2.狭い世界で生きる人

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私がこの町に来てからもう1週間。

まだ1週間しか経っていないというのが私の本音だ。


向こうで暮らしていたときは、1年が早く感じたのに、この町では1日すら長く感じる。


私の新たな住処となったこの町は、積丹半島を通る国道から少し逸れた先にある。

向日葵が咲き誇る綺麗な町だ。

草の生い茂る道を越えた先には、向日葵で埋まったロータリーにあたり、その先に町が広がっている。


相変わらず浩司は毎日寝坊気味に起きてきて、毎朝目覚まし代わりのランニング。

学校では先生から割り振られた課題プリントを終わらせて、あとは浩司と由紀子に教えるだけ。

昼はいつもの4人で弁当を食べて、午後は眠りこけた浩司に何かしらの制裁を加える。

そして、放課後は、この町を知らない私を皆がどこかに連れて行ってくれる。


そんな風に、充実した日々を過ごしていた私に、日課ができた。

遅くとも夜10時には寝るようにしている私は、朝4時過ぎには目が覚める。

この時期なら、丁度太陽が昇る頃だ。


目が覚めた私は、洗面台まで降りて行って、髪を梳かし、歯を磨き、サッと冷水で顔を洗い流す。

部屋に戻って、薄着の寝間着を脱ぎ捨てると、私服に着替えて家を出た。


少し肌寒い早朝、私は小さく伸びると、あてもなく歩き出す。


昨日は浜の方、一昨日は漁港…今日は、町の最奥の方にでも行こうか。

そんなことを考えながら、私は足を踏み出した。


家を出て、道端の向日葵の方によそ見しながら歩いていく。

ここに来る前に買ったスニーカーは丁度いい歩き心地だ。


浜とは逆の方向となる、商店街の方に歩いていく。

シャッターがすべて下り、日の光が差し込み始めたにも拘わらず、未だ街灯が消えていない道を歩く。

レコード屋の前で、一度止まり、ビートルズのポスターを少し眺めると、再び足を進めた。


橋を通って、山の方へと曲がる。

消防署と、図書館を過ぎると、少しの間道の両側には木々が生い茂る。

そこを過ぎると、山の傾斜に沿った墓地が見えてきた。


「……」


丁度、街灯の明かりが消えた。

墓地を過ぎれば、今朝の目当ての神社の鳥居が見えてくる。


鳥居の前に立って見上げる。

参拝も何もやる気がないので、あとは帰るだけだ。


「見慣れない顔だな」


「…?」


目的も果たしたことだし、帰ろうかと鳥居に背を向けると、丁度背後から声をかけられた。

不意を突かれた私は、ゆっくりと背後に振り返る。


「余所者か?」

「…1週間前に引っ越してきました。前田千尋です」


話しかけられては仕方がない。

私は無機質な声で挨拶すると、ペコリと頭を下げた。


肉付きがよく、ぱっと見60代くらいの男は衰えてない鋭さを持った目で私を見つめている。睨んでいるといった方がいいか。


商店街とか、浜の人間は比較的友好的だったが、彼は違うらしい。


「前田…?そんな家が来たとは聞かないが」

「平元家に引き取られたんです。色々ありまして…」


私は表情は崩さずに、口調も変えずに淡々と答えた。


「平元…ああ、玄の家か」


男は祖父の知り合いだったか、表情を少し軟化させる。

私への謎の疑いは晴れたようだ。


「朝から散歩か?」

「ええ、早くに目が覚めるもので」

「若いのは寝るのも仕事のうちだ…もっと寝てたくさん食べなさい…」

「……」

「朝から老人の言葉は要らなかったな…行きなさい、今日も学校だろう?」

「では……」


私は小さく頭を下げると、元来た道に振り返り、何もなかったかのように歩き出す。

振り返り際、老人はやれやれといった表情で神社の中の方に入っていくのが見えた。


帰り道は、すっかり晴れた朝の景色になった道を戻ることになった。

商店街に戻る頃には、港に出る人がチラホラ見え始め、何人かに挨拶しながら家に戻る。


「あら、千尋ちゃん戻ったの」

「おはようございます……」


鍵のかかっていない玄関を開けると、叔母さんが丁度家を出るところだった。

台所の方から、やんわりといい匂いがしてくる。


「今日も浩司のこと宜しくね、あと、お弁当のおかずは作っておいたから、あとは…ああ、お米は焚けてる」

「ありがとうございます…」

「いいのよ敬語なんて、それじゃね」

「いってらっしゃい」


玄関口でいくつか言葉を交わすと、叔母さんは自転車に乗って出て行った。

それを見送った私は、台所の水道でサッと手を洗うと2人分の弁当箱に、すでに作られていたおかずとお米を乗せて、それをバンダナでくるむ。


弁当を居間のテーブルに置くと、一度部屋に戻り、制服に着替えて、鞄を持って降りてくる。

着替えるには早いが、どうせ何もしないのだ。


鞄を居間に置くと、台所から瓶牛乳とパンを持ってきて居間のソファに座って食べる。

ソファ横のテレビをつけると、黒縁眼鏡のアナウンサーが全国ニュースを伝えていた。


総理大臣が変わったからか、話題は専ら政治ニュースだ。

私は興味なさげにテレビに手を伸ばし、画面横のチャンネルを回す。

すると、丁度スポーツニュースに切り替わった。


昨日の野球の結果が出てきて、それから相撲…

暇つぶしには丁度いいニュースを聞き流すと、時計の針は7時半を指していた。


牛乳の空瓶を洗って流しに置くと、パパッと手を拭って階段を上がる。

今日も浩司を起こす時間だ。


私の部屋の横の、浩司の部屋をノックした。


「浩司、起きて、もう7時半」

「……」


私にしては少し大きめの声で声をかけるのだが、反応がない。

毎日、それを確認してから部屋を開けて入っていく。


引っ越してきて、最初の数日は穏便な手立てで起こしていたが、この前遅刻寸前まで遅くなったのを機に少し手荒な手段も使うようになってきた。


この前はカラス除けに使う火薬銃を3発撃ってみたり。

浩司の部屋にあるカセットテープを大音量で流したこともある。


「今日はどんな手を使おうか?」


一応、声は大きく言ってるので、浩司にも聞こえているはずだ。

起きているのなら、だが。


起きないのを確認すると浩司の部屋を見回す。

今までで一番反応が良かったのは火薬銃だが、火薬の匂いが付くのと、そうそう毎日撃ってられないので、却下だ。


だが、意外と整った浩司の部屋の中には使えそうなものは何もない。

私は明日は火薬銃の出番だと心に誓うと、寝息を立てている浩司の寝間着の首元を片手で掴み上げた。


「…なんだなんだ?」


寝ぼけた浩司が首元に目を向ける。

そこから私の腕に目が行って、私の顔に視線が向いた。


「おはよう。いい夢見れた?」

「あ、ハイ、おはようございます前田サン」


真顔で言った私に、浩司は少し恐れをなしながら答える。

私はパッと手を放すと、さっさと部屋を出た。


「今日は余裕があるから…二度寝はしないように」


階段を降りる前に釘をさすと、居間に戻っていった。


…そして、遅く流れる学校生活が待っている。

今日も晴天…長い1日になりそうだ。

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