第33話 転校前の生徒手帳

その日の塾は、強制丸刈りデーの話題で持ち切りになった。西中の1年生が全員五厘刈りになっている事実に、野中の生徒は大いに湧き立った。転校以来、宏太もこの塾に通い、勇一や尊文と同じクラスで学んでいる。教室で、宏太は野中の友人たちに、経験したばかりの強制丸刈りデーの衝撃を「すごい光景だったよ」色濃く語った。


と、それを聞いていた尊文は無関心な顔で、「嫌なら転校してこいよ」と言った。尊文が気軽に言う「転校してこい」の言葉に、勇一は内心でイラッときた。丸刈りから逃れたいからといって、そんなに簡単に転校ができるわけではない。実際、転校とは家を引っ越すことを意味し、子供だけの意思で決められるようなことではない。尊文の発言はあまりにも無神経だと感じ、勇一は思わず顔をしかめた。


その後、尊文は宏太に向き直り、「そういえば、転校前はどんな髪だったんだ?」と質問した。確かに、勇一は転校初日の宏太の長い髪を見ているが、塾の初日はその次の日だったため、尊文はその姿を見ていない。その問いに答えるため、宏太は鞄から、以前に通っていた学校の古い生徒手帳を取り出した。その手帳の写真の中の宏太の髪は、前髪は頬のラインを撫でて顎にかかり、後ろは束ねるほどに長かった。その姿に、塾の皆は驚いた。


尊文はその写真を見て「うお!」と声を上げて驚いた。そして、「ここから坊主はさすがにきついな」と付け加えた。勇一もその写真を覗き見て、思わず息を飲んだ。そして、思わずその長い髪にバリカンが入るさまを想像し、無意識に頬を赤く染めていった。


やがて尊文がその手帳の表紙に目を止め、それが県内の名門私立中学、学道院中のものだと気付いた。そして「お前、学道院中だったのか? なんで転校なんかしたんだ?」と彼は問い詰めた。しかし、その質問に宏太は、「まあ、ちょっとね」と微笑み、話そうとはしなかった。その微笑に隠された何かを感じ取り、勇一の心は複雑な想いで溢れていた。


強制丸刈りデーの衝撃は、西中1年生たちの心に深い影を落としていた。夏休み前の抜き打ち頭髪検査で、学校の集団五厘を一度経験していた勇一たちを除くほとんどの生徒たちにとって、それは初めての五厘体験、強制坊主体験だった。この体験は彼らの心に痛みとして残り、不安の種となっていた。


強制丸刈りデーは、伝統という名目で行われた上級生たちによるイベントではあったが、それは同時に、頭髪検査で規則を破れば、これと同様に学校で五厘にされる可能性があるという現実を突きつけた。その恐怖は、彼らの心に深く根を張っていた。


さらに上級生からの話で知ったのは、2年前には学校側が全生徒を一斉に五厘にする強制丸刈りを実行したという事実だった。その時は、卒業を間近に控えた3年生たちが卒業に備えて髪を伸ばし始めていたことが行き過ぎて、全生徒を巻き込む強制五厘につながったそうだ。そして、今の3年生もその時、1年生としてその一斉丸刈りの波に飲み込まれたとのことだった。

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