第35話 闘技大会②(スペンサー vs.ミッチェル)

 モーリンは死んだとばかり思っていたロイドが元気でいることに衝撃を受けていた。


「なぜだ。あやつが嘘をつくはずがない……」


 マルクもミッチェルも特に変わった様子はなかった。

 何も気付いていないということか。――であれば、それは何を意味しているのだ。

 ロイド自体が毒を飲まず、毒を盛られた事がなかったことになっているのか……。


「苦しそうにもがいていたというのは嘘だったのか? いやまあ、実際に死にかけたのだとしても、王都で、しかも妃選びの最中に起こったのだ。他の妃候補の仕業と考えるのが妥当だろうな。くふふふ」


 モーリンはマルクたちの前で取り乱してしまったことを悔やんだが、すぐに気持ちを入れ替えた。

 ひとり宮殿に引っ込むと、短い手紙を書き、鷹を放った。


 ロイドはモーリンの手紙の内容を見たかったが、ドローンが背後に回り込んだ時には既に書き終えていたため読むことはかなわなかった。


(まあ青足ということは、未詳Xか未詳Zあたりに飛ばしたのでしょう)


 イースは他の候補者たちのように王族に挨拶に行くつもりはないらしい。

 お菓子を食べ終えて今はミルクティーを飲みながら、膨れあがったパンパンの腹を撫で回している。


(食べすぎて苦しいのでしょうが、そんなことをしても解消しませんよ)


 ミッチェルは試合の準備があると言って、控えの間に行ってしまった。

 マルクは顔見知りの貴族や近衛兵らと話しこんでいる。

 ロイドはこれが「手持ち無沙汰」というものかと、初めての体験を面白く感じた。


 警備と称して広場の外や宮殿内を動き回るのは礼儀に反する行為なので――会場での振る舞いに関しては講師から厳しく注意されている――それはできない。

 じっとしているのももったいないので、この場にいる人間たちのデータを収集することにした。

 将来どんな形でイースと関わるかわからないのだ。


 ドローンも不足している今は、ロイド自らが出向くしかない。

 幸い、広場のあちこちで人だかりができており、そこにいる人間たちは目の前の相手しか見ていない。


 ロイドはゆっくりとテーブルを一周することにした。

 ドローンたちはテーブルの下を移動しながら偵察対象を追いかけている。

 ロイドはまずドローンを付けていないミツツキに近寄った。


(へええ。また随分と変わった人間もいるものですね)


 ミツツキはマシーンほどではないものの、バイタルサインにほぼ乱れがない。

 表情と同じように変動率が異常なまでに低いのだ。


(面白いですね。間違いなく人間なのに人間離れした数値です。学者にデータを見せたならば、血液を採取したいと言うかもしれません)


 ドナルドにはドローンが張り付いているのでパス。

 王族たちは妃候補たちのカラフルな布地で囲まれており、もはや姿さえも見えない。


 不意に、マナー講師のセリフとマクシミリアンの顔が蘇った。


「とにかく周囲に気を配り、顔見知りの方を見つけたならば、相手よりも先に挨拶に伺うのですよ」


 ロイドは回れ右をしてイースの元へ足早に戻った。

 ロイドが席に戻ると、テーブルの上には茶器しか残っていなかった。


「まさか、あれだけの料理を全部平らげたのですか?」

「なんだと――おほん。まさか、そんなこと、あるはずがないではありませんか。少し手をつけただけですけど、もうお腹に入りそうにないので下げていただいたのです」


 「おほほほ」と慣れない笑い方をしているイースの顔は、奇妙に歪んで見える。


(少し? 半分以上はなくなっていたのを見ていますよ)





 ほどなく試合が再開されたが、どれも休憩前と変わらない内容で、明らかに賓客たちは飽きていた。

 うんざりした顔で拍手もまばらになっている。


 八試合目の最終試合は、舞踏会の主役である王子が出場する習わしだ。

 スペンサーと、その相手に選ばれたミッチェルが入場すると、広場に活気が戻った。

 先ほどまでのだらけた雰囲気が嘘のように声援が飛び交う。


 ミッチェルは黒鉄の防具を身に付けており、スペンサーの白金の防具にも見劣りしない。

 観覧席で酔い潰れていたドナルドは思わずグラスを落とした。

 スペンサーに剣を向けているミッチェルを見て、ある人の面影が脳裏に蘇ったのだ。

 だがすぐに、それは気のせいで、あるはずのないことだと自分に言い聞かせた。

 黒髪のせいだ――と。ただそれだけだ――と。

 だが胸の内に広がった重苦しい痛みは血管によって全身に運ばれていき、しばらくの間、指先に力が入らなかった。



 広場では興奮が最高潮に達していた。

 二人の間に立った審判役が、これまで同様に試合開始を宣言した。


「それでは闘技試合を始めます。正々堂々、剣を交えよ!」


 カーン! カキーン!


