第33話 郷愁
イースはあれほど食べ歩いたにも関わらず、夕食をぺろりと平らげた。
明日の闘技大会では、正真正銘の貴族のボンボンたちの剣技披露を大人しく見ていればいいだけなので、緊張する様子もない。
ロイドは夕食中にミッチェルに思わせぶりな目配せをした。
察しのいいミッチェルは、夕食が終わるとイースを先に部屋に戻らせた。
「報告事項があります」
ミッチェルはロイドの言葉に頷いて、すぐさまデレクに使いを出した。
一時間後には、ブーロン城にいる時の定例会議さながらに、三階のライアンの書斎に全員が集合していた。
午前中と同じメンバーが同じ席に座っている。ただしイースはいない。マルクの判断だ。
ロイドは、「先程覗き見たのですが」と、予防線を張ってから切り出した。
四人とも既に目線はロイドの横の壁に向かっている。ロイドから報告を聞くよりも、“見たい“のだ。
(人間というのは、本当に映像を見るのが好きなのですね)
ロイドは、モーリンとドナルドの会話を編集して――モーリンの愚痴は大幅にカットして――再生した。
途中、デレクが我慢できずに机を拳で叩いていたが、暴れ出すことはなく最後まで視聴した。
「二人の会話はここまでです」
ロイドが映像を停止すると、デレクが椅子を乱暴に後ろに飛ばして立ち上がった。
「いますぐ陛下に全てを報告しましょう! モーリンとポリージャの大使は、俺が即刻討ち取ってやる!」
デレクはギラギラした目でマルクに賛同を求めた。
マルクも、今まで見せたことがないほど冷たく光る目に怒りを宿している。
「気持ちは分かりますが、感情に任せて動いては、着々と計画を練ってきた相手には勝てません」
ミッチェルの月並みな意見は、部屋中に充満している怨嗟の念にかき消された。
「怪しいとは思っていましたが、まさか十五年前からとは――」
ライアンもそこまでとは考えもしなかった。
「ちきしょう! 何としても近衛師団長の座は守らねばと、モーリンの野郎の言うなりに兵士を減らしたら、このザマだ」
デレクは自分自身に腹がたって仕方がない様子だ。
その怒りの矛先を、今すぐにでもモーリンにぶつけてやりたいと、体中で叫んでいるように見える。
それを自制心で――歯を食いしばり、唇を噛んで、拳を握りしめ――、かろうじて堪えているのだ。
「あなたはよくやりましたよ。モーリンが近衛師団を疎ましく思っていたのは周知の事実で、理由をつけては追い出しにかかっていましたからね。たとえ不本意でも、陛下に忠誠を誓う姿勢を示し続けたのは立派です」
ライアンは宮殿内の数少ない同士に向けて、いたわりの言葉をかけた。
人間たちの興奮が収まるまでは口出ししたくなかったロイドだが、不意に沈黙が訪れたので口をはさんだ。
「そういえば、ポリージャとの国境だという渓谷にも、兵士を駐留させていませんね」
石のように固まったまま、視線も動かさずにマルクが答えた。
「昔はおったのじゃがの。見張り台までこしらえての」
ライアンも頷きながら記憶を呼び起こした。
「何年前ですかね……。兵士の再配置を検討した際、引き上げさせることになったのです。行商人以外は、ほとんど見かけることがなくなったので。常駐から定期的な見回りへと変更になったのです」
それだけ言い終わると一呼吸して、辛そうに付け足した。
「しかし、それも全て計算ずくだったという訳ですね」
「あいつら――。モーリンとポリージャ側とで、しめし合わせて、そういう方向へ話を持っていったってことだな」
(デレクは、興奮状態が収まりませんね)
デレクがもし部屋を飛び出してしまったなら、追いかけて捕まえるべきなのか。
ロイドはミッチェルに聞いておきたくなった。
だがミッチェルには通信機能がない。
(言葉を発しないと会話ができないというのは、本当にストレスが溜まります)
そのミッチェルも、どういう道を探るべきなのか、考え出すと懸念事項が噴出し苦悩していた。
「渓谷の向こう側の様子がわからない以上、策の練りようがありません。兵士をいつでも出せるという話なのか。国境からほんの数キロ、いや、数百メートル先に、相当数の兵士が既に命令を待っている状態なのか。まずはその偵察からでしょうか……」
「だが迂闊に偵察を出して向こうに見つかったりすれば、開戦の口実をこちらから与えてしまうことにもなりかねませんし……」
ライアンが語尾を濁した後、四人が示し合わせたかのように同時にロイドを見た。
(いやいや。よしてください。私はこの国の兵士ではありませんよ)
「ああ。なるほど。覗き見ですよね。残念ながら他国の様子までは見られないのです。私自身が渓谷まで出向けば別ですが。しかしながら、相手に気取られる訳にはいかないのですよね? そういう状況下ではリスクは冒せません」
デレクは「ふん」と鼻を鳴らして顔を背けた。
残りの三人も似たようなもので、失望を隠そうとしない。
(ええ? それはないでしょう。赤足の鷹を追いかけた時に、限界ラインだと言ったはずですが)
ロイドは人間たちに対して苛立ちを覚えた。
書斎を照らす明かりは原始的な炎だ。
黙りこくった男たちの顔は、同じオレンジ色を帯びている。
ロイドは書斎が鬱々とした雰囲気に包まれているのは、自分の責任ではないと告げたくなった。
(まあ、そんなことを言ったところで、人間たちをいっそう不快にさせるだけですね。もう少し理性で感情を押しとどめてほしいものです)
重苦しい空気の中、野太い声が響いた。
結局、話をまとめたのは、誰もが信頼をおくマルクだった。
「デレク。明日と明後日は、王都の中、特に宮殿に警備を集中させるわいの。城門の外は手薄となるはずじゃ。モーリンどもの検問の手も緩むじゃろうて。地方へ散っていった者どもに使いを出してくれるかの」
「はっ! 直ちに! 何をおいても王都に駆けつけるよう、連絡します!」
デレクは顔を紅潮させマルクの意を汲んで答えた。
先程までの仏頂面が打って変わって、意気揚々とした態度だ。
(え? 驚きました。マルクの一言で、そこまで感情が変化するのですか?)
