第24話 ダンスの練習
五月十五日の舞踏会まであと一週間。
イースとロイドは、王都から招かれた講師たちによるテーブルマナーやダンスの特訓を受けていた。
「そこはもっと背筋を伸ばして!」
講師の
テーブルマナーや宮殿での作法については、付け焼き刃のロイドと違いイースは物心つく前から叩き込まれていたので、すぐに合格点をもらえた。
だがダンスだけはどうしても合格ラインに届かない。
今日も同じステップを何度も繰り返し練習させられていた。
「顔だけ向きを変えてもダメです。体の芯を意識して!」
練習相手を務めるロイドが難なくこなすターンを、イースはマスターできずにいる。
「中心に軸があると思って!」
講師がパンパンと手を叩いてリズムを刻む。その音に合わせて二人は足を出し体をひねる。
最初のうちは、「にこやかに。楽しそうに。とにかくにこやかに。」と言っていた講師も、ステップをマスターするまでは表情には目をつぶるようになっていた。
イースの手を握り、その目を見ていたロイドにはイースの葛藤が伝わっていた。
(なるほど……。そのステップを踏みたくないのですね。ですが舞踏会には必要ですよ)
一度聞いただけで全てを完璧にマスターするロイドは講師たちから絶賛されていた。
誉めそやされるロイドの横で膨れていたイースだが、自分が完璧にこなさなければならないことは理解していた。
ブーロン領を代表する人間が、晴の舞台で醜態を晒す訳にはいかない。
使命を全うしたい責任感も意欲もあるのに、体がついてきてくれないのだ。
講師たちも、肝心のお妃候補のイースを一人前に仕上げることができなければ、領主の不興を買い、ひいては自身の評判にも傷をつけることになるというもの。
そのため、教える方も教わる方も必死だった。
時間が経てば経つほどに両者とも焦りが募っていく。
「失礼します。申し訳ありませんがマルク様がお呼びですので、今日の練習はここまでにしていただけますか。じきに夕食の時間ですし」
ドアを開けて入ってきたミッチェルが、いかにも重要な伝達だと匂わせて練習を中断させた。
「承知いたしました。それではイース様。今日はここまでです。また明日、十時に。明日は楽士を入れて曲に合わせる練習を行いますからね」
講師は遠慮がちにイースに声をかけたが、「時間がないので、ステップはマスターしたものとして進めますよ」と告げたのだ。
イースにも言外の意図は読み取れた。憮然とした表情のまま講師に軽く一礼する。
練習用に使用していたカトレアの間を出ていく講師の背中からは、心なしか敗北感が滲み出ていた。
「イース。着替えたらマルク様のお部屋に来てください。ロイドは――着替えないのでしたね」
「はい。私は汗などかきませんから」
ロイドが涼しげに答える。
「ほんと、ムカつく――」
イースは捨て台詞を残して先に部屋を出ていった。
マルクはいつものロイドからの定例報告に、イースも参加させることにした。
王都に向かう前に、懸念事項を共有させておいた方がよいと判断したのだ。
ロイドは魔術の説明用として、イースのために編集した王都の街の風景を三十秒ほど壁に映した。
「あの灰色うさぎの看板の店は昼時には行列ができるほどの人気の定食屋です。左の端の方に赤と白のストライプの制服の店員が映っていますが、焼き菓子だと、あの店が一番人気のようです」
「な、な、なんだこれっ! お前らだけで、内緒でロイドの魔術を楽しんでいたんだな!」
イースが想像通りの反応をみせたところで、ミッチェルが切り出した。
「まあまあ。私たちもつい最近なのですよ。こんな風に見せてもらったのは。それよりも、王都で発生した事件について心に留めておいてほしいのですが」
ミッチェルは王の毒殺未遂事件が発生していたことをイースに説明した。
ロイドも要所要所で画像を映して手伝う。
「なんだって陛下を――。モーリンはニクラウスが王でいた方が都合がいいはずだろ?」
「動機まではわかりません。ただ、この先も何が起きるかわかりませんから、警戒を緩めないよう注意してくださいね」
イースは緊張した面持ちで黙りこくった。
ロイドは部屋の壁に、犯人の未詳Yを正面から捉えた画像を映した。
「毒を盛った赤毛の少年ですが、その後は一度もモーリンと接触していません。宮殿の周囲をチョロチョロしていることはありますが、仕事を探しているだけのようです。どうやら日雇いで生計をたてているようなので。ちなみに今日は酒樽の荷下ろしの仕事をもらっています」
「こりゃあ、何も知らんと使われた口かもしれんの」
ミッチェルもマルクに同意した。
「一度きりの使い捨てだったのかもしれませんね。あの少年も自分が何をしたのか分かっていないのでしょう。ワインを注ぐだけでお金をもらえた――とね。こういうことはなまじ知っている人間にやらせると、自分の弱みを握らせてしまうことになりますからね」
話が一段落すると、イースは王都の様子をもっと見たいとせがんだが、マルクからロイドと共に退出するよう促された。
マルクの部屋に残ったミッチェルの顔つきは冴えない。
「この期に及んで何を言うのかと言われるかもしれませんが――」
