第30話 十年前の誤算

 モーリンは歓迎式典の後、宮殿の中を一人静かに歩いていた。

 広い廊下に近衛兵の姿はなく、話し声一つ聞こえない。


 モーリンが初めてこの宮殿を訪れた際は、その警備の厳重さと使用人たちの活気に溢れた様子に驚いたものだ。

 だが今は見る影もない。


 ポリージャ国の黒髪の兵士がドアを守っている部屋までやってくると、モーリンはクーレイニー国の摂政という仮面を外した。


「ドナルド。少しよろしいですか?」


 謁見が終わり部屋で休んでいたドナルドは、待ちかねたようにドアを開けた。


「やあ。久しぶりだなモリガン」


 モーリンはドアを閉めて、念の為、窓際の方へドナルドを誘う。そしてドナルドを見据えて言った。


「今はモーリンですので」

「ああ、そうだったな。悪い、悪い」


 モーリンはドナルドにも、ドナルドを寄越したあの男にも、言いたいことが山ほどあった。


「こちらからは折に触れてご報告申し上げておりましたのに、宰相様からはなしのつぶて。あんまりではございませんか」

「そう言うな。お前だって分かっているのだろう? 越境鷹は難しいのだ」


 モーリンの繰り言に本気で相手をするつもりのないドナルドは、グラスを二つ用意し歓迎用の赤ワインを開けている。



 十五年前――。

 わずかな宝石を餞別に隣国に送り込まれ、見知らぬ土地で、一から生活を築く苦労がどれほどのものか。

 この男に言ってもわからないだろう――そう思いながらも、モーリンは言わずにはおれなかった。


「この十年というもの、宰相様に、もしや見捨てられてしまったのではないかと、私がどれほど心細い気持ちで悲嘆に暮れたことか」

「言うな。十年前にこちらの筋書き通り、先王がポリージャの傀儡になっていれば、ことは簡単だったのだ」


 ドナルドが無神経に差し出すグラスを、モーリンは首を横に振って断った。


 あの花のお陰で生活の基盤は早々に整えることができた。

 だが王宮に出入りするまでには三年以上かかり、王族とまみえるまでには更に一年を要したのだ。


 モーリンは当時のマルクが率いる近衛師団を思い出した。

 宮殿の主な入り口はもちろんのこと、王宮の内外を、昼夜問わず屈強な兵士たちが守っていた。


「働き手を減らすことなく、頭だけをすげ替えるのが一番うまみがあるのだ。この豊かな国を食糧庫として抱えておけば、こちらは汗水垂らして畑仕事などやらなくとも、好きなことに精を出せるのだからな」


 ドナルドは口を膨らませて赤ワインを堪能している。



 モーリンが初めて目にしたクーレイニー国の王族は、まさに高潔そのものだった。

 神代の昔から続く特別な血筋というのは本当なのか、あの花の蜜の香りだけでは篭絡させることができず焦った。

 王族にはあの香りへの耐性があるのかと、随分と気を揉んだものだ。

 結局、蜜そのものを飲ませることで解決したのだが……。


「それにしても、まさかあのニクラウスが実兄の王を弑するとはな。だがそのニクラウスはどうだ? さっきのあの式典での言動は一国の王の振る舞いではなかったぞ。お前が言う不安定なんてもんじゃない。痴れ者どころか、狂人に見えたがな。あれが王などと……。笑わせてくれる」


 ドナルドに言われるまでもなかった。ニクラウスは人格が崩壊しつつあるようなのだ。


「十年経っても王が思うように操れていないときた。宰相様はお嘆きだったぞ。なぜこうも思い通りにいかないのかと」


 そうなのだ。いったいなぜなのだ。何が悪かった? 

