第22話 舞踏会開催の裏で

 ニクラウス王は倒れてから七日後の午後、閣議の間に姿を現した。

 痩せ衰えた体に窪んだ目だけがギラギラと光り、異様な雰囲気を醸し出している。

 心配そうな貴族たちを前に、不安を一蹴するかのように弁舌をふるった。


「皆の気遣いに感謝する。だが、もう何も心配いらぬ。見よ。このように元通り、いや、前よりも壮健であるぞ!」



 あの日と同じ顔ぶれが、同じ席に座っている。

 お伽話に出てくる怪物に精気を吸われてしまったかのように、ボリュームのあるベルベッドのローブからのぞく手は皺だらけだ。

 そんなニクラウスが声を張り上げれば張り上げるほど、テーブルを囲む者たちは冷めていく。


 テーブルの上には、さすがに紅茶もワインも置かれていない。

 いつも人の話の腰を折るジャスティンでさえも黙り込み、ストレスのせいか十本の指を常に動かし続けている。


 前回と唯一違うのはスペンサーが臨席していることだ。


「父上。話を戻しますが、舞踏会は本当にこのまま進めるおつもりですか?」

「ふん。犯人がわからぬなら捨ておけ。王宮に暗殺はつきものよ」


 王は以前にも増して尊大になっている。スペンサーはそれが気掛かりだった。


「王宮に易々と忍び込み、卑劣なまねをしでかした犯人が見つかっていないのですよ。逃げおおせたのも謎ですし――。もし舞踏会に忍び込むようなことがあれば――」

「そんなことはさせん!」


 王は激昂して口から唾を飛ばしながら叫んだ。


「のう。デレク」

「はっ!」


 デレクはいったん立ち上がってから膝をついて首をたれた。


「此度の失態は全て師団長の私の責任でございます。どのような沙汰でもお受けする所存にございます。ですが、お許しいただけるのでしたら、今一度、陛下のお側に――なにとぞお側に。身命を賭す覚悟で護衛の任を全ういたします」


「うむ。許す。許してつかわす。もうよいのだ。それより舞踏会だ。舞踏会だけは誰にも邪魔させるでないぞ」

「はっ!」


 満足そうなニクラウスと悲壮なデレクを尻目に、モーリンはデレクを挑発した。


「国中の貴族方が王都に集まられるのですからな。舞踏会という伝統行事で何かあっては国の威信に関わります。大勢が見ている中で誰かが暴漢に襲われるようなことがあれば、ゆゆしき問題ですぞ」


 デレクが憮然とした態度で答えた。


「承知しております。陛下のみならず、参加者の皆様を近衛師団が万全の体制で警護いたします」

「それでも万が一ということはあり得ますからな。舞踏会の主役はスペンサー第一王子殿下です。それ相応のお覚悟をお持ちいただかなくてはなりますまいな」


 モーリンの不吉で不適切極まりない発言は、慶事を前に本来ならば叱責されるべきものだが、ニクラウスは気に留める素振りもない。

 それどころか、けしかけるようなことを言う。


「当たり前だ。王族たるもの、覚悟ができていないとは言わせんぞ。スペンサー」


 スペンサーはテーブルの真向かいで息巻くニクラウスと、その横で不敵な笑みを浮かべるモーリンを睨み返した。


「無論、覚悟ならとっくにできております」

「ならば問題なかろう」


 モーリンはなおも執拗に絡む。


「磐石な体制を築くことこそ次期国王としてのお勤め。必ずやお妃をお決めになり、私ども――いえ、国民を安心させてくれましょうぞ」

「この私が第一王子としての勤めを分かっていないとでも? 妃一人決めるのに決断できないとでも?」


 モーリンはスペンサーの射殺さんばかりの威圧感をものともせず、口先だけで詫びた。


「まさかまさか。ご気分を害されたのなら謝罪いたします。なにとぞご容赦を。明君の器と誉高きスペンサー第一王子殿下に向かって誰がそのようなことを。いやはやまったく」


 両手を組んで大袈裟に振り、慌てて申し開きを述べるが、まるで心がこもっていない。


(やれやれ。王はもう使い物にならぬので、そろそろ代替わりさせようかという時に。若造め。思っていた以上に堅物じゃのう。まあ効きが悪くてこちらの思うようにならぬのなら、あの能天気な次男の方にしてもよいしな――)


