周りに合わせて、伸び縮み。
学校に着くと、なんだか教室がいつもよりざわついていた。
教室に入るためのドアは二つあるんだけど、そのうちの一つが人だかりで埋め尽くされている。
「何だろ……」
反対側のドアから教室に入って、荷物を置いて、様子をうかがう。
人だかりの正体は、女子テニス部の人たちだった。
一年生の部員だけじゃなく、先輩たちもまじってる気がする。
「奈央、何で昨日部活、休んだの」
「休むなんて連絡、聞いてないんだけど」
「下っ端なんだから、ちゃんと休まずに練習来なさいよね。ボール拾い、いなかったら困るんだけど」
口々に、先輩や後輩が奈央ちゃんに言葉をぶつける。
その言葉にはとげがあって、関係ない私にまで刺さる。
「ごめんなさい」
奈央ちゃんが謝る。
「謝ってすむことじゃないよ」
「……とでも言うと思った? 残念、謝ったりしないよ!」
奈央ちゃんがにやりと笑う。その表情は、奈央ちゃんじゃなかった。
「私はもう、周りに合わせて伸び縮みしたりしない。私は私のやりたいようにやる!」
そう言って、先輩に詰め寄る奈央ちゃん。
「先輩、私、ちゃんと伝えましたよ? 体調が悪いので今日、部活には参加しませんって。そしたら先輩、後輩が体調不良なんかで休むなんてありえないって言いました。わすれたんですか?」
それに、と今度は奈央ちゃんは同じ学年のテニス部の子たちに向き直る。
「あなたたちにも、私、相談したよね? 最近、私、先輩に無視されてるから、部活やめようか迷ってるって。だーれも返信くれてないけど、なぜ?」
なぜ、なぜ、と奈央ちゃんは繰り返す。
その異様さに、たくさんいた女子グループたちは顔を見合わせる。
私は、気づいていた。奈央ちゃんの言葉に重なるもう一人の声。
ああ、こんなに近くにいたんだ。体を乗っ取られた人が。
なんで、あんなに仲良しだったのに気づいてあげられなかったんだろう。
いくら最近話をしてなかったとはいえ、奈央ちゃんの様子がおかしいことくらい、気づいていたはず。
それなのに、私には関係ないって思ってた。きっと彼女は部活動のメンバーと仲良くやってる大丈夫、今日、仲が悪いだけ。
そう思ってた。そう思い込んでた。
でも違った。奈央ちゃん無理してた。
だって奈央ちゃんは、自分の意見が言えて、はっきり白黒つけたがる人なのに。
最近は私みたいにただ笑って受け流してただけだった。
なんで気づかなかったんだろう……!?
その時、チャイムが鳴って田中先生が現れた。帰って行く女子テニス部の人たち。
奈央ちゃんは、席に戻らず、ぱっと教室の外へと走り出してしまった。
「まずい!」
本条くんが叫ぶ。それと同時に私も体が動いていた。
「奈央ちゃん待って!」
奈央ちゃんを追って、教室を飛び出す。
後ろで田中先生が何か叫んでいた気がするけど、気にしない。
だって今は、親友の一大事だもん。学校の成績表なんて、気にしてられない!
奈央ちゃんが向かった先は、図書室だった。
奈央ちゃんに続いて、私と本条くんも部屋の中に飛び込む。
図書室の中はいつもと違った様子になっていた。
椅子が空に浮かび、テーブルは地面にめりこんでいる。
全部、あべこべだ。
ああ、ここが。ここ自体が、奈央ちゃんの心の中なんだ。そう感じた。
「奈央ちゃん、それ……」
奈央ちゃんが手元に持っていたのは、私が保管していたはずの、封印図書。
元々は、ムギやカンちゃんが暮らしていた『不思議の国のアリス』の物語の本。
「奈央ちゃん、それ返して。大事なものなの」
「なぜ?」
奈央ちゃんが聞いてくる。
「私にとって大事なものなんて、もう何もないわ。自分らしく生きる場所なんて、どこにもない。だから、この本と一緒になることにした」
「私もそこに行ったよ十年前! 奈央ちゃんがうらやましくて」
奈央ちゃんの目はうつろだ。話が聞こえているか、分からない。でも話さないわけにはいかない。諦めたら、本当に奈央ちゃんは、体を乗っ取られてしまう。
「奈央ちゃんみたいに自分の意見をはっきり言えて、白黒はっきりつけられる人になりたかった。だから……」
「やめといた方がいいよ。ろくなことないもん」
奈央ちゃんが言う。
「確かに、自分の意見が言える人はかっこいいと思われるかもしれない。でも、結局人に嫌われるだけ。うっとうしいって思われるだけ。そう教えてもらった」
「教えてもらったって……、誰に」
誰だか知らないけど、そんなことを奈央ちゃんに伝えた人のことを私は絶対に許さない。
そう思っていたら、後ろから声がした。
「オレが教えたんだ。周りに合わさないやつは、嫌われるぞって」
