□朝に夕べを謀らず(1)

 今日は先輩とお買い物。


 12月に入ってすぐ、先輩の付き添いで新宿までお出かけした。私にとっては滅多に来ない大都会。そもそも私の家は、最寄りの駅まで、バスで行かなければならないほどの田舎だからなぁ。


 新宿には、先輩のお気に入りのアパレルブランドが、何店舗も入っているビルがあるらしい。そこに行くのが主な目的だ。


 人混みに酔いそうになりながらも、しっかりと都会の雰囲気を味わった。いや、そもそも1時間もかからず新宿に行ける時点で、そこまで田舎ではないのだけどね。


 歌舞伎町とか、危険と噂される場所も行ってみたけど、とくにトラブルもなかった。まあ、あんだけ人が多いのだから、海外のスラム街とかみたいに治安がそこまで悪いわけでもない。


 帰りは池袋で埼京線に乗り換えて、さらに武蔵浦和で武蔵野線に乗り換えるために降りる。次の電車まで、わりと時間があるのでのんびり待つことにした。


 ここにはホームドアがないので、都内に住んでいる知り合いが来るとビックリするらしい。


 とはいえ、飛び込み自殺は頻繁に起きるわけではないので、優先的に工事が行われないのだろう。


 屋根があるとはいえ、地上にある駅のホームはあまり遮るものがないので、冷たい北風はつらい。


 こんなときは、ホットスナックか何かで温まりたいのだが、売店は改札に入ってすぐの場所にあるだけだ。階段をまた上がるのもメンドクサイ。


「先輩。自販機で温かいものを買っていいですか?」

「モブ子さん。別に、そんなことまで、わたくしの許可をとらなくても大丈夫よ」

「そうなんですけど、なんとなく」


 先輩を差し置いて、自分だけ飲食するというのも気が引ける。あれ? これって、変に勘ぐられる可能性もあるんじゃない?


「わたくしは奢らないですわよ」


 やっぱり!


「違います違います。先輩に奢ってもらおうなんて、欠片も思ってませんって」

「わかってるわよ。温まりたいのでしょう? わたくしは大丈夫ですから、一人でお飲みなさい」


 はあ、と息と吐く。変に誤解されなくて良かった。


 私はスマホを自販機にかざして、温かいココアを購入する。


 こてんと、取り出し口に缶が吐き出されると、私は両手で優しくそれを取り出した。


「あちっ」


 火傷するほどではないけど、出たての缶は少し熱い。でもすぐに慣れて、冷たくなった手を温めてくれる。


 詩的な気分になりながら先輩の方を見ると、いつものルーティンが始まっていた。


 時刻は17時になろうという夕刻。西の空は真っ赤に染め上がっている。


 ホームの先端は西側だ。


 きっといい夕景が撮れるだろう。ただし、先輩は他の条件が厳しいからなぁ。


「邪魔ですわね」


 ほら来た。


「何が邪魔なんですか? 信号が邪魔とか架線が邪魔とか、そういうのはなしですよ。さすがの私でも、そんなものは解体できません」

「解体しなくてよろしいですから、アレを退けてくれません?」


 アレ?


 私は先輩が指差す方を見る。と、そこにはフラフラと足取りのおぼつかない女の子がいた。あれは、中学生くらいの子だろうか?


 さらに観察すると、その子は右腕を顔の前に持っていき、それを左右に揺らしている。あれ? 泣いてる?


「ん?」

「撮影したいんで、どかしてもらえます?」


 先輩が私を見つめる。そこで我に返った。


「先輩! あの子、自殺しようとしているのでは?」

「さあ?」

「だって、あの子泣いているような」


 制服の袖で、涙を拭っているのだろう。そして、彼女の足取りは、ホームの先端へと向かっている。そこはもう、電車が止まる場所ではない。


「とりあえず、邪魔なので止めてくださいません?」

「いや、止めるって、どうするんですか? 事情も知らないのに」

「そうですね。モブ子さんが先ほど買った、ココアで釣ってみるのはいかがですか?」

「は? 自殺しそうな子が、そんなもんで釣られるわけないじゃないですか!」

「そうかしら? 人はひもじい、寒い、死にたいと、この順番で不幸はやってくるの。まずは身体を温めて腹を満たせば、落ち着くはずよ。下手な説得するよりは、マシなはずですわ」


 躊躇している暇はなかった。あと数分で上りの列車がやってくる。


「ああ、もう! やればいいんですよね!」

「できれば、わたくしのスマホの画面に入らないようにしてくれると、ありがたいですわ

「……」


 先輩にとっての優先順位は夕景の撮影だから、本来なら見知らぬ女生徒がどうなろうと構わないのだろう。


 とにかく、あの子を止めるしかない。


 私は駆け出すとその子の隣に並ぶ。


「ねぇ……」


 声をかけようとしてその子の顔を見ると、涙でぐちゃぐちゃになっていた。


 とても嫌な事があったのだろう。それ以上、声をかけるのをためらってしまうほど。だって、何を言えばいいの?


