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「千尋」
「?」
夕方、図書館から帰ってきて、縁側で何をするわけでもなく、ラジオを聴きながら涼んでいた私に祖父が話しかけてきた。
63歳でいまだに海に出続けている祖父は、この時間はどこかに行っている時間だ。
私は特に声を出すこともなく、祖父をじっと見た。
「ついてきなさい」
「何処まで?」
「なに、ほんの10分でわかる」
そういうと、祖父は私の答えも聞かずにサンダルを履いて縁側を降りた。
私は、特に断る理由もなかったので、靴を履いて祖父の後に続く。
「浜の方のトンネル…そこには行ったか?」
「行った」
浜のバス停近くのトンネルには、ここにきて早いうちに行った。
トンネルの奥には、私の家の近くのように家が立ち並び、最奥には大きな屋敷が建っていた。
屋敷は、片桐建設(有)という看板を見る限り、建設会社の建物らしい。
「慣れたか?この町の暮らしに」
「慣れた」
「東京なんて都会からここだからな、何かと不自由だろう?」
「いいや、そうでもない…自由が増えて、住みやすい」
60代にしては背の高い、カッチリした体躯の祖父と並んで歩く。
前を1台の車が通りすぎて、私たちはその車の去った方へと曲がっていく。
「しかし…千尋に言うのもなんだが真由美の子が生きているとはな」
「……」
祖父は、私の母(の名前で合っているはずだ)の名を言って私を見る。
「こう見ると真由美そっくりだ…」
「そうなの」
「ああ……」
祖父は少し影を持った瞳で前を見据えながら歩いている。
それから、私達は会話もなく、ただ黙々とトンネルまで歩いて行った。
トンネル前までやってくると、祖父は脇の草地の中に入っていく。
獣道があるのはわかっていたが、その奥は行ったことがなかった。
私は祖父の背中を追って中に入っていく。
「ここを上がると、丁度バス停近くの岸壁の上に出るんだ」
「……」
祖父は歩きづらそうなサンダルで、軽やかな足取りを見せながら登って行った。
「この先に、古い展望台がある」
「こんな場所に?」
「昔はもう少し整備されてたからな…俺が学生の頃、俺と、同級生何人かで建てたんだ」
「へぇ……」
「神社の神主と、町長以外は全員戦争で死んだが…」
「そうだったの」
会話を繰り返しながら、登っていくと、茶色い、木造の展望台が見えてくる。
高校生が作ったというレベルを超えた、しっかりとした作りの展望台がそこにあった。
「これを高校生が?」
「ああ」
祖父は少し鼻高々に言った。
2階建ての建物は、茶色ペンキで塗られ、表面も綺麗に整えられている。
けもの道の荒れ具合と比べると、よく手入れされているこの建物は、今でも祖父が定期的に見ているからなのだろうことはすぐに予想できた。
「夕暮れ時、太陽が沈むのを拝める絶好のスポットさ…案外高台にあるから、不思議な景色だろ?」
「ええ、すごく綺麗……」
私は素直に感心しながら言った。
茜色に染まった空に、丁度水平線の奥へと落ちていった。
「…この町に染まりきるなよ?」
「?」
景色をずっと眺めていると、横にいた祖父がポツリと言った。
「まだ若いんだ、この町でずっと暮らそうと思うなってことさ」
「………」
私は視線を祖父の方に向ける。
その目はどこか別の意図があるように見えた。
「この町だっていいことづくめじゃないってことさ」
「そういうこと」
私は短くそういうと、視線を景色に戻す。
「…行こうか、そろそろ暗くなる」
それから、二人で暫く無言でいると、祖父が景色から振り返っていった。
夕日が丁度沈む寸前。
これ以上残ると、狭い獣道が見えなくなる。
私は頷いて祖父の横に並ぶと、ゆっくりと展望台から降りて行った。
「……俺も年だな」
トンネル横まで出てくると、祖父は腰に手を当てながら言った。
「しっかりしてる方だと思う…東京で見た年寄りは、もっと酷かった」
私は前髪を撫でながら言った。
「…親が居ないと、やはり似ないものだな」
無機質な声で言った私を見ながら、祖父は寂し気に言う。
私はそれを横目で見ながら歩いていた。
「…?」
「…千尋は大人しい子だなと思ったまでだ」
祖父は普段の口調に戻って言うと、それからは口を開かなかった。
夜は普段通り、夕飯を食べて、お風呂で少しの間うたた寝し、上がってからは1杯の冷水で口を潤す。
宿題らしい宿題は終わらせた私は、昼間図書館で借りた本を自分の部屋で読んでいた。
開いた窓の網戸から、涼しい風が入ってくる。
ベッドの頭側にある棚の上に置かれた銀色のラジオからは物静かな音楽が流れている。
そして、硬いベッドの上に座って本を読む。
借りてきた本はいくつかあるが、今読んでいるのはSF小説。
時間を巻き戻し、何度も何度も人生を歩む女の話だ。
東京にいた頃、どこかでこの本のあらすじだけを見たことがあって、それ以来ずっと読みたかった本。
向こうにいた頃は、この本を探すだけの時間は私になかった。
本を読み進めていき、気づくとラジオは時報を鳴らす。
丁度、その女の3周目の人生が終わりを告げ、丁度良かったところだったので、私は紐を通して本を机の上に置いた。
「……」
「……」
妙に頭から物語が離れず、私は暫く悶々としたのち、起き上がって部屋の明かりをつけた。
そして、本を取ってラジオをつける。
変に冴えて、先を急ぐ手を押さえながら、私は本を読み進めていく。
その本の主人公は繰り返される人生の中でやがて一つの事実を知る。
1度目の人生は事故で終わりを告げる。
2度目の人生は事故で死ななかった未来を生き抜く。
3度目の人生は事故の後、女の形をした別物になりはて、時間の謎を解き明かす。
そして、4度目の人生を全く同じ親の元に生まれ、まったく同じ幼少期を過ごす。
そしてこれまでの3度の人生を分岐させた事故の日の前、女は意味ありげに笑みを浮かべた。
私は描写一つ一つを頭の中に沈めながら夢中で本を読み進めていく。
12時の時報が鳴り、ラジオから砂嵐の音が聞こえる頃には私は本を片手に持ったまま眠りに落ちた。
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