そこに立っていたのは……。
「田中先生……」
「いやー、まさか特別司書官が二人も学校にいたとはねー。道理で、物語の暴走がうまく行かないわけだ」
大きくため息をつく先生。先生はギラついた目で、私を見た。
「文原。全部お前のせいだぞ。お前があの日、オレが本を返しに行ってこいって言った日に、物語のキャラクターに乗っ取られなかったから」
『あー、そうだった。あの日、突然オレの声が聞こえるようになったでしょ。それ、コイツのせいなんだわ。コイツが、暴走している物語の本を与えたもんで、オレが出てくる羽目になった。結果的に、アンタが自分が特別司書官だって思い出すキッカケになってくれたワケですけどね?』
姿を隠したままのムギが言う。
『ムギがいたおかげで、あなたは物語に取り込まれたり、キャラクターに体を乗っ取られたりしなかったんです。ムギに感謝、ですよ』
うん、後でありがとうってたくさん伝えよう。
そう思いながら、田中先生を見つめる。
「おかしいよなぁ。学級委員の中井は、お前に仕事を取られて嘆いてた。それを面談の時に聞きだして、はげますふりをして本を渡した。そしたらいとも簡単に、ハートの女王に乗っ取られてくれた。町田もそうだ。オレが休み時間にさびしそうにしてたあいつに声をかけて、これまた本を渡してやったら、あっさり帽子屋のえじきだ。今までそうやって、落ち込んでるやつに本を渡せば、すぐにキャラクターが体を乗っ取ってたのに。お前だけだよ、乗っ取られなかったのは。まぁ特別司書官だったからだろうけどな」
田中先生が言いながら近寄ってくる。
「確かに、不満はありました。私じゃなくて、中井さんに仕事を頼めばいいのにって」
「そう、それが狙いだったんだよオレは。頼みやすそうなやつにいつも仕事を頼む教師の図。最低だが、それでオレに不満を持ってもらうためだったからな」
田中先生は言って、ヘッドフォンを取り出した。真っ黒に染まってしまっている。
「どいつもこいつも、ほんと、気に入らねぇ。物語の世界に入りたいって願うから、入れてやる。でも思ってたのと違った助けてと願う。助けてやってもお礼もなし。それなら、物語の住人たちの方がよっぽど素直だ。だから、オレは人間よりも物語の住人たちの願いを叶えてやることにした。これのどこが、間違いだって言うんだよ?」
先生の言葉に、私は言葉を返せなかった。
確かに、物語の世界に入り込めたらいいのに、と願うくせに本当に物語の世界に入って元の世界に戻れるか分からなくなったら、不安になる。
それは、本気でそう願ってないからだ。叶わないと思っているから、願える願い。でももしそれが叶うかもしれないって分かってたら、多分願わない人もたくさんいる。
なんでもそうだ。人のことを羨ましいって言うけれど、その人と同じくらい努力ができるかといえば、きっとあの人は天才だからという。
その人が頑張ってきた努力なんて、なかったと言い切る。どれもこれも同じ。
その程度の覚悟で、私たちは願いを口に出してしまってる。叶わないなら、現実逃避をしてしまえ、そう思ってしまってる。それを、田中先生は許せないんだ。
「湯川は、自分の意見を言える性格を手放して、周りに合わせる力が欲しかった。望みを叶えたんだから、もう他人の言葉なんて聞こえなくていいだろ」
そう言って、ヘッドフォンを奈央ちゃんにつけようとする。
「ちゃんと、自分が望んだ願いに責任を取ってもらわないとな」
「そんなの、何度だって変えていいの!」
私は田中先生から、ヘッドフォンを取り上げた。
「どうせ叶わないって思ってるけど、叶ったらうれしい。そんな願いだっていっぱいあるもん! 確かに物語の世界に生まれたかった、あっちで生きてみたいって願いは、永遠にってことじゃない。一日だけ、とか限定された時間だけそこに行ってみたいっていうだけ。それはそれでいいじゃない。本当に必要な願いは結局、誰かが叶えてくれるんじゃなくて、自分で叶えるしかない。田中先生が勝手に決めて、勝手に叶えていいことでもない!」
そう叫んで、私は図書室の窓に走り寄る。
「お、おい何を!」
「こんなヴォーパルソード! 消えてなくなっちまえ!!!!」
そう言って、窓の外から放り投げる。
「なんてことを!!!!」
田中先生は言って、ヘッドフォンを拾いに、図書室から出て行った。
そこでふと気づく。田中先生も、きっと元々は特別司書官だってことを。
だって、特別司書官にしか出入りできない場所から、本が消えてるってカンちゃんは言ってた。
だったらきっと、田中先生も特別司書官なんだ。
