第21話 宝塚記念配信 その2

 画面の向こうで購入締め切りが告げられ、これ以上オッズが変動することは無くなった。ここからはもう画面の向こうに向かってただ、応援し、祈るだけなのだろう。自分でお金をかけているわけではないのに、77万の大金と聞いてしまうと、心がドキドキして変な汗が流れてくる。


 そんな緊張感であったためか、俺は同時接続がぐんぐんと伸びて3万という数字をたたき出していたことにコメントを見るまで気が付かなかった。


「え?あ、ほんとだ。同説3万も行ってる。なんで?」


 それは彼女も同様だったようで、俺とほとんど同じような反応を見せた。


『ビギナーが破滅するか勝つかを見に来た』

『始めてて100万円近く賭ける頭のおかしい人の話を聞いたので』


 単勝に大金をかけるのはどうやら配信者としては正解だったらしい。話題が広がって他のコミュニティから人が流れてきたのだ。


 そんななか、コメントにやってきたギャンブルおじさんらしき人物たちはその賭け方だとリスクとリターンが見合っていないからアホだ。なんていちゃもんをつけ始めた。そんな自称競馬上手いおじさんのだらだらとした長文をしばらく見た後にナナはたった一言。


「でも勝てばいいんだよね?君の買い目は?私当てれば23万勝ちなんだけど君たちが万が一3連単あたたとしてもそんなに勝てないかもよ?23万以上勝てた人は後でDMください。先生と呼ばせていただきます。あ、一応言っておくけど先生と呼ばれたいからって無茶な賭け方はやめてね。あ、もう締め切られてるから大丈夫か」

 

 ナナは新参には基本優しいはずなのに、推定される年齢層が高く、上から目線の説教をかましてくるタイプにはかなり過激な発言をするようだ。


『怖いナナだ』

『珍し』

『説教おじ煽られてて草』


 そんな彼女の一言から、説教おじさんの勢いも衰え、一瞬でコメント欄は正常な雰囲気を取り戻した。そんななかで俺は、一連のシーンはおそらく後で切り抜き動画が出回りそうだな、なんてことを考えていた。


『確かに、勝てればいいもんな。おれもエクイノックス乗るわ』

『もう買えんわナナちゃん言ってたやろついさっき』

『アホがおった』

『草』


 若干のトラブルはあったものの、通常のノリに配信が戻ったころ、競馬場にファンファーレが鳴り響いた。もう馬はゲートの後ろに準備されており、これからすべての馬がゲートに入ったらすぐにレースが始まる。


 スタート前の緊張のせいか、コメント欄も心なしかコメントの流れが速くなる。冷静に考えれば同時と言っても若干のラグがあるものの、画面を見ているほとんど全員がそれ以外の端末で競馬を見ていると思うとやはり人気コンテンツなんだなと思った。


 またいつの間にかすこし増えていた画面の向こうの3万5千人の気持ちはゲートに集まっていた。


 全ての馬が枠入り完了し、ゲートが開いた。もちろん注目は姉の本命エクイノックスただ一頭である。この馬は前に出ても後ろに控えても戦える馬であるので騎手がどのような作戦を取るのかが重要だと考えられている。


 鞍上の騎手は直線で順位を落として後方からの作戦に決めたようだった。


『さがった』

『うしろから』

『これで大丈夫なのか?』


 コメント欄は想定外だったのかやや不安なコメントが目立つ。


「大丈夫、この子は逃げもできるし末脚も使えるタイプ。今回は後方待機ってだけで問題はないわ」


 いつもの配信の時よりも幾分か俺と話してるときに近いくらいキャラクターが壊れそうな声で彼女は解説していた。このままだとゴールした後には完全に素になってしまわないか心配になってしまう。ただ、彼女の話に関しては俺も完全に同意だった。


「大丈夫。大丈夫。やってくれる。やってくれる」

 彼女は自分に言い聞かせるようにそう言っているものの、後方策は想定外だったのか、彼女は明らかに動揺していた。アバターの目ががん開きになっている。


 全員が祈るなか、エクイノックスは最終コーナーのあたりからぐんぐんと速度を上げ始めた。他の馬の影響を受けないようにかなり大回りな進路を取って走っている。


『距離ロスやばい』

『これまずくね』

『あ……』


「やばい。頑張って。頑張って。大外まわってロスやばいけど積んでるエンジンが違うんだから直線もまだ加速できる。いけーーーー!!!」


 70万以上の金額がかかっている人間の渾身の応援はここまでの配信の中で一番必死で、一視聴者としては面白くてたまらなかったが、身内としては心配の気持ちが圧倒的に大きかった。


 大外の圧倒的なハンデ。最後の直線に入った時点の順位も決して良くはない。これが並みの馬だったら直線に入った時点であまり期待できないであろうレース。ただ、今走っているのは世界最高の馬なのだ。大外からぐんぐんと速度を上げ続け、他の馬たちを次々と抜いていき、先頭に立つ。そしてそのまま、一着でゴールしてしまった。


「……」


 姉は実感がわかないのか完全に固まってしまっていた。


『つえー』

『さすが世界最強』

『今年の有馬も決まりやな』


 なんてエクイノックスについての賞賛のコメントも流れていたが、圧倒的に一番のコメントは


『勝った!!』

『おめでとう!!23万勝ち』

『勝ったら名将』

『初めての単勝で20万勝ち、馬の単勝1.3倍って言ったら頭おかしいと思われそう』


 彼女が当てたことを喜ぶ視聴者たちのコメントだった。


「あ。ごめん。私本当に嬉しくなったらシンプルに黙っちゃうタイプかもしれない。初めてでこんなにドキドキできて本当に楽しかった」


『夏競馬とかもやりますか』


「いやー。もうやらないかな。これが最後って決めてたから」


『え』

『!?』


「あ、ごめん。最初にいうの忘れてたかな。最初で最後の競馬配信って」


『忘れてた』

『聞いてないよ』


「まあ、あんまりやりすぎて破産したくないしね。わたしどっぷりはまっちゃうタイプだから」


「だから、一回きりの競馬配信。ほんとのほんとに楽しかった。みんなありがとうね。じゃあ、おつなな~」


 そんな感じで配信は終了した。姉は23万もの大金といくつかのスパチャをあの配信で得ていた。正直、少し羨ましいが彼女のそこまでの苦労を知っているので、なりたいとは思えない。


 そんなことを考えていると、姉から着信があった。


「優君見てくれた?23万勝ったよ。何に使う?」

「姉ちゃんの金なんだから自分で考えればいいんじゃない?」

「いや、だって予算2万円くらいで買い目真面目に考えるパターンも考えてたんだけどさ。優君が自分のお金なんだし自由にすれば?って言ってくれたから単勝ぶっぱにしたんだよ?」

「は?いやそんなつもりで言ったわけじゃ」

「とにかく、20万円は優君のものなんだから欲しいものあったらじゃんじゃん言ってね」

「……わかった」


 本当は納得していなかったものの、分かったと言わない限り話が終わる可能性が低そうだったので、とりあえず分かったということにして会話を打ち切った。



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