第30話 タコ焼きの看板
「おい。勇一」祭りの中、勇一を見つけて声をかけてきた尊文は、法被姿に長い髪をなびかせ、その日焼けした肌の輝きは男子たちの中でひときわ目立っていた。塾で会うときとは違うそのりりしさに、勇一は思わず見とれてしまう。
しかし、尊文がその次に口にしたのは思わぬ一言だった。「お前、タコ焼きの看板みたいだな」 勇一は一瞬その言葉の意味がわからなかったが、紅潮した顔と鉢巻きを巻いた自分の丸刈り姿を想像し、尊文の言っていることが理解できた。
それから尊文は、近くにいた野中の友人たちを呼び寄せ、勇一を彼らに「こいつ、小学校の時に友達だった勇一」と紹介した。「友達だった」その言葉が勇一の心を深くえぐる。幼稚園のころからの尊文との楽しかった記憶が頭をよぎる。そして、それが全て過去形で語られる現実に、彼は深い絶望を感じた。
「ほら、こいつ、あのタコの看板みたいじゃない?」尊文は笑いながら言った。そして、唇をすぼませて、手をタコの足のように動かすモノマネを披露し、友人たちは大笑いした。
「これ、面白いな。写真撮ろう」 一人の友人が、インスタントカメラを取り出した。「ほら、勇一もやれよ」と、尊文は勇一にタコのモノマネを強要する。彼は自分の屈辱を押し殺し、諦めの笑みを浮かべた。彼はヤケクソになりながらも、道化となることで場の空気に溶け込み、自分自身を保つことを選んだのだった。
夏休みの終わり、勇一が塾の教室に足を踏み入れると、そこは生徒たちのざわつきで溢れていた。その噂の中心は、西中の丸刈り校則が2学期から廃止になるというもの。さらには、野中に新たに丸刈り校則が導入されるという話もあるようだった。
「本当なら最高だよな、勇一!」西中の生徒たちは喜びに満ちた顔で話す。一方で、野中の生徒たちは顔をしかめて「まさか本当じゃないよな?」と心配そうに話し合っていた。
噂が耳に入った瞬間、勇一の心は解放感で溢れ返った。これまで尊文から受けてきた屈辱や冷笑に対する報復が、やっと現実として手に入ったという実感。それは言葉にできないほどの満足感と、少しだけの復讐心が混ざり合った強烈な感情だった。
そして、その話題の輪の中にいる一人、尊文を見つける。彼もまた同じく、辛そうな表情を浮かべていた。その姿を見た勇一は、心の中で小さな勝利を喜んだ。
「尊文、いつ丸刈りにするの?」「頭の形がいいから、きっと似合うと思うよ」「頭皮が焼けてないから、最初は6ミリがいいな」勇一は言った。それは小学校時代に、勇一が尊文から浴びせられた言葉そのものだ。しかし、尊文の反応は激しかった。「やめろ!」怒りに燃える目で勇一に飛びかかる。床に倒れ込み、後頭部を打ち付ける勇一。その瞬間、勇一の世界は真っ暗になり、意識が飛んだ。
勇一が目を覚ますと、そこは自分のベッドの上だった。頭を打った痛みと共に現実が蘇ってきた。彼はベッドの枠に頭を強打していた。触った後頭部からは、生ぬるい丸刈りの感触が伝わってきた。
夢だったのか。そう気づいた勇一は、その事実に絶望した。こんな夢を見てしまう自分が恐ろしくて、狂ってしまったのではないかとさえ思えた。
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