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「千尋、おい、おーい」


大学教授と話した次の日の昼下がり。

私は浩司の部屋で扇風機にあたりながら本を開いていた。


今日の午前中に借りた郷土資料誌の1冊。

程よくボロボロになっているから、昨日貰った好奇心を満たせるのではないかと思った。

他にも3冊あるから、それである程度の予測は立つものだろう。


「…」


夢中で読んでて、浩司の言葉に気づかなかった私は、ピトっと充てられたラムネの瓶でようやく彼のヘルプに気づく。


「…ごめん、何処?」

「ああ、数学なんだけどさ」


今日は何もないっていうから始めた夏休みの宿題。

やりたくなさそうな彼を言いくるめて始めたのだが、一度始めると、思っていた以上に浩司が真面目に、そして首尾よく進めるものだから、教え役の私はすっかり手持ち無沙汰になってしまっていた。


「ああ、それは浩司が寝てた時にやった問題だから、知らなくて当然」


私はたまに聞かれたことを教えながら、平和な昼下がりを満喫していた。


「ああー、わかったわかった。ここと同じだ」

「そう…でも意外だね」

「何が」

「あんなに寝てる人がここまで出来るとは」


叩き込まれてようやく出来ていた私とは大違いだ。

彼は物覚えがいい。


「そうか?千尋とか由紀子よりも覚え悪いぜ、俺」

「寝てればね、そもそも覚える機会がないからさ」

「まぁ、言われたまんまだが…でもよ、勉強することもねーなって」


また、宿題を片付けるものと、本を読むものに分かれた。

だけど会話の芽は枯らさない。


「そうかな?夢は勉強しなくても叶うものなの?」

「じーさんの船を継ぐって決めてんだ」

「…早起きが苦手なのに?」

「うるせ、それは直すよ…おいおいな」


私は思っていた以上にしっかり者な従兄に驚く。


「千尋こそ、なんかないのか?」

「私は…何になりたいんだろ」


私は一度本をおいて、小さなカラーテーブルの上に置かれたラムネを手に取る。


「なんだ、わからないで勉強してんのか」

「…というよりもしてた。が正しいかな、こっちに来てからは教科書で確認程度しかやってない」

「よほど厳しい学校だったんだな」

「ええ、それはもう」


浩司は私が進学校にでもいたかのように思っているのだろう。

私も、過去は話すつもりはないので、適当に相槌を打った。


「でもよ、目的もねーのによく続いたな」

「白い絵の具になっていれば、苦労しない」

「はぁ?」

「何色にでも染まれるってこと」


私はそういうと、半分ほどになったラムネを置いて途中だった本を手に取る。

それと同時に、家の電話がけたたましい音を立てて鳴り響いた。


「出てくる」


私は手に取った本を置いて、部屋を出る。

いまだに鳴り響く電話は居間にある。

小走りでそこまで行き、電話に出ると、由紀子の声が聞こえた。


「はい」

「もしもしー、千尋かな?」

「そう」

「浩司は?」

「宿題中…」

「めずらしー、明日は大雨だね!…でさ、今から浜に来れない?」

「いいよ、暇だからすぐに行く…何かあるの?」

「夏といえば海!でしょ、スイカを貰ってね、ついでに海で遊ぼうかなって」


由紀子はいつも通りの元気そうな声で言った。


「じゃぁ、後で」


私は電話を切ると、従兄を呼び出した。

ついでに、ちょっと着替えようか。

私は浩司と入れ替わりで部屋に戻る。


サンダルを履いて、麦わら帽子を頭にのせて、浩司乗る自転車の後ろに腰かける。

浜につくと、すでにいつもの面々が砂浜にいた。


義昭が目隠しをして、バットを握って、置かれたスイカからは明後日の方向にいる。


「よう」

「やぁ、あれ見て何か言ってやってよ」


浩司が苦笑いしながら由紀子に話しかけると、由紀子は義昭を指さして言った。


「義昭ー、右、右!いや、ちょーっと左、違う!アホ!まぬけ!」

「加奈、それじゃ彼には伝わらない」


私は必死に義昭を誘導する加奈を窘めた。


加奈と浩司が義昭をスイカに誘導するまで、私はフラフラと浜の防波堤の上まで歩いて行った。

由紀子に、すぐそこまで行ってくると言って私は転んだら痛そうな道の上を歩く。


奥まで行き、海のほうに目をやると、水平線までの曇りない景色が見えた。


すぐにその景色に一瞥し、由紀子の元に戻ろうかと振り返る。


「よーしイケー!」


浩司の声が一段と大きく聞こえた。

私は遠くになってしまった義昭の姿を見つけると、彼はスイカの目の前でバットを振りかぶっているところだった。


なんか、平和だ。


そう思いながら、割れたスイカを遠くに見ながら足を一歩踏み出すと、そこに足場はなかった。


「あ」


そこそこの高さのある防波堤。

その近くは浅瀬になってることもあるからと、足場に残った足で思いっきり海のほうに蹴とばして宙を舞う。


遠くで加奈の悲鳴にちかい声が聞こえた。


迂闊。


そのまま私は頭から海に落ちていった。

麦わら帽子が脱げたが、紐が首に絡まっているから飛んでいかない。


そのまま派手に水しぶきをあげて水中に漂う。

目を開けて、泡を確認して、体が浮くのに任せて海面に上がる。


息を吐いて、浩司達のいる砂浜を探す。

防波堤の端まで来ていたからか、遠くに感じたが、泳げない距離ではない。

海面に浮きながら、そんなことを考えていると、頭上から声がかかった。


「千尋ー、大丈夫かー?」

「…」


いつの間にか、浩司が防波堤の、ちょうど私が落ちた付近まで来ていたようだ。

私は手で大丈夫と合図する。


「驚かせんなよ、倒れたかと思ったぜ」


波のせいもあって、スローペースで浜のほうに泳いでいく私についてきながら、浩司は呆れた声を出す。


「大丈夫だってよ、ほら、先にスイカ食ってろー」


ずぶ濡れのまま上がって、足には砂がつく。

着ていた赤いワンピースは見事にずぶ濡れだ。


「スイカ割りを見てたら、足を踏み外した」


唖然としてスイカを持った彼らの前で、私は言った。


「ったく、日射病かと思ったぜ、なぁ?」

「うん、急に落ちてくんだもん、びっくりするさ」


義昭と加奈が笑いたいのをこらえながら言う。

それからすぐに、由紀子が堪えきれずに笑い出した。


「しっかしサンダル脱げなくてよかったじゃないか」

「うん」


私はサンダルを脱ぎ捨てて、彼の自転車の横に置く。


「それに、準備していて正解だった」


そういってワンピースをパッと脱いで見せる。

ワンピースは乾かすために自転車の荷台に掛けた。


「え?」


浩司は素っ頓狂な声を上げて顔をそむけた。


「水着、海なら入ってみようかなと思って」

「あ、ああ、だがな、お前少しは恥ずかしがるとかないのか?」

「濡れたから仕方がない」


私はそう言って割れたスイカの破片を貰って口をつけた。


「え?千尋、水着着てたんだ」

「うん、だから落ちても大丈夫」


ひとしきり笑っていて、私と浩司のやり取りに気づいていなかった由紀子達は目を丸くした。

背後から来た、顔の真っ赤な浩司は変な苦笑いをしていた。

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