□サイコパスとモブは夕陽に交わる(1)

 9月28日。


 秋の夕暮れの校舎。


 セピア色の音楽室で、私はそよぎ先輩と二人でピアノを演奏していた。いわゆる連弾である。


 私の方は簡単な譜面なので、鍵盤を見ずとも指は動いた。そのせいか、真横にいる先輩の顔をちらちらと覗き見てしまう。


 端正な顔立ちに長いまつげ、黒目がちでパッチリ二重。そして、サイドテールにした髪が、音楽に合わせて揺れていた。


「ここですわ! このサビ直前のブラックアダーコード、それからの転調が素晴らしいですの!」


 しっとりした曲だったというのに、興奮した先輩の声で台無しになる。せっかく、耽美な世界に浸ろうとしていたのに……。先輩の解説はまだ続く。


「サビのベースラインも素敵なんですけど、ピアノじゃ表現しきれないのが残念なのですわ!」


 まあ、私たちがピアノを弾いているのはただの遊び。べつに、音楽関係の部活をやっているわけではない。


 本当に、ただの暇つぶしなのだから。


「先輩、そろそろじゃないですか?」


 私は、窓の外の景色をちらりと見てそう告げる。現在時刻は16時40分だ。そこには、真っ赤に焼けた夕空があった。


「そうですわね。撮影ですわ」


 曲の途中だというのに、ピアノから離れて窓際へと移動するそよぎ先輩。


 そう、彼女は自称『夕焼けマニア』の2年生、戦技そよぎ彩子あやこである。


 先輩は一言で表すなら『人でなし』。学校にいる彼女のアンチに言わせれば『サイコパス』だそうだ。


 そのせいか、一部の生徒からは微妙に避けられている。まあ、自業自得なのだけど。


「笠雲が良いアクセントになってますわね。けれど、少しわたくし好みの形じゃないですわ」


 先輩は、カメラアプリを立ち上げて風景を画面に収めると、そんな風に不満をこぼす。


「かさぐも?」

「いわゆるレンズ雲ですの。凸レンズの様な特徴的な形。本来なら、山頂付近を湿った空気が昇る際に、断熱冷却されてできるのですわ」

「ここは平地で住宅地ですが」

「山から離れたところでも発生はするのよ。これは山岳波が原因と言われているわ。風が山を越えた際に――」


 先輩が事細かく説明してくれるが、専門用語が多くて頭に入ってこない。


「というわけですから……今日の夕焼けは78点ということですわ」


 先輩は少し残念そうに呟く。


 私には、どういう理由でその点数が付いているのか、いまだに理解できていない。といっても、先輩とはそれほど付き合いが長いわけでもなかった。


 先輩が所属する占い研究部が、部員不足で廃部の危機に陥り、それでたまたま私が誘われただけなのだ。


「あれ?」


 音楽室には先輩と二人きり。なのに、何かの視線を感じてしまう。


 背筋がゾクリとした。


「どうされました?」


 まさか、音楽室に飾ってある、音楽家の肖像画から視線を感じたのだろうか? でも、方向は違う。


「いえ、気のせいです。そろそろ部室に戻りますか?」

「そうですね、モブ子さん。音楽室の鍵はわたくしが返しておきますから、先に戻っていてください。」


 先輩は私をモブ子と呼ぶ。


 たしかに私の苗字と名前には「も」と「ぶ」が含まれているが、これはかなり屈辱的な蔑称でもあった。


 けど、私は気にしないことにしている。だって先輩は『人でなし』なんだもん。




**



 本日の数学の授業は、先日告知があった小テストが行われる。


「もりっち。今日のテスト余裕そうだねぇ」


 後ろの席に座っているのは、クラスメイトの笹川さん。彼女にペンで突かれて振り返ると、そんな風に話しかけられた。


「うん。そよぎ先輩から、あの先生の癖というか、傾向は聞いているから余裕だよ」


 数学の宇都宮先生は、毎年似たような問題を出している。その過去問を内緒で教えてもらっているので、対策はばっちりだ。


「いいなぁ。もりっちは、あの先輩と仲良くて」

「笹川さんも仲良くすればいいじゃん」


 彼女の望みは、テスト対策だろうけど。


「うーん……でも、そよぎ先輩って近寄りがたいというか」

「そう?」

「だって、なんか怖いじゃない。サイコパスなんでしょ?」


 そよぎ先輩が『サイコパス』という噂は、今となっては広く知れ渡っていることだ。ただし、彼女の本質を本当に理解している者は少ない。


「そうなのかな? 私お医者さんじゃないし、そういうのわからないから判断出来ないんだけど」


 サイコパスは、精神障害の一種である。確率的には100人に1人と言われていた。


 ただ、精神科の医師がそう判断するならいいが、今は生徒達が勝手にそう呼んでいるだけだ。ある意味『いじめ』ではあるが、先輩はまったく気にしていない。


「でも、あの先輩、人を殺しても平然としてそうじゃん」


 かなり前に『人体解剖図の本を見ながら笑っていた』という噂があったからなぁ。そう思われても仕方が無い。


「けどさ、そよぎ先輩って夏休みに『殺人事件』を解決してるよ。殺人犯というより、探偵の方が似合うような気がするけど」


 それは部活の後輩である、私の個人的な感想だ。


「まあ、あの先輩頭いいから、そういうところも憧れるよね。美人だし」


 そこで教室の扉が開き、数学の教師が入ってくる。話は途切れ、私は急いで前を向いた。


 その瞬間、ぞくりと背筋を冷たいものが走る。音楽室で感じたものと同じものだ。どこからか視線を感じてしまう。


 だが、教師が来たので、その考えは頭の片隅へとしまった。