 私は助けを求めるつもりで、先輩の方を見る。


「――」


 何か言っているが聞こえない。ただ、右手で私らを視界から追い出すようなジェスチャーをする。つまり「邪魔だから、早くどいてくれませんか?」と言っているのだろう。


 先輩に頼ろうとした自分がバカだった、ここは己の判断で……いや、先輩は何て言った? そうだ!


「ねえ、寒いでしょ? これあげるから、ちょっと落ち着こう。温まるよ」


 私は引きつった笑顔で、横にいる名前も知らない女の子へとそう告げる。


「……」


 そこで初めて私の存在に気付いたようで「誰?」みたいな感じで首を傾げ、そしてココアの缶を受け取る。


「知らない人から物をもらうのは、危険だけどさ。それ、さっき買ったやつだから」


 女の子は、両手で缶を覆うように持ち「あったかい」と呟いた。


「開封もされてないでしょ? ほら、開けてみて。試しに一口飲んでみて」


 怪しさ満載だな。私がこの子の立場だったら、絶対に口は付けないはず。


「……」

「あの自販機で、さっき買ったばかりなの。まあ、何かの縁だから奢ってあげるよ」


 なんの縁だかわからないが、私の必死さは彼女に伝わったようだ。


 女の子は、再び首を傾げながらプルトップを開けると、ぐいと一口飲む。


「……甘くてあったかい」


 彼女の顔に、わずかな安らぎが浮かんだような気がした。


「まあ、温かいココアだからね。ここは風が強いから、あっち行こう」


 私は、先輩が撮そうとしている範囲から出るように彼女を誘導する。


 これは気が引ける。だって、私は親切でこの子を助けようとしたんじゃなくて、ただの先輩の『ぱしり』だからなぁ。


 北風を遮れる階段の反対側に移動すると、彼女が落ち着くのを待った。


 しばらくすると、先輩が戻ってくる。


「モブ子さん、ありがとうございます。良い夕焼けが撮影できたわ」

「あーはいはい。先輩のその手のお願いには慣れましたけど……」

「もうすぐ下りの列車がくるわよ」

「いや、先輩、どうするんですか?」

「何がですか?」

「この子ですよ! 私がっつり関わってるんです。このまま別れて放置して、自殺でもされたら、一生トラウマものですよ」


 私のその言葉に驚いたのか、女の子の身体がびくっと震えた。


「だめね。そんな強い言葉を使っては」

「……」


 先輩に軽くお叱りを受けてしまう。少し反省……いや、元凶は先輩じゃないですか!


「ね、お姉さんが奢ってあげるから、上にある珈琲ショップに行かない?」


 保護した子に、そよぎ先輩は優しくそう声をかける。


 あ、先輩。おいしいところ全部持ってこうとしている。しかも、私には奢らないくせにこの子には奢るんだ。


 ま、先輩は『人でなし』だからね。




**



 死にたかったと、彼女はぽつぽつと自分の事を話しだした。


 学校では、いじめられているそうだ。


 原因は名前。なかなか話したがらなかったが、そよぎ先輩の強引な誘導で本名がわかる。


 彼女の名前は神原かんばら七音。七音と書いて「どれみ」と読むそうだ。大喜利かよ! とツッコミたくなる。


 まあ、いわゆるキラキラネームだ。


「いじめられているだけじゃなくて、昨日、母親が家を出て行ってしまったのね」


 彼女の両親は、不仲で喧嘩が絶えなかったそうだ。それがエスカレーションしていっての、別居ということだろう。


「……あと、自分の顔が嫌い。わたしブスだから、それもあっていじめられるの」


 まあ、見た目なんて主観だから、人によってどう思うかは違ってくる。


 けど、いじめる側の理由で、客観的な容姿とは関係なく『醜い』と貶す場合もある。相手にコンプレックスを感じさせて、精神的ダメージを与える。そういうのは、いじめではよくあることだ。


