第37話 宏太の誘い
12月の訪れとともに、外の空気は一層冷え込みを増していった。塾の教室内も微かに寒さが滲み込んでいたが、生徒たちは厚着をして、寒さ対策をしていた。
尊文たち野中の生徒達は、冬の訪れに伴い、髪を伸ばして寒さ対策をしていた。その一方で、彼らは丸刈りの西中生徒を見てからかい始める。教室には「こんな寒いのに坊主にしなきゃいけないの?」「かわいそうだね」「あったかい帽子貸してあげようか?」といった言葉が飛び交った。
その中でも尊文は、「髪が長いと毎朝のセットが大変だよ」や「西中と違って制帽がないから寒いんだよね」といった、丸刈りの勇一に向けた当てつけのようなことを言う。それを近くで聞いていた宏太は、「またか」という表情を一瞬だけ見せた後に、すぐに笑顔に戻り、「お前の髪、少し分けてくれよ」と、尊文の言葉をおどけて返していた。
しかし勇一は何も言えないでいた。彼の心の中には、「寒いからと言って坊主にしなくていいなんて校則だったら最初から苦労しないだろ」という憤りと、髪を伸ばすことを許されている尊文たちへの羨望とが渦巻いていた。だけど、彼はただ静かに頭を下げ、その場を黙って耐えていたのだ。
2学期の終業式が近づき、夏休みと同じように抜き打ちの頭髪検査があるかもしれないとの噂が立つ中、冷え切った教室でも坊主合戦は続いていた。たった1年前までは、この時期はクリスマスやお年玉を待ち焦がれるだけの無邪気な小学生だった勇一は、まるで自分が地獄に落ちたかのように感じていた。もはや彼の頭髪が長いと指摘するクラスメイトはいなくなっており、勇一は坊主合戦には参加しない存在、という立場になっていた。
結局抜き打ち頭髪検査の噂は杞憂に終わり、迎えた冬休み。新学期が始まる2日前のこと、勇一はお年玉を握りしめ、デパートに足を運んでいた。そこで彼は、偶然にも宏太と遭遇した。互いに驚く2人。少しの沈黙の後、宏太が何気なく口を開いた。
「勇一君、明日、一緒に床屋に行かない?」宏太の突然の提案に、勇一は驚きを隠せなかった。
「え、なんで?」素っ頓狂な提案に、勇一は自然と問い返した。すると、宏太は一瞬思案した顔を見せた後、不思議な表情で答えた。「なんとなく、な、いいだろ?」
その宏太の無邪気な表情に、なぜか勇一は抗う気力を失った。そして、自分でも予想外の返答をした。「わかった、一緒に行こう」
その返答に宏太も少し驚いたようだったが、すぐににっこりと笑って、「よかった。でも、これは内緒にしててね」と付け加えた。その一言に、勇一の心は一瞬で高鳴った。自分でも何故、そんな提案を受けてしまったのか理解できなかった。
その夜、勇一は自分のベッドで、宏太の言葉とその表情を何度も思い返していた。「でも、これは内緒にしててね」その時の宏太の顔は、何とも言えない安心感を与え、同時に新たな興奮を引き立てていた。その表情はあっさりとしたものだったが、何となく含みを持たせていて、その全てが勇一の心に深く残り、眠りにつくまで彼の意識を覆い尽くしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます