8.夏夜は氷の世界

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「千尋、ちょっといいかな?」


夏休みも最終盤に近付いた平日の午前中。

私は、今日も早朝の暗殺劇を終わらせ、気持ちを休めるための生活に入っていた。


今朝の仕事で、私は例大祭の日まで、殺傷事は何もないことが保証された。


だから、自堕落にベッドの上でラジオを聴いていた。


そんな時だ。

妙に落ち込んだ由紀子が訪ねてきたのは。


「浩司は?」

「なんか一昨日あたりから練習が忙しくなっててね、今日も朝から行ってる」


私と友和が役場で遭遇した怪奇現象はいまだ謎だが、その次の日から、浩司が練習に拘束される時間が目に見えて増えたのだった。


「ちょっと話が合って」

「ごめん、外でいいかな?私の部屋、今散らかってて」

「うん…」

「近場で済まそう」


あいにく、今の私の部屋は、銃器やその部品が机に転がっていて見せられる状況ではない。

丁度お昼前だったので、私は由紀子を連れだって近所の定食屋に入っていった。


適当に頼んで、私達は出されたお冷を飲んで喉を潤す。

彼女は、いつもの由紀子らしくない。


どうも私と似た表情だ。


つまりは、どこか暗い無表情。

話しかけるな、私にかまうなといった顔。


なるほど、私もこう見えたわけだ。

私は、殺しの感覚を忘れるために頭をフル回転させて思考にハマる。


そうしているうちに、頼んだ私のソバと、由紀子のラーメンが運ばれてきた。

何も言わずに、2人で手を合わせて食べ始める。


でも、由紀子は何かを言うそぶりがない。

なかなか口を開かない彼女へ口火を切った。


「話って?」

「え?ああー……その」


私は柔らかい表情で、彼女を見つめる。


「お父さんが転勤することになって」

「…ほー」


私はその一言で察することができた。

つまりは、由紀子は夏休みが終わるころにはいない。

転校することになったのか。


「いつ?」

「それが…例大祭の前の日に…その日は木曜日じゃない?次の学校は次の日からあるからって」

「4日後…」


私も急な知らせだから、少し驚いた。

彼女を見ていると、どこか浮かない、憂鬱そうな表情が見て取れる。


「ゴメンね…急に」

「いや、謝ることはないよ」


私はそういうと、由紀子が口を開く前に続けた。


「…お爺さんが亡くなって、大変だろうからって気を使ったね?」

「……」

「優しすぎるのさ、由紀子は…その様子じゃ他の子にも行ってないでしょ?義昭とか加奈にも」


そういうと、由紀子はコクリとうなづく。


私はやれやれと肩を竦めると、由紀子をじっと見つめて口を開いた。


「明日、浩司が休みなんだって。だから皆で集まって、小樽にでも行こう。帰ってきても、1日中遊ぶの」

「え?」

「いきなり転校するって言って、サヨナラだなんて、それの方が酷いよ」

「ゴメン」


少し攻める言い方になってしまった。

私は定食屋の時計を一瞥すると、すぐに彼女に向き直る。


「今日は由紀子の家に泊まる」

「はい?」

「あと4日しかない。この町で一緒に過ごせるのは。だから、帰ったらすぐに行く」

「え?ちょっと」

「手伝いは何でもするし、ご飯だって作る。1日、私といて」


私は頭の中の霧を振り払いたいのか、彼女と別れたくないからか、勢いのままそう口走った。


結局、圧倒されたままの由紀子と定食屋を出て、別れ、私は部屋を(主に机の上を)片付けて着替え類を準備すると書置きを残して家を出た。


"明日は朝7時にバス停集合。義昭も加奈にも伝えること。私は由紀子の家にいる。大丈夫、寝坊助を起こすために戻ってくる。 千尋"


勢いのまま家を出て、すぐ近くの由紀子の家に着く。

彼女の母親は、急だというのに快く私を迎え入れてくれ、私は由紀子の部屋にいた。


「ねぇ千尋」

「何?」

「本当に千尋?」

「うん」


私にさっきまでの勢いはなく、普段の私に戻っていた。


「さっき、由紀子の顔に書いてた。寂しいって」

「うん……それはそうだけど」

「それに、私も、初めての友人と離れるのは、寂しい」


私は壁に寄りかかって、続ける。


「友人というより、勝手に思ってることだけど、貴女は親友」

「あら、千尋が言うとは思わなかった」

「ダメかな?」


私は首を傾げて彼女を見る。

由紀子は、一瞬キョトンとしたが、すぐにクスっと笑った。


「まさか」


私は目を見開く。


「ありがとう親友」

「これからもよろしく親友」


そういって、私達は肩を震わせて笑いあった。


時計を見ると、まだ午後の2時。

太陽は憎らしいくらいに明るく、そして暑い。


「さて、由紀子」

「何かな?千尋」


私は改まって、彼女の部屋に置かれた着せ替え人形を手に取って、それをまじまじと見ながらポツリと言った。


「僕は向こうでは一人だった」

「知ってる」

「思えば、二人っきりで遊んだこともない」

「そうね、こっちに来てからも、浩司とか町の子とか…大勢だったし」

「つまり。勢いに任せて家に来たわけだけど…僕はどうしていいかわからない」


そういって両手を広げた。

由紀子はそんな私を見て、一瞬哀れな者を見たような顔をしたが、すぐに苦笑いに変える。


「私だって知らないよ」

「そう?」

そういって由紀子はラジオを付ける。

平日の昼間。

ラジオからは流行りの歌が流れだした。


「私だって田舎者でさ、それに、近くには浩司とか、加奈とか、義昭がいて…今では姉代わりになって遊んでるけどさ、やってることは昔から変わらないんだ」


彼女はテーブルの上の茶菓子を拾って包みを取る。


「だからさ、不安なのよ、向こうでやっていけるか」

「できるさ」

「どうして?」

「由紀子なら、きっと向こうでも友達を作って、笑ってられる。どこだっけ?」

「札幌」

「なら、なおさらさ…あそこは言うほど都会じゃない」


私はテーブルの方に寄って、由紀子の横に座る。


「どこだって、由紀子みたいな人なら……」

「…」

「そもそも、私みたいな人間ですら笑わせられるんだ」


そういって彼女の方に向いて二カッっと笑う。

今日だけは表情筋がいつもの3倍は緩い。


「高校はさ…この前も行ったけど、由紀子と同じところ行くからさ…」

「出来るの?ここから通うなんて」


私はフルフルと首を振る。


「やっぱり、浩司の家にずっと世話になるわけにはいかないよ」

「でも下宿とかするんじゃ…」

「くくく…私は、向こうでそれなりに蓄えてたんだ」


私は少し肩を竦めていった。

あの仕事は、何も無償じゃない。

しっかりと収入が入る。

それも法外な


「…?」

「元のパトロンはお金持ちってわけさ。こっちに来るときも、僕が大人になるまでは困らないお金をくれた」

「千尋、それは何か裏がありそうなお金?」

「まさか、ちゃんと表の仕事で稼いだものだったよ」


私は悪戯っぽく笑う。


「…くくく。まぁ半分冗談さ、でも、大人になるまでは困らない額があるのは本当だよ」


私はそういって由紀子の肩に頭をのせる。


「でも、そのお金は、今は使わない…私が一人で生きていくって決めたときに手を付ける」

「それが高校生?」

「ああ、ここはあくまでも半年だけの我が家。祖父も死んでしまったし、僕の親なんて僕が目を開ける前に死んだんだ。浩司の家族に立ち入っていくのは僕にはできない」

「……」

「くくくく……なんか暗い話になってきたね、せっかく最後に明るい思い出を作ろうって来たのに」

「いいよ、千尋のことならなんだって相談に乗ってあげる」


私は目を少しだけ見開いた。


「そうかい親友」

「だからよ親友」


そして、私達は何も言わない。

遠くに聞こえる虫の声が、室内に網戸から入り込んでいた。

それと一緒に入ってくる潮風が、私と彼女の髪を揺らす。


丁度、ラジオの曲が終わった。

私と由紀子は少し間を取り、改めて私は床に寝転がる。

Tシャツが少しめくれたが、どうせ由紀子しかいない。


「浩司には内緒だよ?変に気を遣うから」


私は一段と声を潜めていった。

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