ミッチェルは顔を伏せて続けた。
「本当にイースを舞踏会に参加させてよいのでしょうか。王都に行かせるのはやはり危険では――?」
マルクも思うところがあるようで一拍おいてから答えた。
「仕方あるまいの。こればかりは断る訳にもいくまいの」
「ですが万が一にも――。長年王宮に使えている者たちもおりますし。マクシミリアンのようにはいかないでしょう。騙し通せるものでしょうか」
「どうだろうかの。まあ、なるようにしかならんわいの」
「はあ――」
ミッチェルはため息以外、口から出なかった。
夕食後、イースは北東の中庭でふさぎ込んでいた。
ドローン映像の中のイースは木にもたれたまま、かれこれ一時間以上も動いていない。
ロイドは様子を見にいくことにした。
「こんな時間に何をされているのです? ここは私の指定場所なのですが」
イースは呆れたようにロイドに言い放った。
「そんなこと誰が許した? お前がしょっちゅうここに来ることは知っているが、だからってお前の指定の場所なんかじゃないからな!」
(おやおや。口先だけは相変わらず元気ですね)
「まあ、別にいいですけど。それより、いよいよ明後日出発ですね。準備は順調ですか?」
「ああ。まあな」
イースは途端に暗い表情になる。
「ダンスを教わるのも明日が最後ですね。なんならここで復習でもしておきますか」
「はあん?」
ロイドは構わず続けた。
「よければ気分転換に男性パートを踊ってみませんか。私は贈り物のドレスを着て女性パートを踊ることになるかもしれないですし」
イースは驚いて目をぱちくりさせた。
「お、お前――。何を――。本気で言ってんのか?」
「ええ。ほら、リードしてください」
ロイドはイースの手を取って自分の腰に沿わせた。手を組みイースと顔を見合わせて呼吸を合わせる。
イースが静かに動き出した。ロイドもイースに合わせて足を出す。
一度もうまくできなかったターンをイースが決めた。
音楽も鳴っていない中、二人だけのリズムでステップを踏む。
イースは狭い中庭を器用に曲線を描いて移動している。
不意に、ロイドの瞳から顎のあたりに視線を落として言った。
「お前、気付いているんだろう……?」
「なんのことでしょう?」
「ふん」
イースは練習の時とは別人のように軽やかに舞っていた。自分よりも背の高いロイドを見事にリードして。
(やはり男性パートをやりたかったのですね。私のステップばかり見過ぎなのですよ)
部屋にいないイースを探していたミッチェルが、中庭の二人を見つけて遠巻きに見守っていた。
ドレス姿の華奢な女性が背の高い男性をリードして踊っているシルエットは、何とも滑稽だ。
だが月明かりのせいか、ロイドを見上げるイースの顔は凛々しく、堂々として見える。
にこりともしない二人だが、その息のあった様子に、ミッチェルは声をかけることなく去った。
廊下を歩きながら、ミッチェルはまたも王都のことを考えている自分に気が付き苦笑した。
王都へ向かう日が近付くにつれ、そこで過ごした賑やかな日々を思い出すことが増えている。
活気に満ち溢れていた学園生活。
王都では目立つ黒髪も、常に側にいたスペンサーのお陰で面と向かって不愉快なことを言われることはなかった。
ブーロンでは味わえなかった開放感と躍動感。
スペンサーと違い、ミッチェルは自分の立場を忘れ一人の学生として充実した二年間を過ごした。
この二年間だけは許されていいだろうと、勝手にそう決めたのだ。
スペンサーはあと数日で摂政に就任し婚約する。
いくら学友とはいえ、あの頃のように気安く話しかけられる相手ではなくなる。もう、あの楽しかった日々には戻れない。
分かってはいるが、ミッチェルは未練がましく思い出に浸ってしまう自分を止められなかった。
その日の深夜。ロイドは自分の部屋でドローンの棚卸しと再配置を検討していた。
【偵察対象・配置】
一.配送ポーター
二.ブーロン城内
三.マルク
四.ミッチェル
五.イース
六.ニクラウス王
七.スペンサー王子
八.マクシミリアン王子
九.モーリン
十.未詳X:ならず者風の男。モーリンの間者(ブーロン城に侵入)
十一.未詳Y:赤毛の少年(王に毒を盛った犯人)
十二.ポリージャ国に潜入
十三から二十.王都マップ作成
既に王宮内はスキャンが完了している。
王都もメッシュ状に百四十二に区切ったエリアのうち、百三十七まではマップ作成が終わっていた。
残りの箇所は王宮から離れた周辺エリアだ。
ロイドは、十三と十四の二機を宮殿内の偵察に、十五と十六の二機は呼び戻して、王都までの道中を見晴らせることにした。
王都マップ作成は四機で足りるだろう。
「まあ、こんなところですかね。王都には気になる貴族たちがいますし、モーリンの動き次第では偵察対象が増えるでしょうからね」
「せめてあと十機はドローンを追加したいのですが」とぼやきながら、ロイドは意味もなく月を見上げるという、人間っぽい行為をしながら夜を明かした。
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