「起立」


 日直の声が元気よく響き渡る。


 まあ、私の気のせいだろう。




**



 私の所属する占い研究部は、現在4名の部員でぎりぎり部の形態を保っている。


 3年生の浅井あさい優羽ゆう先輩に、野中のなか早紀さき先輩。それと2年生の戦技そよぎ彩子あやこ先輩と私の4名だ。


 3年生の先輩たちはほとんど部活には顔を出さない。放課後は二人だけで活動する日が多かった。 


「今日はなんだか、疲れたわ」


 6畳ほどの広さの部室で、先輩は椅子のリクライニングを下げて、だらしなく伸びをする。美人が台無しだが、いつものことである。


「今日は変な相談者が多かったですよね」


 占い研究部は放課後『占い相談室』を開いている。恋の悩みから人生相談まで、生徒たちはなにかしらの答えを求めてこの部屋を訪れる。


 タロットや、その他の道具を用いて占いをしつつ、相談者の話を聞くのが基本。だけど先輩は、占いの勉強を疎かにして話術のみで相談者を圧倒する。


 導くではなく圧倒だ。


 相談者への予想を越えたその答えに、ある者は狂喜し、ある者はぶち切れる。まあ、喜ぶ人が多いので、口コミで広がって相談者が増えているわけだけど……。


 そして、ぶち切れたものは先輩に怨みを抱くと同時に現実を叩きつけられる。結果、現実逃避か、先輩のアンチになるかだ。


「そうね、相談者が勘違いしている悩みも多かったですわ」

「アレですか? 『毒親にカレシのことを過干渉される』ってやつですね」


 それは2年の女生徒で、何か微妙に噛み合わない気持悪さを感じていた相談だった。



**



 時間は少し前に巻き戻る。


「どうぞ、お入りください」


 私は扉の外にいた女生徒を部室の中に招き入れた。


 彼女は、そよぎ先輩と机一つ挟んだ向かい側の椅子へと座る。


 私は先輩と相談者が見える横の位置に待機した。黒子として徹するために黒いベールのようなものも被っている。


「お名前をお聞きしてもよろしいですか?」


 先輩がいつものように相談者に対応した。


「2年3組の瑞穂みずほ理枝りえだよ」


 見た目は普通だが、ギャルっぽいオーラを出す女生徒だった。


「何か悩み事でもおありでしょうか?」

「んーとね、親のことで相談というか……」


 彼女が言いにくそうに口ごもったので、先輩が続きを促すように優しく問いかける。


「なんでしょう?」

「うちのお母さんって、なんか毒親っぽいところがあるんだよね」


 毒親というのは、子どもの生育に悪影響を与えるような存在だ。子どもへの過干渉・過保護や心理攻撃・呪縛。あとはしつけと称して暴力を振るったり、逆に子どもに無関心で放置するような親を指す。


「毒親ですか……それで?」


 先輩も、これだけの情報からは何も判断できないようだ。今は相手の話を聞くことに徹している。


「変なところで厳しいところがあるっていうか」

「変なところ、とはなんでしょう?」

「カレシをお母さんに会わせると、ことごとく否定されるのよ!」

「なるほど」

「おかくしない? 恋愛は自由でしょ?」


 過干渉な親はたしかにタチが悪い。


「そうですね。恋愛は自由ですね。確認なのですが、あなたにご姉妹はいらっしゃいますか?」

「お姉ちゃんが二人いるよ。二人とも、もう結婚して家にはいないけど」

「その姉二人は、お見合いかなんかで結婚されたのでしょうか?」


 先輩は真剣な表情で質問をする。彼女から情報を読み取るためにだろう。


「そんなわけないじゃん」

「ん? そのお二人の結婚相手というのはお母さまが選んだのでしょうか?」

「違うよ。普通に恋愛結婚だけど。お母さんが厳しいのはあたしのカレシにだけ」

「はあ、なるほど」


 先輩は笑い出しそうになるのをこらえるかのように、わざとらしく頷いた。


「このままだとあたし、一生独り身でいなきゃいけなくなる」


 親が悪いというのであれば、成人になったら家を出ればいい。でも、毒親と言っておきながら、親にはカレシとの関係を祝福されたいのかな?


「ちなみにカレシの年齢と名前を教えていただけますか?」


 そよぎ先輩は、テーブルの上で置いていたタロットカードを片付けると、ノートを広げてペンを持つ。


「ん? 今のカレシでいいんだよね」


 ん? なんだ、この違和感は?


「……はい、そうです」

「ミムラペガサス、えっと22歳だったかな」


 へ? なんだか人名では聞き慣れない言葉があったような……。


「どんな漢字で書かれます?」

「苗字は観覧の観に、事務の務、優良の良で観務良みむら。名前は飛翔の翔に馬で、翔馬って書いてペガサスって言うのよ。かっこいいでしょ」


 うん、まあ、個性的な名前であることはたしかだ。


「どんな方ですか? あなたから見た彼の性格を教えていただけませんか?」

「そうね……ワイルドで自信に満ちあふれていて、羽振りがいいかな」


 ……乱暴で傲慢で、金遣いが荒いというわけか。22歳だと大学生くらいだから、親が金持ちじゃないと金に余裕があるのは怪しすぎる。


 先輩は、相談者の彼の名前をノートに書き、字画を数える。姓名判断を行うのだろうか?


 けど、たしか先輩って姓名判断を『アホらしい』と言っていた気がするんだけど……。それとも、先輩独自の占い方……んなわけがない。これはいつもやつだ。


 たぶん、真っ当に占う気がない。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る