 ニクラウスは二人が火花を散らしている様子にも無頓着で、同じ言葉を繰り返す。


「それより舞踏会の準備だ。皆の者、急げよ」

「はい。滞りなく準備を始めますゆえ、ご安心ください。会場の準備につきましては我が一族にお任せを」


 ジャスティンは、国の予算を使って好き勝手に調達できることを思うと、愉快でたまらなかった。


「よかろう! では頼んだぞ!」


 流れに乗り遅れまいとジョーも慌てて口を開く。


「私どもも、ご令嬢のお支度に一役買わせていただきとうございます」

「ああ、しかと頼む!」


 ジョーも予定通りの開催に胸を撫で下ろした。



 最後にモーリンが閉めくくる。


「それでは皆様。舞踏会の一連の儀式が滞りなく執り行われますよう。クーレイニー国に幸あれ!」





 所変わって、ブーロン城のマルクの部屋では、鬱々とした空気の中、マルクとミッチェルが壁の映像に厳しい視線を向けていた。


「どうあっても、やるのかいの」


 ニクラウスの尋常ならざる雰囲気が映像からも伝わってくる。

 ロイドが舞踏会の開催が決定したと報告すると、二人は落胆しミッチェルは頭を抱えた。


「延期もありうるとふんでいたのですがね。甘かったみたいですね」

「あの様子じゃと、陛下が床に臥したままでも開催が決まっておったかもしれぬの」

「陛下のご様子が気がかりですが……。ライアンが反対意見を言う隙もなかったのでしょうね」


 ロイドは質問されたのだと捉え、答えた。


「はい。王様は最初から最後まで『舞踏会を開催する』の一点張りで、誰にも口を挟ませませんでした」


(そこも一分ほどのショートムービー仕立てでお見せできると言ったのに)


「犯人が逃げている間は、安全が担保されないといって参加を見送ることも可能かと考えていたのですが。事件はどうやら隠蔽されたようですね。これでは出席しない訳にはいきません」

「仕方あるまいの」


 ロイドは宮殿内の様子も付け加えた。


「既に城の使用人たちは、招待状の作成に取り掛かっています」


 ロイドは招待状の宛名書きの現場にドローンを派遣して情報収集をしたかったが、ドローンが足りず断念した。


(百機とは言わないまでも、五十機はほしかったですね)


「じきにここにも招待状が届くのですね」


 ミッチェルは目を閉じて長いため息をついた。

 モーリンに目新しい動きはないとロイドが報告したところで、この日の定例会はお開きとなった。





 宮殿が闇に包まれ、人の気配が消えた頃。夜のしじまの中をモーリンが静々と歩いていた。

 従者を伴わず自らトレイを持って王の寝室に向かっている。


「陛下。薬湯をお持ちしました」


 モーリンがわざとらしく部屋の外から声をかける。もはや王には届いてなどいないと分かっていながら。

 ドアを警護する近衛兵も目の焦点が合っていない。どこかぼんやりとして正気を失っている。


「失礼いたします」


 寝室に入ると、ニクラウスは子どもの身長ほどもあるヘッドボードにもたれかかっていた。

 目を見開いてはいるが、モーリンの入室に気付いた様子はない。


「さあ陛下。もう必要なさそうですが念の為」


 モーリンはニクラウスの顎を掴み、無理矢理口を開けさせると秘薬を流し込んだ。

 ニクラウスはだらしなく口を開けて、むせながらも喉仏を動かして流し込んでいく。

 口元からこぼれた薬をニクラウスが身につけている薄手の絹の袖口で拭うと、モーリンは乱暴にニクラウスの足を引っ張りベッドに横たわらせた。


「ふう。もう目覚めて頂かなくてもよいのですがね」


 歴代の王の側で時を刻み続けてきた柱時計が、モーリンの不遜な態度を責めるかのように、零時ちょうどを鳴らした。

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