第16話 王の毒殺未遂

 王宮の閣議の間では、王都周辺の領地を所有する有力貴族たちが集まり、茶会さながらに目下の課題である「スペンサー第一王子の摂政就任」について、和やかに話し合っていた。


 王宮には大小様々な部屋があり、どれも一流の職人による凝った装飾が施されている。

 だが長い間この閣議の間だけは、アイボリーの単色の壁紙にヘリンボーンの床という質素な作りだった。


 初代クーレイニー王が宮殿を建てた際、「国政を論じる場では痛みこそ知れ」と、華美な装飾を禁止したためだと言い伝えられている。

 だがそれも先王までの話――。


 現在は、四面の壁いっぱいに現ニクラウス王の活躍が物語仕立てに描かれている。

 血迷って隣国ポリージャに降ろうとした先王に、ニクラウス王が天誅を下す場面だ。


 床に敷き詰められたタイルには、国内の領主たちの紋章が象られている。

 それを王が踏みつけるというのだから悪趣味極まりない。


 純金の蔦で縁取られた大理石の長いテーブルの端に、王が鎮座していた。黒髪の細い巻毛が胸まで垂れている。

 元は金髪だったのだが、王座についた途端、黒く変色したのだと、まことしやかに噂されている。

 実の兄である先王を弑して王座を奪った罰――と国民は眉をひそめて陰口を叩いた。

 だが厳しい取り締まりと十年という年月が、真偽のほどを曖昧にさせてしまった。



「では慣例通り、スペンサー第一王子が二十歳の誕生日を迎えると同時に、摂政に就任されるということでよろしいかな?」


 国内外の交易を一手に担うジャスティン・スミス卿が、ボウル部分が大きく膨らんだワイングラスをテーブルに置き、同意を求めた。

 ジャスティン以外の席には、琥珀色の紅茶が注がれたティーカップが置かれている。


 国の財政を担う要職にあるため、ジャスティンは勝手が許されているのだ。

 王の真向かいに座ることもそうだ。

 従者がワインの残り具合を見て、すかさず赤ワインを注ぐ。


「もちろんよろしかろう。いやあ、誠にめでたいですなあ」


 宝石商でもあるジョー・ガーナー卿が最初に賛同した。

 盛大なパーティーが催されれば、宝飾品の相当な売り上げが見込まれるというもの。

 ジョーは根が商売人なだけあって、どちらかに深入りするような真似はせず、摂政のモーリンとも近衛師団長のデレクとも、絶妙な距離を保っている。


「五月十五日でしたね。これは忙しくなります。もう三ヶ月をきっていますからね」


 王妃の兄にあたるザック・ヒューイット卿は、貴族の称号はあるものの、その実態は小さな農園の主人だ。

 ヒューイット家は王家の支援なしには立ち行かない。

 そんな背景のせいで、他の領主たちと同じように話していても、どこか揉み手をしながらへつらっているように映ってしまう。


「慣例と言えば、摂政就任と婚約披露のパーティーは同時に開催されるものですが。お妃候補選びの方は芳しくないのでは?」


 水を差したのはライアン・クック卿だ。

 王都の食料は、ほとんどがライアンの領地から運ばれてくる。肉も魚も小麦も野菜も。

 口に入るもので扱っていないものはないと言われている。

 先王の忠実な臣下としても国の内外に知られている存在だ。


 本来ならば売国せんとする先王を止められなかった罪で投獄されていてもおかしくないのだが、王侯貴族たちの胃袋を牛耳っているためか現職に留まり続けている。


「左様なことはございません。十三歳以上の良家のご令嬢については既に選別が終わり、候補者が出揃っております。あとはスペンサー第一王子殿下がお選びになるだけですので、どうぞご心配なく」


 王の右側の角に座り、この場を支配している摂政モーリンが、「恐れながら」と反論した。

 モーリンもまたクーレイニー国では珍しい漆黒の髪をしていた。

 歳のせいか白いものがちらほらと混じってはいるものの、腰まで伸びている長い毛には力がみなぎっている。



 モーリンの向かい、王の左側の角には、近衛師団長のデレクが座っているが、いつものように押し黙ったままだ。


「では慣例に従い、同時開催ということでよろしいので?」


 ジョーの問いに王が裁可を下して終わるはずだった。モーリンの筋書きではそうなっていた。

 ところが王は、土気色した顔をスッと上げると、しわがれた声でつぶやいた。


「スペンサー――。スペンサーはどこにおる――。スペンサーがおらぬのに、なぜそのような話をしておる――」


 それだけ言うとまた虚ろな表情に戻り、あらぬ方をぼんやりと眺めた。

 モーリンの目に怒りの炎が宿った。


「陛下。陛下がお決めになることです。さあ、ご決断を!」


 モーリンの声に、魂を呼び戻されたかのように王は姿勢をただすと、打って変わって力強く宣言した。


「よかろう。誕生日までに妃を選び、婚姻の準備を始めるのだ」


 モーリンは満足そうにほくそ笑んで見せたが、内心では苛立っていた。


(こやつ。いよいよ潮時かもしれんな。もう使い物にならんか……)



 皆が談笑を始めた中、ライアンだけは硬い表情のまま王に尋ねた。


「陛下。本当によろしいのですか。それが陛下の本意ですか?」

「あ。ああ――」


 パンッ! パンッ!


