第9話 姉の事務所のVtuber その6

「今からですか?無理ですよ」

「いーじゃん。お金は出すからさ」


 姉が熟睡してるせいだろうか、メイさんはやたらぐいぐいと迫ってくる。俺との距離が近くなっていた。


「家に帰れなくなりますよ」

「ここに泊まっちゃおうよ。服はあるんでしょ」

「ありますけど……」

「オッケー。じゃあ、行くよ」


 そう言って彼女は強引に俺の腕をひっぱる。多少の抵抗ではどうにもならなさそうだったので、姉の携帯に『メイさんとカラオケに行ってきます。終電逃したら泊めてほしい』とメッセージを入れ、親にも『今日は家に帰れないかも』という内容のメッセージを入れておく。


「いやー、一人の男の子の前で歌うのなんて何年振りだろうね」


 玄関でメイさんはそんなことを言って僕の反応を伺っている。どんな反応が正解なのかわからないので適当に流しているが、あまりやり過ぎて失礼になっていないかだけが心配の種だった。


 まあ、今まで話してきた傾向から考えて、多少適当にやってもフォローすればなんとかなりそうだった。だから初めての男女二人きりの外出といっても心の中のハードルはさほど高くはなかった。



 姉の住んでいるマンションから徒歩で通えるカラオケ店を検索したところ、メイさんがいつも使っているチェーン店があったので二人相談した結果そこに入ることにした。条例的には高校生の深夜カラオケはアウトなのだが、大人の女性と二人でいる時点でなんというか、多少のアウトはもはやセーフだと思うことにした。


 高校生にもなれば年齢の詐称は簡単にできると思っていたし、メイさんに年齢確認をした時点で俺の方は確認されなかった。客観的に見て、彼女の方が若いと思われていたのなら結構ショックであったが、そんなことでテンションを落とすとやっていけないので気にしないことにする。彼女のお気に入りの機種が空いていたので部屋はそこに決まった。時間は相談の結果とりあえず二時間ということになった。それなら終電には間に合いそうだと思った。


 ドリンクバーで入れた飲み物を片手に部屋に入る。金曜日ということもあるのだろうか、それともいつもこんな感じなのだろうか、夜も遅いのに結構な数の部屋が埋まっていることに驚く。とりあえず照明をつけたのだが、暗いほうが好きと言って薄めの照明にされた。


「どうする?先に歌う?」

「いや、ただの付き添いなのであんまり歌う気もないですけど」

「ええ?もったいない。気が向いたら歌ってよ」


 そう言った後、彼女はデンモクを操作して採点モードにした後に曲を入れた。すぐに前奏が流れ始める。数年前に流行った俺でも知っている超有名なアニソンだった。彼女は生歌もプロ級に上手かった。歌配信もしているのは知っていたが、聞いたことはなかったので、このような形で聴けるのはファンに対して申し訳ない気持ちもありながらやはり素直に嬉しいことのように思う。


 

 曲が終わると点数が表示される。平均点が82点台の曲で94点を叩き出していた。彼女は俺に向けて軽いピースをした。


「凄いですね」と率直な感想を告げると

「まあ、十八番やから。これくらいはね」と答えてくれた。


 その後もたまに曲を歌わないかと声をかけてくれながら、彼女は歌を歌い続けた。普段から話すことを仕事にしながら、こんなに喉を使っていると痛めないか心配になったくらいだ。


 何曲歌っただろうか。一時間を超えた頃、彼女はお手洗いに行くと言って部屋を出た。俺もタイミングがなくそろそろ限界だったので一緒に外に出た。


 当然、俺の方が早く終わってメイさんを待つ形になるのだが、想定以上に時間がかかっている様子だった。そろそろ、先に一人で戻ろうかと思った頃に彼女は出てきた。


「ごめん、待っててくれてたんだ」

「先に戻ってていいのかわからなかっただけですよ」

「でも待っててくれたのは嬉しいよ」

「そうですか。だったらよかったです」


 そんなことを言いながら部屋に戻った。当然、誰かが入ったような形跡もなくさっきの部屋がそのままそこにあった。


「ねえ。お願いだから一曲だけ歌ってよ」


 メイさんは俺の真横の席で、右肩に両手を乗せた格好でそんなことを言ってくる。酔いが残っているのだろうか。大人じゃない俺にはよくわからなかった。


「上手い人の後緊張するから嫌なんですよね。でもまあ、そこまで言われたら一曲くらい歌いますよ。ボカロでいいですか」

「全然いいよー。私も好き」


 ということで、カラオケに来てからの俺の初歌唱になったのだが、まあ、メイさんの歌の後になると、そこそこ上手い人は平凡に、かなり上手い人でもちょっと上手いんじゃない?程度に聞こえてしまうような、圧倒的デバフ環境な訳で、そんな中で自分の十八番を一曲歌い切っただけでも偉いことだと誰かに褒めてほしかった。


 採点マシーンは85点、全国平均が82だったのでひょっと上手い程度である。歌ってる間に気合いが入って立ってしまったのでメイさんの反応を振り返って伺わなければならないのが少し怖い。俺はどんな顔をして彼女にマイクを返そうかと彼女の席の方を向いた時。


「すごい。うまかったよ。サビとかいい声出てた」


 彼女はめっちゃ褒めてくれた。こんなに歌が上手い人にそのように褒められるのは、流石に多少はお世辞が入っているだろうことは知っていながらもやはり嬉しいものだと感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る