第47話 事後処理
晩餐会の夜、王都に住む者の半数以上が、遠く離れた一帯を青白く染める光を目撃し、爆音と爆風に眠れぬ夜を過ごした。
だが夜が明けると、もっと驚く発表が王宮から突然なされ、国民たちの間ではその話題で持ちきりとなった。
スペンサー第一王子の婚約と摂政就任が、無期限に延期されたというのだ。
その知らせを聞いた妃候補たちの落胆ぶりといったらなかった。
どの候補者にもいい顔をしていたジャスティンだけが、ほっと一息ついて胸を撫で下ろしたという噂だった。
街中の喧騒が、噂話からいつもの活気に戻った七日目、ようやくミッチェルは王宮に顔を出すことができたのだった。
スペンサーとミッチェルはニクラウスの寝室にいた。国を統べる男は、今や頬のこけた寝たきり老人となっている。
ニクラウスはモーリンが去ってからというもの、誰の呼びかけにも応じなくなっていた。
スペンサーにできることは、ニクラウスを表舞台から退かせ静かに療養させることくらいだった。
不安げな面持ちでニクラウスを見つめているスペンサーが痛々しい。ミッチェルは優しく声をかけた。
「晩餐会が随分昔のことのように感じますね」
「一週間も待たせて悪かった。ポリージャの方の目処がたったので、やっと国内の方に着手できそうなのだ」
ポリージャ国とは、賠償金として金百キロの支払いで合意したのだった。
ポリージャ国は、全てはドナルドの独断であり、ポリージャにとってもドナルドは国の転覆を図った大罪人だと主張してきた。
十万人の兵士のことなど、おくびにも出さない言い分だった。
ミッチェルはぽつりとこぼした。
「死人に口なしですからね。侵攻が失敗となれば、ドナルド一人に責任を被せるのは目に見えていましたが」
「まあな。モーリンに至っては、ドナルドが勝手に組んだ共謀者ということで、あちらは知らぬ存ぜぬだ。まあこうなっては哀れだな」
「ドナルドとモーリンの死体は野ざらしでよいとの返答だったのですよね」
「ああ。だがデレクの指示で、近衛兵が国境付近に埋葬したらしい」
そこに、おそらく墓標はないのだろう。
捕虜の返還は――ロイドに倒された千人の兵士の帰還も――困難を極めた。
ロイドが渓谷を崩落させたことにより、往来のしやすかった平坦な行路は埋没してしまい、大幅な迂回を余儀なくされたからだ。
今では北方の森林の中の、獣道に毛が生えた程度の道を二日かけて歩く山越えとなった。
本来ならばニクラウスが下すはずの決断事項を、眠っている彼の枕元で話している。
スペンサーには悪い冗談に思えた。
そんな気の張ったスペンサーの横顔を見ているとミッチェルも辛くなる。
「シノア国は大丈夫ですか?」
スペンサーはニクラウスを見守ったまま目線を動かさない。
「ミツツキ大使なら、お見舞いの言葉を残して帰られた」
「ふふふふ。あの方は不思議な方でしたね」
「みんながみんな、お前みたいな奴なら私も苦労しないのだがな」
「どういう褒め言葉ですか?」
ミッチェルの怪訝そうな表情を見てスペンサーは微笑した。寝室のドアをノックする音が聞こえた。
「誰だ?」
スペンサーは顔も向けずに言った。
「私です。マクシミリアンです。ロイド嬢――ろ、ロイド殿を、お連れしました。お二人がこちらにおいでと伺ったので」
「ああ、そうだった。入れ」
スペンサーは、ロイドを論功行賞の件で呼び出していたことを思い出した。
ミッチェルだけ先に呼んで話をしていたのだ。
マクシミリアンに続いて入ってきたロイドは、一センチの長さの坊主頭で、いまだにマクシミリアンが「ロイド嬢」と言い間違えることがスペンサーには理解できない。
ロイドは部屋に入るなりベッドに横たわるニクラウスを一瞥した。
(王様のことはすっかり失念していました。そういえば様子がおかしかったのですよね。モーリンの仕業なら、おそらくスペンサーに飲ませた解毒薬か、それに近い成分で治癒できると思いますが)
「王様はモーリンから不思議な薬湯を飲まされ続けていたのですよね」
(蓄積されるとどうなるのかも含めて、確認する必要があります)
「ちょっと失礼」
そう言うとロイドは、ニクラウスの口元に鼻を近づけて匂いを嗅いだ。
そして断りもなく、そのまま手を滑らせてその口を開けようとした。
「あっ! 君はまた!」
ミッチェルの制止は間に合わなかった。
既にロイドはニクラウスの口を開けて、その舌を舐めていた。
「うわあっ! ロイド嬢! いったい何を! 父上までもっ!!」
「この無礼者!」
三者三様にロイドを制したが、ロイドは気にも留めず体内で分析を開始した。
結果は一.八秒ででた。
(なるほど。これならば、この前作った解毒薬を応用すれば大丈夫ですね。ライアンの薬草倉庫にあるもので調合可能です)
「ちょっと待っていてください。すぐに戻りますから」
ロイドはそれだけ言うと窓を開けて飛びおりた。
「うわあっ! 危ない! ロイド嬢!」
「な、何を!」
マクシミリアンとスペンサーは、ロイドの破天荒な振る舞いに驚いているが、ミッチェルはさすがにもう慣れていた。
ロイドがピョンピョンと飛ぶように、二、三メートルの歩幅で走っていく様子を窓から眺めながら、スペンサーがミッチェルに皮肉っぽい口調で言った。
「主役がいなくなってしまったぞ」
「はあーっ」
ミッチェルが額に手を当ててうなだれたのを見て、スペンサーは笑いをこらえた。
「まあよい。午後に仕切り直すとしよう」
「それでは私も一度ライアンの屋敷に戻ります」
「ああ」
ミッチェルが屋敷に戻ると、イースは白いダブレットを身に付けていた。
肩と袖口には金色の飾り紐とダイヤがあしらわれている。
「イース。よくお似合いですよ。あとは、それだけですね」
ミッチェルの視線の先をたどって、イースは微笑んだ。
「ああ、頼む」
ミッチェルは庭先に椅子を持ち出しイースを座らせた。
青みがかった銀色の髪の毛が、日の光に照らされて艶やかに輝いている。
「いいですか? それでは始めますよ」
ジャキ。ジャキ。ジャキ。
ミッチェルがハサミを器用に動かしてイースの長い髪を切っていく。
肩先からハラハラと地面に落ちていく銀髪すら美しい。
イースの意思が宿っているような芯を感じさせる銀髪は、ハサミの刃に抵抗するようにしなって切りづらい。
ミッチェルは悪戦苦闘しながらも、どうにか切り揃えるとハサミを置いた。
「うん。我ながら、なかなかの出来だと思います」
そう言ってミッチェルは手鏡をイースに渡した。
鏡の中には、イース自身をキリッと見返す、青い瞳の少年の顔があった。
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