第8話 明日は卒業式
「なんだよ。光輝の坊主、見たかったのにな」
勇一は、あえて笑顔を作って光輝に言った。しかし、光輝は一瞬、何も言えないでいた。そしてゆっくりと口を開き、「ごめんね」と小さな声で呟いた。
勇一は少し驚きつつも、光輝の顔をじっと見つめた。そして「坊主にするの、本当は嫌だったんじゃないの?」と静かに問いかける。光輝はゆっくりと頷いた。
「うん、だって僕、兄ちゃんが坊主にしてきた日、家で泣いているのを見ちゃったんだ。その日から兄ちゃん、性格もなんだか別人みたいに暗くなっちゃって…。それからずっと、自分も中学に上がるのが怖かった。兄ちゃんはさ、自分が3年間坊主だったのに、僕が引っ越しで坊主にならずに済むことをあまりよく思ってないみたいなんだけど…、でも、実はね、親が引っ越しを決めた理由のひとつは、僕が坊主にされるのがわいそうだと思ったからなんだって」
その発言に、勇一は一瞬言葉を失った。そして、光輝の顔を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「そうなんだ…、でも、僕に対しては悪いだなんて思わないで。ごめんだなんて水臭いよ」。
勇一は明るく笑って光輝に言った。だが、その笑顔の裏では、自分がこれから丸刈りにならなければならないという運命を、全く受け入れられていない心が悲鳴を上げていた。
光輝は勇一の言葉を静かに聞き入れて、「ありがとう、勇一。でも、正直、丸刈りにならずに済んでほっとしてる。それが僕の本心だよ」と率直に告げた。
それを聞いた勇一は、心の中で少しだけ、ほんの少しだけ、光輝を羨ましく思った。だが、すぐに自分を戒めた。
卒業式前日、まだ丸刈りにしないままの勇一は、学校で苛烈な冷やかしを受けた。「勇一、今日には切るんだよな?」「そうだ、俺、床屋まで見に行こうかな?」友人たちの笑顔にはもはや純粋なからかいだけでなく、ある種の狂気が見え隠れしていた。
帰りの会では、勇一の担任が壇上で、丸刈りにした西中進学予定の生徒たちを称えた。
「皆さん、わかっていますね。明日は、それぞれの学校の制服で、そして西中の男子たちは、丸刈りで出席してください。今日までにすでに丸刈りにした皆さん、立派です。拍手を送りましょう!」
教室全体が一斉に手を叩く音に、未だ丸刈りになっていない勇一の心は震えていた。西中進学予定者でありながら、今日まで丸刈りを先延ばしにした自分が恥ずかしくて堪らなかった。そして、まだ自分の頭に残る長い髪の毛が、まるで何かの罪を象徴しているようで、怖くてたまらなかった。
そして、さらに苦しかったのは、この後帰宅して床屋に行き、丸刈りにするという決意がまだ固まっていない自分の弱さだった。自分は果たして、たったのあと数時間で、丸刈りになることを受け入れられるのだろうか--。
1人で歩く帰り道、勇一の目の前に広がる夕景は、彼の心とは裏腹に、明るく、生き生きとしていた。花はまだつぼみを膨らませただけで、その花弁は見えてこなかったが、小さなつぼみたちは、満開になる日を待ち望んでいるように見えた。
未だ冬の名残を持つ風が、木々の間を通り抜け、勇一の前髪をそっと揺らした。
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