 あの花は役に立ってくれたではないか。


「それに関しては言い訳のしようもございません。あの一族に流れる血のせいでしょうか。薬の効きが悪いのか、あるいは効きすぎるのか。もうニクラウスはダメです。そろそろ息子に――」


「いいや。もうこれ以上時間をかけてはいられない。とりあえず、この十年で近衛兵は三分の一に減らせたのだろう? 何よりの成果だ。この国の兵の配置も弱点も、お前からの報告で全て把握している。労働力を減らすのはもったいないなどと言っている場合ではない。力づくで奪った方が早い。宰相様はそう結論を下された」


「で、では――」

「ああ、我が国の準備は完了した。あとはタイミングを見て合図を送るだけだ」


 なぜ、あの男は直接言ってくれないのだ。この男を介して聞かされるとは。


「それならばそうと、私にも一言くだされば」


 モーリンはむっとして窓の外を見た。

 その方角のはるか先に、あの男の住まう城があるはずだった。


 結局、武力で手中に納めるというのか――。十五年という長い年月を耐え忍んだというのに。

 だいたい、こんな二重生活などしたくはなかったのだ。

 ただ腹をすかせることなく寒さに震えることなく生きていられればよかったのだ。ただそれだけでよかったのに――。



「ところで、滞在中はこの城で出される料理を食べても大丈夫なのか?」


 ドナルドがするのは自分の心配だけらしい。


「ご安心を。貴重な薬を料理に混ぜたりはしませんから」


 ドナルドに一服盛ってやってもいいかもしれない。

 モーリンがそんな幻想を抱いているとはつゆ知らず、ドナルドはグラスに並々とワインを注いだ。





 モーリンに付いていたドローンは、カーテンのドレープにうまく隠れながら二人の映像をロイドに送信していた。

 ロイドは着替えを済ませ、イースと一緒に屋敷を出たところだった。


(うーん。随分不穏な話をしてくれましたね。ですが国家間の戦争となれば私の出る幕ではありません。最悪、戦争が始まればイースを無事にブーロンへ連れ帰るだけです。ブーロンに戦火が及んだ場合は――まあ、その時に最適な行動を選択するだけです)


 このまま屋敷へ引き返してマルクたちに報告することも頭をかすめたが、興奮状態にあるイースに切り出すのは厄介だと判断した。

 マルクたちへは夕食後に映像を見せることにしよう。映像の録画時刻は人間たちには分からないのだ。

 これまでだって聞かれたことはない。


「ロイド。何をもたもた歩いてんだ。さっさと来いよ」

「はい」


 ロイドは馬車まで全速力で駆けた。

 走りながら、配送ポーターを遠隔操作で起動した。制圧支援ドローン九機を呼び寄せるためだ。

 さすがにあの大きさは目立つので、移動は夜更けにするとして。

 王都にいる間は大きな倉庫の天井付近にでも待機させておけばよいだろう。


 この時代の人間たちは上を見上げる習慣がないので助かる。

 制圧支援ドローンが十機あれば、それなりの戦力になるが、この世界で使用する事態が訪れるのだろうか。


 もしそうなった場合、(人間相手に?)その使用は許されるのか。

 マザーに相談できない今、たとえ戦争が始まったとしても、当面は警護対象であるイース周辺の哨戒任務に留めておくのが賢明だろう。


 ロイドは宮殿内を偵察させていたドローン一機をドナルド専用に切り替えた。


【偵察対象・配置】

一.配送ポーター

二.ブーロン城内

三.マルク

四.ミッチェル

五.イース

六.ニクラウス王

七.スペンサー王子

八.マクシミリアン王子

九.モーリン

十.未詳X:ならず者風の男。モーリンの間者(ブーロン城に侵入)

十一.未詳Y:赤毛の少年(王に毒を盛った犯人)

十二.ポリージャ国に潜入

十三.宮殿内

十四.ライアン邸

十五.未詳Z:中肉中背の男。モーリンの間者(ロイドに毒を盛った犯人)

十六.ライアン邸

十七.ライアン邸

十八.ドナルド

十九.王都上空

二十.王都上空


【制圧支援ドローン】

一から十:ライアン領内の倉庫にて待機

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