みんなの願いを叶えていっているうちに、今みたいな気持ちになっちゃったんだ。
多分、特別司書官として仕事をしていたら、田中先生みたいな気持ちになることも、あるのかもしれない。
そうなりたくはないし、ならないと思いたいけど、絶対じゃない。
「奈央ちゃん……」
封印図書を握ったままの奈央ちゃんに向き直る。
「何度も言うけど、私は元の奈央ちゃんが好きだよ。周りに合わせて笑うのは、私だけで十分。奈央ちゃんは、元の奈央ちゃんが一番だよ。私のあこがれの親友だもん」
そう言うと、奈央ちゃんの目に少しずつ、光が戻り始める。だけど。
「私は、外の世界に出たい! こんな世界嫌だって言ってたこの子の代わりに! もう大きさを大きくしたり、小さくしなくて済む世界に行きたい! なぜ、と聞いてまともな答えが返ってくる世界に!!!」
それを聞いて、今、奈央ちゃんの体を乗っ取っているキャラクターが誰なのか、分かった。まさか、主人公が。悪者になんかなりそうにないのに。
「本条くん。奈央ちゃんの体を乗っ取ってるのは、『アリス』だよ!!!」
そう叫ぶと、奈央ちゃんの顔がゆがむ。
「『不思議の国のアリス』の『アリス』、湯川奈央から出ろっ」
本条くんがハサミを持って飛ぶ。そしてジャキンッと切っ先を奈央ちゃんの目の前で振り下ろした。
奈央ちゃんの隣に現れる金髪の少女。間違いなく、アリスだ。
『あなたたちが、特別司書官が来たから、みんな外の世界に出たくなっちゃった! だから私たちはずーっと封印図書扱い!』
「それは……ごめん。でも、だからって、人間の体を乗っ取っちゃだめだよ」
『だって、感謝してないもん。そっちの世界で生きられることに感謝してないもん!』
そうわめくアリスに、私は
「『不思議の国のアリス』の『アリス』、回収します!」
アリスは小さな体をふんばって、吸い込まれないようにしている。
『アリス。今度は、全員が幸せになれる方法、一緒に考えような』
姿を隠していたムギが、そっとアリスの体を押す。
昨日の女王を押した時とはくらべものにならないくらい、優しい一押しだった。
「物語に帰れ!」
アリスの体が完全に本の中に吸い込まれた瞬間、図書室はいつもの図書室へと戻った。
♦♦
「ごめんね、奈央ちゃん。奈央ちゃんのSOS、気づいてあげられなくて」
アリスが消えたあと、私は奈央ちゃんのそばまで寄って行って言った。
手に持っていた本を見ると、ほこりっぽくてきらきらしてなかった私の本の表紙の石は、今きらきらとかがやいていた。
「私が田中先生に本を返してきてほしいって頼まれたあの日、本と私を見たのは、私が奈央ちゃんと同じく、誰かに体を乗っ取られるんじゃないかって心配してくれてたんだよね」
「そんな立派なものじゃないよ」
奈央ちゃんは力なく笑った。
「最近はね、アリスのおかげで自分らしくはなくなってたけど、でもテニス部では居場所ができ始めてたの。だから、もし本がアリスちゃんのところに行って、アリスも一緒に移ってしまったらどうしようって思ってただけ」
「ほら、奈央ちゃん、正直に全部話してくれる。それが好き」
奈央ちゃんにそう伝えると、奈央ちゃんは笑った。
「あたしも、アリスちゃんのいつでもお礼を言ってくれたり、好きって言ってくれたりするところ、好きだよ」
顔を見合わせて笑いあう。なんだかとても久しぶりの感覚だった。
『それじゃ、封印図書と
カンちゃんが言って、部屋を出て行こうとする。
「あ、カンちゃん。二つお願いがあって」
『何や』
「一つは、その封印図書のことなんだけど、アリスよると、みんな外へ出たがってるって言ってたから、カンちゃんみたいに、監視官とかで雇ってもらえないか、偉い人に聞いてみてくれないかな」
『うーん、分かった。やってみるわ』
「あと、田中先生のヴォーパルソードだけど、もし私が壊しちゃってたら、新しいヴォーパルソードがもらえるように頼んでみてもらえないかな」
『はぁ!?』
カンちゃんが大声を出す。
『自分、分かっとるんか!? せっかくヴォーパルソード壊したのに、また新しいのわたしたりしたら、また悪さするに決まっとるやん』
「そしたら、私たちがまた、止めればいい」
『……はぁ』
カンちゃんが大きなため息をつく。
『約束はできへんけど、聞いてみたる』
「ありがとう」
『それじゃ、後の整理は他の特別司書官が引き継ぐから、自分ら中学生は、中学生らしく学校生活楽しんどいで』
カンちゃんに促されて、私たちは図書室を出た。
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