悪役は、悪役がするとは、限らない。

最後の一人。

「ムギ!?」

 ベッドから落ちそうな勢いで飛び起きる。

 シャラン、と手首につけたブレスレットが鳴る。

『……何だい、そんなにあわてて』

 ムギが、姿を現す。今気づいたけど、彼にも私と同じブレスレットがついている。

「これ……」

 自分のブレスレットを掲げて見せると、ムギは笑った。

『ああ、これ? これは、昔オレに名前をつけてくれた相棒がくれたもんだよ。記念にずーっとつけてるんだけどねぇ?』

 意味ありげに笑うムギ。

「もしかして私、一度物語の世界に入り込んだこと、ある?」

 そう聞くと、ムギは事もなげに、うなずいた。

『あー、ちょっとずつ思い出してきたって感じ? それなら都合がいい。ちょうど、カンからも報告があってな。それと合わせて話がしたい』

『せやねん』

 カンちゃんが姿を現した。

「でも、学校にもう行かないと……」

『それなら心配いらないよっ』

 私の本……――、ヴォーパルソードから声がする。

『オレを一時的に召喚してくれたら、時間は永遠だ』

 帽子屋だ。そうすぐに分かった。

「逃げたりしない?」

『もちろんさ。一度つかまると、もう逃げられないしね』

 帽子屋の言葉を信じるしかなさそう。

『時間を止める前に、ツカサを呼ぼう』

 ムギが言って、家を出た。すぐに本条くんとブーツくんを連れて戻ってくる。

 それを確認してから、本を開き、帽子屋がいるページを開く。

「『不思議の国のアリス』の『帽子屋』、出て来て」

 すると、帽子屋が喜んでページから飛び出してきた。

『これで、オレがここにいる間、時間は進まないよ』

 帽子屋のウインク。うん、全然ときめかない。

『さて、どこから話し始めたもんかねぇ』

 ムギが顔をしかめる。それから、カンちゃんに向かって言う。

『カン、持って来たか?』

『もちろんや』

 カンちゃんが、自分の懐中時計を私に向かって差し出した。

『触れてみ? そしたら全部思い出すわ』

 そして、今度は本条くんにも言う。

『ツカサも一緒に触るんや。これは、自分ら二人の封印された記憶やからな』

「封印された記憶……」

 きっと、十年前、私が特別司書官になってそれを今まで忘れていたことに関係しているんだろう、そう分かった。

 本条くんを見ると、彼も真面目な顔でうなずく。

 二人同時に、懐中時計に触れた。

♦♢

 最初にやってきたのは、近くにある図書館だった。

 急に、物語の暴走が始まった。それを止めようと、小さい頃の本条くんが現れる。

 暴走した本の近くには、同じく小さいころの私がいた。

 暴走した本は、私を呼んでいる。そう感じた。

『物語の世界に行きたいんだろう? おいで……』

 本条くんが止めるよりも先に、私は暴走した本に触れてしまっていた。

 本の中に消えた私を追って、本条くんも自分のハサミヴォーパルソードでページを少し破ってそのすき間から本の中に侵入した。

♦♦

 物語の中に入り込んだ小さいころの私は、最初にチェシャ猫に出会う。

 人の言葉を話し、人の言葉を理解できるチェシャ猫は、私が特別司書官ではなく、ただ暴走した物語に巻き込まれた人間だと知ると、元の世界に帰る手伝いをしようと提案してくれた。

 それがうれしくて、私はその前の日にようち園で作った手作りブレスレットの一つをチェシャ猫に差し出した。ブレスレットと言っても、ただヒモに鈴をつけただけの、簡単なものだったんだけど。

 それでもチェシャ猫はとてもうれしそうに受け取った。

『きっと、特別司書官がもう少しすれば助けに来てくれるさ。それまでの辛抱だ』

 それからは、夢で見た通り。

 チェシャ猫に案内されて、いくつかの場所を回って、最後にあの法廷へとやってきて、本条くんと出会ったんだ。

 ブレスレットをあげたチェシャ猫に名前をつけたことで、私は特別司書官になった。その時、今私が持っている本……――、ヴォーパルソードが出現する。

『お前さんが望んだんじゃないか、あんな世界より、物語の世界の方がずっと楽しそうだ。こっちの世界で暮らしたい、と。ワシはその願いを叶えてやろうと思っただけじゃ!』

 王様がわめく。そこで思い出す。確かに本に取り込まれる前、自分がそう願ったことを。

 この日、幼馴染みの湯川奈央ちゃんと一緒に図書館へとやってきた私。

 お互いのお母さんたちも一緒だったんだけど、奈央ちゃんが自分のお母さんにほめられまくっているのを見て、その場にいずらくなって図書館の中に一人で入ったんだよね。まだまだお母さんたちの話は、外で続きそうだったから。