「そうですね。何もなければそれでよし。王都に集まった理由など、後からいくらでも考えられます」
ライアンも弱々しい態度を一変させ、力強く同意した。
「確かに。こちらが数で負けていると、わざわざ教えてもらったのですからね」
ミッチェルまでもが気力を取り戻したようだ。
一同は、互いの顔を見合わせて頷きあった。
(え? え? なんですかこれは? 何が起こったのです?)
ロイドは人間たちの急激な変化が理解できなかった。
「では、また明日も同じ時間に集まるとしましょう」
ライアンがそう言うと、デレクが、「では急ぎますので、これで」と、勢いよく部屋から飛び出して行った。
開け放たれたドアから、外の平穏な空気が流れ込んでくる。
書斎のよどんだ空気が洗い流されるように霧散していった。
「ところでミッチェル。明日の闘技大会の準備は大丈夫なのですか?」
ライアンが優しい眼差しで、立ち上がったミッチェルに声をかけた。
「ええ。マルク様が用意してくださった剣も届いておりますから」
「準備の心配ではありません。明日のお相手のことです」
「彼と剣を交えるのは三年ぶりですが、今から楽しみなくらいですよ」
「ほっほっほっ。そうじゃの。ワシも楽しみじゃわいの」
(へえ。「ほっほっほっ」が出ましたね。数分前まで、あんなに深刻な顔をしていたのに)
ロイドのいぶかしげな視線は無視された。三人は談笑しながら各自の部屋へと下がっていった。
人間たちが寝静まった頃、ロイドは制圧支援ドローンにぶら下がり、王都の上空を飛んでいた。
ドローン映像を見るのではなく、自らが飛んで上空から直に眺めてみたい――そんな人間的なセンチメンタルな気分になったのだ。
王都はブーロンと違い、真夜中を過ぎても明かりが漏れている店や家があった。
空中を移動するロイドの横を鷹が飛んでいった。
つい目がいったが、足には何もつけられていなかった。ロイドもロイドなりにポリージャによる侵攻を憂慮していた。
「準備は完了した」というからには、号令一つで、数千、数万の兵が集まるのだろう。
タイミングを見て合図するのはドナルドだろうか。
もしそうならば、ドナルド自身がクーレイニーを離れる直前か、または離れた直後に合図をするのだろう。
(明後日の婚約披露パーティまでは、攻め込まれる可能性は低いですね)
だが一連の式典後、イースを連れて逃げるだけでよいのか……。
この地で目を覚まして以来、ロイドはマザーと一度も繋がっていない。
ダウンロードもアップデートもしないまま時が過ぎていってしまった。
ロイドの不安は日増しに大きくなっている。
出荷時のデータは既に陳腐化してしまったのではないか。修正すべきバグを知らずに放置しているのではないか。
マザーからの返答がないという状態が、これほど苦しいものだとはロイドは知らなかった。
イースが死亡した後はロイドの役割はどうなるのか。
そもそも、この世界の人間の寿命はどれくらいなのか。
答えを出すための思考ではなく、人間がやりがちな「悩む」という行為にロイドは溺れていた。
ネットワークに常時接続されている世界。マザーと一体でいられる世界。
「取り戻したい……」
ロイドはそこで生まれ、そこで生きていくはずだったのに。
「帰りたい……」
もしイースやミッチェルが、本来自分がいるべき場所から遠く離れてしまって、その場所への帰還を求めるなら――。
その時の気持ちをなんと言うのだろうと、ロイドは、ぽつぽつ灯っている明かりを見ながら思った。
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