「なるほど。それが原因で、死を選ぼうとしたのかしら?」

「それだけじゃないんです。わたし、いじめられるのが我慢できなくなって、ちょっと暴れたんです。そしたら……」


 彼女は顔を両手で覆って、下を向いて言葉を詰まらせる。


「何か壊したのね」


 先輩が何かを悟ったように、彼女の言葉を言い当てる


「……弁償しろって、できなきゃパパ活でもしろって」

「なるほど、それは出来すぎですわね」

「え?」


 女の子は我に返ったように顔を上げ、先輩の顔を見つめる。


「それで、何を壊したのかしら? その時の様子を、落ち着いて教えていただけますか? そうしたら、あなたには逆転のチャンスがあるかもしれません」

「壊してしまったのはスマホです。それも最新機種らしいんで、10万以上するって言われて……」

「なるほど、把握したわ。他には悩みはあるかしら?」

「……他にもあるかもしれないけど、今、頭の中がぐちゃぐちゃで、それ以上考えられない状態で……」

「悩みのジャグリング状態ね。そういうときは、悩みを整理して書き出してみましょう」


 そよぎ先輩はスマホを取りだして、メモ帳アプリを起動させる。そして、彼女の悩みを再確認するつもりで声に出す。


「両親の不仲、自分の顔が嫌い、名前がキラキラネームで困っている、学校でいじめられている、いじめっ子のスマホを壊してしまった、そしてその修理代に10万以上お金がいる」


 入力している間、神原さんは先輩の言葉に頷いていた。入力し終わると、スマホをテーブルに置いて先輩は彼女の顔を見る。


「じゃあ、まずはこれに優先順位をつけましょう。すぐに解決しなくても大丈夫な問題は?」

「……ぜんぶ、今すぐ解決したい」


 思い詰めたような神原さんの言葉に、そよぎ先輩はため息を吐く。


「聞き方が悪かったわね。例えば、顔の問題。いじめっ子に『ブスだ』と言われる悪口に耐えられないのよね?」

「……はい」

「神原さんは、自分に自信がないが故に、いじめっ子たちの暗示にかかって落ち込んでいるの。美醜の価値観なんて千差万別。ある人が美人と思っていても、ある人にはブスだと思われる芸能人なんていくらでもいるでしょ?」


 先輩はそのあと、例えとして何人かの芸能人の名前を出した。


「……そういえばそうですね」

「それにね。社会人になれば、化粧の上手さこそが世渡りの要。いくら美人でも、幼稚な化粧では笑われてしまいますわよ。まあ、化粧の仕方なんて、これから学んでいけばいいんですから、いじめっ子たちと、スタートラインは同じじゃないかしら?」

「……そうなの?」

「ですから、すぐに考えなければいけない問題でもありません」

「そうですね」

「それから名前の問題。これは、15歳になれば親の同意がなくても、本人の意思で家庭裁判所に改名を申請できますの。いますぐだと厳しいけど、少し時間が経てばなんとかできる問題ですわ」

「そうなんですか? 自分で変えることできるんだ」


 神原さんの顔が、ぱっと明るくなる。


「両親の不仲については、神原さんができることはないわ。離婚した場合、どちらについて行くは今から考えた方がいいけど、今日明日、すぐに答えを出さなきゃいけない問題ではありません」

「うん。ほんとは離婚してほしくないけど」

「離婚しなくて済むかもしれないし、そこらへんは頭の片隅に置いておけばいいですわ。というか、これは神原さんが解決する問題じゃないから放置すべき」

「……うん」

「学校でいじめられる件と、いじめっ子のスマホを壊した件だけど、これはリンクしているわ」

「え? でも……」

「わたくしの勘ですけど、そのいじめっ子は『嫌がらせ』が目的で、自分のスマホを壊させたと思いますの」

「でも……わたしが落として壊したから」

「まあ、最新機種を買うくらいの人なら、保証サービスに入っているはずよ。なんとかケアってってやつ。その場合、修理に10万もかからないのだけどね。まあ、そもそも最初っから『割れてたスマホ』をわざと落とさせて、神原さんのせいにする。そういう、いじめかもしれないけどね」

「……」


 神原さんは『そんなこと考えも付かなかった』と言いたげに、感心した顔を見せる。


「というわけで、神原さんの悩みで最優先させなきゃいけないのは、そのいじめっ子の問題ですわね」

「どうすればいいんですか?」

「そうね……相手がどこまで乗ってくるかわからないのですが、あの作戦で行きましょう」

「……」


 神原さんは、具体的な解決法を告げられていないので首を傾げるだけだ。私は思わずツッコミをいれてしまう。


「先輩! 『あの作戦』ってなんですか。ちゃんと説明しましょうよ」

「あら、失礼。そうですね。これは、相手がゲスであればあるほど、ダメージの大きくなる作戦ですの」


 だから、何をするか説明して!


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る