にいることも知っている。その日は気温が高く、エアコンの代用として『ドライアイスの空気を実習室に送り込めば涼しくなる』という一見するとライフハック、実はかなり危険な行為を考える。
それをバレないようにセッティング、あるいは間接的に知恵を授けたのだろう。そして、風海泉乃は策略にはまり、事故を起こしたようなもの。
「証拠はないですけど」
「じゃあ、アルコール中毒の件は?」
次の被害者は、ケンケンこと剣持景香だ。
「夏の暑い日、部屋の中に閉じ込められます。エアコンも稼働しません。そんなときに、冷蔵庫の中には冷たい甘い炭酸飲料が」
たしか、部室として使う部屋には、小型冷蔵庫が置いてあるところが多い。
「あ! その甘い炭酸飲料の正体は、缶チューハイだったんですね」
噂によれば度数が9%という、飲みやすいわりに酔いやすいというカクテル飲料だったという。
「そう、水分を補給するためにアルコールを摂取する。一つ間違えば死亡する可能性もある行為。こういうのは『未必の故意』というのだったかしら」
橋元莉々は剣持景香が死んでもいいと思っていたのだろう。この時点でもう、彼女は殺人に対するためらいがなくなってきている。
「どうやって閉じ込めたんですか? 鍵をかけたとしても、内側からは簡単に解除できますよね?」
「わたくしたちも、映画撮影の時に使ったじゃないですか」
「あ、そっか、外扉の隙間に入れるタイプの簡易錠ですね」
映研の役者二人を音楽室に閉じ込めるために、顧問の教師にも協力を仰いだのだ。その時に使用した物。
「それをハリーがやったと? でも、閉じ込められたなら、誰かに助けを呼べばいいのに。今はスマホで簡単に……あっ、そうか!」
わたくしの言いたいことに気付いたのか、大きく声を上げるモブ子さん。
「携帯のジャミング装置は、あの時はまだ橋元莉々に貸し出したままですわ。それを使えば、スマホで助けは呼べない。しかも、あの日は剣持景香以外の部員はいなかった。被服手芸室は、東校舎の3階の一番奥。大声を出してもわかりにくい。というか、その大声を出して助けを呼ぶ前に、冷蔵庫の中にあった缶チューハイに気付いて飲んでしまったのよ」
「それであの子、倒れて運ばれたんだ」
「下手をすれば亡くなっておりましたけどね」
モブ子さんは、自身を両腕で抱き締める感じで「ぞわっときましたよ」と呟いた。
「ほら、わたくしたちがきっかけであり、彼女の犯行は段々とエスカレートしていっていますわ」
そして最後は殺人。それまでは上手く事が運んだものだから、安心しきって雑なトリックを使う。
予定では、モブ子さんに古地目由真を殺害させるはずだったのに、その誘導がうまくいかなかった。だから、自分自身で行ったのだ。
計画通りにいかずに焦ったのもあるだろうが、それよりもたぶん、自身で実行してみたくなったのかもしれない。
凡人が、サイコパスに憧れた末の凶行だ。
「そうなると、気付かなかった私もバカだ」
モブ子さんが、自責の念にかられてそんな風に自分を卑下する。
「わたくしでも気付いたのが先ほどだというのに、それより頭の悪いモブ子さんが気付くと思います?」
「その言い方は酷いですよ。やっぱり先輩は『人でなし』です」
不満そうな顔をしながらも、最後は冗談っぽく吹き出して笑うモブ子さん。
やはり彼女の顔は、笑っている方が好きだ。
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