ヴォーパルソード

 目覚まし時計のアラーム音で目が覚めた。

 昨日の図書室での出来事が、遠い昔のことのように思える。

 いや、そもそもあれは、夢の中での出来事だったのかも……。

 夢じゃないといいな、そう思いながら寝返りを打つ。それより……。

 なんだか、いつもより遠くから聞こえてくる気がする。

 そもそも、私の耳がおかしくなったのか、音がはなれたり、近くなったりしてる。

 とりあえず、アラームを止めよう。

 そう思って、ベッドの上に置いてあるはずの目覚まし時計に手を伸ばす。

 だけどなぜか、今日は何度手を伸ばしても、手が空を切る。

 仕方なく、目を開けて起き上がる。

 すると、部屋の様子とベッドの上の様子が目に入った。

 まず部屋のドアの前に、床で眠るムギの姿があった。

 そして、その隣に、部屋の中を走り回るカンちゃんの姿がある。

 ……うん、昨日の出来事は夢じゃなかった。

 それが分かっただけでも、素直に嬉しい。でも……。

「ちょっと、どうしてカンちゃんもムギもうちにいるの!?」

「アリス、朝から大声出さないっ!!」

 部屋のドアが急に開いて、お母さんが顔を出す。

 うわ、お母さんに部屋に人を入れていたことがバレちゃう!

 そう思ったけど。お母さんは、ムギにもカンちゃんにも気づかずに去って行く。

 カンちゃんがあれだけお母さんの目の前で走り回ってたのに。目覚まし時計持って。

「なんで、お母さん気づかないの……?」

『特別司書官にしか、オレらの姿は見えないようになってるもんでね』

 アラームがさすがにうるさかったのか、目を覚ましたムギが不機嫌そうに言う。

『カン、早くその目覚まし止めろ』

『そうは言うたってワイ、止め方分からへん』

『貸せ』

『いやや、これはワイのもんや!』

「私のです!!!」

 カンちゃんから目覚まし時計を取りあげる。

 それから、アラーム停止ボタンを押した。

 カンちゃんは、不満げに私の方を見る。

『ワイの目覚まし時計……』

『懐中時計でガマンしろ』

『せやかてこれ、音出えへんもん。そっちの方がええ』

 文句を言うカンちゃんを無視して、ムギが言う。

『何でオレたちがここにいるのかって? オレは前から、アンタと一緒にいたさ。アンタに見えてなかっただけでね』

『ワイは担当監視官として、特別司書官の仕事の様子を見張っとかなアカンねん。せやから、当分は自分らと一緒に行動する予定や』

 カンちゃんがついてくるの、なんだか不安しかないんだけど。

 だって昨日も、ずーっと話し続けてたんだもん。

 最初はまじめに全部聞いてあげてたんだけど。

 あまりにも長いし、次々話題を変えて話し続けるから、途中であきらめた。

 何をって? カンちゃんの話をまじめに聞き続けることを。

 アレがこれから毎日続くとなると、正直しんどい。

 でも、それを本人に伝えたら、本人が傷つく。

 だから、伝えるつもりはない。それは、いい。でも。

 ムギが前から私と一緒にいたってどういうこと?

 私が疑問に思っているのが顔に出ていたのか、ムギは笑って言う。

『アンタは昨日、自分が特別司書官だったことを思い出したワケだろ? それじゃ、思い出すまでは一般人と一緒だったわけさ。だから、オレのことが見えなかった。それだけのこと』