 剣が交わる甲高い音に呼応するように歓声が上がる。

 交差した剣越しに二人の顔が近付く。スペンサーが楽しげに声をかける。


「この感じ――三年ぶりだな。私の九十九勝九十八敗、三引き分けだったな。今日で記念すべき百勝目になる訳だ」


 ミッチェルが剣もろともにスペンサーを押して体を離した。


「おや、お忘れですか? 私の九十九勝九十八敗、三引き分けですよ。百勝目は私がいただきます」


 スペンサーは踏みとどまると上半身ごと前に突き出し、ミッチェルの胸を激しく突いた。

 ミッチェルは弾みで一歩後ろに下がった。胸当てに付けられた傷が光を反射する。


「おっと。そうでした。あなたが素早かったことを忘れていました。危ない。危ない」


 なおも突っ込んでくるスペンサーに、ミッチェルも剣を振りながら体勢を整える。

 スペンサーがミッチェルを押していた。ミッチェルは攻撃を交わしながらも、じりじりと後退している。



 一際大きな音が響いた。ミッチェルがまたしても剛腕でスペンサーをはねのけた。


「そういえば、お前が試合中によくしゃべることを忘れていた」


 間合いを取られたスペンサーが目を輝かせながら言った。

 二人は再び剣を構えると、向かい合って相手の呼吸に集中した。


 先に動いたのはスペンサーだ。

 右手を大きく前に伸ばした。ミッチェルもほぼ同時に剣を体の前に持ってきた。


 スペンサーは突き出した剣をミッチェルの剣身の上をなぞるように滑らせると、ガードに引っ掛けて思いっきり振り上げた。

 見ていた誰もが「あっ」と声を上げそうになった。

 ミッチェルの手から離れた剣は、大きな弧を描いて地面に落下した。


「うわああっ!」

「やったー!」

「すごーい!」


 絶叫にも近い歓喜の声が轟く中、スペンサーは剣を納め右手を差し出した。

 剣を拾い納めたミッチェルがその手を握ると、またしても賓客たちが大きく沸いた。


「これで百勝だ」

「ふっ。それでは私からのお祝いということにしておきましょう」

「なんだと? 素直に認めたらどうだ」



 審判役がスペンサーの名を告げると、盛大な拍手が送られた。

 スペンサーは勝者の慣例にならい、王の前で立膝をつくと無表情で形だけ一礼した。

 王もまるで関心がないかのように、持っていたワイングラスを少し上げただけだった。


 進行役が気を利かせて大会の終了を宣言する。




 賓客たちは一斉に立ち上がり、この場を利用して近付きたい人物へと駆け寄っていった。

 スペンサーは席に戻らず、イースの元へ戻ろうとしているミッチェルを捕まえた。

 イースとロイドの席からは目と鼻の先だ。


「やれやれ。やっと一日目が終わった。お前を付き合わせて悪かったな」

「まあ、久しぶりの王都は面白かったですよ――いろんな意味で」


「ふっ。まあ、そうだろうな。摂政だろうと王だろうと、私がその座につくことで国内を平定できるならやすいものだ。油断ならぬ隣国がおるのでな」

「あなたは変わっていないようですね。安心しました」


 どうやって抜け出してきたのか、突然、マクシミリアンが二人の間に割って入ってきた。

 驚いているミッチェルを気遣うことなく、すぐさま彼に耳打ちをする。


「やあミッチェル。あの――。ええと、あれからロイド嬢はどうだった? 俺のことを何か言っていたか?」


 「はあ」とミッチェルが頭を抱え込んだので、スペンサーが不思議そうな顔でマクシミリアンに尋ねた。


「何の話だ」

「あ、兄上。い、いえ。話っていうほどのものでは……」


 動揺するマクシミリアンを横目に、今度はミッチェルに迫った。


「ミッチェル。何の話だ?」


 マクシミリアンはスペンサーの威圧的な態度にも負けず、ミッチェルの肩越しに熱い視線をロイドへ送っていた。


 ロイドはマナー講師の言葉を脳内で繰り返していたが、肝心のイースが履行する素振りをみせないので席をたつことができなかった。

 チラリとマクシミリアンの方を見ると、目が合った。なぜかマクシミリアンが慌てふためいている。


「ミッチェル!」


 スペンサーがいらだって声を荒げた。


「ああ、ええと。イースの護衛が気になるようなのです。ほら、そこに座っているのがそうです」


 ミッチェルが指し示したところに座っているロイドを、スペンサーがジロリと睨むように見た。


「なんだ男じゃないか。あいつ、何をもじもじしているんだ? 大丈夫なのか?」


 スペンサーはなおもロイドをねめつけた。


(聞こえていますよ。本当にその通りです。どうやら、あまり大丈夫ではなさそうなのです)


 ロイドは顔を向けるとマクシミリアンと目が合うとわかっているため、雲ひとつない空を眺めることにした。

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