 物語を読んでいる時は、誰よりもなんだか力があるような気がして。

 物語の中でなら、誰にでもなれるような気もして。

 それで、思っちゃったんだ。

 奈央ちゃんみたいに言いたいことが言えて、頑張れたらなぁ。

 でもそれは無理だし、物語の世界で暮らしたいなぁって。

 きっと物語の世界でなら、自分は何か役割をもらって楽しく生きられるはず。

 そう思ったから。そしてその思いは、こちらの世界に出たがっていた王様につながった。

 王様はいつも、ハートの女王様の言いなりだ。

 彼女の顔色をいつもうかがっている。まるで、私みたい。

「物語の登場人物と似たところがあったら、体を乗っ取られちゃうんだ……」

「それと、お互いの願いが一致してたら、な」

 本条くんが言う。

 特別司書官になった私は、今と同じように本を広げ、王様を封印した。

 そして、私と本条くんの記憶は、この懐中時計に封印されてしまった。

♦♦

 気が付くと、自分たちの家に戻ってきていた。

『ワイたちが元々いた物語、あれは今、封印図書として、特別司書官にしか入ることができへん図書館に収納されとるねん』

『オレ……――、チェシャ猫と時計ウサギ、王様。三人も物語から消えちまったからな、さすがに代役を簡単には探せなかったんだろうな』

 ムギが言う。

『ワイも本来なら、物語に残るはずやったんやけど、あん時は人手不足でなぁ、仕事してくれるんなら、外の世界に出してやるって言われて、ついつい引き受けてしもた。それでもう十年、監視官をやってる。人生、何があるか分からんもんやな』

『わたしの元いた物語も今は、封印図書として保管されています』

 ブーツさんが口をはさむ。

「ブーツさんは、どこの物語のキャラクターなんですか?」

『ヒントは、猫で長靴をはいてます』

 ニコっと笑ってブーツさんが言う。

「『長靴をはいた猫』ですか」

 私が答えると、ブーツさんはますます笑った。

『ブーツに、ムギ。どちらもネーミングセンス、ありませんねぇ」

「「うるさい」」

 本条くんと私が同時に言う。

『ほら、息までぴったりです」

 ブーツさんが嬉しそうに言った後、真顔に戻る。

『アリスさん、自分のせいで物語が暴走したって気に病まないでくださいね。誰にだって、物語に逃げたい時はあります、それでいいんです。たまたま、面倒なことを考える登場人物のいる本の前で、それを思ってしまったのがまずかっただけです』

 ブーツさんはそう言って、本条くんを見る。

『わたしのいた物語にも、そういう厄介な人がいましてね。ツカサだけの力ではどうしようもなかった。わたしたちは、あなたたちが出会った後に出会って、相棒となったのですが、あなたのことはカンからすでに聞いていました。それで、いつかあなたがわたしたちの前に現れたときには、きっと全力でサポートしようと決めたのです』

「それじゃ、前に言ってた、ある女の子との約束って……」

『あなたとの約束のことです』

 ブーツさんがきっぱりと言った。

『あの懐中時計の中には記憶されていませんが、あなたは記憶を消される寸前、ツカサに言ったそうです。

『自分が必ず特別司書官として役に立つから、他の人と組まないでくれ』と』

 そうだったんだ。

『ツカサも、記憶は消されたが、そこの記憶だけは残ってたんだなぁ』

 ムギがニヤニヤ笑う。

「ずーっとモヤモヤしてたんだ。誰と約束したのか思い出せなかったからっ」

 本条くんが私に向き直る。

「でも、誰と約束したのか思い出せてよかった。それに、もうお前のことは認めてるしな、仲間として」

 仲間、そう言われてなんだかとても嬉しい。

『ただ、問題は誰かにオレたちのいた物語を奪われたことなんだ』

 ムギが顔をしかめる。

『封印図書は、そう簡単に誰かが入り込める場所に置いてあらへん。それやのに、本は盗まれ、なぜかアリスのいる中学校にやってきた』

 カンちゃんが頭をひねる。

『それに、聞いた話によると、もう何冊も、封印図書が少しずつ姿を消してるらしいねん。そして、その犯人は未だ見つかってへんらしいで』

 封印図書の保管場所、セキュリティ大丈夫ですか。

 そうツッコミを入れたかったけどやめておいた。

 帽子屋さんにお礼を言って、彼を本の中に戻す。

 そして、二人一緒に学校へと向かった。

 あと一人、多分いるであろう物語の登場人物に乗っ取られた人を探すために。

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