 それを聞いて納得する。同時に、複雑な気持ちにもなる。

 やっぱり昨日の出来事は、夢じゃなかったんだ。

 暴走した物語の本や、本を閉じようとしていた時の重みを思い出す。

 私、本当に特別司書としてやっていけるのかな。

 ちょっと不安になってきた。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、カンちゃんが言う。

『さぁ今日から、物語から脱走したキャラクターをビシバシ探すで!』

「でも、そもそも逃げ出したキャラクターたちがどこに行ったのか分からないのに……」

 そんな簡単に見つかるはずがないよ。思わず心の声がもれ出る。

 すると、カンちゃんは、まるで私をはげますかのように元気にとびはねた。

『逃げ出したキャラクターたちは、本が置かれていた場所から遠くは離れられへん。少なくとも、誰かの体を乗っ取らん限りはな』

『だから、誰かの体に入り込むまでは、学校のどこかにいるはずだぜ』

「それじゃ、学校の中を探せばいいと」

 そりゃ、この辺り一帯を探すよりは楽だけど。

 でも、学校の中にも中学一年生から三年生まで、数百人の生徒や先生がいる。

 その中から、たった三人の、体を乗っ取られた人を探すなんて……。

「体を乗っ取られている人たちに、何か目印があったりするんですか」

『ない』

 カンちゃんが即答する。……ああ、ダメだ見つけられる気がしない。

『ただ、体を乗っ取っている相手を追い詰めることができれば、キャラクターが姿を現す。そのときに、自分の持ってる本で相手の体に触れられたら勝ちや』

「それじゃ、本条くんも私みたいな本を持ってるってこと?」

 昨日見た本条くんは、自分の身長くらいある大きなハサミを持っていた。

 あれ以外に、私が持っているような本を持っているのか、確かめたかった。

 私の問いに、カンちゃんは首を横に振る。

『いや、【ヴォーパルソード】は、各特別司書につき一個しか与えられへん。ツカサの武器はあのハサミやから、本は持っとらへんで』

「ヴォーパルソード……」

 とある童話の中で出てくるアイテムの名前だということは、知ってる。

『ヴォーパルソードは、それぞれの特別司書官に合わせて形を変えるねん。ツカサは、自分が物語の世界に入って物語を修復するのが得意やから、ページを破る、ハサミの形をしてるんやね。で、アリスの場合は……』

 カンちゃんの言葉をさえぎって、ムギが言葉を続ける。

『アンタの場合は、ちょっと特殊でね。……というのもアンタ、物語も、物語の住人たちも守りたいって考え方だからさ。だから、本の形をしてるってワケ』

「物語も、物語の住人達も、守りたい……」

 昨日、カンちゃんから聞いた。

 私は記憶にはないけれど、十年前に特別司書官になっているらしい。

 きっとこの本は、その時、私が物語の暴走を止めるために使っていた武器なんだ。

『アンタのヴォーパルソードは、キャラクターを一時的に閉じ込めることができる。今回オレたちがやるべきことは二つ。まず、物語から逃げ出した三人のキャラクターを見つけて、この本に回収する。そして、三人回収した後、今は封印している元の本に戻してやる。これで、一件落着ってワケ』

 なんか簡単そうに言うけど、全然簡単そうじゃない。

 ただ、何もしなければ、タイムリミットまでの時間が迫るだけ。

 もしかしたら本条くんが三人のキャラクターを見つけ出す方が早いかもしれない。

 でも、だとしても。

 私も何もしないわけにはいかない。

 私の表情を見て、ムギは笑った。

『……やる気満々に見えるねぇ』

「だって今この仕事ができるのは、私と本条くんたちだけなんでしょ?」

『まぁ、そうなるねぇ』

「だったら私たち、必要とされてるってことじゃない?」

『ああ、そうとも言える』

 ムギが茶髪の髪をゆらしてうなずく。

「それが、嬉しいの」

『まだ何も成し遂げてないのに、か? そりゃ変な話だ』

 不思議そうな顔をするムギ。

 確かに、ムギの言う通りなのかもしれない。

 まだ何も成し遂げてないうちから、喜ぶなんて。でも。

「確かに、まだ何も始まってないしやり遂げてないから、どうなるかは分からない。もしかしたら、何もできずに終わるかもしれない。だけど、誰でもできることじゃなくって、少なくともできる人が少ないことを、自分ができるってことが、幸せなんだ」

 中学生になってから、ずっと感じてたこと。

 自分の居場所はどこにあるんだろう?

 自分って、誰かの役に立ってるのかな。

 自分がいなくても、誰も困らないんじゃないかな。

 そんなことを考えていたら、いつの間にかクラスの浮いた存在になっていて。

 友達と同じ部活に入る、ということもできずに。

 ただ学校に行って帰ってくるだけの、毎日に飽き飽きして。

 でも何も変えることができずに家に帰っていた日々が。

 もしかしたら変わるかもしれないってことが限りなく心を弾ませるんだ。

 だから。特別司書官としての仕事を成功させて。

 絶対に、必要とされる人間になるんだから!

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