 二人の会話を遮るようにモーリンが手を打って合図した。


 ドアが開き、王宮の使用人たちが部屋になだれ込んできた。

 食事の準備を始めるためだ。

 テーブルには扇形に畳まれたナプキンが置かれカトラリーが並べられていく。


「先に乾杯しませんか?」


 料理が運ばれるまで待てないとばかり、ジャスティンが呼びかけた。

 使用人たちは心得ていますとばかりに、すぐさま赤ワインを注いだグラスを全員分用意した。


「それでは、スペンサー第一王子殿下に!」


 ジャスティンがグラスを持ち上げた。


「スペンサー第一王子殿下に!」


 全員が一斉にグラスを持ち上げ、それぞれ口に含んだ。


 グラスを置いて料理の到着を待っていると、王がゴトリとグラスを倒した。

 身分の高い者の粗相は見て見ぬふりをするのがマナーだ。

 皆が顔を背け使用人が片付けようと王の側によった時、


「う――。ごほっ」


 王が吐血してテーブルに突っ伏した。


「ひゃ、ひゃー」


 グラスを片付けようとした使用人は、腰を抜かさんばかりに驚いて尻餅をついた。


「どけっ!」


 デレクが駆け寄り王の脈をとると叫んだ。


「脈はある! 医者だ! 医者を呼べ!」


 部屋の外で控えていた近衛兵たちが、デレクの声を聞きつけ駆けつける。


「団長! いったい何が――」

「こ、これは――」


 取り乱す近衛兵にデレクが矢継ぎ早に指示を出す。


「まずは、王をお部屋にお連れしろ。医者もここではなく寝室に来させるのだ。それから、この部屋に出入りした者、グラスに触ることができた者を全員厨房に集めよ。絶対に宮殿の外に出すな!」

「はっ!」



 ライアンは皆が王に注目する中、モーリンが王の倒したグラスに手を伸ばそうとするのを見咎めた。


「危ない! どんな毒が入っているのかわかりませんよ」


 そう言うと、紫色に染まった王のナプキンで倒れたグラスをつかみ、デレクに渡した。


「デレク殿。これを。賊の手がかりが何か掴めるかもしれません」


 モーリンが不服そうに反発した。


「グラスを取っておいたところで何の役に立つというのです。それよりも、これ以上犠牲者を出さないことが肝要。グラスは即刻、処分するべきです。陛下に毒を盛った犯人は、近衛師団の皆様が必ずや捕らえてくださることでしょう」


(ふん。ライアンめ。余計なまねを。デレクの奴もそうじゃ。想定以上に迅速な対応をしおって――。まあ毒を盛った人間はとっくに宮殿を出ているはずだがの)


「それよりデレク殿。このような事件が表沙汰になれば、国民の動揺を誘い隣国につけいる隙を与えてしまいます。絶対に他言せぬよう使用人たちには重々言いつけておく必要がありますぞ」

「分かっている! それも含めて宮殿を見張らせる!」


 近衛兵たちが宮殿を包囲し、厨房で調査を進めている間、王は寝室に運ばれ宮廷医が処置を講じた。




 この日、王が死ぬことはなかった。

 しばらく臥せることになったが、体調の異変はなにも今に始まったことではない。



 モーリンが王の寝室の向かいの自室に戻ると、開けておいた窓に鷹が止まっていた。

 足の色は青。クーレイニー国の鷹だ。

 それはブーロン城に侵入していた未詳Xからの報告だった。


 マクシミリアンが城を抜け出したというので跡をつけさせたのだ。

 短い手紙には、マルクの遠縁にあたるという触れ込みで素性の知れぬ美しい少年が孫娘イースの護衛になったとある。


「あのくたばりぞこないが。何か企んでおるのか――? フフフ。引退した身で何ができる? いや、待てよ――。まさかとは思うが、このタイミングで現れた少年というのは――? 歳は、歳はいくつじゃ!」


 モーリンが独り言をつぶやく様子も、返信をしたためる様子も、窓枠にピタリと張り付いたドローンが全てをロイドに送信していた。

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